「効率」と対極にある「存在するだけでいい」

 

 

 

 

高齢の方がよく口にする言葉に、

 

 

「子どもに(周りに)迷惑をかけたくない」

 

 

 

というものがあるように思うけれど(そして、わたし自身もどこかでそう思っている自分を発見するけれど)
その根っこには、

「役に立たなければならない」
(役に立たないならいる価値がない)

という観念があるよなあ、
と、クライアントさんと話していて思ったのです。

 

 

役に立つか、立たないか。
効率的か、非効率的か。
正しいか、正しくないか。

わたしたちは、ずっと長いこと、
これらの軸を中心に据えて生きてきており、
なんとかして、

 

「役に立つものであろう」
「効率的であろう」
「正しくあろう」

 

 

と。
一生懸命にそっちの方向へ行こうとしていたように思います。
そういうものであろうとしていたように思います。
そして、(世間的に)逆の側にある状態は、

 

 

「見ないようにし」
「非難し」
「排除し」

てきた。

 

けれどもう、その軸から離れていいときがやってきたんだな、
と最近特に、そういうふうに思います。

 

 

 

 

 

 

つい最近、
知り合いに「江戸時代の長屋のたぬき男の話」というのを
書いて送ったんですが。

 

 

 

「長屋にたぬきが大好きな男が住んでいて、
自分の部屋の中にたくさんのたぬきを飼っていた。
匂いもするし…で、同じ長屋の人々は
『困った困った』と思っていた。

 

ある日、長屋が(もしくはそのたぬき男の部屋が?)
火事になったかで、
たぬきが全部死んでしまう。
男はたぬきがいなくなって、すっかり元気がなくなってしまう。

 

すると、長屋の住民がお金を出し合って、
たぬきを買ってあげた」

 

 

 

元々、日本人というものは、そういうものだったんだろうな、と思います。
「多様性」なんて言葉をわざわざ使わなくとも、
様々なものを「ありのままの姿」で大きく包み込み、
みんなでわしゃわしゃと、助け合ってげんきに生きていく、
そういう土壌をはじめから持っていたのだ、と。

とにかく、その際、生きる上での中心軸は、

 

「役に立つか?」
「効率的か?」
「正しいか?」

 

ではなかったことは確かなのです。

 

 

 

 

 

話戻って。
思うに大家族で生活することが少なくなって久しいので、

「上手に周りに頼り、家族や周囲に委ねて身を任せつつ、
人生をゆったりと全うしていくお年寄り」

のモデルがもはや身近にいないんだなあ、と、そういうことも思いつつ。

 

 

記憶の奥底にかすかに残る祖母の姿を思い出しながら、

 

 

(あれを「愛」と言わずになんというんだろう、と思うのです。
わたしが「無条件の愛」という言葉で唯一、思い出すのは、
部屋にちょこんと、ただ座っていたばあちゃんの姿です。
ばあちゃんのふところの温かさです)

 

 

 

これからいい時代になるなあ、と改めて思うところです。
何ってわけではないんですが、
このような話のできる人、響きあえる人、
共感できる人が身近にどんどん増えている、ということを感じ。

 

 

 

このようなつながりを新たな(いえ、本来あるべき)軸として、
やっていこう、動いていこう、という人たちの思いを、
あちこちで感じている最近です。

 

 

(写真は正月二日の鹿児島は城山からの眺め)

 

 

伯母の葬儀で思う、儀式や祭祀の大切さー「プロセスを踏む(体験する)」ということの大切さ

 

 

 

 

 

伯母が亡くなり、葬儀に参列してきたんですが。
一つ一つの儀式。
「手順」を踏みながら、「ああ、これはまさに生きている人間のためのものだなあ」と
あたらめて思ったのです。

 

 

(ちなみに、子どもだった頃
わたしに一番「かわいい」をたくさん言ってくれたのは
確かにこの伯母だったような、と改めて思い出しつつ)

 

 

お経を聞き、
(また、お坊さんは声がいいので、全身に響くんですよね)
お焼香をし、
そして、お棺の中に花を添え、
出棺の儀式があり、

そしてまた、火葬場での一幕があり。
何度も祈り、何度も手を合わせ。

 

 

そのプロセスを通して、
少しづつ、少しづつ、生きている者たちが
「この人は次の世界に旅立つんだ」
ということを身体レベルで「わかり」「受け止めて」いく。

 

悲しみと共にだんだんと「あきらめて」いく。
俗世から次第に離れていく、彼の人を見て、感じている。

 

そのプロセスが、
あの、段階を踏んだ様々な「行動」なんだなあ…と。

 

 

 

弔いの儀式というものは、
故人を新たなる世界へ送り出す場であると同時に、
参列する人間にとっても「死と再生」のプロセスを踏むものなのだな、
と思います。
生と死の境まで行き、そして再び戻ってくる旅。

 

火葬を待つ間、
出された仕出し弁当を黙々と食べながら、
ふと「際(きわ)」から「今」に。
「隠り世」から「こっち側」に帰ってきた感じがものすごくしたのですよね。
まるで長い旅から帰ってきたような?

 

 

ああ、生きてるんだなあ、と。
大きなガラス窓の向こうの、
雲ひとつない秋晴れの高い空を見ながら思いました。
空がほんとうに美しかった。

 

 

 

 

 

 

伯母との別れは悲しかったですが、
そんなふうに悲しみや辛さもあるこの世界を
一生懸命に生きるわたしたちには、
だからこそ「儀式」「まつり」が必要なのだな、と思います。

 

なんといましょうか。
「魂」とか、「存在そのもの」とか自分の心の柔らかいところ。
純粋なる喜び、哀しみ。
生(せい)の実感。そんな、日頃忙しくて、
すっかり忘れ果てている部分や感覚にアクセスし、味わう時間。
哀しみが昇華し、生きるエネルギーに変わる時間。

 

 

 

 

日頃の地面を這っているような近視眼的な視野の世界ではない、
自分が過ごしてきた時間や、
人生全体を俯瞰して見直すような、そんな時間。
命や志のつながりを脈々と実感するような時間。
非日常。異空間。

 

 

 

 

 

 

それを、儀式や祭祀、祭りというものは果たすのだろうな、と思います。
お葬式だけでなく、結婚式、結納の儀、卒業式、入学式…
そんなものも同じく。
土地土地のお祭りも。

 

儀式、祭祀、祭りは人にとって再生の場なのだ、と思います。
再び新たなるエネルギーで生き始めるための大切な時間。
まさに「ヒーローズジャーニー」。

 

旅立って、そして変容して帰ってくる英雄の「小さな旅」なのです。

 

 

 

 

今日は何というわけではないんですが。

 

効率、といったものとは全く別のところで、
人が人として生きるに、とても大切な時間がある、
(わたしたちの心と魂を再生する仕組み、
癒し、再び復活するための仕組みというものが、
わたしたちの伝統風習には、ちゃんと昔から組み込まれているのだなと)

と思ったのでした。

 

 

大切にしたいものだと思います。

 

 

 

ふと『予祝』してみた9月1日の朝ー今年の年末、どこで何していたい?

 

 

 

 

春のお花見が古来より秋の豊作の「予祝」であった、
ということを以前書いたことがありますが。

 

 

「いや〜。こんなに実ったねえ。神様、ありがとう!」

 

 

と。
花を稲穂に見立てて前もって祝ってしまう。
喜んでしまう。
喜びを先に味わってしまう。
それによって「豊作」を現実にする。
(引き寄せる、ってやつでしょうか)

 

 

 

 

 

NLP(神経言語プログラミング)の講座の後、
受講のみんなで、

 

 

「ヒーローインタビュー」

 

 

なるワークを(一杯ひっかけて)やった覚えがあります。
自分の夢に対して「もはや成った」ものとして、
インタビューを受ける。

 

 

そして、その氣になって答えまくる。
周りも盛り上げまくる。
「○○さん、すごいですねえ!
どうやってこれを実現したんですか??」
と。
喋っているうちに、本当にそうなる氣がするから不思議です。
(あの時の夢、叶えた人もいるんじゃあないかしら?)

 

 

なかなかに楽しい時間でした。

 

 

未来を描く。そこへ行く。
もはや「成った」場所から、今を見てみる。
NLPやコーチングにも「予祝」視点は満載です。

 

 

 

 

 

 

で。
ふと今年の年末に「飛んで」みた9月1日の朝。
浮かんだのは、心やすい友たちとどこかの座敷で飲んでいる様子でした。(忘年会?)

 

10人くらいのその場所はぎゅうぎゅうで。
(もっと広い場所でやりなさいよと思いつつ)

 

 

わたしはあまり飲みに行かないので、

 

 

「おや、これはこれは…」

 

 

 

と思いつつ見ていますと、
みんなで「今年の自分の10大ニュース」なるものを
発表し合っていました。

 

 

「わたしはどんなニュースを発表しているのかしら??」

 

 

と思っていたら、
まあ、結構なことを言っていましたよ(笑)
とっても嬉しそう。

 

 

そして、みんなから
「おおお〜!(どよめき)おめでとう!よかったねっ!」
と渦のような祝福を浴びていました。

 

これは…熱い(場所が狭いからそもそも暑いのよ!と思いつつ)
ちょっと恥ずかしい。
そして、なんと氣持ちのいい。

 

 

 

 

 

さて。
興味ある人は、やってみられては?
と思いここに書いているわけです。

 

 

ポイントは、
⭐️リアルに想像する

 

です。

 

・温度(何度、ではなく、暑い、肌寒い、など)
・質感(肌触り)
・音(声、言葉、生活音…どんな音が聞こえている?)
・におい
・周囲(場所の様子、人の表情)
そして、
・自分の「感情」と「身体の状態」(ここ大事)

 

 

 

もしかして、「それ」が。

 

いえ、もしくははるかにイメージを超えた「素晴らしい場面」が、
年末、あなたにやってくるかもしれません。

 

なにせ…
先人たちもずっとやってきた
わたしたちにとってある意味王道の方法ですし!

 

 

 

《追伸》

※もう一つ、大切なことは
「心身ともにいい状態」を作ってから想像する(未来へ飛んでみる)ということです。

くれぐれも、なんだか落ち込んでいる時、身体がぼやっとだるい時…
などにやらないように。

 

試しに続けて2回やってみたんですが、
(1回目ー普通の状態/2回目ー深呼吸&心地いいことを考えて、リラックスした状態)

 

 

1回目と2回目、予想通り出てくる想像が全く違いました。
2回目の方が大きく大きく広がっていました。世界が。

 

どうぞ、自分をいい状態にしてからやってみてください。

 

 

 

「なぜコンビニの前に座っていてはいけないのか」を子どもになんと説明するか

 

 

 

 

 

 

つい最近、(誰かの記事だったか、動画だったかで)見たのですよね。

 

コンビニ前や駅の構内で、
地面にペタッと座って飲食している子達がいたとして、

「草っぱらなんかでもじかに座る。どうしてここだといけないの?」

と問われたら、なんと答えるか、と。

 

 

で、その記事だったか、動画だったか…に、こういうコメントが。

「コンビニや駅の構内だと、
公衆トイレなどに行って、みんなそのまま歩いているから汚い。
なのでダメ、と子どもには教えています」

 

 

 

本当にその通り。
けれどでは、そこがもし、ピカピカの床で、
絶対に菌やウイルスの入り込む余地のない場所だったら
座ってもいい、

ということになるのかしらん、と。

 

 

 

 

で、わたしの率直な感想は、

「理由が…いるか?」

でした。

 

 

 

 

なんというか。

「理論」。「理屈」。
よく言われる「エビデンスは何ですか?」的な。
それがないものは存在の余地なし、みたいな昨今。

 

 

そんなものは全然「通って」いなくとも、

 

「とにかく良くないの」
「それは美しくないの」

 

という精神はもはや通用しないのかしら、と。
(お天道様が見ているから、的なですね)

 

 

 

 

 

 

 

知人が「今、仏教と神道の本を読んでいます」
と。

 

 

「自分たちはどうも、以前であればあれば自然と
『もらって』(受け継いで)
きたものを上の世代からもらえていないんじゃないか、という感覚があり」

 

 

 

 

ということなんだそうで。
(わたしから見ますと、その方、全くもって、そうは思わないんですけどね)

 

 

 

で、
ご自身の子どもに何を手渡すのか、にあたって、

 

「では、自分で再度見つけるしかないか」

 

と。

 

もらえていない、受け継いでいない、どこかで断絶している、のならば、
自分で知り、取捨選択をし、
自分で再編し直さねばならない、

 

 

 

 

と思ったのだそう。

そのためには知識が必要。

 

 

 

「根っこ」を知ることが。
揺るがぬ「根っこ」。
「真善美の根っこ」を知り直す必要がある、出逢い直す必要がある。

 

 

 

それはなんだろう??
と考え、「仏教」「神道」というものにも触れてみよう、
と思ったんだそう。

 

 

 

 

 

 

 

 

これまでも何度か書いていますが。

「根っこ」を知らないもの、
根っこと繋がっていないもの、は弱いですね。
(基本・土台・型がないものは、とも言える)

 

 

 

とうとうと流れる時の中で、
自然と形作られてきた「道理」を無視して作ったものは、
どんなに「いい方法だ」と思った仕組みや考え方でも、
数年経つと、目まぐるしく変わる時の中で、
瞬く間に「合わないもの」「使えないもの」になっている感じがします。
(「時代の徒花」で笑いで済めばいいんですけど)

 

 

 

 

 

わたし達は今、大きな渦の中で、
何を信じていいかわからない。
何を支柱として生きていいかわからない。
だから、

 

 

「(有名な)この人が言っている」
「これが流行っている」
「みんながこうしている」
「『成功』している人がこうやっている」

 

 

を追いかけ、
追い求め、
右往左往している。

(この状態、「精神的孤児」という言葉で、以前書きましたが)

 

 

 

 

 

 

 

そもそも、わたしたちが、
「正しい」「これが当たり前」「ずっとこうしてきた」
と思っていることも、歴史を辿れば、
戦後ほんの80年でできた「常識」であったり、
わずか160年前には全く違っていた、ということも多々あるわけで。

 

 

 

 

 

先に書いた知人が、
「わたしたち日本人を形作ってきたもの」
(自然、風土に自然と育まれてきた文化、価値観、身体観)

 

 

の源流を求めて仏教と神道の本も読んでみよう、と思った(切なる)氣持ち
わかるなあ、と思います。

 

 

 

 

 

 

 

彼は、感じたのだろうと。
わたしたちが「こうだ」と思い込んできたことは、
案外「そうじゃないものもある」ということに。
ぐらり、足元が揺れ。

 

 

 

 

そして彼はきっと思ったのです。
自分の子どもたちを「孤児」にしたくないと。
デラシネ(根無し草)にしたくない。

 

 

 

 

たとえ世の中がどんなに渦巻いていたとしても、
自分の足で立って。

 

 

他者の作った真実ではない、自分の真実を。
「自分にとっての真の幸せ」を、
(それは自身の心にも身体にも至極自然で心地よく、なおかつ、
世界と自然に調和したものだと思うのですが)

 

 

生きる人になってほしいと思ったのだと思います。

 

 

 

 

 

 

決して色褪せない「根っこ」を。美しさを。
幸せに生き抜く力を、

 

子どもたちの身のうちにすっくと、しなやかに
立ち上げてあげたかったのかなと思います。
(本当に、何よりの宝だと思うんですよね)

 

 

 

 

 

 

※写真は、わたしの部屋の紫陽花です。愛おしきかな😍

 

 

 

 

「どうする家康」。時代考証グッジョブ!(ナンバ走りに萌えた夜)

 

 

 

 

 

 

昨日の「どうする家康」。

女の子(阿月ちゃん)爆走の回。

 

 

 

時代もので走る場面で、100M走の走り(現代の走り方)で
思いっきり全力疾走するのがいつも違和感だったのですが、
昨日はちゃんと「ナンバ走り」でした♪

 

(手を身体の横で上げ下げして、変な走り方だなあと思った人も多いのでは。

ちなみにあれが本当にそのまんま、当時の通りなのか、

もちろんわたしにはわからないのですが)

 

 

 

 

 

 

以前、この「ナンバ走り指導」の方の動画を見て
「ナンバ走り」を習得しようとしたことがあるんですが、なかなか難しくて。
(ナンバの動きを日々の動きに取り入れられると身体が楽で効率的、と聞き)

 

 

 

 

 

 

 

 

(動画はこちら)

https://www.youtube.com/watch?v=G29X8CBlzBs

 

 

 

 

昨日、確かにこの走りでしたよね。

 

 

 

 

子どもたちも、役者さんも頑張ってたなあと。
(こういう細かい考証が地味に嬉しい)

 

 

 

 

 

 

 

*  *  *  *  *

 

 

「日本に「西洋の動き」(運動・体育)が入ってきたのは、
幕末。
幕府によるフランス軍事顧問団の招聘による。

 

 

 

 

明治以前、日本人には
身体と心を分けるという概念がなかった。
(「カラダ」は死体のことで、
生きているこの身体は「み(身)」と言った。

 

 

 

それから約160年。
生活様式の変化とともに、わたしたち日本人は
「日本人の伝統的身体」「身体技術」
というべきものを忘れ去りつつある。

 

 

そして、
身体は「もの」として扱われ、
「ここを5センチ細く」
と…
自分の身体をモノとして
(商品のように)
「評価する」ようになった。

 

 

 

 

身体と心、精神はつながっている。
身体技術が受け継がれないと、
精神も受け継がれない。
(それを「感じたことがない」「感じられない」わけなので、本質は伝わらない)

 

 

160センチに満たない身体で
40キロのセメント袋(当時は重かった!今は25キロらしい)
を担いで軽々と山道を登っていた父の
腰肚を要とした使い方、腰の座り具合、力の出し方。
足のひかがみ(膝裏)の使い方等々…

弟には受け継がれていない。
(もちろんわたしにも)

 

 

 

 

 

日本人はどこへいくのか?」

 

 

 

 

 

 

*  *  *  *  *

 

 

 

 

昨年春のわたしのセミナー
「日本人の身体と精神と言葉の話
ーわたしたちはどこへ行こうとしているのか?ー」

 

からちょっと抜粋してみました。

 

 

 

 

 

 

「繋がる」ことは強くなることー25回俳句甲子園最優秀句は「鬼の末裔」の句

 

 

 

 

 

先日の仙台育英の日本一に続いて、

「第25回俳句甲子園」の最優秀賞に、岩手の高校生の句が選ばれました。

(東北地方の生徒が一位になるのは、これまた「初」であるらしい)

1280句の頂点。

 

こちらが詳しい記事(岩手日日新聞)

 

 

その句がすごいのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

『草いきれ吸って私は鬼の裔(すえ)』

 

 

 

 

 

 

 

 

裔(すえ)、というのは文字通り「末裔」ということですね。

 

前回の記事、仙台育英優勝の際は、幕末以降の東北の歴史について、

ちらっと引用させてもらいましたが、

 

 

「白河の関を越える」の意味

 

 

 

 

 

この句は、

東北の「蝦夷(えみし)」たちが、中央政府から「鬼」と呼ばれ、

戦い、最終的に討伐された、

はるか彼方の歴史に想いを馳せているわけです。

 

 

 

なんて、なんて力強い句なんだろう、と。

(聞いたとき、ちょっとゾクッとしたんでした)

 

 

 

 

 

 

「わたしは『鬼』の末裔」。

 

 

 

 

 

 

自分たちの「系譜」への誇り。

自分たちの歴史と文化への誇り。

自分たちの祖先がたどり、生き抜いてきた、

いわば「苦渋の歴史」への肯定と誇り。

悲しみと、強さ。

それを自分もしっかりと受け継いでいるのだ、という。

 

 

とにかく、すごい句だなあと。

 

 

 

 

 

 

 

岩手、俳句、そして「草」といえば、芭蕉の有名な句

「夏草やつはものどもが夢のあと」

が思い出されます。

 

 

 

 

 

茂る夏草の中に立って、

むせかえるような草いきれを浴びながら、

芭蕉は往時の兵(つはもの)たちの栄枯盛衰に想いを馳せ、嘆じたわけですが。

(芭蕉が思い浮かべたのは奥州藤原氏や義経のことだったかと)

 

 

 

 

 

この句からは、

かつての歴史に「想いを馳せる」だけではない、

両足をぐんと踏ん張って先祖からの土地にすっくと立って、

「草いきれ」からエネルギーをもらっているような。

力強さと背筋の伸びるような感覚を感じます。

 

 

誇り高い句。

そして思うのです。

繋がることは、強くなること、深くなること、大きくなること、豊かになること、なのだと。

 

 

 

 

 

 

 

ということで、「白河の関の優勝旗越え」につづき、「奥州、来てます!」

のお話でした。

(興味があるのですよね。蝦夷とか、アテルイの話とか。

で、ちょっと盛り上がってしまいました)

 

 

 

 

 

 

「白河の関を越える」の意味

 

 

 

 

 

 

今日から連続2回、歴史話です。

 

 

 

 

先週の高校野球。決勝戦。

仙台育英と下関国際の試合が決まったとき、

 

「長州VS東北勢じゃん!」

 

と、下記マンガのように

(幕末好きの「幕女」の生態を描いた「萌えよ幕末女子!」より)

一人小さく盛り上がっていたんでした。

 

 

 

 

 

 

そして、それは参加している「幕末ファンサイト」

(というFacebookグループがあるんですが)

も同じで、みなさんが節度を持って静かに「盛り上がって」いました。

 

(何せ、150年かそこらのこと。

自分の高祖父、その前…と案外リアルに結びついているわけで)

 

 

 

 

 

 

そこに、東北方面の人たちが色々とアップしてくれていたので、

シェアしてみます。

 

 

 

*  *  *  *

 

 

「白河の関越え」が特別なのは、

 

●「白河以北一山百文(しらかわいほく ひとやまひゃくもん)」

という言葉があったから。

 

戊辰戦争以降、勝った西軍(新政府軍とも言う。薩長土肥ね)に、

「白河より北の地は、一山百文にしかならない価値のない土地ばかり」

と言われ、蔑まれていた。

(うん、これは知ってた)

 

 

 

●東北の新聞「河北新報」の名は、ここから来ている。

(すごいところから名前を持ってきたもんだ。反骨精神)

 

 

 

●東北初の宰相、原敬の号「一山」もここから来ている。

(号にすることで、この言葉に生涯反発心を示していたらしい)

 

 

 

 

そのほか、盛り上がっていたこと。

 

 

●仙台育英には、あの県からもこの県からも選手が来ているから、

これはまさに「奥羽越列藩同盟じゃないか!」と喜んでいる人が。

(さすが、現地の人は詳しい)

 

●仙台育英の創設者は、実は会津の人!会津若松出身の加藤利吉。

(ますます胸熱です✨)

 

●仙台育英の凱旋日が、「白虎隊の日」だったらしい。

(しみじみ感動している人が…)

 

●下関国際の投手「なかい君」が高杉晋作に似ている❗️

(そう言われれば…目元と顔の形、かな?)

 

 

 

*  *  *  *

 

 

 

わたし自身、幕末は特に好きなので、

百五十年前の戊辰戦争の東軍と西軍の戦いで、

東軍がどんな思いをしたか、「知っている」つもりだったんですが、

 

 

 

それでも、鹿児島生まれの鹿児島育ち。

「肌感覚」ではわかることのできない感情。

長いこと、さまざまな出来事があって、

その瞬間瞬間にさまざまな思いを味わい、

それの連続で今がある、東北の人たちの思いというものがあるということを、

知った今回でした。

 

 

やはり、そこでずっと生きていきた人たちの「生の声」というものを知る、聞くということは、大切ですね。

 

 

 

 

 

 

 

ということで。

 

 

仙台育英高校の皆さん、優勝本当におめでとうございます。

長い間の思い叶って白河の関を超えた優勝旗、

本当によかったです❗️

 

宮城の皆さん。

東北の皆さん、本当におめでとうございます。

 

 

 

下関国際高校の皆さん、準優勝おめでとうございます。

熱い試合を見せてくれて本当にありがとう。

あ~、

今年の甲子園は熱かったです。

 

 

 

 

薩摩の歴女コーチ、中村公子の「幕末を舞台とした作品を作りたいクリエーターのための薩摩ことば講座」

 

というものを作ったのですけれどね。

 

(下記をクリックすると、上のページに飛んで、聴くことができます)

https://www.facebook.com/100000890699129/videos/922053405158505/

 

 

 

 

 

きっかけは、

Facebook上の知人(歴史漫画家でイラストレーターさん)から、

 

「西南戦争のこういう場面で薩軍の兵士にこういう意味のことを喋らせたいんだけど、

薩摩ことばではどのように言いますか?

セリフと、イントネーションを教えてください」

 

 

とお願いされたことで。

 

 

 

 

 

上の動画(音声のみですけれど)でも話していますが、

「鹿児島弁」というのは本当に難しい。

 

 

幕末もののドラマでは必ずといっていいほど出てくる言葉ですが、

実は、完璧に使いこなせている俳優さんはとても少ない。

(他の県の人は氣づかない&どうでもいいところでしょうけど、

鹿児島県民にとっては「冷める」こと甚だしい)

 

 

 

 

そんなこんなで、上記を作るに至ったわけなのです。

(ただイントネーションを録音して渡すのでは面白くないので、

「番組風」にしてみたのでした)

 

 

 

 

 

 

で、ついでにFacebookにアップしてみたところ、これが、意外と評判がいい。

しかも、鹿児島県民に。

 

 

「ウケる〜」

「最高〜!」

 

 

などと言いながら、みんな、総じて妙に「上機嫌」で、

「次回作を待つ!」

 

 

といった反応。

(真面目な語学番組を装いつつ、

薩摩ことばをいわゆる「ディスる」ようなニュアンスも結構入ってしまっている氣もするんですが。

明らかにそこも含めて「喜んでいる」感じが)

 

 

 

 

 

 

日頃、あまりにも当たり前にそこにある、どっぷりと浸っている

「自分たちの言語」を客観的に、

 

「外から見る」

 

機会というのは、なかなかに面白かったり、嬉しかったりするものなのかもしれない、

と思ったのでした。

 

 

 

 

 

 

 

「あなたたちとは、このようなものなのだ」。

「あなたたちとは、このような存在なのだ」。

 

 

 

言葉や文化に関して触れる、論じるということは、

つまり「自分とは(自分たちとは)何者か?」

という、土台(ルーツ)に直面するということでもあります。

 

 

 

 

 

鹿児島弁。

明らかに、国中の、どこの言葉ともあまりに違いすぎる、奇々怪界なイントネーション。

多用される「詰まる音」。

速度も速い。(とても早口な言語だと思います)

 

 

 

 

 

この言葉ができたプロセス。

この言葉を生み出すに至った風土。

民族性。

(なんというか、暑苦しいんですよね無駄に。繊細さを感じないと言いますか。

それに、南国だからか?真ん中に火を吹く山があるからか?

身体の中から湧き出るようなリズムも感じます)

 

 

 

 

そんなものを、この言葉に向き合うと、想像し、

また、しみじみと感じてしまいます。

 

そして、そんなことを思いつつ「切り取った」この言葉の断片を、

わたしの知人の鹿児島県民たちも、総じてお気に召したようで。

(どうしてでしょうねえ・笑)

 

 

 

 

 

鹿児島の人も、そうでない人も。

幕末好きも、そうでない人も。

興味ある方はぜひ、お聴きください。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

史跡は息をしている~鹿児島市鶴丸城「御楼門」復元に思う

~~~ワークショップのご案内~~~

 

「人とスムーズに会話するには?」

「上手に人と付き合うには?」

 

よく聞かれる質問です。

ハウツー的な回答はきっといろいろあるのでしょうが、

いわゆる「円滑なコミュニケーション」の根っこには「身体のセンス」の有り無し、が

しっかりと横たわっています。

 

「sense(感覚)」=ある物事への感度のよさ。

 

目には見えないけれど、人と人、集団の間に流れている「何か」。

それを含めたコミュニケーション空間をわたしたちは「場」と呼び

「場を読む」「場の空氣」などと表してきました。

 

大切なのは、それは決して頭で捉えられるものではない、ということです。

それらは「身体のセンサー」の役割です。

 

 

情報過多。

ともすれば飲み込まれがちな、変化の大きく速いこの時代。

今、私たちが大切にすべきは、どうもそのあたりにあるように思えてなりません。

 

思考のみではなく「身体の感覚」を磨く。揺り起こす。

頭だけではなく、身体全身で世界とかかわる。

そこにこそ、リラックスした、そして何より人間らしい、自分らしいあり方、

生き方の種もあることでしょう。

 

 

●「春を言祝ぐ聲のワークショップinきよらの杜」  4月23日 鹿児島・いちき串木野市

 詳しくはこちらへ

●「身体が目覚める、五感が目覚める~自分とつながるワークショップinみたか井心亭」

 詳しくはこちらへ                             5月13日 東京・三鷹市

 

 

 

 

 

桜の季節。

毎年楽しみにしている鹿児島市の歴史資料館「黎明館」~旧鶴丸城、

の桜の古木たち。

石垣の外から見ただけなのですが

あきらかに本数が減っている。

 

「御楼門」の復元にともなって

切られたのだろう、と想像するわけです。

 

 

 

石垣に向かって左側。

県立図書館と黎明館をつなぐ階段の横に

古い石の階段があったのですが

昨日見てみると、取り外され、薄グレーのセメントの跡も鮮やかに

塗りつぶされ、平面になっていました。

そして正面。

 

 

すっきりさっぱり、しらじらとした石の色がやけに目立つ。

ここは

西南戦争の弾の痕跡に時間とともに折り重なった苔の陰影が美しく。

「重ねてきた年月」の息遣いに

当時をしのびつつ

しみじみとした心持で立つ場所だったんですが。

 

 

ふと浮かんできた言葉は

 

 

 

「ああ、

死んだな」

 

 

 

ちゃんと「生きていた」「呼吸をしていた」生きた城跡が

「テーマパーク」になり下がったかのような

そんな感覚を瞬間、感じました。

よくできたテーマパーク。

 

USJのハリーポッターの街は

それはそれはよくできているらしいけれど(行ってみたいですが)

でも、「生きた街」ではない。

書き割りの、「張りぼて」の街。

そしてきっと、一回行けばもう「行きたい」とは思わない。

映画村も同じ。

 

 

なんだかそんな感じでしょうか。

 

 

 

 

史跡は

単なる「昔のものが古くなってそこに残っているもの」

ではなくて、生きています。生きて呼吸をしています。

 

一日一日を経ながら

風を受け、雨を受け、その時その時を生きる人たちの足跡をその身に刻み

喜びや思いを見に刻み

そして、時代の風を受けながら

瞬間瞬間を生きて、今の姿になっています。

 

 

決して、それが出来た瞬間で「時が止まっている」わけではない、ということです。

これまでの時間、プロセス、すべてをひっくるめて

「史跡」となっているのだ、と言えばよい、でしょうか。

 

 

 

 

少し前に

「色彩復元師」という仕事をしている方の番組を見ました。

 

数百年前の寺社仏閣の壁画や絵画の色、形を復元するために

毎日野に出て草花を写生し、「身体に草花を刻み込む」。

(というような言い方をなさっていました)

そして

「線や形ではない、当時の人の『心』が描けなければ意味がない」

 

と。

一本の線に「心」を見ようとする。

 

 

それを今に「再現する」こと=当時の人たちの「思い」を今に伝え、再現することの

意味を一心に受け、

そうして

朽ちた文化財から地を這うように「痕跡」を見つける

祈りのような仕事の様子が描かれていました。

 

 

 

 

 

「時間の重み」に手を入れ、手を加える

ということは、それだけの重さと責任、そして繊細過ぎるくらいに繊細な「センス」が伴う、

ということなのです。

 

 

来年は維新150年。

「御楼門」。

どのように復元されるのか。

ある意味

鹿児島の「文化的なセンス」が、外に向かって明確になる

(試される)といってもいいでしょう。

 

 

 

 image

 

 

 

「今日はオタクな話なのでー『新選組–幕末の青嵐』」

時代によって、人によって作品の解釈も変わり
役の解釈も変わり
セリフの解釈も変わり、結果、表現が変わる、
という話をハムレットの例の有名なセリフをたとえにしてわかりやすく書いてある一節を
読んだことがあり
面白いな~と思っていたのですが
今日は強いてテーマを見つけるなら、そういう話でしょうか。
いや、そうでもないか。

「朗読カフェ」
というものを知人が開いており
それに、ずいぶんと前から参加してみたかったのでした。

毎月、鹿児島市内のおしゃれなカフェやレストランで開かれるそれは
朗読したい本を持ち寄り皆の前で朗読する、というもの。
参加してみたいな、と思った1年ほど前から「読みたい本」はもう決まっていました。

「新選組 幕末の青嵐   木内昇」

どうせそこか、と思った方もいるかと。
(まあ、そうなんですけれどね)

「歴史小説」というには
あまりにもみずみずしさ全開のこの小説。
語り手が次々と変わっていくのが面白いのです。
次々と起こる事件が、関わったさまざまな人物の目から語られてゆきます。
360度から光を当てられた多面体のよう。
ときは幕末。陰惨な事件も多いわけですが
それでもこの本の世界はなんとも美しい透明度を持って迫ってきます。
まるで、たくさんのカットを持つほど光り輝くダイヤのような。

好きな場面をひとつ、書きます。
沖田総司の死の場面。

沖田の死の場面には、必ずくっついてくるものがあります。
それは『黒猫のエピソード』です。
死の数日前、療養している離れの庭先にやってきた黒猫を沖田が斬ろうとして
斬れずに死んだ、という。
過去、あまたの小説で
そして、映画やドラマで、様々な描かれ方をしてきた有名な場面です。

黒猫が、自分が斬ってきた人間の亡霊に見えて錯乱して死ぬ、ですとか
剣士としての腕を最後に試そうとして果たせなかった、とか…。
とにかく

「ああ、斬れない…!」

と、最後に呟いて倒れる総司は、子ども心にやりきれなく。

「人生とは、こんなふうに終わっていってもいいのだろうか!?」と。
どんなに精一杯生きても、人は報われないのではないか、と。
自分が命を懸けて、極めてきたところのもの。
自分そのものであった世界についに見捨てられる、
こんな人生の終わりがあっていいのだろうか!?と。
今思えばそれは、「世の中」というものや
「自らが生きること」への漠然とした不安を抱かせるに十分な場面でした。

      

「総司が亡くなる数日前、彼はみつにこんなことを言ったのだそうだ。

『姉さん。もうちょっとでまた剣の道が極められそうだ。次の場所に行けそうなんだ。
稽古はしていないけれど、寝ながら考えていたらだんだん見えてきた』

総司は天才ですから稽古なぞしなくたって剣は極められるのかもしれないですね、
とみつが応えると、本当に嬉しそうに笑った。」

この日、庭に来た黒猫を「斬る」と言って外に出た総司は
猫をじっと見つめ、何もせずに戻ってきます。
その翌日も同じく。
そして寝床に戻り、誰にも気づかれることなくそのまま死んでしまう。
死後
彼が寝入る前に興奮して語ったという言葉が、世話をしていた婆やの口から語られます。

「ねえ、婆や。
私は猫を斬らなかったけれど、斬れなかったんじゃないんだ。斬ろうと思えば斬れる。
いつだって斬れるんだ。
確かに、今は万全じゃないから、誰かに踏み込まれたらやられちゃうかもしれないけれど
でももう、そういうことを恐れることもないな。

私はね、一番の剣客を目指していたから、
人と立ち会って勝つことだけをずっと考えてきたんです。
でも、それだけじゃない、って最近わかってきた。
大きい世界に出て、いろんな人と出会って、剣を十分に使って、経験を積んで、
ちゃんと自分には剣があることがわかった。
頭じゃなくて、気持ちと体ではっきりとわかってきたんだよ。
だからもう、争わなくてもよくなった。人と争わなければならないような迷いは、もうないな。
だって自分に自信があるからね。

剣を極めるということは、もう斬らなくてもよくなるということなのかもしれません。
闘わなくたって、相手も自分もわかるということなのかもしれません」

一気に、そして嬉しそうに婆やに語って「安心しきった顔で床に入った」。
それが、この作品の最後の総司の姿。

この場面をはじめて読んだとき、
肩の力がすうっと抜け、言いようのない感慨を覚えたものでした。
あえて言葉にするなら「やっと終わった」という感じ?
やっとこういう総司が出てきた、という感慨といえるかもしれませんし
あるいは
自分の中でずっと留まっていた「何か」が昇華された安堵感だったかもしれません。

とにかく、空を見上げて、なんだか泣きたいような心持ちになったのでした。
総司とともに、自分の中の何かが確かに癒され、光となって
天に昇って行ったかのような気がしたのでした。

「新選組 幕末の青嵐」。
最後は史実通り、もちろんみな死んでしまうのですが
それでも、後に残るのは爽やかな一陣の風と突き抜ける青空と、
そして美しいダイヤの透明感。
こんなふうな世界を、空気を、律動を言葉で構築できる人というのは本当にすごいな、
と思います。

奇しくも、7月19日は新暦で沖田総司の命日。
(この蒸し暑い時期にずっと寝床の中だったとは!沖田さん大変でしたね)
子どもの頃、何度も彼らの人生を追体験し。
そして月日が過ぎ。

この作品を通してやっと、
彼自身の口から
「人生って、それでもすばらしい。生きるって、それでもすばらしいよ!」

と、言ってもらえたような気もし。
いや、それを大人になったわたしは、もはや十分に知っていたのですが
145年前の彼に伝えるすべを持たなかったので。

それを再度しっかりと確認し
そこにともに到達できたことを喜ぶために
「朗読カフェ」にて
皆さんの前で「音」という形で表現してみたくなったのかもしれません。

言葉に込められた響きというものが
そこに込められた祈りや思いというものが
確かに届くものだと、最近とみに実感するので。

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