「日々何を目にし、何を耳に入れているか~無意識をバカにしてはならない」

 

 

 

先月の26日

 

 

 

東京滞在中の詰まった日程の合間をぬって

東京は高輪の泉岳寺に行きました。

2時間弱。あっという間の滞在時間でしたが。

 

 

 

泉岳寺は

 

 

 

わたしにとって昔からたいそう慣れ親しんだお寺です。

行ったのは今回が初めてでしたが、それこそ何度も何度も映像の中では訪れている。

(セットですが)

そう

小さい頃から年末になると必ずテレビでやっていた

あの忠臣蔵、この忠臣蔵…

どのドラマでも、必ずクライマックスの場面を彩るのはこのお寺です。

大石内蔵助をはじめとする四十七士が、吉良上野介の首を持って

主君、浅野内匠頭の墓前に報告に来る。

(と、ご存じない方がもしやいては、と思い一応説明をしてみました)

 

切腹した47人の墓所ともなっているこのお寺。

 

日本のみならず

世界でも有名な「日本の心」「武士道」を象徴する物語の

最も有名な場面の一つ、その舞台が泉岳寺なのです。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今回訪れたのは

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もちろん、前から行ってみたかった、ということもあるのですが

この「世界的に有名な物語の舞台」であり

(赤穂浪士のお話をベースにハリウッドで映画もつくられていますので)

多くの観光客も訪れる泉岳寺に『景観問題』が持ち上がっていると聞いたからなのです。

当初話を聞いたときは、上記のような由来の場所に

こんなに簡単に問題が持ち上がる、ということが驚きでした。

そんなにも安易なものなのか。保護もされていないのか!と。

 

 

泉岳寺は

 

 

空気の清らかな、とてもすがすがしい、心安らぐ場所でした。

土地の気がいい、というのでしょうか。

街のなかにありながら、その「場」の清らかさ、独立性をしっかりと保っている。

昔からこの地の人々の憩いの場として、そしてお坊様方の修行の場として

親しまれてきたのでしょうね。

 

写真は四十七士のお墓。

 

ある、ということはもちろんわかっていたのですが

実際にずらりと並ぶ小さなお墓を見、刻まれた名を読むと、やはり心に迫ってくるものがあります。

物語は「本当の出来事」だったのだな、と。

見知った名前が当然のごとく並んでいます。

(わたしは不和数右衛門が好きです♪)

 

 

 

 

この井戸。

(金網をかぶっている部分)

この井戸は、義士たちが、討ち取った吉良上野介の首を洗った井戸なんだそうです。

ここで…!

ここで洗ったのか~!!(興奮)

きっとこのあたりに血も落ちたことでしょう。

鬼気迫るものがあります…。

ちなみに、その井戸を囲う柵に「川上音二郎」の名が刻んで会ったことにも感動でしたが。


 

お墓の入り口では、炭で火をつけたお線香の束を売っています。

47人プラス浅野内匠頭と、奥さんの瑤泉院さんのお墓まで参るとなると

たくさんのお線香が必要です。

それに時間もかかる。

なので、このように竹の容器に入れて手渡ししてくださるのです。

器の焼け具合に、多くの人がここを訪れているのだな、

そして、皆が長くこの形でお墓参りをしているのだな、と思いつつ。

 

 

 

 

 

さて

 

 

 

 

 

先に書いた「景観問題」ですが

泉岳寺門のすぐ横に、24メートルのマンションが建つ、というものです。

(画像はこちらから拝借しましたhttp://sengakuji-mamoru.jimdo.com/


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もう、何と形容しようもありません…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

初めて行った泉岳寺。

 

実際に、その場所に立ち清らかな空気を吸い、そして

歴史をそのままにしっかりと刻み、そこに留める「場のエネルギー」のすごさを目と耳と、

そして皮膚感覚で感じ…。

 

ふと我に返って振り仰ぎ

 

遥か昔の時の彼方の物語と、今を生きる現代の街の間に広がる大きな青い空を見たときに

その不思議な美しい調和に思わず、祈るような感動を覚えたことでした。

戦災で焼けることもなく残った47人のお墓。

きっと多くの人たちの思いがつなが
って、その努力でもってずっと残ってきた

この奇跡のような調和の景色。

と同時に次の瞬間、その目の前の空間にどん、とそそり立つマンションを想像し

 

 

「ああ、この空がなくなるかもしれないのだ」

 

 

 

と。

 

そう思うと、何とも言いようのない虚脱感に襲われたことでした。

これはもう、理屈でもなんでのないのです。

視覚が、そして体の感覚が「その状態」を拒否するのです。

 

 

 

 

 

「街をつくる」ということ。

さまざまな論点からの「主張」があるでしょう。

今回、マンション建設工事を進めている企業は「法には触れていない」の一点で

ことを推し進めているそうです。

そして、その許可を出した港区も「法はクリアしているので、何もできない」とのこと。

ならば、法を変えるべきなのです。

「目に見えないもの」「手に触れられないもの」

それら「一見利益を生まないもの」

をないがしろにし、切り捨て、がむしゃらに「実利」のみを追い求めてよしとした時代は

とうに終わっています。

 

 

「美しさ」にこそお金をかけなければならないのです。

 

 

守らねばならないのです。

 

形はなくとも、そこに確かに存在する「雰囲気」「空気」「間(ま)」。

 

そういったものをこそ、守ってゆかなければならないのです。

それこそが

長い目で見て『人の心映え』をつくり『価値観』をつくり『感性』をつくります。

 

「優しい心」「人に思いやりを」「自然を大切に」…

 

そんなお題目を百万べん、子どもに言うよりも

青い空の広がる街並み、調和のとれた美しい街並みの中で

ただ、毎日のびやかに、穏やかに過ごす方が

どれだけ効果のあることか。

365日、毎日なにげなく目にするもの、耳にするもの、肌で感じる感覚をバカにしてはなりません。

それは確かにわたし達の無意識に静かに音もなく入り込み、大きな影響を与えるのです。

わたしたちというものを形作るのです。

 

 

 

 

 

わたしは、

 

 

 

 

 

子どもたちに見せたくない、と思います。

美しい山門の横にへばりつくように立つマンションという景色を。

何という醜さ。

この景色から子どもたちが磨ける美意識とは一体なんでしょう?

日々、受け取るメッセージは何でしょう?

「そんなものは大切にしなくていいんだよ。ないがしろにしていいんだよ」

そんな無言のメッセージを毎日毎日子供たちの潜在意識に刷り込むことになることでしょう。

その子たちがこの国の未来を作るのです。

なんとおそろしいことだろう、と思うのです。

 

 

 

 

今回

 

 

 

 

熱く泉岳寺のことを書いた理由は、もちろん

歴史好きの寺社仏閣好き。日本好きですので憤っている、ということもあるのですが

この泉岳寺門前町で育ち

今、必死になってこの問題に取り組んでいる友人の存在があります。

先のサイトもその友人が造りました。

よろしければ、サイトやブックレットをご覧になってくださいね。

http://www.junkudo.co.jp/mj/products/detail.php?product_id=3000311014

 

ブックレットを読んで、

 

初めて友人が仕事も辞めて取り組んでいることを知りました。

さすが、と思うのは、このことをきっかけにどんどん世界を広げていっている

友人の魅力と行動力と前を向く光の強さなのですが。

明日22日は元ユネスコ事務局長さんなどをお迎えし、イベントも開くそうです。

お近くの方はよかったらぜひ足をお運びくださいね。

http://sengakuji-mamoru.jimdo.com/

 

 

 

 

 

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