「なぜコンビニの前に座っていてはいけないのか」を子どもになんと説明するか

 

 

 

 

 

 

つい最近、(誰かの記事だったか、動画だったかで)見たのですよね。

 

コンビニ前や駅の構内で、
地面にペタッと座って飲食している子達がいたとして、

「草っぱらなんかでもじかに座る。どうしてここだといけないの?」

と問われたら、なんと答えるか、と。

 

 

で、その記事だったか、動画だったか…に、こういうコメントが。

「コンビニや駅の構内だと、
公衆トイレなどに行って、みんなそのまま歩いているから汚い。
なのでダメ、と子どもには教えています」

 

 

 

本当にその通り。
けれどでは、そこがもし、ピカピカの床で、
絶対に菌やウイルスの入り込む余地のない場所だったら
座ってもいい、

ということになるのかしらん、と。

 

 

 

 

で、わたしの率直な感想は、

「理由が…いるか?」

でした。

 

 

 

 

なんというか。

「理論」。「理屈」。
よく言われる「エビデンスは何ですか?」的な。
それがないものは存在の余地なし、みたいな昨今。

 

 

そんなものは全然「通って」いなくとも、

 

「とにかく良くないの」
「それは美しくないの」

 

という精神はもはや通用しないのかしら、と。
(お天道様が見ているから、的なですね)

 

 

 

 

 

 

 

知人が「今、仏教と神道の本を読んでいます」
と。

 

 

「自分たちはどうも、以前であればあれば自然と
『もらって』(受け継いで)
きたものを上の世代からもらえていないんじゃないか、という感覚があり」

 

 

 

 

ということなんだそうで。
(わたしから見ますと、その方、全くもって、そうは思わないんですけどね)

 

 

 

で、
ご自身の子どもに何を手渡すのか、にあたって、

 

「では、自分で再度見つけるしかないか」

 

と。

 

もらえていない、受け継いでいない、どこかで断絶している、のならば、
自分で知り、取捨選択をし、
自分で再編し直さねばならない、

 

 

 

 

と思ったのだそう。

そのためには知識が必要。

 

 

 

「根っこ」を知ることが。
揺るがぬ「根っこ」。
「真善美の根っこ」を知り直す必要がある、出逢い直す必要がある。

 

 

 

それはなんだろう??
と考え、「仏教」「神道」というものにも触れてみよう、
と思ったんだそう。

 

 

 

 

 

 

 

 

これまでも何度か書いていますが。

「根っこ」を知らないもの、
根っこと繋がっていないもの、は弱いですね。
(基本・土台・型がないものは、とも言える)

 

 

 

とうとうと流れる時の中で、
自然と形作られてきた「道理」を無視して作ったものは、
どんなに「いい方法だ」と思った仕組みや考え方でも、
数年経つと、目まぐるしく変わる時の中で、
瞬く間に「合わないもの」「使えないもの」になっている感じがします。
(「時代の徒花」で笑いで済めばいいんですけど)

 

 

 

 

 

わたし達は今、大きな渦の中で、
何を信じていいかわからない。
何を支柱として生きていいかわからない。
だから、

 

 

「(有名な)この人が言っている」
「これが流行っている」
「みんながこうしている」
「『成功』している人がこうやっている」

 

 

を追いかけ、
追い求め、
右往左往している。

(この状態、「精神的孤児」という言葉で、以前書きましたが)

 

 

 

 

 

 

 

そもそも、わたしたちが、
「正しい」「これが当たり前」「ずっとこうしてきた」
と思っていることも、歴史を辿れば、
戦後ほんの80年でできた「常識」であったり、
わずか160年前には全く違っていた、ということも多々あるわけで。

 

 

 

 

 

先に書いた知人が、
「わたしたち日本人を形作ってきたもの」
(自然、風土に自然と育まれてきた文化、価値観、身体観)

 

 

の源流を求めて仏教と神道の本も読んでみよう、と思った(切なる)氣持ち
わかるなあ、と思います。

 

 

 

 

 

 

 

彼は、感じたのだろうと。
わたしたちが「こうだ」と思い込んできたことは、
案外「そうじゃないものもある」ということに。
ぐらり、足元が揺れ。

 

 

 

 

そして彼はきっと思ったのです。
自分の子どもたちを「孤児」にしたくないと。
デラシネ(根無し草)にしたくない。

 

 

 

 

たとえ世の中がどんなに渦巻いていたとしても、
自分の足で立って。

 

 

他者の作った真実ではない、自分の真実を。
「自分にとっての真の幸せ」を、
(それは自身の心にも身体にも至極自然で心地よく、なおかつ、
世界と自然に調和したものだと思うのですが)

 

 

生きる人になってほしいと思ったのだと思います。

 

 

 

 

 

 

決して色褪せない「根っこ」を。美しさを。
幸せに生き抜く力を、

 

子どもたちの身のうちにすっくと、しなやかに
立ち上げてあげたかったのかなと思います。
(本当に、何よりの宝だと思うんですよね)

 

 

 

 

 

 

※写真は、わたしの部屋の紫陽花です。愛おしきかな😍

 

 

 

 

「どうする家康」。時代考証グッジョブ!(ナンバ走りに萌えた夜)

 

 

 

 

 

 

昨日の「どうする家康」。

女の子(阿月ちゃん)爆走の回。

 

 

 

時代もので走る場面で、100M走の走り(現代の走り方)で
思いっきり全力疾走するのがいつも違和感だったのですが、
昨日はちゃんと「ナンバ走り」でした♪

 

(手を身体の横で上げ下げして、変な走り方だなあと思った人も多いのでは。

ちなみにあれが本当にそのまんま、当時の通りなのか、

もちろんわたしにはわからないのですが)

 

 

 

 

 

 

以前、この「ナンバ走り指導」の方の動画を見て
「ナンバ走り」を習得しようとしたことがあるんですが、なかなか難しくて。
(ナンバの動きを日々の動きに取り入れられると身体が楽で効率的、と聞き)

 

 

 

 

 

 

 

 

(動画はこちら)

https://www.youtube.com/watch?v=G29X8CBlzBs

 

 

 

 

昨日、確かにこの走りでしたよね。

 

 

 

 

子どもたちも、役者さんも頑張ってたなあと。
(こういう細かい考証が地味に嬉しい)

 

 

 

 

 

 

 

*  *  *  *  *

 

 

「日本に「西洋の動き」(運動・体育)が入ってきたのは、
幕末。
幕府によるフランス軍事顧問団の招聘による。

 

 

 

 

明治以前、日本人には
身体と心を分けるという概念がなかった。
(「カラダ」は死体のことで、
生きているこの身体は「み(身)」と言った。

 

 

 

それから約160年。
生活様式の変化とともに、わたしたち日本人は
「日本人の伝統的身体」「身体技術」
というべきものを忘れ去りつつある。

 

 

そして、
身体は「もの」として扱われ、
「ここを5センチ細く」
と…
自分の身体をモノとして
(商品のように)
「評価する」ようになった。

 

 

 

 

身体と心、精神はつながっている。
身体技術が受け継がれないと、
精神も受け継がれない。
(それを「感じたことがない」「感じられない」わけなので、本質は伝わらない)

 

 

160センチに満たない身体で
40キロのセメント袋(当時は重かった!今は25キロらしい)
を担いで軽々と山道を登っていた父の
腰肚を要とした使い方、腰の座り具合、力の出し方。
足のひかがみ(膝裏)の使い方等々…

弟には受け継がれていない。
(もちろんわたしにも)

 

 

 

 

 

日本人はどこへいくのか?」

 

 

 

 

 

 

*  *  *  *  *

 

 

 

 

昨年春のわたしのセミナー
「日本人の身体と精神と言葉の話
ーわたしたちはどこへ行こうとしているのか?ー」

 

からちょっと抜粋してみました。

 

 

 

 

 

 

「自分は幸せである」と感じる理由を「人」だけに頼るのは危うい

 

 

 

 

 

 

 

と、いうようなことを養老孟司先生が言っていたのですよね。
(YouTubeの、しかも「切り抜き動画」を見ただけなのですが)

 

 

 

講演会の会場の人たちに、事前アンケートをとって、
(あなたは幸せですか?ならびに、そう思う理由)
それを元に、養老先生が話している。

 

 

 

 

「10代の時にいじめを受けた人が、20代になってそのことを書いた本を読んだ。
皆さんのアンケートを見て、その本を読んだ時と、同じ印象を受けた」

 

 

 

と。
その「同じ印象」とは、養老先生の言葉でいうと、

 

 

 

 

 

 

「花鳥風月が一切出てこない」。

 

 

 

 

 

 

場内アンケートにあったのは、

「こういう人間関係があるから幸せ」
「こういう友がいるから幸せ」
「家族がこうだから幸せ」

 

 

 

幸せの「よって立つ」ところが、人、人、人…

 

 

 

 

これは、裏を返せば、「人(人間関係)」によって、
いとも簡単に「不幸」にもなる、と言うことだ、と。
(いじめなんて、まさにつまりそういうことだ、と)

 

 

 

 

 

 

 

 

さて。
花鳥風月、とはつまり「自然」ということなのですが。

 

 

「人間関係が辛い時に、
自分だったら
『死体(死体は「自然」だから)』(←解剖学者)
『虫』(←虫大好き)

そういう世界と語らっていたら、
人間関係の悩みなど、どうでもよく思えてくる。(生きてるだけですごいだろう!と死体を見ていると思うし)」

 

なんだそうで。

 

 

 

 

 

 

 

 

人間関係が全て。
うまくいかないと、もう行き場がない。逃げ場がない(心の)。
他に「繋がる」ところを知らない。

 

 

というのは、確かに危ういなあ、と思います。
それで、命をたつことを選んでしまう人もいるわけですし。

 

 

 

 

 

 

「そこに、風は吹いていなかったのか?
鳥は鳴いていなかったのか?」

 

by養老先生

 

 

 

 

 

 

 

齋藤孝は、現代人の「感情」と「精神」のバランスの悪さを書いています。

 

 

 

現代人は「感情」が肥大してしまい、感情に振り回され支配されているが、

かつては「精神(志・こころざし)」というものが、
感情の暴走を抑え、心のバランスをとっていた。

が、戦後、「精神」という言葉は、

「愛国精神」「軍国精神」

と言ったように、
何か悪いもの、古臭いもののように扱われてしまっている…

と、そういう内容だったかと。

 

 

 

 

 

 

 

さて。
養老先生が小さい頃は、人の世界と、自然、「半々」だったそう。
どちらも「近しかった」。
ほんの七十数年ばかし前のことですよね。

 

 

 

わたしたちの祖先は、たくさんの世界とアクセスし、

 

「そこで心を自由に羽ばたかせる」
「心をあそばせる」

 

あり方を知っていた。
この広大な世界の中で「人との関係」というのは、

 

 

 

「その一部に過ぎない」

 

 

 

 

ということを、体感的にわかっていたんだと思います。

「侘び」
「寂び」
「もののあはれ」

なんていう言葉は、そのことをよく表している。

 

 

 

 

 

 

今日はちょっとまとまりませんが。
(テーマが壮大すぎるのだよ、と思いつつ)

 

 

けれど、
自分を生かすものは、目の前の人間関係だけではない、
ということは、ものすごく思うのです。

 

 

 

ミルフィーユの如く、重層的に、
わたしたちは、実はたくさんの世界にまたがって生きている。
多くのものとつながり、
実は時間も空間も超えて、多くのものからのエールを受けつつ、生きていると感じます。

 

 

 

 

そうそう…。
そういうふうに生きられたら、狭い視野の中できつい思いしなくていいよ、

ということを養老先生は言いたかったのだと思います。

 

 

 

 

 

 

 

*   *   *   *   *

 

 

 

写真は一昨日の渡月橋。
ちょっと用があって京都に行ってきたんですが、
(弾丸ツアーな感じであまりゆっくりできなかったんですが)

すっかり京都、元に戻っていて、人だらけでした。
ここで「いろんなもの」と語らうには、ちょっと集中力が…。

けど、わたしにとっては
京都はとても「アクセスしやすい」場所なことは確かなのでした。

 

 

 

いい時間でした。空気は冴えて、山は美しい。

 

 

 

最近思い始めた『20年後』にどんな姿で立っていたいか(同年の方々、どうですか?)

 

 

 

 

 

伝統料理を発掘、継承している人たちの活動を取材した番組があったのです。
その土地の女性たち(80代,70代)を中心に、料理をする様子が出ていたんですが、
それを見ていて、

 

 

「80代と70代って…こんなに違うのか」

 

 

とびっくりしたんでした。
何が違うかと言いますと、立ち振る舞いやコメントが、

 

 

 

「テレビ向け」

 

 

 

かどうか、という一点で。

 

 

 

 

 

 

 

 

その番組に出ていた70代の方のコメントや振る舞いは、
完全に「テレビでよく見るやつ」。

 

 

例えば…
「◯◯(食材の名前)の声をよーく聞くんですよ〜」とか、
「子育てもそうでしょう〜?」などなど。

(確かにそうなんでしょうけど、どうも、その人が「いつも使っている」言葉には聞こえず。

それに食材の声を聞くって、もはや使い古された表現にも感じるのですよね)

 

 

 

 

食材を混ぜるレポーターに、甲高い声で
「そうそう〜♪上手上手〜♪」と言いながら5本の指をぱあっと広げて、満面の笑みで、
顔の前でパチパチと手を叩く仕草。

 

若い女の子のタレントさんがよくやるのを見ますけど。
(何というか…ちょっとそぐわなく感じたのですよね)

 

 

 

 

 

 

 

 

わたしの中で、70代80代というのは
人生の年輪を重ねた、尊敬すべき「人生の先輩」であり、

酸いも甘いも噛み分けた、なんというか…
しっかりと軸を持って、大地に根を張った大木のような、
というイメージがあり。
(イメージというより願望、期待、願い?)

 

 

 

で、
はたと氣づいてしまったのでした。

 

「そうだよなあ…70代といえば、もはや『テレビの洗礼』真っ盛りの中で育っているわけだもんなあ」

 

と。

 

 

 

 

何がいいか。
何がかっこいいということか。
何が受け入れられるか。
どうあるのが幸せか。

 

物心ついた頃から、それは全部、「テレビが決めてきた世代」の走り。

 

 

 

 

 

 

 

その後、この会を立ち上げた
80代の女性のインタビューがあったのですが、
こちらはもう…低めの声でゆっくりと静かに話されるその感じに、
「自分の芯」から話をされる感じを受け。

きっと、テレビであろうが、誰であろうが、
この佇まいで、この声で、この言葉なんだろうなあと。
(枝振りの良い古木のようなかっこよさを感じたことでした)

 

 

 

 

 

 

 

 

たった10年のことで、
こんなにも違ってくるのか??

 

と。
日本という国の何か、歩んできた道の縮図を見てしまったような氣になったんですが。

 

 

 

 

 

さて。
70代と80代では…と書きましたが、
80代だからいい、90代だからすごい、ということではなく、
若いとダメ、ということでもなく。
多分に「個人差」だよなあと思いつつ。

 

 

 

それでも、ちょっとびっくりしてしまったので書いてみました。
(それに、言葉や所作に関して、わたし自身の「好み」が大いに入っているので悪しからず、なんですが)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちなみに、
わたしがこの場面を見た瞬間、浮かんできた言葉を真正直に書きますと、

 

「ああ、70代もダメだなこりゃ〜」。

 

(誠に誤解を招きそうな言葉です。

「先達だと思ってたのに!」「頼れる先輩だと思ってたのに!」「自分たちと一緒かよ〜」

というショックが言わせた言葉ということで、大目に見てください。
くれぐれも世代ではなく、個人差ですし。わたしの「好み」の話ですし)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて。

 

最近、「これからどんなふうに歳を重ねていくか」。
もみじが紅葉するように、身体も心も、さらに成熟していったその先に。

 

 

 

自分は、どんな姿で立ち続けるか。
立ち続けていられるか。
立ち続けていたいのか。

 

ということを、たまにですが考えるようになりました。

 

若い時にはただ、そこにあるだけで美しい。
溢れる生氣。
細胞から放っておいても発するみずみずしいエネルギー。
若いときは、誰だってそこにいるだけで、目を引く魅力に溢れている。

 

 

 

 

 

 

けれど。
これからますます「ごまかしのきかない」年代に入っていくなあ、と思います。

 

花が落ち、
深い深紅の紅葉のその後、

木の幹、枝…それらがただ厳然と、そこにある。

なんの飾りもなく、否応なしに晒されるとき。

 

そんな時、自分はどんな太さの幹を持ち、どんな枝ぶりでそこに立っているのだろうか。
過ごした時間が作り出した根の形が、幹が、枝ぶりが、
願わくばしっかりと自分の魅力になるような…

 

 

 

 

 

そんな時間を過ごしたいし、そういう姿でありたい、
(し、次の世代の前にそういう姿で立っていたい)
と思うのですれけどね。

 

 

 

 

 

 

 

*  *  *  *  *

 

※これはどこの桜でしたか。
ちょっとすごすぎる例を貼ってしまいました。

 

 

和服の裾からチラリと見える白いふくらはぎなんだ!と彼は黒板を叩いて断言した

 

 

 

 

 

盛りを過ぎていると言われればそれまでだが、 

捨てられないものもある。

 

 

 (と語ってしまうくらいにはあじさい好き)

 

 

 

 

 

 

 *  *  * 

 

 

 「花は満開のときだけを、 

月は雲りがないのだけを見るものであろうか。

いやそうではない。

 

降っている雨に向かって見えない月のことを慕い、 

すだれを垂らして室内にこもり、 

春が移り行くのを知らずにいるのも、 やはりしみじみとして情趣が深い。

 

今にも咲きそうな梢、 

花が散ってしおれている庭などにこそ、 

見るべき価値がたくさんある」

 

 

 

 *  *  * 

 

 

ここまでは、わかる。 

まあそんなこともあるかもなあ〜、 と、思っていた。 

高校の頃の「徒然草」の授業。 

 

 

けれど、こっから先は、「はあ??」 だった。

ポカンだった。

 

 

草むす田舎の高校。 

ジャガイモのような男子に前髪ぱっつんの女子たち。 

多分全員「ポカン」だったことだろう。 

 

 

 

 

*  *  * 

 

 

(徒然草続き)

 

「男女の恋も、 ひたすらに契りを結ぶことだけを情緒があるというのだろうか。

 

 

いやそうではない。 

逢わずに終わった恋の辛さを思い、

はかない逢瀬を嘆き、 

 

長い夜を一人で明かして、 遠く離れた所にいる恋人のことをはるかに思い、 

茅の生い茂った荒れ果てた家で昔の恋を思い出して懐かしむことこそ、

恋愛の情趣を理解すると言えよう」 

 

 

 

 *  *  * 

 

 

 

全く響かないわたしたちを前に、 

ここから先生はどんどん白熱&脱線していき、 

(多分、この「感覚」をわかって欲しかったのだろう) 

 

 

「だいたい最近の女性の服装は見せすぎる」 

「あんなもの、全く風情がない」 

「露出が多ければいいってもんじゃない」 

 

 

そして最後に黒板をどん!と叩いて言った。 いや、断言した。 

 

 

 

「和服の裾からチラッと覗く白いふくらはぎなんだよ! チラリズムだ!それがいいんだ!」

 

 

 

竹刀を持って授業にやってくるめちゃくちゃ怖い先生で、 

16歳にとって、「恐るべき神」のような存在だったが、

 今思えばその時彼は32歳。 

(いろんな意味ですごくないですか) 

 

 

 先生。 あの時先生の世界をわかってあげられなくて。 

「ああ納得!?」 という表情をしてあげられなくてスミマセン。

 

 

 

 

 

 

 今ならまあ、わかっていると思う(多分)。

 枯れゆくアジサイに美を感じられるくらいには大人になった。

 

 

 

 

 

とにかく「循環」が大事。身体も世の中も。

 

 

 

 

年に一度も会うことがないんですが(遠方なので)

その暮らしぶりに、憧れている人がいます。

 

 

 

「きのう今日と2日で数年ぶりに蓮の植え替え。

今日植え替えた2鉢目は細い根だけど芽が出かかっているので

そぉーっと。

アーシングもしつつね」

 

 

と、この写真とともにアップされていたので。

 

 

(可愛い足袋。地下足袋ではないです。着物用の普通の布のものだそう)

 

 

 

 

早速「アーシング」に食いつき、下記のコメントを書きこみました。

 

 

 

「昔の人たちは『わらじ』か『草履』か『下駄』。

生活=そのままアーシング、だったんだよなあと思います。

 

今、手持ちの下駄は、桐で軽いんだけど、裏に滑り止めのゴムが貼ってあるんですよね…。

ゴムじゃない、昔ながらのものが欲しいなあ、と思っているところです。

 

 

 

それからちょっと本筋からずれるんですが、

鹿児島でずっとお座敷芸を今に伝えている方が、

 

 

『自分の社中では、ゴムの裏のついた下駄は絶対に買わない』と。

 

 

理由は『すり減らないから』。

 

すり減らない→下駄がいつまでも持つ→下駄屋さんが回転しない、

からなんだそう。

 

たくさん書かせていただきありがとうございます!」

 

 

 

 

早速に返事が来ました。

 

 

 

 

「公子さん、たくさん書いていただき、ありがとうございます!

 

そうなんです!

生活自体がアーシングだったんです。(自然というか)

ゴム底の靴を履くようになって、

地球と絶縁して、名前の長い病気とかが増えたそうです。

 

 

手作りの布のわらじとかいいですね。

 

そして下駄。そのこと改めて書こうと思っていたとこですよ。

私も下駄が大好きで、それも底にゴムが付いてないやつ。

 

 

そう、減るんです。

斜めにへったりするんでね、左右交互に履いたりしてました。

家の近くだと歯が5㎜くらいになっても履いてました。

もはや下駄に見えない!とにかく気持ちがいいんです。

 

 

ヤフオクとかで台を買って、下駄屋さんで鼻緒をつけてもらってました。

あまりいい客ではなかったな。

 

公子さんのお知り合いの方は下駄屋さんのことをちゃんと考えて、すごいなと思います。

 

自分の健康は自分で守らないと、ね。

 

たくさん読んでいただき、ありがとうございます!笑」

 

 

 

 

 

 

まとめ。

 

 

①大地と「循環」すると、身体が元氣になる。病氣も減る。

(この方いはく『骨密度も上がる』らしいです)

 

 昔は自然素材の履物だったので、歩いているだけで「地球と繋がり」「循環」していた。

 地球と「絶縁」して150年の日本人。

 

 

 

②健全な「循環」によって「文化」「技術」も続く。

 商売も成り立つ。

 

(伊勢神宮の二十年毎の建て替えも一緒ですね。

優れた伝統技術の伝承に大いに一役買っている。

 

いつのことだったか定かではないですが、式年遷宮をせず

 

「コンクリートにすれば長持ちする」

 

と言った政治家がいるそうで。

全くもってそういうことではなく、「次元が違う」話なんですが)

 

 

 

 

 

 

今日は、「循環が大事」の話でした。

 

 

 

 

 

 

《追伸》

アーシングについて、上の知人がこんな動画を送ってくれました。

面白いです。

ご興味ある方はぜひご覧ください。

 

「95%の人間は大地と繋がっていない。

このことは炎症などの疾病の最大の原因です」

ダウン・トゥ・アース

 

 

 

「着物は暑くない、疲れない~いろいろと理に適っている」

 
 
 
 
着物が好きな割に これまでほとんど着ることがなかったので 
機会を見て、なるべく着るようになりました。 
着方含め、着物を着てわかること、などなど… いろいろと初心者目線で実験中です。 
 
 
 
 
で、 先日、一日着物を着ていた日の発見をフェイスブックに 短く書きました。
タイトルは「着物は暑くない。疲れない」。

 

 

 

『この間、一日中着物の機会がありました。
午前中は屋外。 タクシー移動で午後は室内で講演会。 
さらにタクシー移動で懇親会(座敷)へ。でもって電車で深夜帰宅。
 
で、感じたこと。
 
 
 
①着物は(思ったほど)暑くない。
露出が多い=涼しい、というわけでもない。 
この日の東京は湿度高め。 なので肌が隠れている分かえってサラッとして過ごしやすい。
風も開口部から適当にいれることができる。
 
 
 
②着物は疲れない。
帯が適度に背中をサポートしてくれ、姿勢が保ちやすい。 
背骨一つ一つをちゃんと積み上げて姿勢をキープできる感覚がある。 
骨盤あたりをキュッと締めるので丹田に意識を持って行きやすく、 
結果、上半身(胸、肩)の力が自然と抜け、リラックスしやすい。 これぞ「上虚下実」。
 
 
 

(これがその時来ていたもの。サマーウールに、紗の羽織もの。麻の帯、だったと思う)

 
 
 
 
 
【結論】着物は疲れない。暑くない。
 
 
キツかった。二度と着ない、という人にたまに会うのですが、 
わがご先祖たちが「日常着」として着ていた着物が苦しい、 
というのが何か間違っている、と思っていたんでした。

(それは、着方に無理があるのだ)

 
 
実験してみて、いろいろと体感出来ました』 以上。 
 
 
 
 
 
 

この上の文章は、東京旅行の時のことを書いたもので、

 
 
「旅先で一日、朝から晩まで着物でいる」
 
 
ということも、結構なチャレンジだったなあ、と思い出すわけですが、
その点を鑑みても、
なおかつ、ホテルで自分で着脱、トランクに着物一式を持って移動した、
 
 
 
ということを合わせても、
 
 
 
 
結論。
「着物は、日常着」。
「着物は、イケる!」。
 
 
 
 
 
 
 
 
 

春を寿ぐ

立春もすぎ
心身ともに起動してきた感じがしています。
やっぱり日本人は立春からだな~と、なんとなく。

さて
先月、誕生日だったのですが
クライアントさんからプレゼントをいただきました。
ブックカバー。
襖に使う紗紙を使ったものだそう。
持っている文庫本の中で、一番大切にしているものに付けてみました。

「使い込むうちに
手なじみがよくなっていく過程をお愉しみください。
古くなってからは、紙を軽く揉んで書包みすると
紗紙独特の風合いが生まれます」

本当に!
肌触りがよくて、持ちやすい。
持っていて手が喜ぶ感触。
落ち着いた色の市松模様です。
なんだか、早春の野山を見ているよう。
筍が頭を出し始めたころの野山の色合い、といった感じでしょうか。
目にやさしい。
「彩り市松栗文(りつもん)」とあります。

「古代より世界中で存在し、最も古い柄のひとつとして知られます。
日本では家紋や正倉院の名物裂などで多く見られる柄です。
森羅万象を司る相対する陰陽を表しており、
市松模様のような終わりなく続いていく柄は、永続、途切れぬご縁を示す吉兆柄です」

永続、
途切れぬご縁を示す吉兆柄。
吉兆柄…(嬉!)
市松模様はよく見ますが、恥ずかしながら今回その意味を初めて知りました。

幸せだなあ、としみじみ。
そのような思いをさりげなく意匠に込めてくださる存在とつながっているという喜び。

時間は動き
人も自然も様々なものは変化してゆくわけですが
昔の人はだからこそ
きっと言葉や模様や、そんないろいろなものに
「続いていくこと」への憧憬や祈り、思いをこめたんだろうなあと
そう思いました。

冬を経て
ふと空を見れば
昨日より今日、今日よりあした。
膨らみを少しづつ増す軒先の桜のつぼみ。
道すがらの満開の紅梅。
毎年繰り返される春の営みに、今年もまた出会える喜び。
春は「続いてゆく命」の息吹を肌で感じて
その輪の中に生きている自分の命を寿ぐ季節なのかもしれません。
なんだかとても感動しているわりに
まとまりませんが^^

「ななつ星、その後」

 

先月
JR九州の、デビューしたての豪華クルーズ列車
「ななつ星」を踏切で見かけ
追っかけて駅まで行ってしまった。

という話を書きました。
その時は「ななつ星」は、もはや車庫でお休み、ということで、会えなかったのですが。

その後を書いていませんでしたが
翌日、ちゃんとななつ星に会いに行きました。
午後3時。
私の他にも、結構たくさんの人。
みな、ななつ星を待っているようです。
でも、「鉄道オタク」という感じではない。
みな、美しいものが見たいのだろうなあ、と思ったり。

時刻を少し遅れて
ななつ星はやってきました。
「プァン・・・」
と、汽笛?(じゃないですよね。何ですか、アレ)を鳴らして
遠くから、ゆるいカーブを描きながら近づいてくるキラキラと光る車体。
その姿は
鉄道ファンでなくとも「おおっ!」と声が出てしまいます。

さて
これが前面から見たところ。
深いワインレッドが重厚。

 

これが最後尾。
大きなガラスの空間一面が客室になっているのですよね。

 

え~。
室内です。
これは、食堂の部分ですね。

 
 

 
客室も撮らせてもらったのですが
個々人のお客様が宿泊中のお部屋だったので
アップは控えます。

カーテンは竹の御簾。
パテーションの役割をはたすすりガラスの文様や
壁の組子細工と、和の美しさも満載。
職人さんたちの技が贅沢に、あますところなくちりばめられた室内。
きっと、「ななつ星」に携わった方々は、みな楽しかったろうな、嬉しかったろうな、燃えたろうなと
そんなことを思います。

それは
乗務員さんの表情からも言えることで。
みな、「美しい表情」でした。
緊張感、大きな責任、そして内側から溢れる静かな「誇らしさ」。
そのたたずまいと表情からはそんなものを存分に感じることができました。
「ああ、みな、今、本当に幸せそうだ。みな『生きて』いらっしゃる」
何だかそんなふうに思い。

最上の「価値」を新しく生み出す場に携わる。
自分の持てる技、力のすべての最高をいかんなく出し切れる場所で。

式年遷宮の時も思いましたが
そのような場があるということは、一個の人間の生命力の「活性化」「目覚め」「開花」
という意味でもとても大切ですし
人間の歴史、伝統、文化、精神という全体から見た
「大きくつながるもの」としての「活性化」としてもとても大切なことだと
感じます。
人間という大きな一つの生命体としての活性化、とでもいうんでしょうか。

人は、このような作業を通して
ずっと「よきもの」「美しきもの」「最高のもの」を伝えてきたんだろうな、と
目の前のこっくりとしたワインレッドの美しさに触れながら
少し、しみじみと感動。

 

 とても素敵な制服だったので
お断りして撮らせていただきました。
ななつ星のエンブレムが胸に眩しい・・・。

一言で言いますと
「創意工夫でもって
新しい価値を果敢に、優雅に生み出す人を応援せずにはいられない」

という話なのでした。

 

日本人は「ともに」の民族ーお宮参りと婚礼と

 

日本中がオリンピック招致決定に沸いた8日。

 

朝5時の生中継を、いつにない、がっつりメイクの顔で見つめていました。
日本中の皆さんとその瞬間を喜び、
もう一つの慶びの席へ出発。

この日は、クライアントさんの婚礼という晴れの門出に
お招きいただいたのでした。

くれぐれも失礼がないように、
そして、心からのお祝いを表したいと、
着ていく衣装選びや、晴れがましくもお声掛けいただいたスピーチの準備と、
それまでの時間もとても楽しみながら迎えた当日。

9月に入っているけど鹿児島はまだまだ暑い。
紗の一つ紋の色無地でいいだろう。
礼装用の夏帯は持っていないので、この際だから帯のみ新調。
帯の柄は…悩みます。

いつもなら、少し抑えた色、柄のものを選ぶけど、
今回は吉祥紋がしっかりと織られた、華やかな絽の帯を選びました。
とにかく、すべてを総動員してお二人の門出の「場」を祝いたい、という思いがあり。

 

好みよりも、その場にいる「景色」の一つとして、祝いの力をより持ったものを選ぼうと。
(文様ひとつとっても、意味と力があるわけで)

…とまあ、詳しくないなりに考えて考えて、選んでいく
プロセスの楽しかったこと。

 

当日
鶴の柄の白無垢に身を包んだ花嫁さん。
もう、それはそれは美しくて!

新郎新婦を囲んでの記念撮影の後
神殿にての挙式となりました。

ここの神宮は、オープンペースといいますか、
自由に、誰でも間近で挙式を見ることができます。
ちょっと能舞台に似ている感じの神殿です。

厳かに式が進む中、多くの方がお参りがてらやって来ます。
みなさん、挙式をしているとわかると、
お子さんに「しーっ」と声をかけ、そっーとお参り。

「きれいね~」

「花嫁さんだね~」

 

と言いながら
見守ってゆかれる。

この日、境内には、
お宮参りの赤ちゃんもたくさん。
初々しいお母さんとお父さん。
そして新しい、萌える命をしかと懐に抱いて、誇らしげなおばあちゃんの姿もかっこいい。
もう、みんなきらきら光っている感じです。

「うわ~、神様、喜んでいらっしゃるだろうな」

と、ふと、そんなことを思いました。

この世に命が生まれたことを神様に報告し、ご加護を願う人々。
成長し、ただ一人の人と巡り合い、

新しい縁をつなぐことを神様に報告する人々。

人生のいろいろな場面がそこにあって、
それらをそこにいる人たちがともに祝っている。
とても自然に。
みんな一緒に。
かみさまのもとに集いながら。

「日本人の命の営み」

そんな言葉がふと、浮かんできました。

日頃は意識することはありませんが
わたしたちのDNAの中にきっと、しっかりと刷り込まれているのでしょう。
そんな気がしました。
何が、かといいますと

「ともに」

という感覚、でしょうか。

人とのつながり
命のつながり
そして
かみさま(といいますか、見えない大きな何か、を随所に見、それを信じるという心)とのつながり

いつもは忘れてしまっていますが
わたしたちは、自分たちで思うよりずっと
そういったものと密接にかかわり
そして助けられて生きているのでしょう。

目にはみえないけれど
わたしたち日本人を根っ子の根っこでつないでいる

 

 

「何か」。

それを

この日、全身で浸る幸せな感じとともに

味わったように思いました。

 

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