オリンピック柔道。日本の天野審判が美しい

 

 

 

 

 

オリンピックで柔道を見ていると、解説者がこぞって褒めるのが、

日本の「天野審判」。

 

 

「天野審判は容赦ないですからね」

「これが審判としてあるべき姿なんです」

「天野審判は公正にやってくれます」

(他の審判もそうだろう、と思いつつ、そう言わしめる「何か」

があるんだろうなあと思ったり)

 

 

 

 

そんなに褒められたら気になります、

ということで調べてみました天野審判。

 

 

*  *  *

 

天野安喜子(あまのあきこ)さん

東京都江戸川区出身

国際審判員であると同時に、江戸時代からの花火のかけ声「かぎや~」で知られる

老舗「宗家(そうけ)花火鍵屋」15代目でもある。

 

*  *  *

 

 

 

な、なにそれ〜!

かっこいい(目は完全ハート)

 

 

以下「広報えどがわ」から。

http://topics.smt.docomo.ne.jp/…/mykoho…

 

*  *  *

 

”令和の巌流島”と報じられ、

すでに伝説と化しつつあるこの試合を裁いた主審こそ、

区内に事務所を置く宗家花火鍵屋の15代目にして柔道審判員、

 

また、東小松川の道場で少年少女に柔の道を伝える

柔道指導者でもある天野安喜子さんです。

 

 

 

「試合後、勝った阿部選手と敗れた丸山選手の双方が

正しい礼法の下に畳を降りたのを見届けた瞬間、

『柔道をやっていて本当に良かった。

この勝負に間近に立ち会えて本当に良かった』

と感動したことをよく覚えています」

 

 

 

世紀の決着の瞬間をそう振り返る天野さん。

 

しかし、本当に心から肩の荷が下りたと感じた瞬間は

さらにもう少し後。

「試合後の記者会見で、敗れた丸山選手が

『まだ柔道人生は終わっていない』『もっと精進する』

と宣言したことを知ったとき」

だったと言います。

 

 

 

「数年間にわたってひたすら目指し続けてきた

五輪への切符を逃したという事実。

 

それが敗れた丸山選手にとってどれほど辛いことだったか。

それでも負けを受け止め、次の目標に向かって進むと

彼は言ってくれた。

 

近年、特に私が心掛けている”勝者も敗者も悔いが残らない、

選手のための裁き”が報われた瞬間でした」

 

(中略)

 

審判員としての道を歩み始めた当初から、

天野さんには明確な理想の審判員像がありました。

それは、

 

 

「選手たちが

『天野は怖いくらい公平な審判で、アピールも小細工も通じない。

ただ組み合う相手のことだけを考えよう』と集中できるような審判」。

 

 

 

五輪に限らず、

世界柔道選手権大会などの重要な国際大会を裁く審判員は、

それまでの裁きぶりが評価されて招集を受けた、

各国よりすぐりの面々です。

 

しかし大会が始まっても、全審判員の仕事は予選から逐一、

レフリーコミッショナー(審判委員)らによって評価をされ続けます。

 

 

 

それは、メダルを懸けた試合となるファイナルラウンドの主審を誰に任せるかを決めるため。

国際大会の緒戦は選手たちにとってはもちろん、

審判員にとっても決勝主審という晴れ舞台を目指して技量を競う、勝負の場なのです。

 

 

 

「あの”令和の巌流島”は国内の試合とはいえ、五輪決勝並みかそれ以上の注目の一戦でした。

 

あのタイミングで審判を引き受けることには、実は私なりにさまざまな葛藤があったのですが、

それでも打診があったその場で引き受けると即答できたのは、

 

『この世紀の一戦を他の人が裁くことになったら、とても私は素直な気持ちで観戦できない。後悔はしたくない』

 

という負けん気のような思いが頭をよぎったからです」

 

 

 

時には危険と隣り合わせの花火師の日常を送る傍ら、審判員という顔でもまた、

天野さんが勝負の世界を生き続けていることが痛感される言葉ではないでしょうか。

(終わり)

 

 

*  *  *

 

「勝者も敗者も悔いが残らない、選手のための裁き」

 

 

見極める。

判断する。

告げる。

 

 

選手の「すべて」をかけた一試合一試合を審判するということは、

自分もまた、全てをかけ、自分自身の信じる「軸」と、全身全霊をかけた覚悟が必要で、

その姿があんなにも美しいのか。

 

 

と。

「天野審判LOVE」で軽い気持ちで調べてみて、

結果、とてもさまざまなことを学んでしまっています。

 

 

 

 

 

 

 

(身近であればあるほど)とどめを刺してはいけないのです

 

 

 

 

知人の息子さん(小一)が今、

 

「自分で判断したい期(というのがあるかわからないが)」

 

を迎えているらしく、曇り空の朝。

 

 

 

「今日は雨は降らないから水着を持って行った方がいい」

(晴れ⇨水泳。雨⇨室内運動)

 

という、父(知人)、母の全力の主張&ススメにもかかわらず、

 

 

 

「僕は持っていかない。今日はいらない」

 

 

 

と、雄々しく学校に出かけて行ったという。

 

 

 

 

 

 

(水泳バッグ・昭和。で探してみました。懐かしい…)

 

 

 

 

 

 

わたしはその話を、

 

「やっぱり雨降りませんでしたね。今頃どうしてるのか…」

 

と現在進行形で知人から聞いたんですが。

 

 

 

 

 

 

1週間後。

その出来事の「オチ」が気になって、聞いてみました。

「で、あの日、帰ってきた息子さん、どんな顔してました??」

 

 

 

知人いはく、

 

「水泳どうだった?」

 

と聞いたところ「ニヤッと笑って」

 

「あった」

 

と答えた、とのことで。

 

 

 

 

 

 

 

 

「軽やかだなあ〜息子さん」

と思いつつ、さらに興味津々だったのは知人の反応で。

 

 

「で!?父としてはなんて答えたんです?」

 

 

と勢いこんで聞いてみました。

 

 

 

「にっこり笑って『そう』って言いましたよ」

(武士の情け。惻隠の情です、的なことをおっしゃってたような)

 

 

 

 

 

この件に関しては、

これで終わったそうで。

(…見事!)

 

 

 

 

 

 

 

 

思い出すのは…

こういう時

「ほ〜らみてごらん!」

「やっぱりお母さんの(お父さんの)言った通り!」

「いうこと聞かないから」

「あんたは全く…」

(以下略)

 

 

 

 

 

 

こういうのが、

いっちばん腹が立つんですよね。

反論できないだけに。

 

 

 

 

 

 

 

雨は降らないまま体育の時間が近づき、

みんなは水泳着を持って来ている。

自分は持ってない。

 

先生になんと言おう。

勇気を出して歩み寄って、先生に「今日の顛末と自分の判断ミス」

を伝える。

 

みんなが水の中でキャッキャ言っている、

その水飛沫を眺めながら、

プールサイドで一人静かに体育座りで時間を過ごす。

 

 

 

 

 

 

 

もう、そのプロセスで、

十分に学び、実感し、

「得まくったもの」があるわけで。

(彼は、自分の選択の責任をちゃんと自分で引き受けて、

対処して帰って来たわけで)

 

 

 

 

 

それを、

家に帰ってまで「鬼の首でもとったように」

叱られたんじゃあ、

もう、立つ瀬がない。

 

 

 

 

 

 

 

なので、

「知人は偉いなあ」

「すてきな対応だなあ」

 

 

 

 

 

と、素直に思ったのでした。

 

 

 

 

 

相手のことを大切に思っていればこそ、

(と書きましたが、案外悔しかったり、「ほら見たことか」的な

自分のスッキリ感を満たしたいだけだよね、とも思ったりするのです)

 

 

その一言がつい、出てしまうことがあるけれど。

 

 

 

 

が、身近であればあるほど、

「とどめを刺してはいけない」

瞬間があるよなあ、

 

と思った次第です。

 

 

 

 

 

 

そしてもう一つ。

お子さんが、

 

「自分で選び、その結果と、そこにまつわる考えのプロセスや感情…

全てを全部自分で味わう」

体験を、しっかりと尊重し「邪魔しない」。

 

そこのところも、「お見事!」

 

 

と思った部分なのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「できる、できない(する、しない)」を決めているのは「常識(だと思ってきたもの)」

 

 

 

 

 

YouTubeで「生米からパンをつくる」というのをやっていたのです。

それがすごい。

 

 

 

大まか。

ダイナミック。

目分量。

 

「多かった」と途中で米は戻すわ、

指に材料はつくわ…

 

 

使うスプーンは計量用ではなくカレーのスプーンではないか。

 

 

で、それを見て…

 

 

 

 

 

 

「勇気出たー?‼️」(わたし)

 

 

 

 

 

 

お菓子、ほぼ作ったことがありません。

いえ、どっちかというとトラウマ?

(中学ん時、うちの班だけ黒焦げの物体を作り、

他のチームから「…あげよっか?」とおずおず同情されたな)

 

 

 

高校の頃は、

「趣味、お菓子作りです✨」

 

というクラスメートが調理実習の際に作り出す、

細やかなクリームの巻きバラを、

遠巻きに眺めていたものでした。

(輝いてたなあ〜、彼女)

 

 

 

 

(写真はわたしの好きな&これまたわたしに勇気をくれるパンの写真。

動画の「米粉パン」の写真ではありません)

 

 

 

 

 

 

 

話戻って。

パン、好きなのです。けれど。

小麦が苦手なので、米粉パンを食べたい。

 

そもそもクッキーレベルですら作ったことがないのに、

「米粉パン」

どうやって作るんだろう…

 

(遥かなる道のり。遠い目で途中で思考がフリーズするくらいに)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さてさて。

昨日、自然食料品店で、

 

「ドライイースト」

 

なるものを買ってきました(ふふ♪)

 

動画を見て、これは完全に自分にもできる!と☺️

(動画の人!ハードルを「ダダ下げ爆下げ」してくれて本当にありがとう)

 

 

 

 

 

 

 

そして、今思っているのは、

「お菓子作り経験ゼロのわたしが作ります!」

 

という動画、案外需要があるんじゃないだろうか?

ということ。

 

こういうのは、すべからく、

「得意な人」「知ってる人」が動画を上げるものですが…

 

 

 

 

 

 

 

お菓子の先生などは、この動画を見て、

「素人が、何がわからなくて、どこにつまづくのか」

 

がわかるでしょうし、

(ずっとその世界にいる人には「当たり前」「常識」なことが

外から見るとそうではない、ということ多々ありますし)

 

 

 

 

 

 

 

お菓子作ってみたいけど…

 

という人には、

わたしみたいに「勇気出たー?‼️」

 

ってことにはならないでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

米から作るパン、の動画の人の口癖は。

 

 

「適当でいいんです」

「これも適当でいいんです」

「これでできるんです」

「まあこんな感じで…」

 

 

 

その言葉と、ダイナミックな(テーブルに案外材料を落としつつ進むそれは)

 

 

 

 

わたしの、

 

 

 

「パンづくり」

「お菓子作り」

 

 

へのイメージ。

こうでなければ、ちゃんとしなければ、難しい、

いろんな道具がいる…

特別なもの。

 

 

 

 

等々を、粉々に粉砕してくれました。

後に残ったのは「わくわく感」のみ。

(誰でもできる!わたしでもできる!だって…「あれ」でいいんだもの・笑)

 

 

 

 

 

 

 

今感じているこの「軽やかさ」。

開放感。

わかっていただけるだろうか。

 

 

 

 

 

 

 

 

和服の裾からチラリと見える白いふくらはぎなんだ!と彼は黒板を叩いて断言した

 

 

 

 

 

盛りを過ぎていると言われればそれまでだが、 

捨てられないものもある。

 

 

 (と語ってしまうくらいにはあじさい好き)

 

 

 

 

 

 

 *  *  * 

 

 

 「花は満開のときだけを、 

月は雲りがないのだけを見るものであろうか。

いやそうではない。

 

降っている雨に向かって見えない月のことを慕い、 

すだれを垂らして室内にこもり、 

春が移り行くのを知らずにいるのも、 やはりしみじみとして情趣が深い。

 

今にも咲きそうな梢、 

花が散ってしおれている庭などにこそ、 

見るべき価値がたくさんある」

 

 

 

 *  *  * 

 

 

ここまでは、わかる。 

まあそんなこともあるかもなあ〜、 と、思っていた。 

高校の頃の「徒然草」の授業。 

 

 

けれど、こっから先は、「はあ??」 だった。

ポカンだった。

 

 

草むす田舎の高校。 

ジャガイモのような男子に前髪ぱっつんの女子たち。 

多分全員「ポカン」だったことだろう。 

 

 

 

 

*  *  * 

 

 

(徒然草続き)

 

「男女の恋も、 ひたすらに契りを結ぶことだけを情緒があるというのだろうか。

 

 

いやそうではない。 

逢わずに終わった恋の辛さを思い、

はかない逢瀬を嘆き、 

 

長い夜を一人で明かして、 遠く離れた所にいる恋人のことをはるかに思い、 

茅の生い茂った荒れ果てた家で昔の恋を思い出して懐かしむことこそ、

恋愛の情趣を理解すると言えよう」 

 

 

 

 *  *  * 

 

 

 

全く響かないわたしたちを前に、 

ここから先生はどんどん白熱&脱線していき、 

(多分、この「感覚」をわかって欲しかったのだろう) 

 

 

「だいたい最近の女性の服装は見せすぎる」 

「あんなもの、全く風情がない」 

「露出が多ければいいってもんじゃない」 

 

 

そして最後に黒板をどん!と叩いて言った。 いや、断言した。 

 

 

 

「和服の裾からチラッと覗く白いふくらはぎなんだよ! チラリズムだ!それがいいんだ!」

 

 

 

竹刀を持って授業にやってくるめちゃくちゃ怖い先生で、 

16歳にとって、「恐るべき神」のような存在だったが、

 今思えばその時彼は32歳。 

(いろんな意味ですごくないですか) 

 

 

 先生。 あの時先生の世界をわかってあげられなくて。 

「ああ納得!?」 という表情をしてあげられなくてスミマセン。

 

 

 

 

 

 

 今ならまあ、わかっていると思う(多分)。

 枯れゆくアジサイに美を感じられるくらいには大人になった。

 

 

 

 

 

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