知人よりキャンドルをいただきまして。
香りがとても良いのです。
夜に火をつけると、その大ぶりなオレンジ色の体からゆらゆらと上る炎が
なんとも気持ちを落ち着かせます。
で
そのお礼もかねて
その方のお誕生日も近かったので
わたしも何かお送りしたくなり買い物に出かけました。
立ち寄った数件目の店で
吸い寄せられるように目に入ったのは
「クレヨン」。
太いクレヨンが、色とりどりに缶ケースに入って楽しそうに(と見えた)
並んでいます。
日本のものではなく、ドイツかどこか?のものだったような。
「うわ~。なつかしい」
瞬間、あの、クレヨンを紙にぎゅっとおしつけたときの「ぬりっ」という感触と
独特の香りがよみがえってきました。
どこまでもどこまでも伸びていく
太いクレヨンの線。
小学校2年の時にかいた「虫歯予防ポスター」が
ものすごく褒められたんですよね。
みんなの前で先生から「この絵はどこが素敵か」という解説までしてもらい
賞をもらって、長いこと、校内に貼ってありましたっけ。
クレヨンと水彩で描いたんですが
自分の中からあふれてくるものを一気に描きあげたあの感覚を
今でも思い出すことができます。
体の中から自然にいろんなアイデアがあふれてきて、もう楽しくて楽しくて…止まらなかった。
体の中で脈打つ「何か」を
何らかの形で表現せずにはいられない、表出せずにはいられない
そんな感覚。
が
それからしばらくたって
ふと、以前のようには「描けなく」なっている自分に気がつきました。
鉛筆の線は小さく、硬くまとまり、伸びやかさのかけらもなく。
消しゴムの後だけが残り、
何分たっても四分の一も埋まらない白い紙の空白。
子どもながらに愕然としました。
もう、体の中にあの「リズム」を感じなくなっていることに気づいたのです。
代わりに聞こえてくるのは自分の中の声。
一本線を引くごとに
「こんなのじゃだめだ」「もっとうまく」「こうじゃない」…。
小3の時のことでした。
(NLP的にいうと、あるプログラムが形成された瞬間であり
ある「ビリーフ」を私が自分の中に取り入れた瞬間、ということですね)
さてこのように…神とつながっていられる天使の蜜月の時代は
いとも簡単にわたしの中から去って行ったのでした。
クレヨンを見ると思い出す「あの感覚」。
確かに、わたしにもあんな頃があった。
あの頃の私は「つながって」いた。創造の源と。
そして、自由に表現した。歌い、踊り、さえずり、存分に自分の響きを高らかに奏でていた。
絵をかくのが好きなその方に
そのクレヨンをプレゼントすることにし
こう手紙を添えました。
「自由に、あなたの色を存分に描いてください。
紙からはみ出したってかまわない。
あなたの絵を、これからも存分に描いてください。力強く」
実は、何より自分へのメッセ―ジなのですが。
人は「何かを獲得」するからすごくなるんじゃない。幸せになるんじゃない。
「自分に還る」ところに
すべてを解きほぐす「鍵」があるんだなということを
再び思い出させてくれた
「クレヨンのにおい」でした。