「真央ちゃんの表情」

 

テレビに
仙台市立八軒中学校合唱部の皆さんが出ていました。

歌声もですけれど
その歌う表情の美しさに見いってしまいました。

ああ。
中学生でも
ああいう表情ができるんだな…。

男の子も、女の子も
顔の個性に関係なくみな一様に
「気高い」
ともいうべきその表情。

彼らは
震災からこっち
施設で、あるときは街角で、駅の前で、歌い続けてきたのだそうです。

人は
自分を越えた大きな何かを意識し
そこに向かって心から伝えようとしたときに
年齢など関係ない高まりや広がり、成長が起きるものなのだなあと思いました。

静かな高揚。
内から光り輝く隠しようのない
慈しみ
癒し
優しさ
光…

13~15歳の彼らの表情にあふれるそれらに
目を離すことができませんでした。

一昨日の全日本フギュア。
浅田真央ちゃんの演技を見ていました。
フギュアスケートは大好きなので
毎年シーズン中に放送されるものは
すべて見るのですが。

フリー「愛の夢」。
最後の天を仰ぐ形をとった真央ちゃんの表情は
今季のどの大会でも見なかったものでした。
これまで
この最後のポーズから感じていたものは

愛すること、愛されることの喜びを…
そう、まるで天から降り注ぐ光と
呼応するかのように
その喜びを全身でうたう真央ちゃん
という感じだったのですが。
咲きにおう花のような笑顔。

今回
彼女は一瞬
微かに、ほんのわずかに眉根をよせて
静かに天を仰ぎました。
まっすぐな眼差しで。
うまく言い表すことができないのですが。

祈り?
願い?
これまでよりもっと遠く、もっと深い世界と
つながることを知った真央ちゃんの

その瞬間に立ち会ったような気がしました。

真央ちゃんに起きた出来事が
新たな表現の世界に真央ちゃんを一歩押し出したのだと
そのことはよくわかったのです。

傷を得て
人は何者になるのか。

彼らのように
それを光に変え
さらなる高みに自分をひらくようなあり方に
そんなたくさんの人達に
その美しい表情に
いつも心動かされ、励まされます。

 

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「愛を思い出す日」

クリスマスイブです。

知人からこんなメールが届きました。

「クリスマスは
愛されていたこと
愛されていることを
思い出せっていうメッセージを
神様がプレゼントしてくれているのかも
しれません」

そう言われると…
さまざまに思い出します。

小さい頃
必ず枕元にあったお菓子のブーツ。

一度だけ家族そろってイブに行った
近くの修道院のクリスマスミサ。

あのとき着せてもらったコートの
肌触りや色や、柄、デザイン
今でも鮮明に覚えています。
(フードのついた深緑のチェック柄でした。
内側にも毛がついていて
それはそれは暖かかったっけ)

つまり、
あの日は「超」のつく一張羅だったのです。
姉と私、おそろいで…。
そんなに贅沢できる感じでも
なかったでしょうに
父と母の心尽くしだったのでしょう。

それから
学生の頃。
大人になってから。
これまで
クリスマスを共に過ごしたたくさんの
人たちの顔…。

ああ、
私は確かに愛されてきたんだなあと
今、そう感じています。

それらはわたしの中にしっかりと残って
わたしのエネルギーの源
土台を作っているんだなあと
感じています。

なので今日は。
もらったものの万分の一もお返しできませんが(*^^*)

これまで出会ってくださったみなさま
これから出会うみなさま
そしてすべてのみなさまへ

心をこめて
「メリークリスマス」

どこにいても
何をしていらしても
それぞれの場所で
よき一日をお過ごしくださいますように!

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「奄美にて」

先程奄美大島に入りました。

こちらは雨。
鹿児島市内と10度気温が違うと
機内アナウンスであったので
「27度??」
(うちの温度計は17度だったので)
とびっくりして空港に降り立ったのですが
結構な寒さを感じています。

明日は
こちらの社会福祉協議会さんで
研修をさせていただきます。

会場からの景色はこちら。

余談ですが
空港から街に向かう途中、
おしゃれなジェラート屋さんがありまして

イチゴやミルクといった
ベーシックなものから

塩、黒糖…という味があるのが
奄美らしい?

担当の鶴田さんの一声で
みなさまとたちよって
味わうことができたのでした。

写真は
わざわざ空港へ迎えに来てくださった
スタッフの方が食べてらっしゃる
イチゴとミルクです。

美味!

明日は楽しんできます。

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「セッションは調律」

「ピアノの調律をしたんです♪」

とその方は

セッション中に嬉しそうにおっしゃいました。

中村公子のコーチングna日々♪

ご自宅のグランドピアノ。

「最初の一音」との格闘中のその方にとって

常に万全の状態に整えておく

必要があるのだそう。

その

「最初の一音」のお話も

思いっきり面白いのですが

それは後日。

「なんだか、気持ちもすっきりしますね」

と、その方。

瞬間

音を整えるその作業の風景がさあっと頭をよぎり

「セッションも調律ですね」

との言葉が口をついて出ていました。

そのピアノの持つ本来の音、ベストの、最高の音がある。

さまざまな条件や、時の経過に従って、それがずれてしまう。そこからはずれてしまう。

だから定期的に、「中心に」戻してやる。

弦をポーンと叩いて

丁寧に丁寧に、「本来の音」へと戻す。

コーチングセッションとはまさに、そんな作業をしているに他ならない、と。

お一人おひとりが

わたし(コーチ)という共鳴板を使って

自分自身の音を探り、ずれを発見し、取り戻す作業をする場。

そのイメージは

わたし自身にとっても、とても心地よく、自分自身の体の軸がすっと通るような感覚でした。

少し、自分自身の体をゆらゆら…と左右にゆらして

中心軸を体感しながら

自分の中を無にしてそこにいる。

適切に響きを返し、多くの気づきと発見がそこに起こるように。

そんな感じで今はセッションの場にいます。

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