「深知今日事ーふかくこんにちのことをしるー」

「よくも断じたまへるものかな」という龍馬の言葉を思い出した日

 

 

という言葉は(タイトルの)

徳川慶喜が大政奉還をした際に、龍馬が慶喜に対して言った言葉、らしいんですが。

 

 

知り合いがPTA活動や地域の活動に尽力していることは
結構前からFacebookでおりに触れ見ていたのだけど、その知り合いから、
「市議を目指しているので、よかったら応援してください」
のメッセージが来たときに、
頭の中にぽやん…と浮かんだのは、

 

「…かくすればかくなるものと知りながら…」

ご存知の通り、吉田松陰の歌で、
「かくすればかくなるものと知りながらやむにやまれぬ大和魂」
(こうすればこうなるとはわかっているけれど、やむにやまれぬ思いが私を突き動かすのだ)

 

 

 

議員になるとは、
わたしのイメージは「盆も正月もない24時間の仕事」。
自分の全人的なもの、
全てをかけて取り組まねばならない仕事であって、

 

本人だけでなく、
家族全員の在り方も全方位に向けて問われる。
そんなものはもはや「仕事」という言葉でくくれるものではない。

なので、

 

「ああ、本当に、やむにやまれぬ思いがあってのことなのだな」

 

と素直に思ったのでした。
そして、次に浮かんできた言葉が、タイトルの言葉だったわけです。

 

 

 

知り合いは、きっと「やるだけやった」んだろう。
自分の立場で、学校と、教育と、子どもを育むべき地域に関わって、
やるだけやって、
そして最終的に選んだ道なのだろう、
と。

 

 

 

ちなみに。
知り合いが「市議を目指したい」と言ったときに、
2つの反応があったそうで。

 

一つはわたしと同じ。
「よくも断じ給へるものかな」
な反応。

 

もう一つは、
「いいねー。当選したら何にもしなくてもお金入ってきて生きていけるもんね」
的な反応。

 

それを聞いて、改めて驚いたんですが。
(へええ〜😳❗️と)

 

 

 

さて。
「よくも断じ給へるものかな」。

 

誰の胸の中にも、
今の世の中への憤り、
「ああ、もっとこうであったら」
「人が自然に、健やかに、ただ幸せであれる状態はどこにある?」

 

(そうであれば、これからこの世界を生きていく若い子達に、
「どうだ、生きるって素晴らしいんだぞ!」といろんなものをもっと胸張って手渡せるだろうに)

という思いがあると思います。

 

 

 

そんな中。
自分には出ようもない勇氣の選択をした人に対して。
「すごいよね」
「頑張って」
という素直な感嘆の気持ちがこの文章を書かせているわけなのですが。

 

 

そして、その「思い」が実をむすんで欲しい。
勇氣を出して、無私の心を持って「断じた」人たちが、
その使命を全うできる場へと、
願わくば運んでゆかれますようにと、
これも素直に願っているところです。

 

 

直接仕事とは関係ないのですが、ふと浮かんだので書いて見ました。

 

 

 

(写真は仙巌園からの山桜。
この季節に思い出す歌といえば、

 

「敷島の やまとごころを 人問はば 朝日に匂ふ 山ざくら花」

 

というのもありますね。本居宣長。

 

ーわたしの中にある日本人の心とは?と問われたら、
それは朝日に美しく輝く山桜に感じ入るような心、だろうかー

というような意味)

 

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