「ふえていくかんざし」

かんざしが好きです。
どれくらい好きかというと
例えばNHKの時代もの、歴史もののドラマで
使いまわされているかんざしがわかるくらいには好きです。

あのかんざしは篤姫の宮崎あおいちゃんが「於一」の頃に着けていた。
それを今度はこのドラマでこの女優さんが着けている。

といった感じ。
ドラマももちろん楽しむのですが
真っ先にそういうものが目に入ってくるのです。

小さい頃は「お花屋さん」とか「デザイナー」とか
少女が普通に「なりたい」と思うものを「憧れのお仕事」と言っていたように思うのですが
明確に
「これはいい!」と思うものが現れたのは小4の時。

「かんざしをつくる人になりたい」。

理由なんか、まったく覚えていません。
なぜかそう思いました。
それから数年を経て、今度は
「日本髪を結う人になりたい」に変わり
そこからさらに「庭師」「映画村で大道具をつくる人」と目まぐるしく変わりながらも
そこにいちおう「一貫したもの」を見ることができるのが
「自分らしさ」なのだろう、と思うことにしています。
こうやって振り返るにつけて
今なぜこういう仕事をやっているのかがよくわからなくもあり。
自分自身の気質を見るに、絶対に「職人気質」だと思うのですが。

話は戻って
小4の頃のことです。

「かんざし職人になりたい」

と思ってはみたものの、かんざしに触れたこともない。本物を見たこともない。
憧れを募らせていたちょうどそのとき
2つ上の姉の修学旅行がやってきました。

当時、鹿児島の小学6年生の旅行先は「宮崎県」。
京都もしくは百歩ゆずって長崎に行くならまだしも
山を越えた隣の県に「海と古墳」を見に行く小6の姉に
わたしは無謀な願いをしてしまったのです。

「お土産はかんざし」

と。
修学旅行のお小遣い3000円、の小6の子どもになんてことを、
と今思えば後悔しきりなんですが。

ところが!
姉は買ってきたのです。
忘れません。
赤い玉に、鼈甲色の半透明な耳かき部分と足がついた、かわいらしいかんざしでした。
もちろん、素材はプラスチックなのですが、
そんなことは問題ではありません。
とにかくわたしにとっては、最高にかっこよくて「イケてる」かんざしでした。
いったいいくらだったのか?
自分は十分に遊ぶことができたのか?
結局聞かずじまいでしたが。

さらに月日は過ぎ
姉は京都に就職しました。
そして、はじめての帰郷の土産はやはり「かんざし」でした。
紫と緑と白の花のつまみかんざし。

この二つに加えて
高校の頃、自分で骨董品屋さんに行って購入した
ヒスイ色の玉に金属の足の玉かんざし。
この3つを、わたしは後生大事に、長いことずっと大切にしていました。
絶対に失くすはずなどないくらいに大切にしていたはずなのですが。
この十数年、
新しい世界へ何度か引っ越し
手に入れた「欲しいもの」の変わりか
わたしの人生から「かんざし」はすっぽりと抜け落ちることとなってしまいました。

弟の婚礼
そして先日のクライアントさんの婚礼で
どちらも着物を着たことをきっかけにして
なつかしい感覚が戻ってきたのはつい最近。
それ以来、せきを切ったように、かんざし集めが止まりません。

サンゴ色の玉かんざし。
薄紫のトンボ玉の玉かんざし。
金属の花の「ちりかん」
「よしちょう」という形の、前髪にさすかんざし。
それから
京都で買った柘植のかんざしに
飾り彫の入った櫛

どれも高価なものではないのですが
古典的なデザインのもので、たいそう気に入っています。
もう、かっこよくて美しくてかわいくて仕方がない。
何の理由も理屈も損得も計算もなく
ただ「好き」という感覚とは、こういうものだったなあ、と
懐かしくこの感覚を味わっています。

まだまだ欲しい種類、形、素材のもの、山ほどあるので
これからもかんざし集めは続くのでしょうが…。

幼いころ、姉から手渡された
あの赤い玉のプラスチックのかんざしに勝るものは
ないのかもしれないなあと
ふと、思ったりもするのでした。

「出発するということ」

9時半過ぎでしたか

さああっっっ…とアスファルトを走る雨の音。

いつもの音と違って、やけに軽やか。

あまりに気持ちの良い軽やかな音だったので

どんな雨が降ってるんだろうとベランダへ出ると、何か変です。

道路の色がヘンなのです。

濡れてるような濡れてないような。

思わず手を伸ばしてみると、手にあたるのは「プツプツ」と肌に痛い感覚。

「げっ…」

水じゃない。これ。

灰です。

灰の癖に音を立てて降ってくるなんて!

灰の癖に、粉末ではなく、「粒」で降ってくるなんて!

バラバラ音を立てるなんて!

それから数分

灰はアスファルトにあたってぴょんぴょん飛び跳ねながら

降り積もっていました。なんだかすごい…。

さて

ここからが本題です。

灰が音立てて降るのが珍しくて、つい書いてしまいました。

先週、クライアントさんが一つ、大きな選択をされ

「決意」をメールでくださいました。

そのメールの最後に

「あ!ベルが鳴りました。

今から行ってきます。

明日は大切な人たちにたくさん会います」

この方

港でメールを書いていらしたのでした。

きっと、出帆を知らせるベルを合図にぐいっと送信ボタンを押して

すっくと立ち上がり、そして船に乗り込んだのでしょう。

なんだか象徴的だなあ、と思いました。

今回のこの方の船旅と、その「大きな選択」は、直接的には関係のないものなのですが。

でも、なんだかタイムリー。

ですので、次のように返事をお返ししました。

「あなたが聞いた出発のベルは

まさに今のあなたへのメッセージなのだと感じています。

行ってらっしゃい!

新しい世界へ」

船でも、飛行機でも、新幹線でも…

「出発する」瞬間が大好きです。

物理的に体を移動させるということの他に

なんだかとても大きな「切り替え」「変化」を感じるからです。

体を移動させて、違う場所に降り立ち

そしてまだ帰ってくる。

時間と空間の移動が自分の体と心に及ぼす不思議な変化をいつも感じます。

また

何かの切り替えが必要な時に

タイミングよく距離の移動の機会がやってくるような気もします。

少し波の荒いその日の海。

船に揺られ

時間と空間を旅したその方が

きっと、たいそうすっきりとしたお顔で帰っていらっしゃるだろうなと

そんなことを思ったことでした。

「さようなら、床」

 

昨日に引き続き「納涼床」の話です。
予約もいらず、ぶらり観光客にも敷居高くなく
「京都の風物詩」(っぽい)気分が味わえる三条大橋ぞいのスターバックス。

昨夜の22時30分
遅めの夕食をのんびりと済ませてしまい
あわてて
「今日までなんですよ~」


スタバのテラスに行ってみると…
テーブルの撤去が始まっていました。
ということで、歯噛みして悔しがったのですが。

今朝は今朝で
「今日しか見られないもの」が見られてご満悦になっています。

 

「納涼床」の一斉撤去。
川沿い一斉に、午前中くらいの時間で「片づけて」しまうのだそう。
その作業が今、目の前で繰り広げられているわけです。
…面白い。
これも「風物詩」ですよね。
ずっと続いてきた光景なんでしょう。
目の前で青年が、まぶしいのか、眉間にしわを寄せながら
黙々と手すりの鉄骨をはずしています。
金色の髪が10月にしては強い日差しに透けてきれいです。

話は飛びますが
昨日、下賀茂神社で「宮大工」集団の若者達に出会いました。
(神社の入り口あたりを修理していらしたので
みなさんは「宮大工さん」なんですか?と聞いてみたら「ま、そんなもんです」と
おっしゃったので確か)

中に一人
鹿児島の青年がいてちょっと嬉しかったのですが。

目の前の作業は続いています。
まだ細い体に、腰に巻いた工具満載の幅広なベルトなんともが重そう。
おいくつくらいでいらっしゃるんでしょう。

昨日から今日、今日から明日へと継がれてゆく作業を
淡々と、日常として動いている若い人たちの姿を前に
昨日といい、今日といい
のんびりとさせてもらい
充電させてもらったものを
どのようにして使っていこう、表現していこう
(大きくいうと、世の中のために役立てよう、と)
あらためて背筋をが伸びる思いになります。
単純ですが「自分も頑張らなきゃ」と思います。

話がそれましたが
今日はこれにて。

 

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