それをするのがあなたでなければならない理由

 

 

 

 

知人から「家の近所で摘んできたマルベリー」というものをもらい、

 

「ソースにすると美味しいですよ♪」

 

とのことで、今煮ています。

 

 

 

 

 

知人は「ベニシアさん」みたいな人で、

とても丁寧に「手をかけた」生活をしている人で、才能だな✨✨✨といつも思います。

 

 

 

 

「意識せず自然にやってしまうこと。
自分にとってはとても普通で、
息をするのと同じくらいにやってしまう行動や思考のパターン」
→「才能」

 

 

 

この知人の家に入ると、
入った瞬間から空氣が違う。
パタン、と外界と遮断され、静かで落ち着いた、
苔むすみずみずしい深緑の静寂に入って行くような感じ?
(あくまでもわたしの体感)

 

 

 

 

 

 

そして、ここで出される一つ一つのお菓子がまた☺️(喜)

 

 

知人の出すお茶
(美しい茶器で、中国茶を出してくれます)
と、お菓子を味わっていつも実感することは、

 

 

 

「人の土台が、表に現れる」

 

 

 

ということ。

 

 

レシピがあって、材料を混ぜる。
誰でもできるシンプルなものであっても、きっとものすごく違いが出る。

 

その材料と材料を「つなぐもの」「間にあるもの」が
いきなり大きい話ですが、

 

 

 

「その人の在り方」

 

 

 

なんだろうなと。

知人のお菓子やお茶は、そういう味なのです。

お菓子を味わっているのではなく、

お菓子を通して、その知人の静寂や満ち足りた感覚や、

穏やかな時間や…そんなものを

 

 

「おすそ分け」

 

 

してもらい、自分の中にもらっている氣分になります。

(実際、そのあととても癒されたり、元氣が出るので、

「いただいている」ということになると思うんですが)

 

 

 

 

 

 

 

話を戻して。

そして、その「差異」こそが、その人の個性であり

 

 

「それをするのが、その人でなければならない理由」

 

 

 

なんだろうな、
と思います。なんの仕事でもそうなんだろうなと。

 

 

 

 

 

 

 

この知人の在り方、
毎日の過ごし方にとても憧れているところです。

 

 

 

 

 

身体は雄弁に物語る〜木々がその年輪に日照りや干ばつ…太陽や風や雨の歴史をしっかりと刻むように

 

 

 

 

 

「ボティトーク」の施術を受けてみました。

 

 

 

地層にはその時代時代の、いわば「地球の記憶」が刻み込まれており、
遺物が埋め込まれており、
そこから色々な「地球の過ごしてきた物語」を知ることができますが、

 

 

 

人の身体もまさにそういうものなのです。

 

 

 

 

昔、「ロルフィング」という施術がとても氣になって、
受けに行ったことがあるんですが、
(もはや場所すら覚えていないんですが。東京に近い田舎の、梅の美しい駅でした)

 

 

 

 

それは筋膜に刻み込まれた記憶を解放するものであった、
という覚えがあります。

 

 

強い衝撃を受ければびっくりしたり、恐怖を感じますが、
それは、頭の中の記憶だけでなく、身体にもしっかりと「記憶」として刻み込まれる。
身体的な衝撃だけでなく、心の衝撃も刻み込まれる。

 

 

それらが筋膜を引きつらせ、
やがて身体の歪みを生じる、

 

 

それを修正する。

 

 

というようなものであったと記憶しています。
うろ覚えですが。

 

 

 

 

「ボディトーク」。

「主訴」(最近ここが痛くてああでこうでこうなんです)
からは想像もつかないメッセージがいつも導き出されるわけですが、

(今回でいうと、
臓器からのメッセージ、
身体の周りを囲むエネルギー体のバランス、
二代前までを含む家族間の感情の解決すべきこと、などなど…
遺伝子から宇宙まで、
その系統立てられた構造の壮大さには舌を巻くものがあります)

 

 

 

 

 

 

 

それは全て「私の身体が語っている」のです。

 

 

 

実は、身体はこんなにも「知っている」。
身体はほんとうに「自然のもの」なのだな、と感じます。

 

 

木々がその年輪に季節の変化、日照りや干ばつ
…太陽や風や雨の歴史をしっかりと刻むように、

 

 

 

 

 

深く深く、地球の奥底まで、
宇宙の、星の動きまでと繋がっており、
時間の記憶も全て、身体の中に蓄えている。

 

私たちの身体は、すべてと繋がっている。
恐るべき叡智の場、なのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

少し前。
AI全盛となるであろう時代を前に、
シリコンバレーで働く親たちが子どもをどう教育しているか?
という番組をやっていましたが。

 

 

 

それらの親に一番人氣の私立の学校の教育は
「電子機器一切禁止」。

 

 

 

その授業は、
ナイフで木を削ってスプーンを作り、
輪になって手を叩き、声を出しながらリズムをとって九九を暗唱し、
ポールにみんなでリボンを巻く(西洋のお祭りみたく)
という…

 

 

 

「身体感覚」「五感」を磨くものでした。
つくりたいのは「創造性」と「調和」だそうで。

 

 

 

 

 

 

さて。
こんな現状の日本であってもなお。
(とあえて言ってみる)

 

 

 

私たち日本人は、
世界でも「自然に最も近い民族」の一つである、と言えます。
自然に対する「繊細な五感」を備えもつ民族です。

 

 

 

それは、私たちの使う「日本語」が、
私たちのこの特徴的な「日本語脳」を作っているから、なのですが。
(詳しくはこちら)
https://ameblo.jp/businesskouko/entry-12292650593.html

 

 

 

 

 

教育の仕組みも、社会の仕組みも、医療も、そのほか諸々…
これから

 

 

 

「身体とのつながりを取り戻す」

 

 

 

 

ことが、土台の大きな鍵となる、と
そんな風に感じています。

 

 

 

 

 

身体とのつながりを取り戻すということは、
自分の中心軸と、
自然との、
世界との、

つながりを本当の意味で、
(全てがバランスのとれた、誰も泣くもののない調和という形で)

 

取り戻す、ということだ、と思うからです。

 

 

 

 

 

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