「衣擦れの音」

一昨日の
隅田川水上バス~浜離宮~鯛めしという
「江戸~東京、五感を満たす春の旅」
をご一緒したのは吉田朱音さん。

吉田さんはNLPトレーナーでいらっしゃます。
そして
お茶をたしなみ、日本文化に造詣深く…ま、一言でいうと

「日本大好き」

な方。

 

吉田さんと「日本文化」をネタによもやま話をしながらの旅だったのですが

その中でのこんなお話がとても印象に残っています。

 

「お茶は『気配を察する』世界」

 

もてなす側は、お客様の「気配」を察して、もてなしのタイミングを知る。

お客様の最後の一人が茶室へ入り「パタン」と戸を閉める音。

お茶を「ずっ」と最後の一口まで飲み干す音。

お客様の衣擦れの音。

 

「『音』が、合図となっていることがとても多いんです」

 

手を叩くとか、ベルが鳴るとか、ましてや言葉で…何かお客様から「合図」があるわけではない。

目を開き、耳をそばだて、まさに空気を察することで

お客様にとって絶妙なタイミングをはかる。

 

なんと高度な「もてなし」だろう、と思いました。

 

「お茶室にはいると、本当に『音』に集中します。その瞬間に集中します」

 

「コミュニケーション」を通して

自分自身や世界とのかかわりを、

その可能性をひらく仕事をしている者として

「細やかな差異に気づく」感覚をいかに磨いてゆくのか、その重要性については

お互い語りつくせないくらいの思いを持っているのですが

 

「本来私たちが持っている文化」の中に

それを磨くカギがもともとある。

見つけ直し、思い出すべきものは最も身近なものの中にある

 

ということを二人で再確認することのできた、たいそう貴重な時間となりました。

 

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「お花見は神事」

散歩コースにある桜も

今七分咲き。

見頃です。


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しばらく歩いているうちに

日が暮れてきて

枝の向こうに月が。


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週末はお花見です(書きつつ顔がほころぶ)

ちなみに、以前お花見を「日本中で一斉に行う『まつり』」と書きましたが

本来お花見とは「神事」だったのだそう。

「田植えがはじまる頃の咲く桜は神のヨリシロとされ

長く咲く年は豊作とされた。

サは聖なる穀霊、クラは神座の意。

『花見』とは単なる遊興ではなく、山の神を田の神として迎える

神聖な行事であった」

 (旧暦カレンダー「旧暦日々是好日」より)

「まつり」というところに

「祀る」という意味を込めて書いていましたので

あながち間違いではなかったということですね。

神事。

せっかくなので

この時くらいはいつもより意識してみよう、と思いました。

自然の営みに敬意を表しよう。

自然の一部としてあることの不思議と喜びをしっかりと感じよう。

今年もこうして花をとともに時を過ごせることに感謝しよう。

大切な人たちと花の下、集えるそのことに感謝しよう。

そして

この花の日本中を覆うふわりとしたエネルギーの力を借りてみんなで祈ろう。

傷ついている場所には癒しを。

前に進む力を。

そしてすべての物事、人の心に穏やかな調和を。

今年も

いいお花見になりそうです。

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「エール」

中村公子のコーチングna日々♪

部屋から空の青色を見ていると

どうも落ち着いて座っていられなくなる心持がします。

まさに

「世の中に絶えて桜のなかりせば…」。

(まだ鹿児島の桜もここまで満開ではないのでこの写真は借りてきたものです^^)

3月から4月にかけて

環境も、そして心の中も、体の中も大きく入れ替わって変化を迎えるこの時期。

(わたしの周りでも「落ち着かない」「体調が今一歩」などいろいろな声が)

まるであおるかのように桜が私の心をさらに大きく揺り動かします。

春のなんともいえない「ぼわん」とした日差し

まだ少し冷えた空気

何かが「移り変わる」時の独特の不安定な感じと

そして、ざあっと吹く風にのせて、あたりをピンク色に染める花びらの渦。

それらの感覚は全部セットになって

小さいころから自分の中にしっかりと根付いています。

桜って、何なんだろう…とふとあらためて思ったのですが。

きっと

エールであり、プレゼントなのだろうと。

日本民族への。

これまで

自分自身のたくさんの旅立ちや出会いを

桜の花がいろどってくれていました。

まるではなむけのようにそこにあった気がします。

わたしたちのご先祖も、古くからこの花を愛で、心を託し、精神的な意味をこの花に見出だしてきました。

このわずかな時期に

日本列島を薄桃色に染めながらいっきに駆け抜ける桜の花によって

わたしたちは特別なエネルギーをもらっている気がします。

そして、わたしたちがそれとは気づかぬ

日本人としての深い奥底にある何かを揺さぶられ

揺り起こされている気がします。

考えてみれば、この時期、日本中で「お花見」という同じ行為をするわけです。

誰に強制されるわけでもなく。

これはすごい。

日本中で「桜」を真ん中において人々が集い

一斉に同じ「まつり」をしているということです。

ピクニックなんてしたこともない興味もない、という人も「花見」は別。

敷物など敷いて、その上に座って桜を見上げて空を見上げて「あああ~」なんて

伸びをして体を緩める。

みんなで食べるご飯はまた格別の味で。

人と人をつなぐものとなり

天と地と人をつなぐものとなっているのが

かつては普通に日常生活にあふれていた

(わたしたちのご先祖が大切にしてきたところの)

「場」や「あり方」や「感覚」を

わたしたちはこの「お花見」という短い時期に

一気に体験する、といえるかもしれません。

桜の花の力を借りて。

あの、ふわ~っと人の心を浮き立たせ、舞いあがらせる、あの力を借りて。

人の心を開き

つなげる「和」のエネルギーを日本中にふりまく「桜」。

そう考えると、まさにこの別れと新しい出会いの時期に

ふさわしい花といえるかもしれません。

日本人への何よりのエール。

桜の花。

「武将のキモチ」

最近友人と
和系のダンスの練習をはじめたのですが
一段落つくと
お茶を楽しむのが恒例になりました。

友人持参のお茶のセットでお茶をたてます。
せっかくなので
お互いに向かい合って正座などしていただきます。

なんの作法もない気楽な時間なのですが
このちょっとした時間が
最近とても気に入っている自分がいます。
なんともいえない幸せを感じます。

一口の白湯の味までが
味がなんだか違うのですよね。
一滴を大切に味わわないと
もったいない気がする。

ひとかけの黒砂糖のなんと細胞に染み渡ることか。

この時間だけはエアコンも消して
外の鳥の声を聴きます。

いろいろなものごとから
いい意味で隔絶された感じがあります。

言葉にするなら
「足るを知る」
という感じでしょうか。
今、目の前に見える景色、聴こえる音
感じている感覚だけで
すべてが満ち足りて完結している感じ。

いろんなもの
感情
小さな気がかり
たくさんの情報から解放されて
自分が戻ってくる感じがします。


戦国武将たちが
茶の湯に親しんでいたキモチが
なんだかわかる気がするよね~


自分たちのささやかな時間を
すごい人たちと比べながら
今日もよき時間が過ぎました。

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「七年に一度の『コッコデショ』」

長崎の知人。

送ってきたメールの調子がいつもとなんだか違っていました。
どちらかというと穏やかで物静かな印象を持つ方
と感じていたのですが。

翌日。
電話でその方と話す機会がありました。
声を荒げるのなど聞いたこともないその方なんですが
…何かが違う。

なんといいますか
第一声から大きい。いつもよりも。なんだか勢いがある。はずんでいる。
(夜の10時過ぎにもかかわらず)

さて
先に書いた
その方のメールには用件178文字に対して約300文字にわたって熱く
「あること」が書かれていました。
それは…

「コッコデショ」
(大事なところなので、久しぶりに字を大きくしてみました)

今年も長崎くんちが始まること。
蛇踊りが有名だが、これは毎年やっていること。
今年は七年に一度の「コッコデショ」が出るということ。
そして
その「コッコデショ」がいかに「かっこいいか」ということ。

この方を
ここまで熱くさせる
常なるテンションとは変えてしまう「コッコデショ」とはいったい何だ…???
否がおうにも興味津々です。

さて
これが「コッコデショ」

「みこしを上に放り上げて受けるところ
声量のある揃った歌声
数十人がそろって型が決まっているところ
担ぎ手や携わる人々の気合を感じ胸に響きます」
(メールより)

確かに。
これは…すごい。
美しい。
なんと言っていいのか。
ほれぼれします。


また、別の長崎人よりメールが。

「よかでしょ~コッコデショ
(中略)
あれ、生で見たら
ただぽろぽろぽろーと涙が出ます。
なんの前触れもなく」

祭りとは、いいものですね。
そして、人にとって、とても必要なものであると感じます。
3日ほど前、偶然、京都祇園祭の番組を見ましたが。
ああいったものが伝えているものの大きさに
思わず身震いしたことでした。

祇園祭の「かね」を一人前に叩けるようになるまでは
10年かかるのだそうです。
それを、小さな子達が、正座をして黙々と練習している。
教えるのは若者たち。
当然ながら、この営みは数百年の昔からずっと続いてきたもの。
「町衆」の中で、自然と受け継がれ続けてきたものです。

連綿と
親から子へ、子から孫へ
さりげなく伝えられてゆく同じ「形」。
そして、形を通して受け継がれていくものの大きさ。深さ。

齋藤孝
「日本人の心はなぜ強かったのか」(PHP新書)
にこんなことが書いてありました。

日本人はかつて
「心」と「体」と「精神」のバランスがとれていた。
今は「精神」と「体」を形成するということが疎かにされ
結果「心」の肥大を招いている。
「個の心の問題」が人生における最大の「問題」になってしまっている。

以前の日本人は
「心」を律する「精神」「体」を持っていた。
それらは例えば、幼いころから無条件にやる論語の素読であったり
武道であったり、日々の立ち居振る舞いであったり。
日々の生活の中で
「形」(体の動きを伴うもの。考え方、すべて)を踏襲することを通して
自然と伝えられた。

それら伝承の営みは
特に第二次大戦後、アメリカによって
徹底的に破壊されたと。
そして、今に至る日本。

とまあ、だいたいこんなことが書いてあったような。
(わたしの言葉で言い換えているので、解釈が違っていたらご勘弁を)

「コッコデショ」。

七年に一度のこの日のために
この町のみなさんは、どれだけ練習をしてこられたことでしょう。
子どもたちは小さいころから
「コッコデショ」に出ることを目標としているに違いありません。
あの、父や兄のようになるのだと願い、成長する日々。
みこしを担ぐ意味の学びや体の鍛錬を通して
子どもたちの体の中には
きっと
模範としたい、基準となる強い「精神」の軸が形成されるのではないでしょうか。

少しのことではぶらされない
強い強い「精神の軸」。

「担ぎ手や携わる人々の気合を感じ胸に響きます」
「あれを見ると、ただ、ぽろぽろと涙が出ます」

彼女らの胸を響かせ
涙を流させるものは何なのか。
「祭り」を通してわたしたちは確かに何かに触れ
日本人としての
人としての「何か大切なこと」を呼び起こされるのだろう…そんな気がしました。

「コッコデショ」。
七年後は
必ず長崎で、この目で見よう!と思ったことでした。

「巨木倒るとも」






知り合いから

椋の木の木片をわけていただきました。

厚さ七~八センチ。直径二十センチくらいの丸い木片です。


東京の日野市に

「とうかん森」というそれはそれは小さな森があって
中村公子のコーチングna日々♪

(森というよりは、木と祠が残っている一角

といったほうがいいくらいの「森」なんですが)

そこの椋の巨木が今年の二月に伐り倒され

巡り巡ってわたしの元にもやってきたのです。









『土方歳三が誕生した家は、「土方歳三資料館」から

北東へ数百メートル離れた、多摩川沿いの地、今の川原北公園付近にありました。


(中略)

その家で小さかった歳三も見て、遊んで育ったと思われるのが、樹齢250年もの大木が並ぶ「とうかん森」です。」』(日野市観光協会HPより)



という、とうかん森。

すっかり変わってしまった一帯で、ここだけが昔と変わらぬ面影を残しているとのことで

石田寺(せきでんじ。土方家墓所)にお参りするたびに、この小さな森の前を通り

大きな木の肌を触って、百数十年の昔に想いを馳せるのが楽しみでした。


周囲の人家に危険が及ぶ恐れが出たため

数本を残して、切り倒されることとなったのだそうです。






私の部屋にある椋の木を見ながら

つくづく不思議な気持ちにとらわれています。

遠く鹿児島にやってきた木のかけらが

(わたしには、距離だけでなく、はるか時間も越えてやってきたように感じるわけですが)

この場所で人に影響を与え続けていることの不思議。中村公子のコーチングna日々♪

今、自分の目の前に残ってあることの不思議。








話は変わるのですが

この椋の木がやってきたちょうどその日

小さいころから世話になっていた伯父が亡くなりました。


伯父は、私が覚えている記憶の中で

最初から白髪頭で登場。

その頃は、たとえて言えば「大きなガキ大将」のような人でした。
子どもの頃はよく遊んでもらっていたんですが

そのうち遊んでもらってるのかいじめられてるのかわからなくなってくる(笑)


そんな感じにとてもかわいがってもらいました。


中村の家の男手の最長老がこの伯父で
まさに、わたしたちにとって、この椋の老大木のような存在でした。
ずっと、昔からそこにいて、これからも動かない巌のようにそこに存在し続けるのであろう…
と、なんとなく思っていたのですよね。





通夜の夜は、とても穏やかで和やか、もっと言えば

笑顔の絶えない通夜でした。

なんでも、大往生だったそうで、伯母もすっきりとした表情で。

「さすが、おじさん!」と思ってしまったくらい。

最後まで、やってくれるじゃないですか。




笑えたのは

二十数年ぶりに会った伯父の二男が、伯父そっくりになっていたこと。

遺影に手を合わせて振り返ると後ろに本人が立っていて「ぎゃっ!」とびっくり…とうくらいにそっくり。

ざっくりと、豪放磊落な感じも、いたずらっ子のようなところもそっくりになっていました。

そして、その存在感はとても安心感をもたらすものでした。





「ああ、形はなくなっても、なくならないんだなあ」

と。

その人が残したものは形を変え、受け継がれ、人に影響を与え続けていく。

静かに過ぎる通夜の夜

伯父はいなくても
伯父が残してくれたたくさんのものは確かにあの場所を満たし、わたしたちに影響を与え続けているのを
感じたのでした。





巨木倒るとも。

その意図、思い、願いは残る。私の手元に残る椋の木片のように。




身近な人の生きた過程を思うことも

歴史上の偉人のそれを思うことも

最近、わたしにはまったく同じことに感じられます。

「歴史」なんてひとくくりなものは存在せず

かわりにそこに、一人一人の笑い顔や泣き顔の

生き生きとした一瞬一瞬の繰り返し、その連なりが見えるのです。

木片を見ながら

伯父が「今日一日」のていねいな積み重ねで長い年月を生き切ったように

明日もまた頑張ろうと思うのでした。



「七夕飾りの意味」

って

みなさんご存知でしたか?

わたし、知らなかったのです…(恥ずかしながら)

次のような意味があるのだそうですよ。

星星飾り~織姫と彦星をあらわす

星貝~海の恵みを受けられるように

星ひし形つなぎ~裁縫が上達するように

星ちょうちん~織姫と彦星にあかりをささげるため

星短冊~字が上手になるように

星吹流し~機織りが上達するように

星網~豊漁

ちなみに

中村公子のコーチングna日々♪

情報源はこちら→

(モスバーガー某店に貼ってありました)

「お裁縫」「機織り」

当時の女の子たちにとっては

必須の習得技術だったのですもんね。

そして

「字が上達するように」

自らの修練を前提とした奥ゆかしい願い、とでもいいましょうか。

とても美しく、奥ゆかしいものに感じられます。

このような願いを

少しはにかみながら短冊に書いて

たおやかな白い手を伸ばしてそっと笹につるすような

そんな女性になりたかった…。

そして

「豊漁」「海の恵みを受けられますように」かあ。

命の糧は

願い、祈り、授かるものだったんですね。

わたしたちの祖先にとって。

小さいころに

この由来を知っていたならば

もっと心をこめて飾りをつくっていたのになあ

もっと、わたしにとって意味深く、味わい深いものになっていたのになあと、

そして、もっともっとこの「七夕」を大好きになったのになあと

(今でも、十分なくらいに大好きなんですけれど)

少しだけ残念に思いました。

若いお父様、お母様方

もし、よろしかったら、お子様に話してあげてくださいね。

ぜひ。

「世界一の庭師 石原和幸」さん

外でお茶を飲んでいるんですが

ちょうど店の目の花壇の植え替えをやっています。

赤土色の煉瓦も運び込まれ

これまで植わっていた植物はすべて根っこからなくなって

なかなか大掛かりなイメージチェンジのようです。

そして

この作業をやっているのが、これまたなかなかおしゃれなジャケットにジーンズ

先のとがった革靴を履いた男性の方々。

「いやあ…庭を作る人って、本当におしゃれなんだ」

と思いながら見ています。

なぜかというと

「世界一の庭師  石原和幸トークショー」

に昨日たまたま行ったのですが

石原さんも、とってもおしゃれな方だったのです。

(まあ、トークショーの舞台ですからね)

イギリスの「チェルシーフラワーショー」という権威ある庭つくりのコンクールで

優勝した日本人がいる、というニュースは

以前、偶然テレビで目にしていました。
中村公子のコーチングna日々♪

外国でよく見る

花いっぱい、幾何学的な対象の造詣の庭に混じって

深い緑の苔に一面覆われた、異世界のような

(それでいて私たちに日本人にはどこか懐かしい)

幽玄の世界はテレビを通しても強烈なインパクトがあり

その庭が他国の人たちに

絶賛される様子が映し出されていました。

その、石原さんが昨日、鹿児島にいらしていたんです。

石原さんがどんなプロセスで「チェルシーフラワーショー」で

(「ガーデン難民」なんて呼ばれながら)

3回も優勝するにいたったか、というお話や

そもそもどんな風に花屋をはじめたか、というお話もとても楽しい部分だったんですが

映像で紹介される石原さんのつくった「庭」そのものに

とても惹きこまれるものを感じました。

(写真は、会場にかざってあった石原さんの作品)

「源」

「青嵐」

「雲庭」

「緑の扉」

「風花」・・・

庭のタイトルも何だか、

わたしにとっては、ひとつひとつ

目を閉じて味わいたくなる響きを持っています。

「かっこよい庭をつくろう、とは思わなかった。小さい頃、森の中につくった『秘密基地』をつくろう!と思った」

「自分の生まれ育った町三原町は天空の城ラピュタよりすてき。

夏の蛍。葬儀のときに花を添えて送った思い出、牧草地に咲く花・・・

頭の中のこれらをつくり続けたい。」

中村公子のコーチングna日々♪

チェルシーに出るにあたって、コンセプトを考える際

「熊本の白川の景色を見たとき『勝った!』と思った」

(とても早口で、長崎弁のイントネーションも豊かにリズムよく

お話なさったので聞き間違いがあるかもしれませんけど)

石原さんデモンストレーション中→

お話を聞いていると

石原さんを動かしているものは「原風景」「原体験」なんだなあと思います。

石原さんのからだの中に入り込み、石原さんを作っているもの。

そして今も脈打ち続けているもの。

それは同時に、わたしたち日本人のからだの奥に、記憶の奥底に共通して

脈々と流れている「もの」といえるかもしれません。

それらの感性が、石原さんという稀に見るパワフルな「媒体」(表現者)を通して世界の人をうならせ

郷愁を誘い、感動をおこしている。

なんだか、とても誇らしい気持ちになったことでした。

余談ですが

今回石原さんは指宿にも行かれたそうで

近く、天神や・・・あと、どこだったか忘れましたが

指宿の観葉植物がメインとなって会場を飾る大きなプロジェクトをいくつかなさるのだそう。

「指宿の植物で会場を埋め尽くします!」とおしゃっていました。

ちょうど先日、指宿の観葉部会の方々の研修をさせていただいたばかりでしたので

わがことのように嬉しくて

この発表のときはちょっと騒いでしまいました。

「天から降る音」

 

「伊勢神宮展」というものががあって

それで「巫女舞」が見られるというので寄ってみました。

 

 

「浦安の舞」と「悠久の舞」と、あともう一つ。舞われるということで

これは行かねばと。

この日は朝早くからちょっと遠い場所での研修だったので孵ってこれるかな~と心配しつつ。

 

でも、何とか3時の舞に間に合いました。
中村公子のコーチングna日々♪

 

どうして「巫女舞」を観たいと思ったかというと

まあ、もともとこういうもの全般が好きなこともあるのですが

「懐かしい」とうのもあったのです。

 

 

わたしは、この舞のうち「浦安の舞」を舞うことが出来ます。

と、いいますか、「かつて舞うことが出来ました」。

 

昔、結婚式の仕事をしていたんですが

勤めていたプロデュース会社では

結婚式当日はいつも、スタッフ全員で役割を分担していました。

 

その日の総指揮をとるものが一人。

これは、半年から1年かえて、着々と新郎新婦と共にその日に向けて準備をしてきた担当者がやります。

ずっとともに準備してきたその集大成の一日なわけですから

担当者にとっても想いひとしおの一日となります。

 

そして、他のメンバーは

新郎新婦付き(花嫁のアテンド)その他のスタッフとして、式と披露宴の運営の実行部隊となる

というわけです。

 

さて、その役割の中に

「巫女」というのが、ありました。

神前挙式の際の、あの巫女さんです。

 

式の最後に

ご両家の末永いご多幸を祈念して「巫女が舞を奉納する」ことになっていました。

今でも思い出します。

青空の下

朱色の袴と白いちはやの袖がふわりと動くさまは

観ていていつもほんとう心がひきしまり、また華やぐものでした。

 

このときの舞が「浦安の舞」だったのです。

スタッフみんなで神社まで研修に行き、一生懸命特訓したものでした。

中村公子のコーチングna日々♪

 

さて
この日も

雅楽の生演奏で、たくさんの美しい楽器が姿をそろえていました。
そして、舞が始まり

はじめは「ああ、懐かしいな…」と思ってみていたんですが

 

そのうち、なぜか「得体の知れない涙」が…。

(我ながらびっくり)

 

「そんなに懐かしいのかな」

 

と思ったんですが

どうもそうでもないんです。

「音」なんです。

音が「細胞に染みる」。

 

笙の音が空中にわあ~っと広がって

舞を舞う4人の巫女さんの頭上にひかりの柱が立ち上っているような

そんなふうにわたしには見えました。

笙・篳篥・竜笛…それぞれの音が共鳴して、天井の高い屋外ドーム全体に広がって

言葉ではいえないんですがとても心地よいのです。

 

 

確かに「懐かしい」。

そう

この「懐かしい」をあえて言葉で狂言すると

「もっともっと昔から、この感じを知っていた」とでもいうような…
中村公子のコーチングna日々♪

民族のDNAを揺さぶられるような懐かしさ、とでもいいましょうか。

 

舞の合間に

楽士さんたちが説明をしてくださいました。

 

篳篥は人の声

竜笛は天と地の間、空を飛び回る龍

笙は天の音

 

天と、地と、それをつなぐ中空が表現されている。

 

きっと

太古の昔、わたしたち日本人は

特別なことでなく、こうして心をこめて、感謝をこめて、目に見えるもの、見えないものへ

舞をささげていたんでしょうね。日常の行為として。

歌を歌い、舞い、自然と遊び、喜ぶのがとても上手な民族だった気がします。

 

さて

舞が終わってから早速

「鹿児島雅楽同好会」の方に(会場にいらしたのです。神主さまでした)

「普通の人も習えますか?」とお尋ねしてみたことでした。

 

もし、習い始めましたら

また報告させていただきます。

 

 

「てんがらもん」その後

 

 

 

 

 

 

 

一昨日書いた「てんがらもん」という言葉の話↓

 

https://ameblo.jp/businesskouko/entry-10678745559.html

 

 

 

これに、メールをいただきました。

その方の了解を得てご紹介します。

 

 

 

 

「さて

 

 

てんがらもん。

 

もうかなり昔、

奄美のほうの正月や盆や親戚が集まる席で、

障害のある子どもは家の一番上座に座布団を高々と敷き

皆で囲んだという話を読んだことがあります。

 

 

『親戚の難儀やつらいことを

その子が背負って生まれてきてくれたのだから

親戚皆でその子を大事に家の中心において

もてなし感謝する』

 

 

という話でした。

 

 

確か新聞の古い記事だったと思います。

温かい気持ちになり、感動しました」

 

 

 

 

 

 

てんがらもん~天授者

 

 

 

 

 

 

 

この言葉の意味を知って以来

 

自分の中をいろいろな思いがめぐっています。

 

 

 

自分の中のあれこれ。

 

 

自分の中のさまざまな部分もすべて「天からのもの」なのだろうなあ、ですとか。

(今、少しマイナスに感じているような部分もすべて)

 

 

なんだか、自分の中の「てんがらもん」な部分が

とてもいとおしく、そして、そこにこそ大きなパワーが潜んでいる感じが

今、しています。

 

 

 

 

そこにこそ、わたしがわたしである理由がある。

そんな気がしています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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