「歯医者さんはワンダーランド」

まずもって言っておきますが

たいそうくだらない内容なので、3時のお茶うけにでも読んでくださいね。

歯医者さんで口をあけている最中に

笑いたくなって困ることがこの数回、続いています。

あれは、本当に困る…。

一回目は

歯の奥に詰める薬剤の名前が

「ステラノドン」(こういう恐竜がいるのかもわかりませんが)

みたいな名前で、つい「うっ…」と吹いてしまい。

寝ていられず、がば、と起き上がってしまいました。

先生は

「どうしたんですかっ!!」

と、大いに驚き。

このときは、正直に「薬の名前が怪獣みたいでつい…」と申告。

二回目は

「光をください」事件。

(わたしが勝手に事件と呼んでいるだけです)

歯に詰める何かの溶剤を固める?溶かす?ための機械なのか

はたまた手元をもっと照らす必要があったのか?

わからないんですが

(なにせ、目をつむって口をあけている上で行われる作業なのでよくわからないのです)

何かが足りなかったらしく

先生がそれを持ってきて、と助手さんに伝えるわけですが

その表現が

「光をください」。

所は診察ブース。時は診療中。

先生、そんなに大きな声を出すわけはなく、

ささやくように

「光をください…」×3回

もうだめだ、耐えられない…!

私の頭の中は

『暗いと不平を言うよりは、進んで灯りをつけましょう。聖パウロの言葉より』

とか(笑)

古今東西の賢人の言葉。

はてはNLPのコアトランスフォーメーションのワークでみんなが

「コアまで行ったら光でした♪」

等の、人生探求のあらゆる言葉や場面が渦巻いてしまい。

先生、何か辛いんですかっ!?

人生悩んでらっしゃるんですね!

ひかりがほしいんですね!

…なわけ、ないでしょ。

と、自分の中で

果てしないノリと突っ込みを繰り返しながら

ほとんど拷問のような(笑いをこらえるという意味で、です)時を過ごしたのでした。

次回は2月。

何が待ち受けているのかと思うと、ちょっと、怖い…。

歯医者さんはワンダーランド。

その中にどっぷりと浸って仕事をしている方々には当たり前なのでしょうが

待合室にピカピカ光る歯の模型も

豊富な味の歯磨きチューブも

不思議な形のタオルやエプロンも

(頭の上に乗せて、カッパもしくはルイス・フロイスのまねができそうなタオルが歯医者さんにはあります)

いろいろな機材も薬品も…さらには、そこに生きる人たちの共通言語も

面白くて興味深くてしようがない。

そして

こういう新鮮な視点や感覚は

自分自身の住む世界(仕事)に関しても忘れてはいけないなあ、と思ったりするのです。

わたしの住む世界(仕事)も、なかなか日常では使わない言葉

または意味を特定して使う場面が横行しがちな世界です。

「リソース」とか「コア」とか「センター」とか。

それを当たり前ではなく、ある意味、いつも「異邦人」の視点から

見続けられる視点も必要かな、と。

自分たちにとってはあたりまえでも、他の人にとっては「当たり前」ではない。

この身近なワンダーランドからの帰り道、そんなことを思ったのでした。

さて

この場面や状況に(つい、わらっちゃう、という)

共感してくださる人がいると嬉しいなあと思ったり。

「そういうこと、あるある」と。

意味が分かんない、という方も多いんじゃないか、と思ったりしているところです。

(わたしの身内は、まず全員「何言ってんの?」な反応でした)

なので、ちょっとさびしい思いをしているところです。

人を動かす話し方のできる人は「物語れる」人である

19年前

阪神淡路大震災の後に生まれた

人々を勇気づけるための歌が、今は福島で歌い継がれている。

という番組を朝やっていました。

もちろん、その歌は神戸でも子どもたちによってずっと歌い継がれているわけですが

今、音楽を教える先生たちの若年化が進み

震災の記憶がほとんどない先生たちが

この歌をどのように子どもたちに教えたらよいか、悩んでいる。

ということも出ていました。

心を込めて歌ってほしい。

いつも歌う「今月の歌」とは違うのだから。

思いが聞く人に伝わるように。

そう願う先生たち。

でも、どうやったら??

それを子どもたちに伝えられる?

震災をまったく知らないこの子たちに。

自分自身の中に

その「記憶」自体が薄い先生たちは悩むわけです。

通り一遍の、うすっぺらなものになってしなうのではないか、と。

悩んだ一人の若い先生は

先輩の先生の授業を見学に行きます。

震災時、もはや先生をしていた、という先輩ですね。

その先輩がまず初めにやったことは

歌わせることでも、何でもありませんでした。

「指導」ではなかった。

「先生のクラスにいた、ミズエちゃんっていう子がね…」

自分の「体験」を。

自分だけの「ストーリー」を語ることでした。

19年前、自分がその目で見、その耳で聞き、その肌で感じた、

まさに自分に起こった出来事を「物語る」。

「説明する」のではなく「物語る」。

その時の思いを、感情を、自分の言葉で語る。

それは、単なる「頭での理解」を超えて

自らの細胞に刻まれた、消えることのない、「波動」を伝える、ということなのです。

丁寧に、丁寧に、時間をかけて「語る」先生。

それをじっと聞く子どもたち。

見学の後、若い先生は実家に帰ります。

そして自分の震災時の唯一の記憶であった

「父と共に見た、赤く燃える夜空」と「それをみた父親の反応」という記憶を

父親に話を聞くことで補い、膨らませ、当時の父親の思いとともに自分の中に満たし

それを子どもたちの前で話します。

「いつも、冷静なお父さんの声が震えとったんよ…」

と。

彼だけの体験。彼の心の底から感じた「19年前の、あの日の思い」を

言葉にするのです。

さて

今、リーダーのためのプレゼンスセミナーの準備をしていますが

この世に「プレゼンス」の良しあしと無縁の人は存在しないと思うのです。

リーダーとは、人に影響を与え、人を導く立場にあるすべての人のことですから。

企業のリーダーだけでなく

子どもにとって、お母さんはリーダー。

先生ももちろん、リーダー。

人を動かすということは

「いい話ですね」「もっともな話ですね」を超えたものを、その場で作り出す、ということです。

人は、あなたの話が「正しい」から動くのではありません。

人は、あなたの話が「うまい」から動くのではありません。

理解を

納得を

それらを超えた「心の動く何か」。

それがあったときに、人ははじめて動きます。

大きく言えば「人生を変えよう」とします。

言葉

表情

他の誰のマネでもない、掛け値のない自分のそれらすべてでもって

自分だけのストーリーを語りましょう。

あなたの前の多くの人たちが待っているのは

あなたの「物語」なのですから。

「それをすると自分で決めたのではない。体に埋め込まれているのだ」

みなさま。

新年あけましておめでとうございます。

新しい年をどのようにお迎えでしょうか。

こちら鹿児島は

暖かい陽気の中、おだやかにはじまった新年でした。

みなさまの今年1年のご多幸を祈りつつ

今年も、どうぞよろしくお願いいたします。

さて

年始は何とも珍しいことに、同窓会2連続でした。

それぞれ、昔勤めていた中学校のものです。

西と北、懐かしい土地に出かけて行きました。

2日間で

話ができなかった生徒さんも含めて

(もう生徒ではないんですが。みな立派な大人で)

100名を超える人たちに会ったのですが

なんというか…いっぺんにものすごくたくさんの「人生」に出会ってしまった感じです。

仕事という側面一つとってみても

もう、それはそれはたくさんの「職業」の話が目の前に繰り広げられるわけで

一人一人、話を聞いているだけでも面白くって面白くってしかたがない。

完全に時間が足りない。

そんな中で感じるのは

一言でいうと

やっぱりみんな「変わっていない」ということです。

「けっこう頑固だったもんね」

「そこ、譲れないところだったよね」

「そういうの、本当に好きだったよね(授業中もこっそりやってたもんね)」

「ここぞってとこではこだわりがあったよね」

などなど

それぞれのそんなところが

みんなしっかりと、残っている。

今、何をしている…という彼ら、彼女らの話からは

「職業」や「家庭」の話を通して

まったく変わらないその本質がビシビシと伝わってくる。

もう、嬉しくなるくらいに。

中には思う道とは今現在、違う選択をしている、という子もいるわけですが

それでも

一人ひとり、その変わらない「本質」を

仕事やプライベート…ひっくるめて「人生の質」を自分らしく磨き、高めることに

ちゃんと使っている、そういう気がしました。

それがあるゆえに

生きることにこだわり、つまづき、悩む、という部分も含めて。

「人は、そうでしか生きられないんだな~」

とやけにすっきりと、晴れ晴れと

あらためてそう思いました。

彼らは自分で人生を選択している、と思っているかもしれませんが。

そして、職業や、住む場所や、結婚や…という、そういった面では

確かに自分で選び、決めているわけですが。

でも

人はもっと深い、奥のところで

体に組み込まれた「何か」に従って生きているのだと。

そんな気がしました。

ほおっておいても。

たとえ何度うちくだかれることがあっても。

夜が明け、また日が昇れば、自分の中に自然と湧き上がってくる

あるもの(ある状態)への渇望。

自分の中に途絶えることのないひとつの旋律。

人は、それに従って生きている。

そうするように、人はできている。

仕事が何であるとか、そういうことに関係なく

もっと深く、細胞の奥深くに埋め込まれたものにしたがって。

さまざまに悩めることあるらしく

目の前で語る一人の子を見ながら思ったのでした。

…はやいとこ認めてしまえばいいのに。

だいたい君、中学ん時からそうなんだから。

ほおっておいてもそうやってしまうのだから。

今さら変わらないのだから。

いえ、変えてはいけないのだから。

それこそが「君」なのだから。

「それ、強みだよね」

そう一言告げると

「いえいえ、でも…」

と即否定され、寂しいことしきり。

こういう場面に遭遇すると

「ああ、やっぱり中学の時、そういう授業をやっておけばよかったな」

と思います。

教科の知識と同じくらいに

いえ、それより多分もっと大切なこと。

周囲と、そして何より自分自身と「良好なコミュニケーション」を結ぶすべを、

その視点をもっと与えることはできなかったものかと。

生きる上での何よりの力となるものなのに。

一人の教員の力など、小さな力でしょうが…

でも、やらないよりはずっとよいと思うのです。

教員をやめて4年目に、コーチングというものに出会いました。

そのとき、体の中にあふれた、ある思いがあります。

「学校にいたときに

自分の力不足、知識不足からできなかったことを

これを使ってやるのだ。

あのときやれなかったこと、伝えられなかったことの続きをやるんだ」

生徒たちが大きくなって、社会に出てくる。

そのときに、またこれを持って出会いなおせばいい。

大人になった彼らにまた授業をすればいいんだ。

と、そう思ったのでした。

そしてそれは確かに実現しています。

彼らが大人になった年齢の若者たちと日々ふれあい、

あの時伝えたかったことを伝えている今があるのですが。

正月。

十数年ぶりの100名との再会の時を経て

今、かつての生徒さんたちとの新しいつながり」が静かに広がりはじめています。

この仕事を初めて11年目にはいる今年。

もしかしたら、今年は本当に

リアルに彼らに「授業」をすることになるのかな?

と、ふとそんなことを思った一月八日の午後でした。

何だか

タイトルからずれてしまいましたが。

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