あなたの中の’5歳児’はずっと待っているー独眼竜政宗に見る’インナーチャイルドの統合’

 

 

 

 

 

 

「大河ドラマ歴代最高視聴率」

と呼び声高い割に、当時あまりちゃんと観ていなかったので、

「麒麟がくる」休止に伴う特番、

 

 

 

『戦国大河ドラマ名場面集、第一回「独眼竜政宗」』

 

 

 

「へえ〜、こんな感じだったんだ」

 

と観ていたんですが。

 

 

 

ラストシーン。

死に際、迎えにきた母の呼びかけに無邪氣に走って行く幼年の政宗、

少年の政宗、そして、

手を差し伸べる老いた政宗

 

を見て、

 

 

 

「よかったねえ」としみじみ。

 

 

 

 

詳しくない方のために注釈しておくと、
(って、私も非常にぼんやりとしか覚えていなかったですが)

 

 

 

 

 

 

・幼年の政宗→「梵天丸は醜いか?」(疱瘡で片目をなくし)
・青年政宗→「これが心尽くしの膳にござるかっ…!」
(実母に毒入り料理を食べさせられ、縁先でゲロゲロ吐く)

 

 

 

 

 

 

これだけでも、
なんだかもう、根っこの土台がハードモードな人生。

 

 

 

 

 

うちにあるインナーチャイルドの本に、
幼い頃からの、各年代の、たくさんの自分(悲しかった自分・辛かった自分…)
を連れて、統合するというワークが載っているんですが、
このラストは「まさに、それじゃん」と。

 

 

 

 

 

 

 

 

本当の政宗がどうだったかは知らないですが、
人生のある地点で、

 

 

「完了する」「すべて許す(自分も他者も)」

 

 

というのはとても大切なことで、

 

 

死の間際であれ、その瞬間であれ、
すべてのわだかまりが解け、母に駆け寄って行けた幼い政宗たち、

母に手を差し伸べ、

本当に欲しかった言葉を母から受け取ることのできた老いた政宗に、
 

 

 

 

 

「本当に、よかったね(涙)」

 

 

 

 

 

と、もうそれしか言えない私なのでした。

(↓これが、そのラストなんですが、なんだかこの写真では私の感動があまり伝わらない…)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

と、上記のようなことをfacebookに書いたんですが、

 

 

「自分の中の『それ(インナーチャイルド)』もそろそろどうにかしないとな」

 

 

と、コメントをくださった方あり。

「そういえば確かに」

という方あり。

いく人かの方には「響いた」ようで。

 

 

 

 

 

 

 

「インナーチャイルド」という表現もまた一つの「比喩」で、

自分の体験、感情のあれこれを整理しやすくするための

「捉え方」「表現の仕方」の一つだと思うのですが、今日はそれで進めます。

 

 

 

 

 

 

 

 

あなたの中にも私の中にも「待っている子ども」がいるかもしれない。

 

「いつ迎えに来てくれるんだろう」

「いつ約束を果たしてくれるんだろう」

 

と、

膝を抱えて。

あるいは、「あの場所」にいまだ立って、

 

 

待っている子が。

 

 

 

 

ちょっとどき…とした人は。

 

迎えに行ってみてもいいかもしれない。

(いえ、ぜひ迎えに行って欲しい)

 

そして、手をとって「長いこと待たせてごめんね。さあ、一緒に行こう」

と、歩き出す。

 

 

 

それはすなわち、

私たちの人生に、大きな大きなエネルギーが戻ってくることにつながる、

とそんなふうに感じます。

 

 

 

 

 

 

 

 

子どもは大人が思っている5倍は「わかっていて」「見えていて」「出来る」

 

 

 

 

「声のワークショップ*リハビリ♪」

 

 

 

なるものを5月末からやっています。

 

 

ご時世で、セミナーを休んで約3ヶ月。

研修業務も休み。

身体が鈍るなあと思い、トレーニング方々始めたのですが、

一人でやるよりは、と思い、

 

 

「来たい人来てね」

 

 

と声をかけ、密とやらにならぬよう30畳の大広間に少人数で…とやっているのですが。

 

 

 

 

 

 

で、

その第2回に、小2の女の子がやってきました。

 

 

高校生より下はセミナーをやったことがないので、

「おう、小さい!」

となんだか物珍しい可愛い生き物を見るような感じもあり。
 

基本、「お子様の扱い」というのもはわからないので、

いつも通りだったんですが、そう言いながらも観察するに、

 

 

 

 

「すべての活動において、なんら遜色ない」
「一度の説明でスルリと理解し、参加してくる」
「リズム感、文章の波に乗ってくる感覚はむしろ大人よりいい」

 

 

 

 

しかも。

 

 

一つの作品を、「どう読むか?」と…
つまり、どこをどうばらけ、または一緒に声に出す、
などなど…その場で軽く、いわば
「演出プラン」をみんなで出し合いながら、
サクッと作っていくんですが、

 

 

明らかに、彼女がぽそっと呟く「プラン」をみんなでやってみると
「いい」。
「しっくりくる」。
「盛り上がる」。

 

 

 

 

 

 

 

私が持っていったものは流石に漢字だらけで、
(またもや講談を持っていった^^)
紙に「ふりがな」を書き込む余白すらなかったので、
この日はやらなかったんですが、

 

 

 

きっと彼女は、
「読み仮名」さえ書ければ、
とっても楽しんでくれたろう、
(見てみたかったな。残念だったな)

と思ったのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何度かブログにも書き、
熱く語っていますが、

 

 

 

「子どもを見くびるな」
「子どもにこそ本物を」
「口当たりのいい(大人が勝手に「子どもにはわからないだろう」と改変した)紛い物ではなく、

噛みごたえのある良質のものを」

 

 

 

 

 

 

子どもは、
私たちが思っているよりずっと、
「見えている」
「知っている(知識ではなくても、身体が知っている)」
そして
「出来る」

のです。

 

 

 

 

 

(思い出せば、教員の頃、生徒をみていてもそうでした。
いつもはるか予想を超えて、創造し始める。
任せれば任せるほど生き生きと、すごい力で成長していく。

 

 

 

 

だからこそ、私たちの仕事は、

「未だ世に出る前の、目の前の、なんでも吸収してしまう
若木たちに、どれだけ、

 

『自分の心身でちゃんと生きて、

体感してきた(ココ大事)本物を提示できるか』

 

 

であった、

し、今もそうだ、と思うのです。単なる知識ではなくてですね)

 

 

 

 

 

 

*   *   *

 

 

※私の「リハビリ」に付き合ってもらっているという形なので、

参加料は無料なんですが、一つだけ持ってこないといけないものがあり、

それは、

 

「自分が声に出して読みたいもの、語りたいもの」

 

 

氣張ったものを持ってこなくても、

例えば好きなお店のコースメニューでも、家電の取説でもOKよとお伝えしているんですが。

 

 

 

 

 

この日は、下記の「お題」が集まりました。

 

 

《この日のお題》

①いるか
「ことばあそびうた」より
谷川俊太郎 詩
瀬川康男 絵
福音館書店

 

②そうだ村の村長さん
阪田寛夫
「しゃべる詩あそぶ詩きこえる詩」より
はせみつこ 編
飯野和好 絵
冨山房

 

③わらべうた
♪ほ ほ ほたるこい
♪ほたるこい
譜「にほんのわらべうた④楽譜とCD」より
近藤信子
福音館書店

 

④「Happiness」(ハピネス) 嵐

 

⑤【ちょっと一息】
「みるなの座敷」(ご参加者演じる「素話」)

 

⑤風の又三郎より一部
「声に出して読みたい日本語」より
斎藤孝
草思社

 

 

 

人が変化する時は。(小野田さんと陸軍中野学校の動画より)

 

 

 

 

 

NLPのコースに行っていた頃、

人を変化、変容へ誘う(いざなう)ことのメタファー(たとえ)として、

 

「ジャングルで数十年間戦い続けた日本兵」

 

というのがあった。

 

 

 

 

戦争が終わったこともわからず、

ずっと、戦争中の「任務」をただひたすら守り続け、

一人ジャングルにこもって戦い続ける日本兵。

 

人々が戦争を忘れ、どんなに戦後復興を遂げ、豊かさを謳歌し始めても、

彼にとっての「真実」は未だ戦いの中にある。

 

彼はかたくなで、

投降を進めるビラも、わざわざ現地に行ってマイクで呼びかける親族の声も、

全て、

 

「敵の罠」

 

というフィルターを通してしかみることが出来ない。

したがって、絶対にジャングルから姿を表さない。

 

 

 

 

 

どうやって、彼の心を開き、

「変容」

にいざなうか。

 

 

答えは、

「当時の上官を連れて行き、ちゃんと、作法に則って

上官から『任務解除』を伝える」。

 

 

 

 

 

「変化」は誰にとっても恐ろしい。

 

人を変容に導くということは、

その人の見ている世界、住んでいる世界に寄り添い、

丁寧に「お邪魔し」

そして、相手の気持ちと状態を最大に尊重しつつ、行われるべきことなのだ、

 

と。

 

 

 

そういう趣旨のたとえだったように覚えている。

結構胸に響く、好きな逸話として印象に残っていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

さて、

なぜ、いきなりこんなことを書いているかというと、

ついさっき、偶然にも、

 

「陸軍中野学校」

 

の映像を見たからなのです。

(全く違う映像を探していたんですが、

ふっと、なんとなく、上がっていたのをクリックしてしまい、

結局最後まで見てしまった)

 

 

 

 

 

そして。

ずっ~と、なんとなく「イメージ」として描いていた

「上官による任務解除」

の瞬間を、しっかりと画像で確認してしまうことに。

 

 

(小野田少尉、上官の谷口さんから30年経って任務解除を言い渡される)

 

 

す、すごいインパクト。

わかってはいたつもりでしたが…

「本当にあったこと」なのですね。

 

 

 

 

 

このドキュメントで、

当時の小野田さんの同僚たちが、

思っていたよりも、もっともっと、ずっと小野田さんに、

「寄り添い」「工夫して」

この時を迎えたことを知りました。

 

 

 

 

 

 

 

 

ずっと出てこない日本兵がいる。

 

 

その時、

中野学校

(※陸軍中野学校→戦争中、情報将校・ゲリラ戦をする兵を育成した機関。

 小野田さんもここの出身)

の出身者だけは、その気持ちが手に取るようにわかった。

 

 

 

彼らは、

現地へ行き、自分たちだけがわかる「校歌」を歌い

ジャングルに呼びかける。

さらに、

当時の上官を探し出し、

 

 

「この人なら

当時とほぼ顔が変わっていないから小野田は覚えているだろう」

 

 

と、そんなところも配慮して、

現地で「復員命令」を伝えてもらう。

 

 

(ここまで、昔あった歴史バラエティ

「驚き桃の木20世紀」情報ですので悪しからず)

 

 

 

 

 

*  

 

 

 

今、私の周囲で、

(いえ、私も含めてかもですが)

 

 

自分の中の、

「ず~っとジャングルに隠れていた自分」

(NLPでは「パート」と呼びますが)

 

 

が、ひょこ、ひょこと顔を出したり、

暴れている人がいるように感じています。

 

「あの時は辛かったんだ」

「寂しいよ」

「変わりたくない」

「外は怖い」

 

 

今の、世界の状況的なものもあってか、

皆、変わらざるを得ない現実の変化を前に

不安定になることも大いにあるでしょう。

 

 

 

 

 

そんな時は、

思い出してみて欲しいのです。

 

自分の中の「それらのパート」。

それに、一番寄り添わねばならないのは、

何より自分自身なんだということを。

 

丁寧に、丁寧に、扱って欲しいのです。

 

言葉をかけて欲しいのです。

 

「頑張ったよね」

「よくやってきたよ」

「大丈夫だよ」

「君がどれだけ頑張ってきたか、よく知ってるよ」

(じゃないと、ますます、ジャングルから出てこなくなります)

 

 

 

 

まかり間違っても、

「馬鹿野郎グズグズ何してんだ」

「お前間違ってるよ」

「いつまでそんなことやってんだ」

なんて罵声を浴びせ、

無理やりジャングルから引き摺り出すようなことはしないで欲しいのです。

 

 

 

 

あなたの中の「パート」は、

昔の体験から得た「命令」(ルール)を今も、純粋に、

信じているだけなのですから。

 

 

 

 

丁寧に語りかけ、

そして、もしその「ルール」が今のあなたの幸せにそぐわないものだったら、

優しく解除してあげて欲しいと思います。

 

 

 

 

 

それが、結局変化への

「一番の早道」だということなんだと思います。

 

 

 

 

 

 

 

追伸:それにしても…昔(教員時代)

   全然寄り添わない「変化の強要」を、していたこと、あったなあと

   今思えば反省しきりです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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