「手紙の持つ意味」

昨日のブログに

たんぽぽさん よりコメントいただきました。

「やっぱり・・メールや自分のコトバで伝えきれなかった事は手紙のほうが伝わるんですかね・・・。

いつも身近にいながら伝えきれないというか・・伝わらなくて(_ _。)」

手紙の効用。

手紙が今の時代に持つ「意味」は

「心をむける」ことと「時間(手間)」だと思います。

メール。

それこそ毎日何通ものメールを書き、もらい、周囲を飛び交っています。

何の特別な感じもない。

電話も手軽。

そんな中で

便箋と封筒のチョイスから始まり

どんな筆記用具を使うかを決め

字も間違ってはいやですから辞書など片手に

さあ、と背筋を伸ばす。

中村公子のコーチングna日々♪-DSC_0503.JPG

どのくらいの大きさの字を書くのか?

どういう字の形を使うか。

字と字の間隔は?行間は空きすぎてない?などなど…

すべてが自分の感覚と、それを表現する体の裁量ひとつ。

源氏物語で

文を書く紙を選ぶちょっとした表現があったのを

思い出しますが

ああいったところはとてもワクワクと読んだものでした。

香をたきしめ、紙に移り香をしのばせ、相手に送る。

「想いを伝える」ために、なんといろいろな世界を

創造できることだろう、と思ったものです。

ですからたんぽぽさん。

手紙でつたわるのは

その、書き手が選んで書いた言葉通りの思い。

プラス

その、「一つの手紙を完成させる」というプロセスに書き手が込めた

「時間」と「手間」。「創意工夫」。

そこから相手が受け取るのは

「あなたのことがとっても大切です」

「あなたはわたしにとって特別です」

というかけがえのないメッセージ、なのではないかと思います。

それこそが最も伝わるもの。

手紙が持つ意味、なのだと思います。

余談ですが

ほかにも、手紙には書き手の「センス」

(あり方)が出てしまうのが怖いところですが。

今まで私が出会った中で

いつも風が吹くように、流れるように文字をスラリと書き流し

どんなサイズの紙にも、まるでデザインしたかのようにピタッとかっこよく文字をあてはめ

紙面を構成してしまう二人の知人は

どちらも

仕事の能力ぴか一
人間としてもさいこ~。

バランス感覚に優れた

男も惚れる、女も惚れる、カッコいい生き方をしている二人でした。

一人は男性。もう一人は女性。

その書く文字の通りに、停滞することなく、よどむことなく

いつもさわやかな風をまとって歩く二人でした。

懐かしい。

せめて月一は

体を使って手紙を書こう

大切な人へ送るとっておきの手紙を書こう

と昨日書きましたが

こう書いてみると、「手紙」ひとつとっても、それをいかに仕上げるかに全身全霊、

創意工夫をこらすことで

鍛えられ、磨かれる能力や感覚は多いものだろうなと感じます。

手紙一つを仕上げるということは

「その世界」を五感総動員で「演出」する、ということですからね。

「退化してしまった!」

昨日、ラブレターを書いていました。
文章を書くのはいつもはほとんどパソコンです。
最近では葉書すら
パソコンに頼っています。
字配りなどが楽なので。

けれど
さすがにラブレターをパソコンで打つわけにはいかないので

久しぶりに便箋を出し、手書きです。
罫線のない、白紙の紙。
地に花と葉っぱの紋様が
浮き彫りになっているものを選びました。
これに、相手の年齢や雰囲気を考えて
縦書きで書くことにしました。

さあ!と書きはじめたのですが…。

紙に対するバランス
行間のバランス
余白をどうあけるか
いやはや…
体が完全に鈍っています。
頭ではわかるのです。どんな配置が一番美しいのか。
でも、それを表現する手が!
手が思ったように動きません。

破り捨てること三枚。
どうにか書き上げました。

とっておきの封筒に入れ、名前もしっかりと書いて、無事投函。
ああ、終わった~。この達成感と安堵感。
肩の力がどっと抜けました。


ぼ~っとしていたら
ふっと頭の中に浮かんだのは朝書いた手紙…。
何だろう、この違和感は。

…字、間違った(涙)

間違った字の映像が浮かびました。
同志、を同士、と書いてしまったのでした。
書いたとき
字面を見て、なにか違和感があったのです。
なんか変だと。
でも、気づかなかった。

「気づけなかった」ということが
とてもショックでした。

ものすごく鈍ってる。
こんな簡単な漢字を間違えて
何度も見直したのに気づけなかったなんて。

ショックです。

せめて月一は
ていねいに、時間をかけて
心をかたむけて文字を書こう。
誰かに思いを伝える手紙を書こう、
と思ったことでした。

教訓。
使わないセンスは
あきらかに退化します。

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「心を向ける~海を渡ってお墓へ行く人」

 

昨日
朝のバスの中で隣にすわったご婦人。
大きな花の包みを抱えていらっしゃいました。

包装紙に包んだ菊。
鹿児島ではよくみる光景です。

菊の横から顔を覗かせている背の高い黄緑のとんがらしのお化けみたいな大きいのが気になって
声をかけました。

「それ、何ですか?」

そこから話がはずんでしまい
しばらく時間が過ぎました。

「お花はご仏壇だんですか?お墓ですか?」
とわたし。

鹿児島では
お墓をとにかく大切にするので
お墓へいく方のこういう姿は
お彼岸でなくてもよく目にします。

「お墓参りにいくんですよ~、今から」
「そうですか~」
「桜島なんです」
「えっ」
「天文舘でおりて、水族館口までいって…」
「そのあと歩いて、それからフェリーに乗って…ですね」
「はい。この間はそのあとが大変で…向こうで、いると思ったバスが出ていて、一時間も待ったんですよ」

この方は
いつもこれだけの手間暇と時間をかけて
お墓参りをしていらっしゃるのか。

「桜島のお墓に行くときは
二三日前からもう、いろいろと考えるんですよ」

瞬間
ばたばたと忙しぶっていた自分を思いました。
いかに早く
たくさんのことをする?
それが最大の「善」になっていた自分を。
周りにもそれを求めていたことを。

ふと口をついて出ました。
「ご先祖様…とっても喜んでらっしゃると思います。
時間をかけて、手間をかけて、そこが何より、一番大切なことの気がします」

 

 

大切な人のために
自分の時間を使う。
丁寧に、心をこめて準備をして。

効率とか、短時間にいかにたくさんのことをするかとか
そんなところにはない
大切な「価値」です。

そこに
どれだけ丁寧に、真剣に心を向けるか。
その、目に見えないエネルギーは
必ず伝わり
一番大切な土台を日々作っていくのだと
感じています。

Android携帯からの投稿

「型+血=自分らしさ」

先日、知人のNLPトレーナーさんと話していました。

話は広がり、五感の話から茶道の話、そして畳の上での立居振舞やそのほか…

いわゆる、「型」の話になりました。

「ずっと昔から伝わってきている『型』って、タイムマシンというか

タイムカプセルのような気がするんですよね。

その理屈はその時は分からなくても

型をまね、本当に、ただその型と無心に一体になったときに

その人は、その瞬間利休の心、利休の想いを体感しているんだと思います。

利休とともにいる」

とわたし。

つまり、モデリングです。

「型をまねる」という「学びの方法」はNLPでいうところの「モデリング」。

優れた人の「形」をまねることで、その人の状態やあり方までを自分の中に取り込み

パフォーマンスの向上につなげるというものです。

更に話は広がり…

その方が言いました。

「形(かたち)という言葉がありますね。

あれって、「型」に「血」という言葉が合わさってできたものなんだそうですよ

人は、形を創っていかなくてはならない、と」

型に血があわさって、かたち。

形とは「らしさ」のことだそう。

「自分らしさ」。

受け継いだ「型」を

たくさんの試行錯誤、体験を通して自らの細胞に染みこませ

やがて血肉となったものが「形」。

ということなのですね。

もはや、自分の体の一部として湧き出るように

自由自在に自分の色で表現できるようになった「型」が「形」となる。

そして、忘れてはならないのは

その「形(自分らしさ)」を創る根底には「基本の型」があってこそ、ということです。

正しい「型」を土台としない「形」はありえない、ということ。

これは

すべてに言えることなのでしょうね。

さまざまな芸道。

それに、仕事、スポーツ…etc etc

そんな話に感銘していたら

まさに「型」から「形」に脱皮しようとしている段階を迎えている人に出会いました。

その方は仕事で使うためにコーチングを学ばれたのですが

いろいろな相手との局面で多くのことを試し、体験され

まさにテキストで学んだ「型」をふまえて

自分によりそぐう表現の仕方をしようとなさっている様子が

ありありと感じられました。

「しっくりこない」「違和感がある」

そんな言葉で表現なさったので

わたしは「ここぞ!」とばかりに

「型+血」の話をお伝えしたのでした。

「ご存知ですか?『形』という言葉があるじゃないですか…」(嬉々)

それはまさに「進歩成長」のステップにいらっしゃるということなのだと感じます、

とお伝えしました。

「自分の現状」に意味のあるラベルが貼られたことで

スッキリとご自身の中を整理なさった様子を感じて

「ああ、型+血の話、聞いておいてよかったなあ~」

とつくづく思ったことでした。


「五感で感じる歴史旅」

函館~東京と廻って週の頭に帰って来ました。

今回函館は、箱館戦争の終焉の時期に合わせて行ってきました。

慶応4年1月、鳥羽伏見の戦いで始まった戊辰戦争の最後の地となった函館。

箱館戦争とは

明治元年10月下旬に北海道、森町鷲ノ木に旧幕府軍が上陸したのを皮切りに

翌明治2年、

函館市内での戦闘を経て、5月18日、同軍が降伏するまでの約7か月間の戦いをいいます。

が、

この日付は全部「旧暦」なのですよね。

ですから、今の暦でいうと10月下旬は12月。

5月中旬は6月下旬くらいになります。

(おおまか、ですが)

ですから、旧幕府軍が鷲ノ木に上陸したのは秋ではなく

12月の雪で覆われた厳しい天候の鷲ノ木浜で

(実際、海が荒れて上陸の際のボートが転覆、戦いを待たずして人が死んだりしています)

最後の戦いが繰り広げられた「5月」というのは

GW近辺の、あのさわやかな陽気をイメージしてはいけない。

本当は

7月近くの、だいぶ日差しの強くなった時期の出来事、ということになります。

わたしにとって

「歴旅」をするときに

はずせないのがその「時期」です。

「そのこと」があったときと

できるだけ、同じ気温、同じ空気を感じたい。

同じ空を見て、同じ陽射しを浴び、同じ風を感じたい、そう思います。

今回も、そんな意図をもって函館の街を歩き回ってみました。

お墓にもたくさんいったので

地元のスーパーで白いトルコキキョウなど買い

一輪づつお供えなどしながら。

おかげで、函館というメジャーな観光地ながら

わたしが行くところには、いつも、ほとんど人がいませんでした^^

そのかわり、やぶ蚊と蜘蛛の巣にはたくさん遭遇。

街はすっかり変わってしまっていますが

その中に印として建てられている碑や案内板を頼りに

かすかにその記憶を宿している地形や場所を探しだし

あとはもう、思いっきり想像力を働かせて、目を閉じて佇み(怪しいですよね)

はるかなる過去と「交信」するしかないという…(ますます怪しいですよね)

まあ、「歴旅」を満喫しようと思ったら

なんとも五感とイメージ力の鍛えられることとなります。

そんなときに「気候」というのは、とても大きな助け(要素)となる気がします。

今回の旅で

ひとつ、印象に残ったのが

目に痛いくらいの海の青と空の青、そして

いたるところで飛んでいる「海鳥」でした。

雲一つない青い空に、ぱあっと広がる白い海鳥の群れ。

その声が空から降ってくる。

海を近くに、山を背後にいただくのは、わたしのふるさと鹿児島とも

大好きな港町、長崎ともその特徴はよく似ていますが

たくさんの海鳥の群れだけは、函館、江差、鷲ノ木と回る中で、

はじめて目にしたものでした。

「海鳥、飛んでたのかなあ…143年前も」

下界で繰り広げられていたであろう数々の戦と

上空を優雅に飛ぶ海鳥の、風に乗ったそのあまりに自由な姿のギャップに

なんとなく切なく。

日本という国が根底からきしんで

変化のための悲鳴を上げていた、その最後の戦。

たくさんの人が

それぞれの思いを持って戦い、ある人は命を落とし

ある人は勝利の声を上げ

ある人は降伏という道を選び。

それぞれの「最後の瞬間」に

見上げたその目に映ったものは

もしかしたらこの青い空と、自由に飛んでゆく白い海鳥だったかもしれないなあ

とそんなことを思ったことでした。

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