知人から「家の近所で摘んできたマルベリー」というものをもらい、
「ソースにすると美味しいですよ♪」
とのことで、今煮ています。
知人は「ベニシアさん」みたいな人で、
とても丁寧に「手をかけた」生活をしている人で、才能だな✨✨✨といつも思います。
「意識せず自然にやってしまうこと。
自分にとってはとても普通で、
息をするのと同じくらいにやってしまう行動や思考のパターン」
→「才能」
この知人の家に入ると、
入った瞬間から空氣が違う。
パタン、と外界と遮断され、静かで落ち着いた、
苔むすみずみずしい深緑の静寂に入って行くような感じ?
(あくまでもわたしの体感)
そして、ここで出される一つ一つのお菓子がまた☺️(喜)
知人の出すお茶
(美しい茶器で、中国茶を出してくれます)
と、お菓子を味わっていつも実感することは、
「人の土台が、表に現れる」
ということ。
レシピがあって、材料を混ぜる。
誰でもできるシンプルなものであっても、きっとものすごく違いが出る。
その材料と材料を「つなぐもの」「間にあるもの」が
いきなり大きい話ですが、
「その人の在り方」
なんだろうなと。
知人のお菓子やお茶は、そういう味なのです。
お菓子を味わっているのではなく、
お菓子を通して、その知人の静寂や満ち足りた感覚や、
穏やかな時間や…そんなものを
「おすそ分け」
してもらい、自分の中にもらっている氣分になります。
(実際、そのあととても癒されたり、元氣が出るので、
「いただいている」ということになると思うんですが)
話を戻して。
そして、その「差異」こそが、その人の個性であり
「それをするのが、その人でなければならない理由」
なんだろうな、
と思います。なんの仕事でもそうなんだろうなと。
この知人の在り方、
毎日の過ごし方にとても憧れているところです。