「天から降る音」

 

「伊勢神宮展」というものががあって

それで「巫女舞」が見られるというので寄ってみました。

 

 

「浦安の舞」と「悠久の舞」と、あともう一つ。舞われるということで

これは行かねばと。

この日は朝早くからちょっと遠い場所での研修だったので孵ってこれるかな~と心配しつつ。

 

でも、何とか3時の舞に間に合いました。
中村公子のコーチングna日々♪

 

どうして「巫女舞」を観たいと思ったかというと

まあ、もともとこういうもの全般が好きなこともあるのですが

「懐かしい」とうのもあったのです。

 

 

わたしは、この舞のうち「浦安の舞」を舞うことが出来ます。

と、いいますか、「かつて舞うことが出来ました」。

 

昔、結婚式の仕事をしていたんですが

勤めていたプロデュース会社では

結婚式当日はいつも、スタッフ全員で役割を分担していました。

 

その日の総指揮をとるものが一人。

これは、半年から1年かえて、着々と新郎新婦と共にその日に向けて準備をしてきた担当者がやります。

ずっとともに準備してきたその集大成の一日なわけですから

担当者にとっても想いひとしおの一日となります。

 

そして、他のメンバーは

新郎新婦付き(花嫁のアテンド)その他のスタッフとして、式と披露宴の運営の実行部隊となる

というわけです。

 

さて、その役割の中に

「巫女」というのが、ありました。

神前挙式の際の、あの巫女さんです。

 

式の最後に

ご両家の末永いご多幸を祈念して「巫女が舞を奉納する」ことになっていました。

今でも思い出します。

青空の下

朱色の袴と白いちはやの袖がふわりと動くさまは

観ていていつもほんとう心がひきしまり、また華やぐものでした。

 

このときの舞が「浦安の舞」だったのです。

スタッフみんなで神社まで研修に行き、一生懸命特訓したものでした。

中村公子のコーチングna日々♪

 

さて
この日も

雅楽の生演奏で、たくさんの美しい楽器が姿をそろえていました。
そして、舞が始まり

はじめは「ああ、懐かしいな…」と思ってみていたんですが

 

そのうち、なぜか「得体の知れない涙」が…。

(我ながらびっくり)

 

「そんなに懐かしいのかな」

 

と思ったんですが

どうもそうでもないんです。

「音」なんです。

音が「細胞に染みる」。

 

笙の音が空中にわあ~っと広がって

舞を舞う4人の巫女さんの頭上にひかりの柱が立ち上っているような

そんなふうにわたしには見えました。

笙・篳篥・竜笛…それぞれの音が共鳴して、天井の高い屋外ドーム全体に広がって

言葉ではいえないんですがとても心地よいのです。

 

 

確かに「懐かしい」。

そう

この「懐かしい」をあえて言葉で狂言すると

「もっともっと昔から、この感じを知っていた」とでもいうような…
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民族のDNAを揺さぶられるような懐かしさ、とでもいいましょうか。

 

舞の合間に

楽士さんたちが説明をしてくださいました。

 

篳篥は人の声

竜笛は天と地の間、空を飛び回る龍

笙は天の音

 

天と、地と、それをつなぐ中空が表現されている。

 

きっと

太古の昔、わたしたち日本人は

特別なことでなく、こうして心をこめて、感謝をこめて、目に見えるもの、見えないものへ

舞をささげていたんでしょうね。日常の行為として。

歌を歌い、舞い、自然と遊び、喜ぶのがとても上手な民族だった気がします。

 

さて

舞が終わってから早速

「鹿児島雅楽同好会」の方に(会場にいらしたのです。神主さまでした)

「普通の人も習えますか?」とお尋ねしてみたことでした。

 

もし、習い始めましたら

また報告させていただきます。

 

 

「ビブリオバトル」準備中

以前も書きましたが

昨年から「人間関係論」のタイトルでコミュニケーションについて共に学んできた

専門学校の90名の若い方々との時間も佳境に入り

ついに試験を残すのみとなりました。

日々の大人の方々の研修とはまた違った彼らとの時間は

驚きあり、怒りあり(?)、感動あり、の新鮮な時間でした。

さて

試験のテーマは「想いを伝える」

課題は「プレゼンテーション」

この3か月で学んだことを総合的に頭と体のすべてを使って表現してもらいます。

形式は、ビブリオバトルの形をとることとしました。

『ビブリオバトル(知的書評合戦)』

(詳しくはコチラ)

薦めたい本を持ち寄り、5分間で各自その本についてプレゼンテーション。

その後「どの本を一番読みたいと思ったか」を軸に

みんなで「チャンプ本」を決める、というゲームのような楽しい書評合戦。

今回この形でプレゼンを行う理由は二つ。

一つは、とにかく「自分の想い」を人にしっかりと、そして熱く伝えるという体験を

(しかもフォーマルな場で、フォーマルな形で)

全員に体験してほしい、ということ。

どんな場でも、(たとえば面接ですとか)

最後に人の心を動かすものは何なのか。

それは、準備された巧みな答えや言葉ではなく、その言葉や、立っている姿からあふれ出てくる

その人の「あり方」や「その人の想い」そのものである、と思っているわけで

プレゼンの「巧拙」はおいておき

全員にそのように「想いを語る」体験をしてほしかったのですね。

そんな自分の言葉で人が動いた、場が動いた体験をもしすることができたら

それは…その感動は、そして快感は、どれだけ彼らを勇気づけ

彼らの人生を切り開く「「生きる糧」になるだろう、と思うのです。

そして、もう一つは「本を通して、人を知ってほしい」ということ。

「自分はこんな本が好きなんだ!」とみんなに言う、ということは

もうイコールこれは

「わたしはこんな人間です。こんなことが大切で、こんなことにココロ震わせて生きてるんです!」

と言っているのと同じ。

この3か月

「人の多様性」「人はそれぞれいかに違うのか」ということについても

体験してきた彼らなのですが

この、試験の場を通して、彼らはそれを再確認する場となるのではないかと。

自分と全く違うものを「大切にして」生きている

すぐ隣の仲間たちを、あらためて見つめなおす機会にもなればいいなと

そんなさまざまなことを思っています。

さて

彼らばかりに「やれ!」というのはなんですので

私もデモンストレーションをかねて、彼らの前でやってみました。5分間のプレゼン。

今回は「マンガも可」ということにしていますので

マンガを一冊、小説を一冊、やってみました。

中村公子のコーチングna日々♪

マンガはこれ。

萩尾望都の「11人いる!」

1979年年版

1994年版

そして2007年版

3冊持っています。

ということは、よっぽど好きなんでしょう

(我ながら)

まあ、

短編なので話しやすいというのもあるんですけれど。

こちらのほうは5分を知らせるベルとともにとてもかっこよく

幕が下りるように終了。

場内から自然と拍手が。

小説はこちら。
中村公子のコーチングna日々♪ 木内昇「新選組 幕末の青嵐」

2004年初版本のほうは、装丁、活字の形と

すべてがお気に入りの本です。

とても紙質が薄い本なので

痛まないように

いつもは2009年発行の文庫本のほうを読んでいます。

ちょうど、1月に木内さんが直木賞を受賞なさったので

それもあって、選んでみました。

(この本は、木内さんの処女作なのです)

こちらは

はじめから予想していたのですが

5分15秒。

見事オーバーして終了。

何度練習しても5分におさまらなかったので

仕方ないなあ…と思いながら

臨んだプレゼンとなりました。

さて

結果はともあれ

わたしも彼らに「がっつりと」好きな本で挑んでみました。

(それに伴うさまざまな感情も…気はずかしい、とかもろもろ、も感じつつ)

あとは

彼らがどれだけ自らをある意味「解放」してくれるのか

一週間後が待ち遠しいところです。

それはとりもなおさず

わたし自身がこの3か月で、どれだけ「場」をつくることができたのか

変化を起こすことができたのか、の
結論ともなるわけです。

「場数とセンス」

古くからの友の家で

なんとはなしに過ごしているとお昼時になり

彼女が

「ごはんが残ってる~」

「夕べの残りのミートソースがあるなあ・・・」

冷蔵庫をごそごそやりながら

昼食の算段をするのをぼんやりと眺めていました。

「それでい~い?」

「何でもいい~」(もう、ご飯にありつけるだけで幸せでございます)

中村公子のコーチングna日々♪

という会話の10数分後

出てきたのが右のお昼。

ご飯を炒め、塩コショウとバジルペーストで味付け。

その上にミートソースとチーズをかけ

オーブンでこんがり♪

さらにバジルを散らして味をぴりっと引き締めた一品。

これがとても、おいしい。

彼女とはながい付き合いですが

彼女の手から生み出されるものがおいしくなかったことは

一度もないのです。

残った冷たいご飯。

大根のきれはし。

おつまみチーズのあまりもの。

そんなものが、彼女の手にかかっていつも、すばらしいご馳走に変身して(しかも短時間で!)蘇ってくるのを

何度もこれまで見てきました。

わたしにはとてもできないことです。

彼女の頭の中と、体には、食材や料理に関するたくさんの「経験値」が蓄えられているのでしょう。

彼女は昔から料理が好きでした。

そういえば高校の頃
中村公子のコーチングna日々♪

彼女の家で泊りがけのパーティーをやったのですが

彼女が買い揃えていたパーティー用の豪華な食器の数々を

目にして

その華やいだ雰囲気にみんなで大いに盛り上がったものでした。

好きこそものの・・・で

料理のセンスや想いはその頃から群を抜いて、さえていた彼女。

(彼女が持っていたパンチボウルとグラスのセット

〈こんなかんじ〉)→

「場数とセンスだねえ・・・」

お昼をいただきながらしみじみと感嘆を声に出すわたし。

「わたしの仕事も、こうでなくっちゃね」

「仕事はなんでもそうだよね~」

「だよね」

たくさんの「素材」をあつめ、チョイスし、それでもって「一つの世界」をつくり

そこにお客様をいざなうのがわたしの仕事です。

使う素材は他者と同じであっても

それをまとめ、どういう料理に仕上げるかはわたしの腕ひとつ。

わたしにしか出せない色、味があり

そこにこそ、わたしの存在理由がある。

彼女と話しながら

かつてウエディングプロデューサーをしていたときに

当時はやりはじめていた「人前式」の式次第を

他の会場さんも取り入れていましたが

同じ「式次第」でも、それを実際運用し演出し、当日進行する人間の「腕前」によって

まったく「似て非なるもの」になっていたことを思い出していました。

100人で一列に並んで

「大根の切れ端と残りご飯と、ちょっとこげた夕べのミートソース」で料理を作れといわれたときに

それを使って最高のものをつくってやる。

誰にもマネはできない。

させやしない。

そんな仕事をしよう、と

彼女を見ながら思ったことでした。

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