「変化は必ずやってくる」

実家の妹から

「新燃岳」情報が送ってきました。

以前も数回書きましたが

私の実家は霧島連山のふもとに近い町なのです。

鹿児島で火を吹く山といえば桜島ですが

ここ数週間は新燃岳が有名です。

(ニュースなどでご覧になった方もあるかと思います)中村公子のコーチングna日々♪

今、鹿児島の天気予報では、おなじみの

桜島上空の風向き情報に加えて

霧島、新燃岳上空の風向き情報も必ず流れているのです。

妹曰はく

「大丈夫。桜島の灰と同じくらいだから」

ということは、降っているのですね。

風向きによっては

桜島の最近の降灰とはくらべものにもならないくらい

被害が出ている街もあります。本当に心が痛みます。

小さいころから「遠足」といえば「霧島登山」をする地域で、普通にこの近辺を歩き回っていました。

新燃岳は、活火山だということはもちろん知っていましたが

でも、物心ついてからずっと、大きな噴火なぞした記憶がないものですから

今回の噴火は結構大きな出来事です。

なんだか、動かないはずのものが動いたような、そんな感じでしょうか。

「変わらない」となんとなく無意識のうちに思っていたものも

日々変化しているし、これからも変わっていくんだなと

そんなことを再確認しています。

数々の歴史の場面でも

その時代を生きていた人にとっては

「動かないものが動いた」「変わらないものが変わった」

驚きと衝撃に満ちた瞬間が多々あったのだろうなと

ふと、そんなことを思ったり。

中村公子のコーチングna日々♪

今日の桜島です。

マグマを新燃岳にもっていかれたのか…

静かなたたずまいでした。

「スリープしている子どもの体」

昨年末から
専門学校でコミュニケーションの授業をしています。

総勢90名の男性?男子?どう呼べばいい年齢なんでしょう。
(女性も数人いるんですけど)
ちょうど18~20歳くらいのエネルギーの渦は色々な意味で面白いものがあります。

まず初日に思ったのは
「反応が、ない」ということ。
わかってるんだかわかってないんだかわからない。
表情筋が動く子が非常に少ない。
目の奥まで覗き込んでも、応答の「きざし」が見えない。
ひと集団のかたまったエネルギー(停滞のエネルギー)というのは
これはこれですごいものがあります。

逆に
そのエネルギーが「動き出した」ときの
心地よさには格別のものがあります。
たとえ、体は静止していても、らんらんと目を見開き
食いついてくる100の視線とそのエネルギーは
それだけで教室の温度を上げるのに十分なのです。

ですから
コチラの仕事は、その状態にもっていくこと。
こちらも、それなりのスタンスや軸や、エネルギーが必要になってきます。
まず、眠ったからだと心を動かさなければ
伝えたいことも何も、彼らの中には染みこまないわけで

その一手間は
大人の方々への研修とすると
少し質の違う、大きなエネルギーを必要としました。

先日、このことについて
ある方がこういうことをおっしゃいました。

「なんというか…スリープ状態になっちゃうんですよね」

この方は
ご自分が若者にまじって大学生をしていらっしゃるという方で
日々「学生」の立場で授業に参加しているという体験をしているところの方なのです。

「なんだか、『もういいや』というふうになってしまう
反応できなくなってしまう」

体も心もスリープ状態。
これは、まさにわたしが初日に、90名の若者たちから感じたことでした。
わたしの語りかける声もきっと、遠くどこか水の底で聞いているような。
わからないのでもないし、もちろん悪気があるわけでもない。
ただ、体が(そして、そことつながっているところの)心が「寝ている」感じ。
最小限のエネルギーだけを使って動いている。
だから、応答するのにとても時間がかかるのです。

周囲で起こる出来事も
同じ部屋の中で誰かが困っていることも
自分のすぐ後ろで何か物が落ちる音も
関係ないわけじゃないけれど
なんとなく、反応するのがかったるい。応答するのがかったるい。

これは、一体何なんだろうなあ、と
2回目の授業で、見事変容した彼らを見ながら思いました。
人って、いつからこうなるんだろう?
どうしてこうなるんだろう?
(スリープ状態に、ということです)

そんなことの答えはもちろんわからないんですが
彼らが「眠り」のその中で
実は
目覚め、走り、叫び、触発され、表現したがっていること
そのきっかけを待っていることだけは
はっきりとわかったのでした。

「雪の新年」

いつも訪れてくださっているみなさま

新年あけましておめでとうございます。

中村公子のコーチングna日々♪

どんなお正月をお過ごしでしょうか。

ニュースでもちょっと出ましたのでご存知の方もいらっしゃるかと思いますが
鹿児島は30日から雪。

だいぶ積もりました。

これだけ積もれば鹿児島市内ではもはや大雪です。

近所の子どもたちの歓声に誘われて

わたしも徒歩で買い物に出かけました。

(車道はちゃんと通行可能だったのですが

こんな日に車なんてもったいないと)

いつも15分でつくスーパーまで歩いたのですが

途中

空き地の未踏の積雪には押し入って足跡をつけ

塀の上の雪はずず~っと手で落としながら歩き

吹き溜まりには足を突っ込んで深さを確認し…

とやっていたので、たっぷり30分以上かかってしまいました。

雪は相変わらず降り続き

傘もささなければ歩けないのでたくさんの荷物は持ちたくありません。中村公子のコーチングna日々♪

みかんとチーズだけ買って、帰途につきました。

歩きながら

小さいころのことを思い出していました。

小学校の1年か2年の頃だったでしょうか。

もっとたくさんの雪が降って

家の前の広い芝の庭が真っ白になりました。

音が一つもしない真っ白な庭に一人で出てみました。

なんの跡形もついていない。何をしても自由。

恐る恐る膝をついて、雪に顔を押し付けてみたんでした。何度も何度も。

きっと、雪をしっかり感じたかったのかな、と思うんですけれど。

手はかじかんで感覚がないし

靴と靴下を脱ぐのは面倒くさい。となると顔しか残ってない。

あのころは、なんでも今よりもっとしっかりと五感で感じていたように思います。

目の前にあるものをもっとしっかり見ていたような気がします。

なんのために感じるのか、というようなことではなく

感じること自体が喜びであり、生きていることそのものだった気がします。

中村公子のコーチングna日々♪

今年は

シンプルな「感じる喜び」を自分にたくさん与える一年に。

そして

もっと五感を研ぎ澄まして

さらによい仕事をしたいと思っています。

これまでご縁のありました大切な皆様

そして、今年お目にかかるであろう大切な皆様

どうぞ、今年もよろしくお願いいたします。

みなさまにとっても、よき一年でありますように!

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