「朗誦のすゝめ」―日本語のエネルギーを次代へ手渡せる大人になる

結構古い記事ですが
子どものころの運動会の歌の「がっかり体験」について書いたことがあります。
少し変えて再掲。

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小学生のころ、運動会のたびに開会式で全員で歌う歌がありました。

昔のことなので、もちろん題名などは覚えていないのですが
旋律はハッキリ、歌詞はぼんやりと覚えています。
~みそらは高く
 我が意気上がる
 平和日本の友情かたく
 運動場は競いの庭ぞ
 鍛え鍛えし健児の手並み
 たゆまずおそれずわれらの心
 正々堂々~
うろおぼえなんですが。
小2?小3?くらいまで歌っていたような記憶があります。
子ども心に、この歌を歌うと、誇らしいような、背筋がぴん、と
伸びるような心持になったものでした。
特に好きだったのは
「鍛え鍛えし健児の手並み
たゆまずおそれずわれらの心」のところ。
そのメロディとも相まって、なんでしょう、あの感じは…
そう、つまり、これらの言葉を口にするのがとても心地よかったのです。
8歳児が
「き~たえ~き~たえしけんじのて~なみ~ た~ゆまずおそれぬわれらが~こ~こ~ろ」
意味は分かっていなかったことは確かなので
今思うと、ちょっと笑えますが。
でも、
言葉の「かっこいい感じ」、その言葉の響きが自らの心と身体に与える影響は
ちゃんと感じていました。わかっていました。
そして、それを「美しい」「誇らしい」と感じる感覚も
ちゃんと持ち合わせていました。
秋の髙空に吸い込まれていくようなあのまっすぐな感覚が懐かしい。
やがて
わたしにとって「ゆゆしき」出来事が起こります。
運動会の歌が変更になったのです。
新しい歌は、わたしのテンションを下げに下げ、何ともプライドを傷つけるものでした(笑)。
ひと言でいうと「とてもお子様チック」。
「そらに~みどりにぃ~あたらしい~
き~ぼうがおこる~わぁ~きあがる~」
子ども心にもっとも腹立たしかったのは次の一節。
「げ~んきに~はくしゅ~
『チャチャチャ♪ チャチャチャ♪』」

 
そして、こう続きます。
「きょうは楽しいうんどうか~い
むね~をぐ~んとはって、さあいこお~♪」
手を胸の右上と左下で「チャチャチャ」と小さく叩く振付けもご丁寧についており。
こんなの恥ずかしくてできるか!と思っていたものでした。
『あの凛とした世界はどこへ行った。
美しい言の葉を口に上らせるあの瞬間の細胞の震えるような喜びはどこへ行った!』
当時のわたしに語る言葉を持たせたら
きっとそう言ったと思います。
(この歌が悪い、ということではなく、わたしに合わなかったということです。あしからず)
今、論語の素読を復活させている小学校があるそうです
なんとすてきな。

わたし自身の体の中に
幼いころに本を通して、そして「日本語の力」を愛する数々の先生方との出会いによって
声を出し、体に刻んだ「美しき日本語」の名文たちが生きています。
それは理屈を超えて
人生のあらゆる場面でわたしを助け、導き、あるときは鼓舞してくれる
リズムになっています。

「子どもには難しいだろう」「意味が分からないだろう」ではなく。
お手軽な、咀嚼しやすい口当たりの良いもののみを与えるのではなく。
すべてを驚くほど柔軟に吸収し
それを人生を生きる力に変えてゆく、土台をつくるあの時期にこそ
硬い、中身の詰まった噛みごたえのある「本物」を口にさせてあげてほしい、と感じます。
言葉にかぎらず、なんでも。

――― * ――― * ―――

再掲終わり。
今日のタイトル

「日本語のエネルギーを次の世代へ手渡せる大人になる」

は、今年のわたしのワークショップに新しく加わったテーマの一つです。
母音を主体とした言葉であるという日本語の個性。
「a i  u  e  o」を高らかに歌い上げる、身体の開放感を感じさせる伸びやかな言葉。
これらはわたしたち日本人の民族としての能力と感性を形作るものとなっています。
わたしたちの精神活動の土台をつくるもの、
それが母国語です。

祝詞にはじまり(祝詞は文学ではありませんが)
日本の文学は古来「朗誦すること」…声に出して表現することにより、
より深く味わうことを織り込んでつくられています。
日本人は言葉の持つ「波動」「リズム」が
身体と精神に実際に及ぼす影響をよく知っていた民族であり
それを実際に活用してきたということです。

言葉は意思伝達の「道具」のみの役割を持つものではありません。
その意味のみならず「形」「語感」「波長」…
目で見て、耳で聞いて、響きを肌で感じて…そのすべてをもって
わたしたちの細胞に影響を与え、心身を鼓舞し、変化をもたらします。

誰もがこの身にしっかりと持っている
それらを愛し、味わい、高らかに歌い上げる「喜び」を呼び覚ます。
そんな時間をますますイメージしつつ、やってゆきたいと思っています。
その身に取り込む食べ物とまったく同じだけの重要性をもって
わたしたちの細胞は
「美しい言葉の響き」に鳴り響くことを欲しているのです。

と、小2の頃のわたしは言いたかったのだろうなと
思うわけ
です。

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