「効率」と対極にある「存在するだけでいい」

 

 

 

 

高齢の方がよく口にする言葉に、

 

 

「子どもに(周りに)迷惑をかけたくない」

 

 

 

というものがあるように思うけれど(そして、わたし自身もどこかでそう思っている自分を発見するけれど)
その根っこには、

「役に立たなければならない」
(役に立たないならいる価値がない)

という観念があるよなあ、
と、クライアントさんと話していて思ったのです。

 

 

役に立つか、立たないか。
効率的か、非効率的か。
正しいか、正しくないか。

わたしたちは、ずっと長いこと、
これらの軸を中心に据えて生きてきており、
なんとかして、

 

「役に立つものであろう」
「効率的であろう」
「正しくあろう」

 

 

と。
一生懸命にそっちの方向へ行こうとしていたように思います。
そういうものであろうとしていたように思います。
そして、(世間的に)逆の側にある状態は、

 

 

「見ないようにし」
「非難し」
「排除し」

てきた。

 

けれどもう、その軸から離れていいときがやってきたんだな、
と最近特に、そういうふうに思います。

 

 

 

 

 

 

つい最近、
知り合いに「江戸時代の長屋のたぬき男の話」というのを
書いて送ったんですが。

 

 

 

「長屋にたぬきが大好きな男が住んでいて、
自分の部屋の中にたくさんのたぬきを飼っていた。
匂いもするし…で、同じ長屋の人々は
『困った困った』と思っていた。

 

ある日、長屋が(もしくはそのたぬき男の部屋が?)
火事になったかで、
たぬきが全部死んでしまう。
男はたぬきがいなくなって、すっかり元気がなくなってしまう。

 

すると、長屋の住民がお金を出し合って、
たぬきを買ってあげた」

 

 

 

元々、日本人というものは、そういうものだったんだろうな、と思います。
「多様性」なんて言葉をわざわざ使わなくとも、
様々なものを「ありのままの姿」で大きく包み込み、
みんなでわしゃわしゃと、助け合ってげんきに生きていく、
そういう土壌をはじめから持っていたのだ、と。

とにかく、その際、生きる上での中心軸は、

 

「役に立つか?」
「効率的か?」
「正しいか?」

 

ではなかったことは確かなのです。

 

 

 

 

 

話戻って。
思うに大家族で生活することが少なくなって久しいので、

「上手に周りに頼り、家族や周囲に委ねて身を任せつつ、
人生をゆったりと全うしていくお年寄り」

のモデルがもはや身近にいないんだなあ、と、そういうことも思いつつ。

 

 

記憶の奥底にかすかに残る祖母の姿を思い出しながら、

 

 

(あれを「愛」と言わずになんというんだろう、と思うのです。
わたしが「無条件の愛」という言葉で唯一、思い出すのは、
部屋にちょこんと、ただ座っていたばあちゃんの姿です。
ばあちゃんのふところの温かさです)

 

 

 

これからいい時代になるなあ、と改めて思うところです。
何ってわけではないんですが、
このような話のできる人、響きあえる人、
共感できる人が身近にどんどん増えている、ということを感じ。

 

 

 

このようなつながりを新たな(いえ、本来あるべき)軸として、
やっていこう、動いていこう、という人たちの思いを、
あちこちで感じている最近です。

 

 

(写真は正月二日の鹿児島は城山からの眺め)

 

 

伯母の葬儀で思う、儀式や祭祀の大切さー「プロセスを踏む(体験する)」ということの大切さ

 

 

 

 

 

伯母が亡くなり、葬儀に参列してきたんですが。
一つ一つの儀式。
「手順」を踏みながら、「ああ、これはまさに生きている人間のためのものだなあ」と
あたらめて思ったのです。

 

 

(ちなみに、子どもだった頃
わたしに一番「かわいい」をたくさん言ってくれたのは
確かにこの伯母だったような、と改めて思い出しつつ)

 

 

お経を聞き、
(また、お坊さんは声がいいので、全身に響くんですよね)
お焼香をし、
そして、お棺の中に花を添え、
出棺の儀式があり、

そしてまた、火葬場での一幕があり。
何度も祈り、何度も手を合わせ。

 

 

そのプロセスを通して、
少しづつ、少しづつ、生きている者たちが
「この人は次の世界に旅立つんだ」
ということを身体レベルで「わかり」「受け止めて」いく。

 

悲しみと共にだんだんと「あきらめて」いく。
俗世から次第に離れていく、彼の人を見て、感じている。

 

そのプロセスが、
あの、段階を踏んだ様々な「行動」なんだなあ…と。

 

 

 

弔いの儀式というものは、
故人を新たなる世界へ送り出す場であると同時に、
参列する人間にとっても「死と再生」のプロセスを踏むものなのだな、
と思います。
生と死の境まで行き、そして再び戻ってくる旅。

 

火葬を待つ間、
出された仕出し弁当を黙々と食べながら、
ふと「際(きわ)」から「今」に。
「隠り世」から「こっち側」に帰ってきた感じがものすごくしたのですよね。
まるで長い旅から帰ってきたような?

 

 

ああ、生きてるんだなあ、と。
大きなガラス窓の向こうの、
雲ひとつない秋晴れの高い空を見ながら思いました。
空がほんとうに美しかった。

 

 

 

 

 

 

伯母との別れは悲しかったですが、
そんなふうに悲しみや辛さもあるこの世界を
一生懸命に生きるわたしたちには、
だからこそ「儀式」「まつり」が必要なのだな、と思います。

 

なんといましょうか。
「魂」とか、「存在そのもの」とか自分の心の柔らかいところ。
純粋なる喜び、哀しみ。
生(せい)の実感。そんな、日頃忙しくて、
すっかり忘れ果てている部分や感覚にアクセスし、味わう時間。
哀しみが昇華し、生きるエネルギーに変わる時間。

 

 

 

 

日頃の地面を這っているような近視眼的な視野の世界ではない、
自分が過ごしてきた時間や、
人生全体を俯瞰して見直すような、そんな時間。
命や志のつながりを脈々と実感するような時間。
非日常。異空間。

 

 

 

 

 

 

それを、儀式や祭祀、祭りというものは果たすのだろうな、と思います。
お葬式だけでなく、結婚式、結納の儀、卒業式、入学式…
そんなものも同じく。
土地土地のお祭りも。

 

儀式、祭祀、祭りは人にとって再生の場なのだ、と思います。
再び新たなるエネルギーで生き始めるための大切な時間。
まさに「ヒーローズジャーニー」。

 

旅立って、そして変容して帰ってくる英雄の「小さな旅」なのです。

 

 

 

 

今日は何というわけではないんですが。

 

効率、といったものとは全く別のところで、
人が人として生きるに、とても大切な時間がある、
(わたしたちの心と魂を再生する仕組み、
癒し、再び復活するための仕組みというものが、
わたしたちの伝統風習には、ちゃんと昔から組み込まれているのだなと)

と思ったのでした。

 

 

大切にしたいものだと思います。

 

 

 

ふと『予祝』してみた9月1日の朝ー今年の年末、どこで何していたい?

 

 

 

 

春のお花見が古来より秋の豊作の「予祝」であった、
ということを以前書いたことがありますが。

 

 

「いや〜。こんなに実ったねえ。神様、ありがとう!」

 

 

と。
花を稲穂に見立てて前もって祝ってしまう。
喜んでしまう。
喜びを先に味わってしまう。
それによって「豊作」を現実にする。
(引き寄せる、ってやつでしょうか)

 

 

 

 

 

NLP(神経言語プログラミング)の講座の後、
受講のみんなで、

 

 

「ヒーローインタビュー」

 

 

なるワークを(一杯ひっかけて)やった覚えがあります。
自分の夢に対して「もはや成った」ものとして、
インタビューを受ける。

 

 

そして、その氣になって答えまくる。
周りも盛り上げまくる。
「○○さん、すごいですねえ!
どうやってこれを実現したんですか??」
と。
喋っているうちに、本当にそうなる氣がするから不思議です。
(あの時の夢、叶えた人もいるんじゃあないかしら?)

 

 

なかなかに楽しい時間でした。

 

 

未来を描く。そこへ行く。
もはや「成った」場所から、今を見てみる。
NLPやコーチングにも「予祝」視点は満載です。

 

 

 

 

 

 

で。
ふと今年の年末に「飛んで」みた9月1日の朝。
浮かんだのは、心やすい友たちとどこかの座敷で飲んでいる様子でした。(忘年会?)

 

10人くらいのその場所はぎゅうぎゅうで。
(もっと広い場所でやりなさいよと思いつつ)

 

 

わたしはあまり飲みに行かないので、

 

 

「おや、これはこれは…」

 

 

 

と思いつつ見ていますと、
みんなで「今年の自分の10大ニュース」なるものを
発表し合っていました。

 

 

「わたしはどんなニュースを発表しているのかしら??」

 

 

と思っていたら、
まあ、結構なことを言っていましたよ(笑)
とっても嬉しそう。

 

 

そして、みんなから
「おおお〜!(どよめき)おめでとう!よかったねっ!」
と渦のような祝福を浴びていました。

 

これは…熱い(場所が狭いからそもそも暑いのよ!と思いつつ)
ちょっと恥ずかしい。
そして、なんと氣持ちのいい。

 

 

 

 

 

さて。
興味ある人は、やってみられては?
と思いここに書いているわけです。

 

 

ポイントは、
⭐️リアルに想像する

 

です。

 

・温度(何度、ではなく、暑い、肌寒い、など)
・質感(肌触り)
・音(声、言葉、生活音…どんな音が聞こえている?)
・におい
・周囲(場所の様子、人の表情)
そして、
・自分の「感情」と「身体の状態」(ここ大事)

 

 

 

もしかして、「それ」が。

 

いえ、もしくははるかにイメージを超えた「素晴らしい場面」が、
年末、あなたにやってくるかもしれません。

 

なにせ…
先人たちもずっとやってきた
わたしたちにとってある意味王道の方法ですし!

 

 

 

《追伸》

※もう一つ、大切なことは
「心身ともにいい状態」を作ってから想像する(未来へ飛んでみる)ということです。

くれぐれも、なんだか落ち込んでいる時、身体がぼやっとだるい時…
などにやらないように。

 

試しに続けて2回やってみたんですが、
(1回目ー普通の状態/2回目ー深呼吸&心地いいことを考えて、リラックスした状態)

 

 

1回目と2回目、予想通り出てくる想像が全く違いました。
2回目の方が大きく大きく広がっていました。世界が。

 

どうぞ、自分をいい状態にしてからやってみてください。

 

 

 

人は繋がりがあれば生き生きとしていられるし、自分に対しても周りに対しても「無体なこと」はしないと思う

 

 

 

 

知人の実家のお墓は、お父様がたくさんの想いを込めて作ったお墓なのだそうで、
それは坂を登った小高い丘の上にあるんだそう。

 

で。
そのお父様が数年前に他界され、
きょうだいでこれからの家のこと、
お墓のことを話しあうこととなったこのお盆。

 

 

「お墓をしまって平地の納骨堂に」

 

 

という意見が出たのは、
お墓をこれから次に繋いでいく可能性の高い
きょうだいの一人から。

 

「お墓を見る負担を子どもたちに残したくないから」

 

と。

 

 

 

 

ああ、そうだなあ〜、
と思いつつ、
どうも一抹の寂しさを感じ、なんともいえない氣持ちを感じ。
で、口にしてみたのです。
(繊細な内容ですんで、どきどきしながら)

 

 

「それを即、『負担』と捉えるということが…。
なんと言いますか、
長い長い時代の流れってものがあったんですもんねえ。
そういう時間をわたしたちは過ごしてきた(来てしまった)んですねえ」

 

 

 

 

知人も、わたしと同じような感慨を抱いていたようで。
けれど、知人は家を出てしまっているので「負担」と言われると
確かに、と。
で、自身の思いをどう伝えよう…と。

 

 

 

 

もうね。
頭の中が飛躍してしまって、
縄文時代みたいに「お墓は集落の中心」にあったらいいのに、
なんて思いましたよ。

 

お墓を中心に家が周囲に立っている。
死は隔絶されたものではなく、軽く「地続き」な感覚。

 

 

 

話が飛びますが、
少し前の番組「ファミリーヒストリー」で、
草刈正雄が父方のルーツを探す、という回がありました。

自分のルーツの片方が完全にない、わからない、
断ち切られている、
繋がっていない、
という感覚は草刈さんにとって、
(いえ、誰にとってもでしょうが)
本当にきついことであったと想像するのです。

 

 

自分を捨てた父親への言葉にできない思いと、
それでも、叔母やいとこがいた、という喜び。
父親の幼少期や育った環境が明かされていく
=自身の「源流」が初めて明かされ、繋がっていくという
そのプロセスが映し出されていました。

 

 

 

 

 

人にはつながりが必要です。
横のつながり(今生きている人たちとのつながり)はもちろん、
縦のつながりも。
時を超えた、立体的なつながり。

 

 

わたしたちは、全方位、360度、繋がって生きている。
生きている人。今はここにいない人。
形あるもの、ないもの、全て。

 

遺伝子を受け継ぎ、
たくさんの人たちの「思い」「願い」をもらい、受け継ぎ、
今、わたしたちはここにいる。

 

 

 

そして、その「つながり」へ思いを致す力が強いほど、
「無体なこと」はしない。できないものなのです。

山なんて崩せない。
海も川も汚せない。
なんで大木を切るんや!
そこの緑をなんで潰すんや!
と。

 

 

そう考え出すと、もう、他にもたくさん…
大切なもの、大好きなものががありすぎて。
(形あるものはもちろん、知識や伝統風習含め)

そういう感覚で世界を見ると、
自分を生かしてくれている、
支えてくれている、
エネルギーをくれる、
「宝」に囲まれまくって自分が生きていることに氣づきます。

 

そしてこう思う。

この繋がりの先端で今という時代を生きている自分自身も、
すごく大切なんだ、と。
存分に生きよう、と。

 

 

 

 

話が大きくなりましたが、
お墓って、そういうものの一つではないかな、
とわたし自身は思います。
自分自身の確認の場。
つながりを確かめ、実感する場だったりありがとう、と感じる場。

 

 

 

 

そして、子どもたちって「負担」と思うかな?

思う子もいるだろうし、

思わない子もいるんじゃないかな、

とも思うのです。

特に、これからの世代。

(親が「負担だ」と決めなくてもですね)

 

 

 

 

さて、
わたしたちは、これからどこへ行こうとしているのか。

 

 

 

今回の「お墓について」なんですが、正直、
「教育、間違ったんじゃないの⁉︎」
と思いました。

 

 

知人のお家がどうこう、と言っているのではなく。
長い長い間の「日本人」全体のことです。
この160年だか、戦後80年だかのことです。
大きな、この国の「流れ」のことです。

 

 

 

一体わたしたちは、何を捨ててきたのか。
何を受け取ってきたのか。

そして、次代に何を手渡そうとしているんでしょう、と改めて考えたこのお盆です。

 

(写真は先ほど行ってきた神社の大木です。苔がいい感じでした)

 

 

「なぜコンビニの前に座っていてはいけないのか」を子どもになんと説明するか

 

 

 

 

 

 

つい最近、(誰かの記事だったか、動画だったかで)見たのですよね。

 

コンビニ前や駅の構内で、
地面にペタッと座って飲食している子達がいたとして、

「草っぱらなんかでもじかに座る。どうしてここだといけないの?」

と問われたら、なんと答えるか、と。

 

 

で、その記事だったか、動画だったか…に、こういうコメントが。

「コンビニや駅の構内だと、
公衆トイレなどに行って、みんなそのまま歩いているから汚い。
なのでダメ、と子どもには教えています」

 

 

 

本当にその通り。
けれどでは、そこがもし、ピカピカの床で、
絶対に菌やウイルスの入り込む余地のない場所だったら
座ってもいい、

ということになるのかしらん、と。

 

 

 

 

で、わたしの率直な感想は、

「理由が…いるか?」

でした。

 

 

 

 

なんというか。

「理論」。「理屈」。
よく言われる「エビデンスは何ですか?」的な。
それがないものは存在の余地なし、みたいな昨今。

 

 

そんなものは全然「通って」いなくとも、

 

「とにかく良くないの」
「それは美しくないの」

 

という精神はもはや通用しないのかしら、と。
(お天道様が見ているから、的なですね)

 

 

 

 

 

 

 

知人が「今、仏教と神道の本を読んでいます」
と。

 

 

「自分たちはどうも、以前であればあれば自然と
『もらって』(受け継いで)
きたものを上の世代からもらえていないんじゃないか、という感覚があり」

 

 

 

 

ということなんだそうで。
(わたしから見ますと、その方、全くもって、そうは思わないんですけどね)

 

 

 

で、
ご自身の子どもに何を手渡すのか、にあたって、

 

「では、自分で再度見つけるしかないか」

 

と。

 

もらえていない、受け継いでいない、どこかで断絶している、のならば、
自分で知り、取捨選択をし、
自分で再編し直さねばならない、

 

 

 

 

と思ったのだそう。

そのためには知識が必要。

 

 

 

「根っこ」を知ることが。
揺るがぬ「根っこ」。
「真善美の根っこ」を知り直す必要がある、出逢い直す必要がある。

 

 

 

それはなんだろう??
と考え、「仏教」「神道」というものにも触れてみよう、
と思ったんだそう。

 

 

 

 

 

 

 

 

これまでも何度か書いていますが。

「根っこ」を知らないもの、
根っこと繋がっていないもの、は弱いですね。
(基本・土台・型がないものは、とも言える)

 

 

 

とうとうと流れる時の中で、
自然と形作られてきた「道理」を無視して作ったものは、
どんなに「いい方法だ」と思った仕組みや考え方でも、
数年経つと、目まぐるしく変わる時の中で、
瞬く間に「合わないもの」「使えないもの」になっている感じがします。
(「時代の徒花」で笑いで済めばいいんですけど)

 

 

 

 

 

わたし達は今、大きな渦の中で、
何を信じていいかわからない。
何を支柱として生きていいかわからない。
だから、

 

 

「(有名な)この人が言っている」
「これが流行っている」
「みんながこうしている」
「『成功』している人がこうやっている」

 

 

を追いかけ、
追い求め、
右往左往している。

(この状態、「精神的孤児」という言葉で、以前書きましたが)

 

 

 

 

 

 

 

そもそも、わたしたちが、
「正しい」「これが当たり前」「ずっとこうしてきた」
と思っていることも、歴史を辿れば、
戦後ほんの80年でできた「常識」であったり、
わずか160年前には全く違っていた、ということも多々あるわけで。

 

 

 

 

 

先に書いた知人が、
「わたしたち日本人を形作ってきたもの」
(自然、風土に自然と育まれてきた文化、価値観、身体観)

 

 

の源流を求めて仏教と神道の本も読んでみよう、と思った(切なる)氣持ち
わかるなあ、と思います。

 

 

 

 

 

 

 

彼は、感じたのだろうと。
わたしたちが「こうだ」と思い込んできたことは、
案外「そうじゃないものもある」ということに。
ぐらり、足元が揺れ。

 

 

 

 

そして彼はきっと思ったのです。
自分の子どもたちを「孤児」にしたくないと。
デラシネ(根無し草)にしたくない。

 

 

 

 

たとえ世の中がどんなに渦巻いていたとしても、
自分の足で立って。

 

 

他者の作った真実ではない、自分の真実を。
「自分にとっての真の幸せ」を、
(それは自身の心にも身体にも至極自然で心地よく、なおかつ、
世界と自然に調和したものだと思うのですが)

 

 

生きる人になってほしいと思ったのだと思います。

 

 

 

 

 

 

決して色褪せない「根っこ」を。美しさを。
幸せに生き抜く力を、

 

子どもたちの身のうちにすっくと、しなやかに
立ち上げてあげたかったのかなと思います。
(本当に、何よりの宝だと思うんですよね)

 

 

 

 

 

 

※写真は、わたしの部屋の紫陽花です。愛おしきかな😍

 

 

 

 

「どうする家康」。時代考証グッジョブ!(ナンバ走りに萌えた夜)

 

 

 

 

 

 

昨日の「どうする家康」。

女の子(阿月ちゃん)爆走の回。

 

 

 

時代もので走る場面で、100M走の走り(現代の走り方)で
思いっきり全力疾走するのがいつも違和感だったのですが、
昨日はちゃんと「ナンバ走り」でした♪

 

(手を身体の横で上げ下げして、変な走り方だなあと思った人も多いのでは。

ちなみにあれが本当にそのまんま、当時の通りなのか、

もちろんわたしにはわからないのですが)

 

 

 

 

 

 

以前、この「ナンバ走り指導」の方の動画を見て
「ナンバ走り」を習得しようとしたことがあるんですが、なかなか難しくて。
(ナンバの動きを日々の動きに取り入れられると身体が楽で効率的、と聞き)

 

 

 

 

 

 

 

 

(動画はこちら)

https://www.youtube.com/watch?v=G29X8CBlzBs

 

 

 

 

昨日、確かにこの走りでしたよね。

 

 

 

 

子どもたちも、役者さんも頑張ってたなあと。
(こういう細かい考証が地味に嬉しい)

 

 

 

 

 

 

 

*  *  *  *  *

 

 

「日本に「西洋の動き」(運動・体育)が入ってきたのは、
幕末。
幕府によるフランス軍事顧問団の招聘による。

 

 

 

 

明治以前、日本人には
身体と心を分けるという概念がなかった。
(「カラダ」は死体のことで、
生きているこの身体は「み(身)」と言った。

 

 

 

それから約160年。
生活様式の変化とともに、わたしたち日本人は
「日本人の伝統的身体」「身体技術」
というべきものを忘れ去りつつある。

 

 

そして、
身体は「もの」として扱われ、
「ここを5センチ細く」
と…
自分の身体をモノとして
(商品のように)
「評価する」ようになった。

 

 

 

 

身体と心、精神はつながっている。
身体技術が受け継がれないと、
精神も受け継がれない。
(それを「感じたことがない」「感じられない」わけなので、本質は伝わらない)

 

 

160センチに満たない身体で
40キロのセメント袋(当時は重かった!今は25キロらしい)
を担いで軽々と山道を登っていた父の
腰肚を要とした使い方、腰の座り具合、力の出し方。
足のひかがみ(膝裏)の使い方等々…

弟には受け継がれていない。
(もちろんわたしにも)

 

 

 

 

 

日本人はどこへいくのか?」

 

 

 

 

 

 

*  *  *  *  *

 

 

 

 

昨年春のわたしのセミナー
「日本人の身体と精神と言葉の話
ーわたしたちはどこへ行こうとしているのか?ー」

 

からちょっと抜粋してみました。

 

 

 

 

 

 

「自分は幸せである」と感じる理由を「人」だけに頼るのは危うい

 

 

 

 

 

 

 

と、いうようなことを養老孟司先生が言っていたのですよね。
(YouTubeの、しかも「切り抜き動画」を見ただけなのですが)

 

 

 

講演会の会場の人たちに、事前アンケートをとって、
(あなたは幸せですか?ならびに、そう思う理由)
それを元に、養老先生が話している。

 

 

 

 

「10代の時にいじめを受けた人が、20代になってそのことを書いた本を読んだ。
皆さんのアンケートを見て、その本を読んだ時と、同じ印象を受けた」

 

 

 

と。
その「同じ印象」とは、養老先生の言葉でいうと、

 

 

 

 

 

 

「花鳥風月が一切出てこない」。

 

 

 

 

 

 

場内アンケートにあったのは、

「こういう人間関係があるから幸せ」
「こういう友がいるから幸せ」
「家族がこうだから幸せ」

 

 

 

幸せの「よって立つ」ところが、人、人、人…

 

 

 

 

これは、裏を返せば、「人(人間関係)」によって、
いとも簡単に「不幸」にもなる、と言うことだ、と。
(いじめなんて、まさにつまりそういうことだ、と)

 

 

 

 

 

 

 

 

さて。
花鳥風月、とはつまり「自然」ということなのですが。

 

 

「人間関係が辛い時に、
自分だったら
『死体(死体は「自然」だから)』(←解剖学者)
『虫』(←虫大好き)

そういう世界と語らっていたら、
人間関係の悩みなど、どうでもよく思えてくる。(生きてるだけですごいだろう!と死体を見ていると思うし)」

 

なんだそうで。

 

 

 

 

 

 

 

 

人間関係が全て。
うまくいかないと、もう行き場がない。逃げ場がない(心の)。
他に「繋がる」ところを知らない。

 

 

というのは、確かに危ういなあ、と思います。
それで、命をたつことを選んでしまう人もいるわけですし。

 

 

 

 

 

 

「そこに、風は吹いていなかったのか?
鳥は鳴いていなかったのか?」

 

by養老先生

 

 

 

 

 

 

 

齋藤孝は、現代人の「感情」と「精神」のバランスの悪さを書いています。

 

 

 

現代人は「感情」が肥大してしまい、感情に振り回され支配されているが、

かつては「精神(志・こころざし)」というものが、
感情の暴走を抑え、心のバランスをとっていた。

が、戦後、「精神」という言葉は、

「愛国精神」「軍国精神」

と言ったように、
何か悪いもの、古臭いもののように扱われてしまっている…

と、そういう内容だったかと。

 

 

 

 

 

 

 

さて。
養老先生が小さい頃は、人の世界と、自然、「半々」だったそう。
どちらも「近しかった」。
ほんの七十数年ばかし前のことですよね。

 

 

 

わたしたちの祖先は、たくさんの世界とアクセスし、

 

「そこで心を自由に羽ばたかせる」
「心をあそばせる」

 

あり方を知っていた。
この広大な世界の中で「人との関係」というのは、

 

 

 

「その一部に過ぎない」

 

 

 

 

ということを、体感的にわかっていたんだと思います。

「侘び」
「寂び」
「もののあはれ」

なんていう言葉は、そのことをよく表している。

 

 

 

 

 

 

今日はちょっとまとまりませんが。
(テーマが壮大すぎるのだよ、と思いつつ)

 

 

けれど、
自分を生かすものは、目の前の人間関係だけではない、
ということは、ものすごく思うのです。

 

 

 

ミルフィーユの如く、重層的に、
わたしたちは、実はたくさんの世界にまたがって生きている。
多くのものとつながり、
実は時間も空間も超えて、多くのものからのエールを受けつつ、生きていると感じます。

 

 

 

 

そうそう…。
そういうふうに生きられたら、狭い視野の中できつい思いしなくていいよ、

ということを養老先生は言いたかったのだと思います。

 

 

 

 

 

 

 

*   *   *   *   *

 

 

 

写真は一昨日の渡月橋。
ちょっと用があって京都に行ってきたんですが、
(弾丸ツアーな感じであまりゆっくりできなかったんですが)

すっかり京都、元に戻っていて、人だらけでした。
ここで「いろんなもの」と語らうには、ちょっと集中力が…。

けど、わたしにとっては
京都はとても「アクセスしやすい」場所なことは確かなのでした。

 

 

 

いい時間でした。空気は冴えて、山は美しい。

 

 

 

最近思い始めた『20年後』にどんな姿で立っていたいか(同年の方々、どうですか?)

 

 

 

 

 

伝統料理を発掘、継承している人たちの活動を取材した番組があったのです。
その土地の女性たち(80代,70代)を中心に、料理をする様子が出ていたんですが、
それを見ていて、

 

 

「80代と70代って…こんなに違うのか」

 

 

とびっくりしたんでした。
何が違うかと言いますと、立ち振る舞いやコメントが、

 

 

 

「テレビ向け」

 

 

 

かどうか、という一点で。

 

 

 

 

 

 

 

 

その番組に出ていた70代の方のコメントや振る舞いは、
完全に「テレビでよく見るやつ」。

 

 

例えば…
「◯◯(食材の名前)の声をよーく聞くんですよ〜」とか、
「子育てもそうでしょう〜?」などなど。

(確かにそうなんでしょうけど、どうも、その人が「いつも使っている」言葉には聞こえず。

それに食材の声を聞くって、もはや使い古された表現にも感じるのですよね)

 

 

 

 

食材を混ぜるレポーターに、甲高い声で
「そうそう〜♪上手上手〜♪」と言いながら5本の指をぱあっと広げて、満面の笑みで、
顔の前でパチパチと手を叩く仕草。

 

若い女の子のタレントさんがよくやるのを見ますけど。
(何というか…ちょっとそぐわなく感じたのですよね)

 

 

 

 

 

 

 

 

わたしの中で、70代80代というのは
人生の年輪を重ねた、尊敬すべき「人生の先輩」であり、

酸いも甘いも噛み分けた、なんというか…
しっかりと軸を持って、大地に根を張った大木のような、
というイメージがあり。
(イメージというより願望、期待、願い?)

 

 

 

で、
はたと氣づいてしまったのでした。

 

「そうだよなあ…70代といえば、もはや『テレビの洗礼』真っ盛りの中で育っているわけだもんなあ」

 

と。

 

 

 

 

何がいいか。
何がかっこいいということか。
何が受け入れられるか。
どうあるのが幸せか。

 

物心ついた頃から、それは全部、「テレビが決めてきた世代」の走り。

 

 

 

 

 

 

 

その後、この会を立ち上げた
80代の女性のインタビューがあったのですが、
こちらはもう…低めの声でゆっくりと静かに話されるその感じに、
「自分の芯」から話をされる感じを受け。

きっと、テレビであろうが、誰であろうが、
この佇まいで、この声で、この言葉なんだろうなあと。
(枝振りの良い古木のようなかっこよさを感じたことでした)

 

 

 

 

 

 

 

 

たった10年のことで、
こんなにも違ってくるのか??

 

と。
日本という国の何か、歩んできた道の縮図を見てしまったような氣になったんですが。

 

 

 

 

 

さて。
70代と80代では…と書きましたが、
80代だからいい、90代だからすごい、ということではなく、
若いとダメ、ということでもなく。
多分に「個人差」だよなあと思いつつ。

 

 

 

それでも、ちょっとびっくりしてしまったので書いてみました。
(それに、言葉や所作に関して、わたし自身の「好み」が大いに入っているので悪しからず、なんですが)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちなみに、
わたしがこの場面を見た瞬間、浮かんできた言葉を真正直に書きますと、

 

「ああ、70代もダメだなこりゃ〜」。

 

(誠に誤解を招きそうな言葉です。

「先達だと思ってたのに!」「頼れる先輩だと思ってたのに!」「自分たちと一緒かよ〜」

というショックが言わせた言葉ということで、大目に見てください。
くれぐれも世代ではなく、個人差ですし。わたしの「好み」の話ですし)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて。

 

最近、「これからどんなふうに歳を重ねていくか」。
もみじが紅葉するように、身体も心も、さらに成熟していったその先に。

 

 

 

自分は、どんな姿で立ち続けるか。
立ち続けていられるか。
立ち続けていたいのか。

 

ということを、たまにですが考えるようになりました。

 

若い時にはただ、そこにあるだけで美しい。
溢れる生氣。
細胞から放っておいても発するみずみずしいエネルギー。
若いときは、誰だってそこにいるだけで、目を引く魅力に溢れている。

 

 

 

 

 

 

けれど。
これからますます「ごまかしのきかない」年代に入っていくなあ、と思います。

 

花が落ち、
深い深紅の紅葉のその後、

木の幹、枝…それらがただ厳然と、そこにある。

なんの飾りもなく、否応なしに晒されるとき。

 

そんな時、自分はどんな太さの幹を持ち、どんな枝ぶりでそこに立っているのだろうか。
過ごした時間が作り出した根の形が、幹が、枝ぶりが、
願わくばしっかりと自分の魅力になるような…

 

 

 

 

 

そんな時間を過ごしたいし、そういう姿でありたい、
(し、次の世代の前にそういう姿で立っていたい)
と思うのですれけどね。

 

 

 

 

 

 

 

*  *  *  *  *

 

※これはどこの桜でしたか。
ちょっとすごすぎる例を貼ってしまいました。

 

 

和服の裾からチラリと見える白いふくらはぎなんだ!と彼は黒板を叩いて断言した

 

 

 

 

 

盛りを過ぎていると言われればそれまでだが、 

捨てられないものもある。

 

 

 (と語ってしまうくらいにはあじさい好き)

 

 

 

 

 

 

 *  *  * 

 

 

 「花は満開のときだけを、 

月は雲りがないのだけを見るものであろうか。

いやそうではない。

 

降っている雨に向かって見えない月のことを慕い、 

すだれを垂らして室内にこもり、 

春が移り行くのを知らずにいるのも、 やはりしみじみとして情趣が深い。

 

今にも咲きそうな梢、 

花が散ってしおれている庭などにこそ、 

見るべき価値がたくさんある」

 

 

 

 *  *  * 

 

 

ここまでは、わかる。 

まあそんなこともあるかもなあ〜、 と、思っていた。 

高校の頃の「徒然草」の授業。 

 

 

けれど、こっから先は、「はあ??」 だった。

ポカンだった。

 

 

草むす田舎の高校。 

ジャガイモのような男子に前髪ぱっつんの女子たち。 

多分全員「ポカン」だったことだろう。 

 

 

 

 

*  *  * 

 

 

(徒然草続き)

 

「男女の恋も、 ひたすらに契りを結ぶことだけを情緒があるというのだろうか。

 

 

いやそうではない。 

逢わずに終わった恋の辛さを思い、

はかない逢瀬を嘆き、 

 

長い夜を一人で明かして、 遠く離れた所にいる恋人のことをはるかに思い、 

茅の生い茂った荒れ果てた家で昔の恋を思い出して懐かしむことこそ、

恋愛の情趣を理解すると言えよう」 

 

 

 

 *  *  * 

 

 

 

全く響かないわたしたちを前に、 

ここから先生はどんどん白熱&脱線していき、 

(多分、この「感覚」をわかって欲しかったのだろう) 

 

 

「だいたい最近の女性の服装は見せすぎる」 

「あんなもの、全く風情がない」 

「露出が多ければいいってもんじゃない」 

 

 

そして最後に黒板をどん!と叩いて言った。 いや、断言した。 

 

 

 

「和服の裾からチラッと覗く白いふくらはぎなんだよ! チラリズムだ!それがいいんだ!」

 

 

 

竹刀を持って授業にやってくるめちゃくちゃ怖い先生で、 

16歳にとって、「恐るべき神」のような存在だったが、

 今思えばその時彼は32歳。 

(いろんな意味ですごくないですか) 

 

 

 先生。 あの時先生の世界をわかってあげられなくて。 

「ああ納得!?」 という表情をしてあげられなくてスミマセン。

 

 

 

 

 

 

 今ならまあ、わかっていると思う(多分)。

 枯れゆくアジサイに美を感じられるくらいには大人になった。

 

 

 

 

 

とにかく「循環」が大事。身体も世の中も。

 

 

 

 

年に一度も会うことがないんですが(遠方なので)

その暮らしぶりに、憧れている人がいます。

 

 

 

「きのう今日と2日で数年ぶりに蓮の植え替え。

今日植え替えた2鉢目は細い根だけど芽が出かかっているので

そぉーっと。

アーシングもしつつね」

 

 

と、この写真とともにアップされていたので。

 

 

(可愛い足袋。地下足袋ではないです。着物用の普通の布のものだそう)

 

 

 

 

早速「アーシング」に食いつき、下記のコメントを書きこみました。

 

 

 

「昔の人たちは『わらじ』か『草履』か『下駄』。

生活=そのままアーシング、だったんだよなあと思います。

 

今、手持ちの下駄は、桐で軽いんだけど、裏に滑り止めのゴムが貼ってあるんですよね…。

ゴムじゃない、昔ながらのものが欲しいなあ、と思っているところです。

 

 

 

それからちょっと本筋からずれるんですが、

鹿児島でずっとお座敷芸を今に伝えている方が、

 

 

『自分の社中では、ゴムの裏のついた下駄は絶対に買わない』と。

 

 

理由は『すり減らないから』。

 

すり減らない→下駄がいつまでも持つ→下駄屋さんが回転しない、

からなんだそう。

 

たくさん書かせていただきありがとうございます!」

 

 

 

 

早速に返事が来ました。

 

 

 

 

「公子さん、たくさん書いていただき、ありがとうございます!

 

そうなんです!

生活自体がアーシングだったんです。(自然というか)

ゴム底の靴を履くようになって、

地球と絶縁して、名前の長い病気とかが増えたそうです。

 

 

手作りの布のわらじとかいいですね。

 

そして下駄。そのこと改めて書こうと思っていたとこですよ。

私も下駄が大好きで、それも底にゴムが付いてないやつ。

 

 

そう、減るんです。

斜めにへったりするんでね、左右交互に履いたりしてました。

家の近くだと歯が5㎜くらいになっても履いてました。

もはや下駄に見えない!とにかく気持ちがいいんです。

 

 

ヤフオクとかで台を買って、下駄屋さんで鼻緒をつけてもらってました。

あまりいい客ではなかったな。

 

公子さんのお知り合いの方は下駄屋さんのことをちゃんと考えて、すごいなと思います。

 

自分の健康は自分で守らないと、ね。

 

たくさん読んでいただき、ありがとうございます!笑」

 

 

 

 

 

 

まとめ。

 

 

①大地と「循環」すると、身体が元氣になる。病氣も減る。

(この方いはく『骨密度も上がる』らしいです)

 

 昔は自然素材の履物だったので、歩いているだけで「地球と繋がり」「循環」していた。

 地球と「絶縁」して150年の日本人。

 

 

 

②健全な「循環」によって「文化」「技術」も続く。

 商売も成り立つ。

 

(伊勢神宮の二十年毎の建て替えも一緒ですね。

優れた伝統技術の伝承に大いに一役買っている。

 

いつのことだったか定かではないですが、式年遷宮をせず

 

「コンクリートにすれば長持ちする」

 

と言った政治家がいるそうで。

全くもってそういうことではなく、「次元が違う」話なんですが)

 

 

 

 

 

 

今日は、「循環が大事」の話でした。

 

 

 

 

 

 

《追伸》

アーシングについて、上の知人がこんな動画を送ってくれました。

面白いです。

ご興味ある方はぜひご覧ください。

 

「95%の人間は大地と繋がっていない。

このことは炎症などの疾病の最大の原因です」

ダウン・トゥ・アース

 

 

 

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