「自身が発した言葉をどう受け取るかは相手の責任。 わたしたちは相手の責任まで負うことはできない」が第一位でした。 (「研修で一番心に残ったことは?」の質問に対して)

 

 

 

 

 

参加者24人中、7割が「一番心に残ったとしてあげたのがタイトルにあげた言葉。
「これが来たか〜!」と内心驚きました。予想外。

 

 

 

 

これをぜひ伝えたい、と思ったのは、
研修前に書いてもらった「うまくいかなかった部下との会話事例」のアンケートで、

 

 

⚫︎表現が回りくどい
⚫︎相手に気を遣いすぎて、結局一番言いたいことまで達していない

 

 

例がとても多かったからなのです。
(名付けて「外堀戦法」。
まあ、時間がかかっても本丸まで到達できればいいんですが、
外堀だけ埋めて力尽きている事例、多数😊)

 

 

 

 

「相手が傷つかないように気をつけて話しました」
「(お客様からのクレームを)そのまま伝えては相手が傷つくので、表現を柔らかくして伝えました」

 

 

 

と。
とても順当な、人として当たり前の感覚に思えます。
けれどこの中に、わたしたちの中に長いこと居座っている思考と感情のパターンが厳然として存在する。

 

「相手のことを考えなさい」
「周囲に合わせなさい」
「人を傷つけてはいけません」
「もっと思いやりを持ちなさい」
「人から嫌われないようにしなくては」

 

確かに。
これを否定するものでは全くありません。
けれど同時に、これらは時にはわたしたちを過度に縛り、自由な表現を妨げるものにもなっている。

 

 

 

 

さて。
「相手の気持ち」なんてものは、
いくら想像しても本当にはわからない、ということを承知しておくといいのです。

 

 

そんなものは魔法使いでない限り、本当のところはわかりはしない。
「傷つく」と思っているのはあなたであって、相手がそうなのか、本当にはわかりはしない。
相手がどう受け取るかなんて、コントロールできはしないのだから。

 

 

 

(実は、ここをコントロールしたい、という人は結構いて、
「相手にこのように思ってもらうために、行動してもらうために
『どう言ったら』いいでしょう?」という質問、よく聞きます)

 

 

 

 

自分の中から「本当の」思いと言葉を解き放ち、相手に届け、そして勇気を出して、委ねる。

 

そんなコミュニケーションは、すっきりとしていて、軽やかだな、と思います。
風が吹いて新緑が揺れるようであったり。
太陽に照らされた土みたいにほっこりと温かったり。
派手じゃないけれど、遠赤外線で、ゆっくりと効いてくる炭火みたいだったりする。

 

 

 

 

つまり、その人の個性、人間性がしっかりと伝わってくるものになっている。
「言い方」(言葉)もとても大切ではあるが、
その人の「真の意図」(あり方。being)こそが、
相手に振動となって伝わるのだ、ということがよくわかる。

 

 

 

 

 

わたしたちは、相手に幸せになってほしいと思えば思うほど。
相手といい関係を作りたいと思えば思うほど。
コントロールしたい、という欲求が生まれることもあるものです。

 

 

 

けれど、そこにしっかりと「境界線」を引く。
相手と自分は違う人間なのだと理解し、
尊重し、信じ、委ねる。

 

 

 

そんな「健全な境界線」こそが、
「新緑の風が吹くような」自由自在な関係性と互いの成長を
もたらすものなのだと思います。

 

 

(写真は島津家別邸、仙巌園の白梅。
見ると近所の白梅も満開になっており、「はじまったー^^!」という感じがしています)

 

「足りない」より「ここにある」から出発する方がいい-教頭先生方の研修会にて

 

 

 

 

 

 

 

 

 

先日、鹿児島は南薩地区の、小中学校の教頭先生方の研修会に行ってきたんですけれど、

その時に出されたオーダーが、

 

 

 

「先生方はとにかく忙しい。だからホッとする時間にしてほしい」

 

 

 

だったのに、結構な感動を覚えたのでした。

この仕事を始めてもうすぐ20年。

正直言って「初めて」のオーダーな氣が。

 

 

 

 

これまで、

たくさんのオーダーを受けてきたけれど、

「こんな力をつけてほしい」

「こういうふうになってほしい」

 

 

 

 

 

 

まあ、当たり前です。

研修というのは、一般的に「そういうもの」ということになっていますんで。

 

「こういう力をつける」

「こういう知識を得る」

 

つまり、

「もっとこうなってほしい」。

 

 

 

 

 

 

けれど。

裏を返せば「足りない」「不足している人たち」という視点で

「その人たち(参加者)」をみている、ということにもなる。

 

「あなたはこういうところが足りない」

「もっとこうなりなさい」

 

 

という目で見られ、

「だから行って来い!」と研修に突っ込まれて、

嬉しいはずがない、とも思うのです。

 

 

 

 

 

「先生方は忙しい。

 

(確かに!こと教頭先生の忙しさは超弩級であると考えられます。

わたしも教員時代によく拝見していました…早朝でも、もはやいるし、夜、未だいるのが「教頭先生」)

 

だから、何よりほっとする時間を」

 

 

 

 

この言葉に、先生方の日々の頑張りへの深い信頼を感じたのは、

わたしだけでしょうか。

 

 

 

 

 

 

 

「今」への信頼。

そして、それを

「さらに豊かに発揮できるような、そんな『エネルギー』となる時間を」

そんな、依頼者の思いを感じたのでした。

 

 

 

 

 

 

「研修とは、今ある自分の素晴らしさを知り、認め、誇り、そして、

それをさらに、自由自在にのびのびと、発揮するためにあるものなのだ」

 

 

 

 

 

 

3年くらい前、

そういうことを書いた氣がするんですが、

今回ほらねと、再確認です。(クスッと笑う得意げな自分がいる)

 

 

 

 

 

 

 

 

そしてこれは、わたしたち自身に関しても同じで。

すべての体験。

これまでの自分の人生。

歩んできた歴史。

 

 

「もっとこうであったら」

「どうしてできないのだ」

「なぜ、こうなのだ…」

 

 

さまざま思うところもあるでしょうが、

この人生を生きてきて、今ここにいる自分。

この時間を、このプロセスを否定してなんの意味が?と思うのです。

 

 

わたしたちは、頑張ってきた。

本当に、十分に頑張ってきた。

 

 

そして、たくさんのことを学び、身につけ、その傷までもが、

糧として、今や自分のかけがえのない唯一無二の輝きを形づくっている。

そう、その傷なくて、今のあなたはいなかった。

 

 

 

 

 

 

わたしの前にいるあなたの笑顔をつくっているのは、

あの日、奥歯を噛み締めていたあなた。

静かに涙を流していたあなた。

悔しさと無力感に膝をついたあなた。

だったりするのです。

(そんなあなたと出会えて嬉しい、といつも思う)

 

 

 

 

 

 

全、肯定。

もし、あなたが肯定できなくても、わたしが全肯定したく思う。

今、ここにあるあなたこそがまず何より美しい。すごいと思うし、尊い。

 

そして、結局、そっちの方が、ずっと効率が良くて、

エネルギーが満ちるので、うまくいくのです。

 

そして、すべてのものとの関係性の土台はここ、なのです。

 

 

 

 

 

*  *  *  *  *

 

 

《雑記》

鹿児島の「南薩地区」には、温泉で有名な指宿が入っています。

(この研修自体も、会場は指宿だったのですけれどね)

 

 

そして、指宿の官公庁の「夏の公式ウェア」は「アロハシャツ」なのです。

さすが、南国指宿!

秋口とはいえ、まだまだほとんどの指宿の教頭先生方が、「アロハシャツ」でのご参加でした。

(いや〜、爽やか^^)

 

 

 

他にも、頴娃(えい)という地区があってですね。

(難しい方言No1と言われる方言を持つ鹿児島でも、

特に特徴がある言葉の地区で、県内では「英語」ならぬ「頴娃語」と呼ばれているんですが)

 

そこの教頭先生方の「チームウェア」はかっこいいポロシャツでした。

 

 

 

 

本当、時代は変わったんだなあ…。

(しみじみ)

でした。

 

 

 

 

 

「あなたの声と言葉を、あなたを待つ人たちへ届けるのが私の役目」

 

 

 

台風一過の青空の下

「本当に伝わる声と言葉を手に入れる‐声のワークショップ2DAY inふくおか」

無事終了いたしました。

4日夜から5日の朝にかけて、九州地方は台風が移動中。

鹿児島からいつ福岡入りするか?

そもそも無事行けるのか?などなど…

おおいに心配しましたが何事もなく。

 

 

 

先ほど

参加された方にメッセージを書いていました。

その方は、もうすぐ講師活動をスタートなさる、という方なのですが。

そのときにふと出てきた

 

「それは私の言葉ではない」

 

という感覚に我ながら驚きながらこれを書いています。

 

 

 

 

ワークショップの最中

場面が進むごとに、ご参加の方々のチャレンジも大きくなっていきます。

もちろんそれはとても楽しいものなんですが。

そんなときに

 

 

「もっと!」

「その10倍で!」

 

 

と。

「声」をもっと出すように、と。

正確には「声」を通して、もっと自分のエネルギーを、意識を大きく、大きく

波のように世界に広げろ、と・・・。

(そうしないと絶対に言いたいこと、は伝わりませんので)

ご参加のそれぞれに

お声がけする場面が必ずやってくるのですが。

 

それはあたかも、わたしの中の波のうねりをぶつけるような、

熱を相手に移すような

そんな作業に感じることもあるんですが

ふと

 

 

「ああ、あれはわたしの言葉じゃないなあ」

 

 

と。

そう思ったのです。気づいた、というべきか。

そうではなくて、これからこの人を待っているたくさんの人たちが

わたしの声と言葉を借りて、

この人に切なる願いをぶつけているんだな、と。

 

 

「早く早く!」

「待っているから!」

 

 

はやく、あなたの、あなたの響きを存分に生きてくれ、と。

(使命、ともいうのかもしれませんが)

そして、その響きを世界に、わたしたちに届けてくれ!と。

そんな、たくさんの人たちの存在を「わさわさ」と感じました。

 

 

 

 

誰にもきっといます。

その人の声と言葉を待っている人が、

本当の響きを待っている人が。

 

 

 

 

ということで

これからもわたしは「押し出し」続けるのでしょう。

あなたを待つたくさんの人たちのもとへ

あなたという、この世でただ一つの響きを。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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