「羊羹を食べる」

このひと月ほど
羊羹が食べたくて仕方がない。

頭の中を駆け巡るのは
わたしにとっての「KING OF 羊羹」。
切ってしばらく置いておくと外側に白い糖分がじゃりじゃりと固まってつく
大分は日田の赤司羊羹。
立派な箱に入って、とても「特別感」のある堂々たる姿でした。

四角いシンプルな姿の奥に、いろんなものが凝縮されているような
奥ゆかしさ。
一回に1センチ食べるのがやっとな感じの、あの荘厳かつ重厚な甘さ。
さすがは、天領の地の羊羹。
(関係あるのかわかりませんが)

ウエディングの仕事をしている頃
日田出身の同僚が、家に帰るたびにお土産として持参してくれていたのでした。
懐かしい。

さて
このあたりで手に入るはずもなく、仕方なく近所の
「創業安政元年 かるかん元祖 明石屋」
に急ぎます。
広い店内に走り込み、ざっと目を滑らすと店頭に並ぶのは「木目羹」のみ。
これは「蒸し羊羹」。
一人でいっきに半分は食べられそうなやわらかさと軽さが魅力なのです。
今日はこれじゃない!
店員さんに言ってみました。

「これぞ羊羹、って感じの、羊羹中のようかん、ありますか」

渋いお茶を飲みながら
2センチくらいに上品に切ったその一切れを
ゆっくりと味わうしかない。
いっきになんてとても食べられない、あの羊羹独特の静かな甘みと濃厚な密度のパワー…

そんな羊羹です!
(とまではさすがに言いませんでしたが)

購入したのはこれ。

1369965448559.jpg 

楽しみです。ああ…。
ちなみに、自分のためだけに羊羹を。
ケーキでもシュークリームでもなく、羊羹を、しかも丸ごと一本(一棹でしたっけ)買うのは
初めてなことに気づき。

「どうして、羊羹なんだろう」

と思ったのですが。
持ち重りのするかたまりを目の前に据えてしばらく。
納得がゆきました。

「ああ、わたしは『間』がほしかったんだな」

…新しいお茶を買ってこようかな。
せっかくだから、前にもらった漆塗りの菓子楊枝を箱から出そう。
おしゃれな器がないなあ。
羊羹をこれくらいに切ったとして器にはこれくらいのスペースが…

と、頭の中で「羊羹シュミレーション」が目まぐるしく展開していることに気づき(笑)。
それは、地味ながら、とても満たされるものでした。
シュークリームやケーキではどうも、こうはいかない。
これらはわたしにとってはなんというか、やっぱり「日常」なのですよね。

その存在は
喩えて言えば足元にすり寄ってくる毛足の長い愛玩犬のよう。
「見て見てほら、かわいいでしょう!?」と言わんばかりに
突進してくるあのテンション。
いいんです。好きだし。可愛いし。
かわいいんですけれど、なんというか「間」はできない。

かたや、羊羹は
凛として、まっすぐに前を向き、孤高を保つ柴犬のような?
その愛らしさはあくまでも奥ゆかしく。
媚びないので、容易には近寄りがたいけれど。
じゃれなくてもいいから、ともに寄り添い、静かに縁側で庭を眺めていたいような。
(…だんだん、何を書いているのかわからなくなってきました)

とにかく
羊羹が食べたかったというよりは
自分が「羊羹を食べる」ということに対してイメージ(というか、妄想)している「ひととき」を
とても必要としていたんだな、ということに気づきました。

ばたばたと流れていく時間。
目まぐるしい日常。
そこからいったん切り離されたかった。
ただ、そこにある「瞬間」を味わう時間がほしかった。
そういう感じでしょうか。

濃い紫と何の飾りもない、ただただすっきりと四角い姿は
そのような集中にとても似つかわしい気もします。
なんともストイックなあの形状。

「忙中閑あり」。
お茶室の中で流れるような「一瞬の永遠」の時間を
一棹の羊羹に託してしまっていたのでした、というお話でした。
…「羊羹」で、よくこれだけ書けるな~と
自分の妄想力を少し恥ずかしく思いつつ。

みなさんは
どんな方法でそういう時間をとるのでしょう?
とても聞いてみたい気がします。

アーカイブ
Copyright © Communication Works All Rights Reserved.