「今日までなんです」

 
 

今日は9月30日。
今朝のスタバ。三条大橋のたもとにあります。

この景色を見ながら仕事をするのは
なんというか、とにかく気持ちがいい。

こちらにきて
あちこちで聞かれるのが
「今日までなんです」
のセリフ。

このスターバックスは、鴨川の河原に大きくテラス(納涼床)が張り出しています。
で、朝からめがけてやってきたんですが
テラスは11時半オープン
なおかつ

「今日までなんです」
(と、店員さんのすまなそうな顔)

古都京都も
いっせいに、季節が変わろうとしているようです。

「親になってゆく」

 

冬に、ブログをご覧下さったみなさまからも
多くの祝福をいただきました我が弟の婚礼。
その弟に赤ちゃんが生まれ、先日、お祝いの席に行ってきました。

ベビーベッドに眠る全長49センチの物体。
おなかを上下させながらの寝姿もうるわしく。
あ~、やっぱり赤ちゃんはほんとうに健やかな腹式呼吸だな、と
そんなことを見てしまいます。
これでわたしを「おばちゃん」と呼ぶ人が6人になりました。
それにしても…

目の前の赤ん坊を見るにつけ、不思議な気持ちになるのは
弟が赤ん坊を抱いているというその事実。
ほんの少し前、ベッドにこうやって、小さな手をバンザイさせてくーくーと寝ていたのは
あんただったはずなのに、と
年の離れた弟の誕生の場面を思い出していたのでした。

「俺もまだ、二回くらいしか会ってないんだ~♪」
と、目じりを下げながら
まるで壊れ物でも抱くかのように
不器用に、赤ちゃんを掴んで抱える弟のその手つきを見ながら
…漬物石じゃないんだからさ、と心の中で突っ込みをいれてみます。

それにしても。
赤ちゃんとは、ほんとうに無垢なものですね。
その反応の良い体。
生きるためのシンプルな(動物としての?)ものの他は
まだ、何もよけいなプログラミングがされていない。
この感じを何と表現したらいいのでしょう。
無垢、純、素…言葉が出ません。
やっぱりしっくりくるのは、天使?

こわごわと赤ちゃんを腕に乗せる弟の姿を見ながら
「人は親になってゆく」のだな、としみじみと思いました。
まだ、弟は「親」ではない。
(生物学的には親ですが)
この、出会ったばかりの2個の生命体が
これからお互い響きあい、切磋琢磨しあい
そして弟は「親」になってゆく。

この二人の姿を見て
そして思いました。

「世の中のお父さん、お母さん・・・無理するな。自分を責めるな」

と。

未知の世界との初めての「出会い」を前に
おずおずと、その輝く命と魂の圧倒的な存在に手を伸ばす弟の姿。
そこにあるのは
かすかな怖れ。
そしてそれをはるかに凌駕する喜び。
この喜びの奔流に導かれ、弟は今、親としての「新しい旅」の一歩を踏み出そうとしています。
それは、本当に大きな旅だと思うのです。
この世で最も大きなプロジェクトへの出帆、ということもできるでしょう。
地図も何もない。

世のお父さん、お母さんたちは
その旅を日々、歩いている、ということだけでもすごい気がしたのでした。
うまくいかないこともたまにはあるでしょう。
でも
どうか自分を責めないで。
だって、はじめてなんだから。
歩いて初めてわかるのだから。
完璧な「親」なんていない。
小さな小さな一日一日を経て、人は自分らしく親に「なってゆく」しかないのだから。

仕事の場で出会う
そしてまた、身近にいる幾人かのお母さんがたを思い出しながら
そう、あらためて伝えたい気分になったのでした。

そして
もうひとつ。
願わくば、こどもに「美しいもの」を体験させてあげてください。
見せてあげてください、と。
禁止の「枠」を伝えるよりも。

禁止の「枠」を子どもに伝えれば伝えるほど、子どもの体は委縮します。固まります。
赤ちゃんのような、この、自由な体ではなくなります。
イコール、心も委縮します。

それよりも「どのようなものがよりよく、美しいのか」を。
行くべき方向、望ましい方向を見せるだけでいいのです。
世の中に美しいものは溢れています。
美しい景色、音楽、絵、言葉、そして、礼儀、作法。
さらに、美しく生きた人々のお話。
魂を震わせる感動があふれています。
それを、親と一緒に味わい、楽しみ、喜ぶ。
それでいい。

この、赤ちゃんの無垢な体にはそれがふさわしい。
この柔らかい体を、美しいものへの感動と繊細な感受性でいっぱいに満たしてあげてほしい、

そう心から思いました。

「半沢直樹の『体』」

金曜日

大阪の知人からこんなメールが届きました。

「ただ今東京です!

明日からのアジアマスターズ柔道大会に出るためで

先ほど計量はパスしました!

計量終わって、達成感に包まれています(笑)」

そうそう

この知人はなんだか、柔道がすごいんですよね。

(詳細は覚えていないのですが)

春に出会った時の「飲み会」で、本筋の他にその話でも盛り上がっていたのでした。

メールを見て、いいなあ~、と思いました。

自分の体の中に

ゆるぎない「技」が染みこみ、組み込まれているんだろうな。

仕事やプライベートとは別に

その「技」を存分に発揮できるこういう世界を持っているのがとてもうらやましい。

頭を介さず、自分の体の存在を直に感じて

対話できる時間を生活の中で持っている。

しかも、この方のようなレベルになると、それはとても質のいいものなんでしょう。

自分の体への信頼や万能感を存分に体感できる時間。

そんな体験をずっと人生の中でキープしていることが

とてもすごい。

こういう時間って

生きていくうえでとても大切なところだと思うのですよね。

こういう感覚がある人は、日々の生活の中で何があっても

根っこのところでぶれない。ちゃんと立っていられる気がします。

簡単に言うと

踏ん張れる体を持っている人は心も踏ん張れる。

腰が据わっている人は心もぶれにくい。

半沢直樹。

昨日最終回でしたけれど

剣道のシーンを見ながら

全編を通して貫かれている

半沢の鋼のようにしなやかな強靭なあり方は、

彼のあの「身体のあり方」と無関係ではないのではないか

とふと思いました。

彼の体自体が「筋を通す」「まっすぐである」「あきらめない」という体験を

しっかりと知っている。

(そうすると、同じく剣道をやっていながら、あの同僚の「近藤さん」の心の弱さはどうなんだ?

ということになりますが、そこはドラマなのでまあ…)

体の状態と心の状態は密接に関わっている、というお話です。

「コミュニケーション」という観点から多くの人を見て思うことですが

体が硬い人、固まっている人で「コミュニケーション上手」って

いないですし。

先のわたしの知人のように

スポーツをやっている人は、そのスポーツへの知識ももちろん大切なのでしょうが

体に刻み込まれた「モノ」こそが

最後はどんなときでも彼を導き、助けているのだろうな、と思います。

プロとアマの境はそのあたりにある気もします。

試合に臨み

いつも平常心でいられるときばかりではないでしょう。

そんな中、心がどんな状況であっても

体に深く刻みこまれた「ゆるがぬもの」がハイパフォーマンスができる状態に

すぐに戻してくれる。

即、連れて行ってくれる。つなげてくれる。

それがいつも、正確にできるのがプロなんだろうなと。

それは

わたしたちでも同じなのでしょう。日々の生活の場面において

わたしたちを導いてくれる「体の状態」「体に刻まれた、体の知恵」を

持っているほどよい。

そして、それは何か特殊な動きや訓練をするということではないのです。

話が戻りますが

先日の斉藤孝講演会で「子供の反応が鈍かった」と書きましたが

そこで見た光景にとどまらず

子供・若者たちの体からそういったものが抜け落ちているように感じます。

「まっすぐに座れない」

「腰を立てていられない」

他にも

「リズムに乗れない」

「足腰がふらつく」

などなど…。

セミナーで、ちょっとしたコミュニケーションに関するゲームをするとすぐにわかります。

拍手を合わせられない若者

押し相撲が上手に出来ない若者

今までどんな生活をしてきたの??

と言いたくなることがたまに。

これらは体だけの問題ではありません。

体と心はイコール。表現力、コミュニケーション力などと直結してきます。

そして、体の知恵は生きるための知恵。

これから長い人生を彼らが生きていくうえでの「心の在り方」を支える根っこの

「身体体験」がない、ということが

どれだけ脆弱なものであることか。

口で100万遍

「頑張れ」「もっと粘り強く」などなど子供に言っても。

「団結」「調和」「共鳴」の大切さを言っても。

それを「体が」体験し、体がそれが「どんな感覚なのか」を知っていない限り

頭で想像したものでしかない。

先週金は、月一の若者セミナー。

たった3時間という短い時間のセミナーでも

「体」を変えると、若者たちは面白いくらいに変わります。

体が動きだす。

そして、心が動き出す。精神が活発に動き出す。

場が熱を帯び

創造のエネルギーをぐん、と出し始めます。

それを見ているとただただ

「ああ、これまで機会がなかったんだな」

「眠っていただけだったんだな。(冷凍マンモスみたい)」

「きっと、待っていたんだな」

と思うのです。

解き放たれた彼らの体の細胞にひとつひとつが

表現の、創造の喜びを歌い上げているのを感じるのです。

短い時間の中でその状態を「なんとか、体に刻みつけられたら」と思います。

たった3時間の出会いの中の体験ではあるけれど

それでもこれから彼らが落ち込んだ時

今日の、この体の感覚を、状態を思い出してくれたらと。

きっと、彼らの軌道を変え

心を上向かせるための「体の記憶」にきっとなってくれるのではないかと。

まとまりませんが

今日はこんなところで。

今日はこれから、まったく負のプログラムの組み込まれていない「純な体」を見てきます。

(赤ちゃんということです)

「鹿児島の子どもは体が眠ってる?~斎藤孝講演会」

この講演会は
子どものためのもので
参加は「小学校3年生~6年生の子どもとその保護者」。

テーマは
「人間関係をつくるコミュニケーションン」。
約300人くらいの子どもがホール前部に座り、ワークショップに参加する。
保護者は後方の席でそれを見守ります。
おかげで、1時間半で
どのように場が変わり、高揚し、子どもの集団が
どのように変わっていくかをつぶさに目と耳と、そして体で体験することができました。

斎藤孝さんの身体論の本、日本語の本…
よく読んでいるんですが
そこにかかれている「場をつくる」「気を読み、自在にコントロールする」体
そのものを持っているらしい人が作るのは、いったいどんな場なのか?
否応なしに期待は高まります。

さて
舞台に現れた斎藤さんは…
しょっぱなからとにかく体の力が「抜けて」いました。
やわらかく背中を丸めて、はずむゴムまりのように舞台に現れた斎藤さん。
黒いTシャツにあれはたぶんスーツのズボンなんでしょう。
Tシャツに大きく書かれた「敬天愛人」の文字に
なんだかはなっからちょっとやられたような気分になってしまいます。
「あ、ズルい~」という感じでしょうか。

さて
講演やセミナー、ワークショップの際
まず、場を温めることをするわけですが
(落語の「まくら」の部分に相当します。参加者の気持ちをぐっとひきつけ、開く。
「聞いちゃおうかな」「参加しちゃおうかな」という状態をつくるわけですね)
これが…速い!
なに、この速さ?
多分、演台に到着してからから第一声でそれが終わっている。
(ように感じました)
うへ~。

鍛えられている。
やはり、徹底的に鍛えられている。
毎日、山ほどの学生さんを相手に様々な広さ、人数の場所で授業を続け
しかも、そこで
「いかに全員を参加させるか」
「すべての人間をいかにさぼらせないか」
(どんなに広い場所で、どんなに大人数であってもです)

それを
「体」「言葉」「気」といった部分から
(これが相対的に働いてなされる自身と他者への働きかけを
総じて「コミュニケーション」というわけですが)
あくなき探求を続けてきた方だな、と感じました。

この日の講演会(というより、ワークショップ)のポイントは
ずばり
「体を動かす」であった、と思います。
ご本人もおっしゃっていましたが

「コミュニケーション力は卓球やテニスや…スポーツと同じ。『技』」

なので、徹底的に体をう動かして
体に刻み込んでしまうことが必要だ、ということ。
また、
「体が眠っている、固まっている」ところに
どんないいことを伝えても、どんな活動をさせても効果は出ない!と斎藤さんが
心で叫んでいることも、
やってることからビンビンと伝わってくる。

「はい、その場でジャンプして!」
「はい、読みます!」
(弁天小僧のセリフ、早口言葉、じゅげむ…)
「はい、復唱!」

300人を相手にこの繰り返し。
ものすごいリズムとテンポで
場をがんがん作っていく斎藤さん。

ホール、作り付けの椅子という制限のある空間などどこ吹く風。
あくまでも自由に、体形を変えながらダイナミックに「斎藤ワールド」は
あれよあれよという間に展開して行きます。
斎藤さんが、いかに子どもたちの細胞を揺り動かし、その中に単なる「知識」ではない
本当の、生きた「体の知恵」として
子どもたちの中に刻み込もうとしているかが
伝わってくる。

「みんな、三年生より上でしょ?これくらいできて当たり前。なんでできないの?」

子どもを子どもとして、いい意味で扱わず
当然のごとく「出来る」」という前提のもと
「やるように」要求をしていることも印象に残りました。
ああ、この人、ぜったいあきらめないんだな。

1時間半で
「世の中で大切なことは『アイデア』を出せること」

というテーマでブレストまでやって、場は終わりました。
ふう~。

終了後
長蛇の列。わたしも、どうしても確かめたいことがあって
めったにないことながら、その長蛇の列の後ろに並びました。
時間が過ぎて、最後から二番目。
やっと番が回ってき。
他のみなさんは、サインと記念撮影を斎藤さんにお願いしてましたが
わたしは限られた時間で、一番確かめたかったことをお願い。

「ハグ、いいですか?体、触らせてください」

するり、OKでした。
思ったより「漲る体」をしてらしゃる、というのが印象。

さて
この時間でひとつ、気になったことが。
それは

「子どもたちの反応が遅い」

ということです。子どもって、こんなだっけ??
なんというか、まったり、まだるっこしい。
斎藤さんも何回もダメだし、やり直しをさせてましたっけ。
水面に投げた石の波紋が、普通はさああっ…と広がって行くんですが
もたもたしながら、どんどんなくなって、最後はどこに行ったかわからなくなる、
とそういう感覚です。

「鹿児島の教育の、まさに弊害が出ていたね」

そうおっしゃったのは
終了後、ロビーでばったり出会った
知り合いの大学の先生。

その一言に
体感的に妙に納得した自分がいたのでした。
このあたり、もう少し調べてみたいと思っているところです。

関連記事:9月14日UP 「教員はパフォーマー」

「教員はパフォーマー」

思えば
学生の時、いちおう教員になるための勉強をしたわけですが
「どうやって、どのように人前に立つか」という講義はなかったのですよね。
一度も。

「何を教えるか」
の勉強は(いちおう)ありましたが。
「どう伝えるか」はなかった、ということです。
今はどうなんでしょう。
あるのでしょうか。

わたしが教員であった頃
「どのように」生徒の前に立つか、
つまり、学ぶという「場の空気」をどのように創るか、という「言葉では表現しづらい」
しかし、最も大切なことは完全に

「個人芸」「見よう見まね」「なんとなく」

という「経験値」の世界でした。
ですから、「場の空気」を作って
ぐ~っと、はじめの数分で生徒の心をひきつけ、場を温め
生徒のレセプターをぐいっと開き
「学び、吸収する」という生徒の頭と体の状態をつくる、ということが
体感的にできるセンスをもともと持った先生はいいんですが
そうでない先生は
はっきりと「差」が生まれる、という現象が起きていたように感じます。

目の前に40人の子どもがいるのに
1メートル圏内くらいにしか届かない意識の輪の中で黙々としゃべる方ですとか。
無駄に声が大きくて
(話し手の意識自体が荒く拡散していて、細かく配れていないということ)
生徒の頭の上を言葉が一緒くたになって、だーっと滑って行く方とか。

どちらも「一人一人の子ども」の発する、リアルな瞬間瞬間の状態を察知できない、という
残念なセンサー、ということかと。

前々回の記事
「勝負の決め手はプレゼンだった」
にも通じるところなのですが
言っている内容に加えて
特に子どもの場合、場の波動がダイナミックに動いていたほうがより染み込みやすい。
静と動、発散と収束。

それらを効果的に演出するには、その場をつくる者の「開いた体」が必要です。
場の状況を瞬時にとらえるセンサー(五感)
とらえた状況を、生徒の状態に応じて臨機応変に変形させることができる瞬発力が必要。
声の出し方、表情などなど…表現力の練磨はいわずもがな。
魅了する場、をつくるためには必須の項目。

と、いうようなことを
数日前のセッションで、クライアントさんと話していました。
日々20代の若者相手に奮闘なさっている仕事の方なのですが。その方が次のようなことを語ってくださいました。

「最近、テレビで女優の高畑なんとかさんが話していたんですが
保護者参加型の授業参観の時に、自分が『先生、わかりません!』とか
どんどん発言するものだから、息子さんが嫌がっていた、と。
高畑さんいはく、
『先生も、自分と同じ、パフォーマーのはずなのに、授業が面白くない。残念だ』と」

言葉は違ったと思うのですが
上記のような感じの内容でした。

「先生はパフォーマー」

なんとステキな言葉だろう、と思いました。
そう定義した瞬間に、何をしなければならないのか、何をすべきなのか、の認識が
ガラリと変わります。

「自分はパフォーマー」。
そう、先生が意識したら、「教える」という行為はもっともっと
なんというか…平面的でない、すごいものになりそうです。
教職課程に「大道芸パフォーマンス」体験など
入れてもいいんじゃないかな、
絶対鍛えられるのに

とその方と話しながら本気で思ったのでした。

さて
というようなことに関するセミナーをやらないか、という話が出ています。

遥か昔、教員になりたての頃初めて生徒の前に立ったときに、
学校で習ったことがなにも役に立たないことに愕然としたあの日(笑)。
 (あくまでも、私の場合ですので念のため)

実習とは違い
自由奔放に、本気で向かってくる固まり。細胞分裂の「バチバチっ」という音まで聞こえてきそうな漲るエネルギーの集団という「うごめく生き物」の前に
自分の無力さを感じたあの日。

しょうもない授業もたくさんしつつ少しづつ、
彼らからもらったたくさんのギフトの上に多くの体験を積み重ね
今、「伝える」ことを専門の仕事としています。
 

時はたち
今思うのは
 今の自分に見えること、感じること、わかることを伝えかえしてみることが彼らへの何よりの恩返しかなあということなのです。

日本人は「ともに」の民族ーお宮参りと婚礼と

 

日本中がオリンピック招致決定に沸いた8日。

 

朝5時の生中継を、いつにない、がっつりメイクの顔で見つめていました。
日本中の皆さんとその瞬間を喜び、
もう一つの慶びの席へ出発。

この日は、クライアントさんの婚礼という晴れの門出に
お招きいただいたのでした。

くれぐれも失礼がないように、
そして、心からのお祝いを表したいと、
着ていく衣装選びや、晴れがましくもお声掛けいただいたスピーチの準備と、
それまでの時間もとても楽しみながら迎えた当日。

9月に入っているけど鹿児島はまだまだ暑い。
紗の一つ紋の色無地でいいだろう。
礼装用の夏帯は持っていないので、この際だから帯のみ新調。
帯の柄は…悩みます。

いつもなら、少し抑えた色、柄のものを選ぶけど、
今回は吉祥紋がしっかりと織られた、華やかな絽の帯を選びました。
とにかく、すべてを総動員してお二人の門出の「場」を祝いたい、という思いがあり。

 

好みよりも、その場にいる「景色」の一つとして、祝いの力をより持ったものを選ぼうと。
(文様ひとつとっても、意味と力があるわけで)

…とまあ、詳しくないなりに考えて考えて、選んでいく
プロセスの楽しかったこと。

 

当日
鶴の柄の白無垢に身を包んだ花嫁さん。
もう、それはそれは美しくて!

新郎新婦を囲んでの記念撮影の後
神殿にての挙式となりました。

ここの神宮は、オープンペースといいますか、
自由に、誰でも間近で挙式を見ることができます。
ちょっと能舞台に似ている感じの神殿です。

厳かに式が進む中、多くの方がお参りがてらやって来ます。
みなさん、挙式をしているとわかると、
お子さんに「しーっ」と声をかけ、そっーとお参り。

「きれいね~」

「花嫁さんだね~」

 

と言いながら
見守ってゆかれる。

この日、境内には、
お宮参りの赤ちゃんもたくさん。
初々しいお母さんとお父さん。
そして新しい、萌える命をしかと懐に抱いて、誇らしげなおばあちゃんの姿もかっこいい。
もう、みんなきらきら光っている感じです。

「うわ~、神様、喜んでいらっしゃるだろうな」

と、ふと、そんなことを思いました。

この世に命が生まれたことを神様に報告し、ご加護を願う人々。
成長し、ただ一人の人と巡り合い、

新しい縁をつなぐことを神様に報告する人々。

人生のいろいろな場面がそこにあって、
それらをそこにいる人たちがともに祝っている。
とても自然に。
みんな一緒に。
かみさまのもとに集いながら。

「日本人の命の営み」

そんな言葉がふと、浮かんできました。

日頃は意識することはありませんが
わたしたちのDNAの中にきっと、しっかりと刷り込まれているのでしょう。
そんな気がしました。
何が、かといいますと

「ともに」

という感覚、でしょうか。

人とのつながり
命のつながり
そして
かみさま(といいますか、見えない大きな何か、を随所に見、それを信じるという心)とのつながり

いつもは忘れてしまっていますが
わたしたちは、自分たちで思うよりずっと
そういったものと密接にかかわり
そして助けられて生きているのでしょう。

目にはみえないけれど
わたしたち日本人を根っ子の根っこでつないでいる

 

 

「何か」。

それを

この日、全身で浸る幸せな感じとともに

味わったように思いました。

 

「父親とはなかなかにめんどうくさいものらしい」

確かに。
確かに8月26日くらいまで
地獄のように暑かったはずなのですが。

3日間の雷
1日間の暴風雨
さらに深夜の台風通過を経て
昨日からの鹿児島は蒼天心地よい秋を迎えています。
過ごしやすくて本当にありがたいのですが
窓辺に下げた風鈴の音色が
もう似合わなくなってきているのが少し寂しい。

先月から、秋の研修のお打合せであっちこっちと出かけています。
そのお打合せで、今日あった出来事少し。

その方の名刺をいただいたときに
「おっ…」と思いました。
このお名前、かっこいい。
と、いいますか、わたしの年代ならば、つい思い出してしまうんじゃないか、という
ある有名なアニメの登場人物と同じお名前だったのです。
自然、自己紹介を兼ねて
お互いの「名前談義」がはじまりました。

「このお名前…小さいころ友達に突っ込まれたりしませんでしたか」
「しました」
と責任者さま。男性です。そりゃそうだろうなあ。
この名前の小学生って、なんだか渋いもの。なかなかに頑固なお名前です。

お聞きしてよいのかな…と思いつつ、湧き上がる好奇心には勝てず
聞いてみました。

「あの…お父様はどのようなお気持ちでこのお名前をお付けになったんでしょう」

すると満面の笑みで
「なんでも、父自身がそう生きたいと思ったらしく、つまり、あてつけみたいなもんですよ」
と。
「あてつけなんて…お父様の願い、なんですね~」
そう頭をよぎった思いを口にしつつ。

間をおかず
「先生のお名前はどのような由来なんですか?」
と聞いてくださり、お、来た、と思いつつ
いつもの軽い戸惑いが。
由来を聞いたことがないのです。
覚えているのは父(だったかもうろ覚え)のこの一言。

「近所に、そういう名前の人がいたんだよ」

仕方ないので、「…ってことらしいんですよ」
と話しました。
すると、その方がおっしゃったのです。
「いやいや、それは、お父様なりの愛ですよ。
本当は、たくさんの思いを込めておつけになったはずです」

予期せぬ言葉、それも即答に正直少し驚きました。
「あの~、失礼ですがどうしてわかるの?」
とつい突っ込みたくなったくらい。

その方は、こう話してくださいました。

「私にも娘がいるんですが
『お父さん、わたしが生まれたとき嬉しかった?』なんて聞かれると
もう、何だか素直にうんと言えなくて…
つい『橋の下で拾ったんだ』なんて言っちゃうんですよね~」

ええ?!それ、ひどい。
ひどいけれど…ああ、そうなのか。

「もう、名前の由来とか…
お前を愛してるとか大切だとか…何だか言えないんですよね~」

と、お話しになる
その表情はとても優しく。
その笑顔を見ながら、ちょっと大げさなんですが
自分の中で何かががらがらと音を立てて分解してゆくのを感じました。
「謎がやっと解けた」という感じ。「つながった」という感じ。
「そこか!」という感じ。

ああ、そうなのか。そうだったのか。
父親というものは、そういう人種なのか。
…なんて、めんどうくさい。

ずっと、ずーっと
「近所に同じ名前の人がいた」というわが名前の由来を信じていました。
変な由来だなと思いつつ。
そしてそのことを、
心の中にかすかな「ひっかかり」として
自分が思うよりもずっと大切に
とどめていたようです。

…冗談だったんですか。あれ。

胸の奥の奥。
自分でも忘れていた
気づかないくらいの小さな箱の扉が開いて
中にあったものが
ふわっと空へ上っていくような。
長い間の宿題がやっと終わったかのような。
そんな不思議な感覚を味わいました。

自分の中の思いが、一つ終わり
やっと空に昇ってゆく。

「面倒くさいですよ、お父さん、ホント」
打ち合わせが終わり、社屋の外で見上げた空。
あまりにも高くて綺麗なので
そうつぶやきたくなりました。
23年もたってやっと解けるパズルを用意しておくなんて。

「やっとわかったか」
そう言って、あの子どもみたいな独特の笑顔で笑っている
父の顔が、秋空の彼方
久しぶりに思い出せた気もしたのでした。

アーカイブ
Copyright © Communication Works All Rights Reserved.