「自分に戻る」ことが今、一人一人のやること。最も大切なこと

 

 

 

 

さて、セッションで話を聞いていると、みんな話していることはそれぞれなのだけど、
つまりは「ズレを戻して」自分の「中心」に戻る作業をして、
自分の「中心」を再確認して、つながって、
そして再び自分の生活に出発しているんだな、と思います。

 

 

「グリッド。
碁盤の目。
そこに一人一人が立っている。

 

が、
これまで、全員がズレていた。
自分の本来の場所から、なんらかの理由でズレた位置に立っていた。
一人がズレると、その隣も、そのまた隣も…と、
全員が押されてズレ始める。

それが今まで。

 

 

けれど、逆に、
一人が気づいて自分の位置に戻ると、周りも押されて「中心」にもどり始める。

 

みんなが『自分の位置』に戻る時代がやってきた」

 

 

 

 

 

いう内容が載った本を買ったのは30年前。
今でもとても鮮明に自分の中に刻まれています。

 

 

自分に戻る。自分を生きる。
それが一番大切で、わたしたちはそのために生きているのだ、と思います。

 

自分の本質。
自分の本来の位置。
自分の周波数。
自分のリズム。
自分が本来もつ響き。
(わたしはこの表現がとても好きで、感覚的にもしっくりくるので、昔から使っていますが)

 

 

どんな表現でもいいんですが、
そこにいる。それを生きる。
それより他にやることはないし、
それだけで、その状態で生きているだけで、
わたしたちは周りに貢献出来ているのだ、とつくづく思います。
(まあ、貢献するために生まれてきているわけではないですが)

 

 

 

 

そして、
そのために、わたしたちのような役割(仕事)のものもいるんだな、と思います。
いわば「調律の場」を作る役割。
「調律」の手伝いをする役割。
「声を聞く」ことをたすける役割。

 

 

 

 

 

今これを読んでいる忙しいあなた。
自分の調律をしっかりとしてください。
「その時間」を取ってください。

 

なるべく日々の中に小さく、細やかに散りばめてください、と。
(そのお願いを、クライアントさんにも改めてしたところです)

 

 

 

一人になって、自分に声をかける時間をとってください。
あなたが一番ほしい言葉は、
結局自分で自分にかけることでしか、
本当には満たすことができないものなのです。

 

 

 

 

 

旅人が旅の途中、ふと立ちよる

 

せんせんと清水の湧き出る泉。
柔らかい下草の生えた木漏れ日美しい木陰。
暖かい焚き火の燃える居心地よい洞窟。

 

そんな場所と時間を取ってほしいと思います。

 

 

そこで、
この世界で誰よりも大切な、最も近しい、
ずっと共に歩んできたパートナーである
「自分自身」と、ただ共にいる時間、
そして声を聞く時間、語らう時間をとってほしい、と思います。

 

 

 

全てはそこから始まる、
と思うこの秋なのですよね。
改めて。
(ざっくりですけれど)

 

 

 

 

 

(写真は、車のフロントガラスに乗っていた桜の落ち葉。
綺麗だったので、一枚だけ「お土産」と、持って出かけたところ、
知人はとても喜んでくれ。
こういうものを「美しい」と喜んでくれる感性がとても嬉しかったんでした)

 

 

メイドカフェはなぜ人気なのか?ーそれはつまり『参加の喜び』

 

 

 

 

外国の観光客がどのように日本を楽しんでいるか?
という特集をよく目にするようになりました。
こんなところが外国の人は新鮮!感動!というもろもろの特集。

 

で、メイドカフェを楽しむ外国人観光客、というのがあったのだけど。

 

 

 

ものすごくたどたどしく、
英語のカンペを一生懸命「読む」メイドさん。
完全な「日本語発音」なのが逆にすがすがしい。

で、その「たどたどしい導き」にちゃんと乗っかって、

 

 

「萌え萌えキュ〜ん❤︎」

 

 

など言ったりして、女性男性、結構な年齢の方も含めて
みんなポーズを取ったりしている。

 

 

 

 

よっぽどの人でない限り、
心中「ぷっ…」と吹きつつも、
しようがないなあ、とぼやきつつも、
「乗って」しまうんじゃないかなあ、と。

 

で、わたしも実は、一度くらいは体験してみたい、
と思っているメイドカフェなのです。

 

 

 

 

 

 

 

 

メイドカフェの楽しさは。

 

 

 

①非日常の空間
②参加の喜び
③自分も動く(声を出す。身体を動かす。五感が動く)

 

 

 

この①と②は完全に連動していて、
①の空間がしっかり作れていて、演出ができていて、
お客さんが没入できると②の「参加してみようかな」に至る。

 

 

 

そして、③こそとても大事。
③には、自己表現、そしてそれへの承認・賞賛、
さらにはみんなで共鳴、共振しあう…

 

 

 

とにかく「人が幸せを感じるコミュニケーションの瞬間」の
真髄が全て詰まっている。

 

 

 

 

 

 

 

と…

 

この三点ではないか、と思います。
そしてこれは、多くの観光地、
これまた話が広がりますが、
わたしの仕事(研修やセミナー)でも基本は同じよねと、

 

いつもながらに思うのです。

 

 

 

「見て綺麗だった」
「いい話を聞いてよかった」

 

 

 

だけでなく。

②と③があると抜群に「満足度」&「感動の度合い」が上がる。
ここまできて初めて、
「また行きたい」「また参加したい」につながる。

 

 

 

 

 

 

 

先日福岡から知人がやって来、
仙巌園にご案内したのだけれど。

 

 

(島津の殿様の別邸。庭園と御殿が美しい)

 

 

 

 

そんな中、一番楽しそうにしていた瞬間は明らかに、
「四半的」の体験コーナーだったなあ、と。
(薩摩の伝統遊戯。座って弓を射る遊びがあるのです)

 

 

 

 

もう(わたしも知人も)「きゃあきゃあ」言ってましたよ。
スタッフさんとの会話も心地よくて。
(この方もわたしたちとの時間を楽しんでくれているんだな〜、
の感がしんしんと伝わってきて)

 

ますます盛り上がってしまって、
近くで見ていた年配のご婦人二人連れまで
弓に引きずり込んでしまいました。
(小さく売り上げに貢献です♪)

 

 

 

 

 

 

 

 

ちなみに。

 

このコロナの3年間を機に、
鹿児島一番の名所の一つである、いわゆる超老舗の「仙巌園」が、
元々あった「非日常」に加えて、
②と③を兼ね備えた場所にものすごい勢いで「脱皮」したことは確かなのです。

 

(以前は地元民にとっては、
遠方から誰か来たときに連れていく場所。
小学校の遠足以降「10年に一度」足を運べばいい場所、
というような位置付けだったように思います。

 

そして、スタッフの人たちと何か会話を交わしたという覚えもあまりない)

 

 

 

 

 

この「脱皮」の様子をつぶさに見ていたこちらとしては、
とても興味深く、
そのプロセスを注視し続けているわけなのですが。

(もちろん、すごいなあ、嬉しいなあ、と思いつつ。
なんにせよ、いろんなお客様を自信を持って、かつ何度も
「連れて行きたい」と思える場所が出来たというのは嬉しく、ありがたい)

 

 

 

 

 

人が動く。
世の中が動く。
堰を切ったように。

 

 

 

 

 

そんなこの春から初夏に向けて、
この雑感が参考になる方々がいましたら幸いです。

 

 

 

 

 

 

(写真は弓をつがえる知人です。これは五射目。凛々しいでしょう??
スタッフさんのお声がけ(と素敵な励まし!)で、
どんどん姿かたち(&心)が変化していくんですよねえ)

 

 

 

「自分は幸せである」と感じる理由を「人」だけに頼るのは危うい

 

 

 

 

 

 

 

と、いうようなことを養老孟司先生が言っていたのですよね。
(YouTubeの、しかも「切り抜き動画」を見ただけなのですが)

 

 

 

講演会の会場の人たちに、事前アンケートをとって、
(あなたは幸せですか?ならびに、そう思う理由)
それを元に、養老先生が話している。

 

 

 

 

「10代の時にいじめを受けた人が、20代になってそのことを書いた本を読んだ。
皆さんのアンケートを見て、その本を読んだ時と、同じ印象を受けた」

 

 

 

と。
その「同じ印象」とは、養老先生の言葉でいうと、

 

 

 

 

 

 

「花鳥風月が一切出てこない」。

 

 

 

 

 

 

場内アンケートにあったのは、

「こういう人間関係があるから幸せ」
「こういう友がいるから幸せ」
「家族がこうだから幸せ」

 

 

 

幸せの「よって立つ」ところが、人、人、人…

 

 

 

 

これは、裏を返せば、「人(人間関係)」によって、
いとも簡単に「不幸」にもなる、と言うことだ、と。
(いじめなんて、まさにつまりそういうことだ、と)

 

 

 

 

 

 

 

 

さて。
花鳥風月、とはつまり「自然」ということなのですが。

 

 

「人間関係が辛い時に、
自分だったら
『死体(死体は「自然」だから)』(←解剖学者)
『虫』(←虫大好き)

そういう世界と語らっていたら、
人間関係の悩みなど、どうでもよく思えてくる。(生きてるだけですごいだろう!と死体を見ていると思うし)」

 

なんだそうで。

 

 

 

 

 

 

 

 

人間関係が全て。
うまくいかないと、もう行き場がない。逃げ場がない(心の)。
他に「繋がる」ところを知らない。

 

 

というのは、確かに危ういなあ、と思います。
それで、命をたつことを選んでしまう人もいるわけですし。

 

 

 

 

 

 

「そこに、風は吹いていなかったのか?
鳥は鳴いていなかったのか?」

 

by養老先生

 

 

 

 

 

 

 

齋藤孝は、現代人の「感情」と「精神」のバランスの悪さを書いています。

 

 

 

現代人は「感情」が肥大してしまい、感情に振り回され支配されているが、

かつては「精神(志・こころざし)」というものが、
感情の暴走を抑え、心のバランスをとっていた。

が、戦後、「精神」という言葉は、

「愛国精神」「軍国精神」

と言ったように、
何か悪いもの、古臭いもののように扱われてしまっている…

と、そういう内容だったかと。

 

 

 

 

 

 

 

さて。
養老先生が小さい頃は、人の世界と、自然、「半々」だったそう。
どちらも「近しかった」。
ほんの七十数年ばかし前のことですよね。

 

 

 

わたしたちの祖先は、たくさんの世界とアクセスし、

 

「そこで心を自由に羽ばたかせる」
「心をあそばせる」

 

あり方を知っていた。
この広大な世界の中で「人との関係」というのは、

 

 

 

「その一部に過ぎない」

 

 

 

 

ということを、体感的にわかっていたんだと思います。

「侘び」
「寂び」
「もののあはれ」

なんていう言葉は、そのことをよく表している。

 

 

 

 

 

 

今日はちょっとまとまりませんが。
(テーマが壮大すぎるのだよ、と思いつつ)

 

 

けれど、
自分を生かすものは、目の前の人間関係だけではない、
ということは、ものすごく思うのです。

 

 

 

ミルフィーユの如く、重層的に、
わたしたちは、実はたくさんの世界にまたがって生きている。
多くのものとつながり、
実は時間も空間も超えて、多くのものからのエールを受けつつ、生きていると感じます。

 

 

 

 

そうそう…。
そういうふうに生きられたら、狭い視野の中できつい思いしなくていいよ、

ということを養老先生は言いたかったのだと思います。

 

 

 

 

 

 

 

*   *   *   *   *

 

 

 

写真は一昨日の渡月橋。
ちょっと用があって京都に行ってきたんですが、
(弾丸ツアーな感じであまりゆっくりできなかったんですが)

すっかり京都、元に戻っていて、人だらけでした。
ここで「いろんなもの」と語らうには、ちょっと集中力が…。

けど、わたしにとっては
京都はとても「アクセスしやすい」場所なことは確かなのでした。

 

 

 

いい時間でした。空気は冴えて、山は美しい。

 

 

 

「電車残照~さよなら鹿児島市旧交通局」

鹿児島市は高麗町の鹿児島市交通局が103年の歴史に幕を閉じ

引っ越しをした4月30日。

最後の一日をどうしても見たくて

高麗町を訪れました。

「見せてください」とお声掛けをしてみると、予想に反して「いいですよ」とのお返事。

乗り鉄でも撮り鉄でもなく、とくに電車に興味があるわけでもなく

もちろん交通局のファンというわけでもないのですが

気づくと山ほどの写真が手元に残っていました。

あえていえば

「時の刻まれた空間」に魅入られてしまった、というべきか。

103年の営みが刻まれた場所を旅した、私にとっての貴重な時間。

よろしければしばしおつきあいくださいませ。




奥に、木造の建物が見えます。

これが『名物』だったのだそう(局内で出会った静岡からいらした「撮り鉄」さんが教えてくださいました)

旗は「太陽国体旗」ですか?

よくわからないのですが…時間がそのまま封じ込められているかのような光景。

木造の整備棟の中の作業場。油のにおいに満ちています。

たくさんの部品の整備がなされ、電車の安全運行を支えてきたのでしょう。

木造整備棟の中はこのようになっています。

学校の校舎のようで懐かしい。

お気に入りの一枚です。

電車に色を付ける際、この扉に「試し」をするのがならわしだったのでしょうか。

こんな接近が日常!

壁にことん、とたてかけてありました。交通局のマーク。

きっと大活躍したんでしょうね。お疲れ様でした。

局の敷地内のあちこちにある石畳と線路が風情を醸し出しています。

規則正しく組まれた天井が美しい。

これは

何でしょう?

「カエルのかさ」はわかるんですが。


これ、何かわかりますか?(ちょっと自慢気^^)めったに見られないもの壱。

建物の裏に山積みしてありました。

一つの重さが半端ない…。

答えは「電車のブレーキ」です。使って摩耗したもの、とのこと。

つい「ひとつください」というセリフが喉元まで出かかってしまいました。

局内発電所。石造り。専用の建物として作ったのでしょうか。

それとも流用でしょうか。これも壊してしまうのかな…。

めったに見られないもの弐です。

お役目を終えたバス停留所。トトロが立っていそうな雰囲気です。

(これも、欲しかった…!)

こんな階段もありました。

木です。すべて木…!

小さい頃、おじの家にあった厩の二階に登る階段にそっくり。

新しい方の整備棟。

とおくにある緑の車体が鮮やかでした。


「まっすぐ」伸びるものが好きなことに気づきました。

そして…

さよなら。

交通局。

ありがとう交通局。

ずっとこの地で電車を安全に走らせてくださった皆様方

本当にありがとうございました。

あたらしい場所で、また頑張ってくださいね。

電車も、新しい家に引っ越しです。

103年。

鹿児島の街の時の流れを電車を通して見つめ

支えてきたこの場所の歴史に幕が下りました。

土地には記憶が残る気がし。

当分この場所、寂しがるのではないかな…と思うことでした。

「日々何を目にし、何を耳に入れているか~無意識をバカにしてはならない」

 

 

 

先月の26日

 

 

 

東京滞在中の詰まった日程の合間をぬって

東京は高輪の泉岳寺に行きました。

2時間弱。あっという間の滞在時間でしたが。

 

 

 

泉岳寺は

 

 

 

わたしにとって昔からたいそう慣れ親しんだお寺です。

行ったのは今回が初めてでしたが、それこそ何度も何度も映像の中では訪れている。

(セットですが)

そう

小さい頃から年末になると必ずテレビでやっていた

あの忠臣蔵、この忠臣蔵…

どのドラマでも、必ずクライマックスの場面を彩るのはこのお寺です。

大石内蔵助をはじめとする四十七士が、吉良上野介の首を持って

主君、浅野内匠頭の墓前に報告に来る。

(と、ご存じない方がもしやいては、と思い一応説明をしてみました)

 

切腹した47人の墓所ともなっているこのお寺。

 

日本のみならず

世界でも有名な「日本の心」「武士道」を象徴する物語の

最も有名な場面の一つ、その舞台が泉岳寺なのです。


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

今回訪れたのは

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もちろん、前から行ってみたかった、ということもあるのですが

この「世界的に有名な物語の舞台」であり

(赤穂浪士のお話をベースにハリウッドで映画もつくられていますので)

多くの観光客も訪れる泉岳寺に『景観問題』が持ち上がっていると聞いたからなのです。

当初話を聞いたときは、上記のような由来の場所に

こんなに簡単に問題が持ち上がる、ということが驚きでした。

そんなにも安易なものなのか。保護もされていないのか!と。

 

 

泉岳寺は

 

 

空気の清らかな、とてもすがすがしい、心安らぐ場所でした。

土地の気がいい、というのでしょうか。

街のなかにありながら、その「場」の清らかさ、独立性をしっかりと保っている。

昔からこの地の人々の憩いの場として、そしてお坊様方の修行の場として

親しまれてきたのでしょうね。

 

写真は四十七士のお墓。

 

ある、ということはもちろんわかっていたのですが

実際にずらりと並ぶ小さなお墓を見、刻まれた名を読むと、やはり心に迫ってくるものがあります。

物語は「本当の出来事」だったのだな、と。

見知った名前が当然のごとく並んでいます。

(わたしは不和数右衛門が好きです♪)

 

 

 

 

この井戸。

(金網をかぶっている部分)

この井戸は、義士たちが、討ち取った吉良上野介の首を洗った井戸なんだそうです。

ここで…!

ここで洗ったのか~!!(興奮)

きっとこのあたりに血も落ちたことでしょう。

鬼気迫るものがあります…。

ちなみに、その井戸を囲う柵に「川上音二郎」の名が刻んで会ったことにも感動でしたが。


 

お墓の入り口では、炭で火をつけたお線香の束を売っています。

47人プラス浅野内匠頭と、奥さんの瑤泉院さんのお墓まで参るとなると

たくさんのお線香が必要です。

それに時間もかかる。

なので、このように竹の容器に入れて手渡ししてくださるのです。

器の焼け具合に、多くの人がここを訪れているのだな、

そして、皆が長くこの形でお墓参りをしているのだな、と思いつつ。

 

 

 

 

 

さて

 

 

 

 

 

先に書いた「景観問題」ですが

泉岳寺門のすぐ横に、24メートルのマンションが建つ、というものです。

(画像はこちらから拝借しましたhttp://sengakuji-mamoru.jimdo.com/


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

もう、何と形容しようもありません…。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

初めて行った泉岳寺。

 

実際に、その場所に立ち清らかな空気を吸い、そして

歴史をそのままにしっかりと刻み、そこに留める「場のエネルギー」のすごさを目と耳と、

そして皮膚感覚で感じ…。

 

ふと我に返って振り仰ぎ

 

遥か昔の時の彼方の物語と、今を生きる現代の街の間に広がる大きな青い空を見たときに

その不思議な美しい調和に思わず、祈るような感動を覚えたことでした。

戦災で焼けることもなく残った47人のお墓。

きっと多くの人たちの思いがつなが
って、その努力でもってずっと残ってきた

この奇跡のような調和の景色。

と同時に次の瞬間、その目の前の空間にどん、とそそり立つマンションを想像し

 

 

「ああ、この空がなくなるかもしれないのだ」

 

 

 

と。

 

そう思うと、何とも言いようのない虚脱感に襲われたことでした。

これはもう、理屈でもなんでのないのです。

視覚が、そして体の感覚が「その状態」を拒否するのです。

 

 

 

 

 

「街をつくる」ということ。

さまざまな論点からの「主張」があるでしょう。

今回、マンション建設工事を進めている企業は「法には触れていない」の一点で

ことを推し進めているそうです。

そして、その許可を出した港区も「法はクリアしているので、何もできない」とのこと。

ならば、法を変えるべきなのです。

「目に見えないもの」「手に触れられないもの」

それら「一見利益を生まないもの」

をないがしろにし、切り捨て、がむしゃらに「実利」のみを追い求めてよしとした時代は

とうに終わっています。

 

 

「美しさ」にこそお金をかけなければならないのです。

 

 

守らねばならないのです。

 

形はなくとも、そこに確かに存在する「雰囲気」「空気」「間(ま)」。

 

そういったものをこそ、守ってゆかなければならないのです。

それこそが

長い目で見て『人の心映え』をつくり『価値観』をつくり『感性』をつくります。

 

「優しい心」「人に思いやりを」「自然を大切に」…

 

そんなお題目を百万べん、子どもに言うよりも

青い空の広がる街並み、調和のとれた美しい街並みの中で

ただ、毎日のびやかに、穏やかに過ごす方が

どれだけ効果のあることか。

365日、毎日なにげなく目にするもの、耳にするもの、肌で感じる感覚をバカにしてはなりません。

それは確かにわたし達の無意識に静かに音もなく入り込み、大きな影響を与えるのです。

わたしたちというものを形作るのです。

 

 

 

 

 

わたしは、

 

 

 

 

 

子どもたちに見せたくない、と思います。

美しい山門の横にへばりつくように立つマンションという景色を。

何という醜さ。

この景色から子どもたちが磨ける美意識とは一体なんでしょう?

日々、受け取るメッセージは何でしょう?

「そんなものは大切にしなくていいんだよ。ないがしろにしていいんだよ」

そんな無言のメッセージを毎日毎日子供たちの潜在意識に刷り込むことになることでしょう。

その子たちがこの国の未来を作るのです。

なんとおそろしいことだろう、と思うのです。

 

 

 

 

今回

 

 

 

 

熱く泉岳寺のことを書いた理由は、もちろん

歴史好きの寺社仏閣好き。日本好きですので憤っている、ということもあるのですが

この泉岳寺門前町で育ち

今、必死になってこの問題に取り組んでいる友人の存在があります。

先のサイトもその友人が造りました。

よろしければ、サイトやブックレットをご覧になってくださいね。

http://www.junkudo.co.jp/mj/products/detail.php?product_id=3000311014

 

ブックレットを読んで、

 

初めて友人が仕事も辞めて取り組んでいることを知りました。

さすが、と思うのは、このことをきっかけにどんどん世界を広げていっている

友人の魅力と行動力と前を向く光の強さなのですが。

明日22日は元ユネスコ事務局長さんなどをお迎えし、イベントも開くそうです。

お近くの方はよかったらぜひ足をお運びくださいね。

http://sengakuji-mamoru.jimdo.com/

 

 

 

 

 

「さようなら、床」

 

昨日に引き続き「納涼床」の話です。
予約もいらず、ぶらり観光客にも敷居高くなく
「京都の風物詩」(っぽい)気分が味わえる三条大橋ぞいのスターバックス。

昨夜の22時30分
遅めの夕食をのんびりと済ませてしまい
あわてて
「今日までなんですよ~」


スタバのテラスに行ってみると…
テーブルの撤去が始まっていました。
ということで、歯噛みして悔しがったのですが。

今朝は今朝で
「今日しか見られないもの」が見られてご満悦になっています。

 

「納涼床」の一斉撤去。
川沿い一斉に、午前中くらいの時間で「片づけて」しまうのだそう。
その作業が今、目の前で繰り広げられているわけです。
…面白い。
これも「風物詩」ですよね。
ずっと続いてきた光景なんでしょう。
目の前で青年が、まぶしいのか、眉間にしわを寄せながら
黙々と手すりの鉄骨をはずしています。
金色の髪が10月にしては強い日差しに透けてきれいです。

話は飛びますが
昨日、下賀茂神社で「宮大工」集団の若者達に出会いました。
(神社の入り口あたりを修理していらしたので
みなさんは「宮大工さん」なんですか?と聞いてみたら「ま、そんなもんです」と
おっしゃったので確か)

中に一人
鹿児島の青年がいてちょっと嬉しかったのですが。

目の前の作業は続いています。
まだ細い体に、腰に巻いた工具満載の幅広なベルトなんともが重そう。
おいくつくらいでいらっしゃるんでしょう。

昨日から今日、今日から明日へと継がれてゆく作業を
淡々と、日常として動いている若い人たちの姿を前に
昨日といい、今日といい
のんびりとさせてもらい
充電させてもらったものを
どのようにして使っていこう、表現していこう
(大きくいうと、世の中のために役立てよう、と)
あらためて背筋をが伸びる思いになります。
単純ですが「自分も頑張らなきゃ」と思います。

話がそれましたが
今日はこれにて。

 

「今日までなんです」

 
 

今日は9月30日。
今朝のスタバ。三条大橋のたもとにあります。

この景色を見ながら仕事をするのは
なんというか、とにかく気持ちがいい。

こちらにきて
あちこちで聞かれるのが
「今日までなんです」
のセリフ。

このスターバックスは、鴨川の河原に大きくテラス(納涼床)が張り出しています。
で、朝からめがけてやってきたんですが
テラスは11時半オープン
なおかつ

「今日までなんです」
(と、店員さんのすまなそうな顔)

古都京都も
いっせいに、季節が変わろうとしているようです。

「ばくまつる」

忙しい。

といっても
少なくともわたしの周囲と比べると
時間的にきつきつ仕事をしているかというと
そうでもないのですが。
どちらかというと「のんびり」な部類なのでしょうが。
(こういうもの、誰と比べるものでもないんでしょうが)
が、
わたしからするともはや
「満杯」の感覚です。
ああ忙しい。

わたしにとって
自分が自分らしくいるために

「ものすごく広い空間」

が必要なんだなあ
とつくづく思います。
広い広い、「間」。
時間的にも、物理的な「場所」としても。
そうでないと、息がつけなくなってしまう。
感覚的に時間が「詰まっている」と感じ始めると
呼応して身近な空間も着々と詰まり始めますし。
(つまり、家が片付かなくなるということです)

ここのところ
酸欠の金魚みたいに口をパクパクさせながら
自分を平静に保ちつつ・・・とまあ、頑張っていたのですが。

今朝、長崎から
一陣の風のように便りが。

「ばくまつる」。

 

龍馬やら
後藤象二郎やら近藤長次郎やら大浦慶や陸奥宗光ら…(多分。シルエットから見てそうかな~と)
他に、長崎の「幕末」にゆかりのある名所や風物が
シルエットで染められた手ぬぐい。
その名も『ばくまつる』。
これ
欲しかったんですよね!
(亀山社中のハガキもあるぞっ!)

すとん、と何かが抜け。
で、なんだかすっきりと静かな心持です。
単純~。

好きなものを手にして元気になる。
当たり前のことなんですが
今朝、あらためて気づいたのは
自分にとって「歴史」は
「間」を一気に広げてくれるものだということです。

物理的な「空間」「状況」を動かすことは難しくても
「心」は動かせる。

心はいつもどこへでもいける。
軽やかに時間も空間もダイブして、どこまででも広がってゆける。
体は「ここ」から離れられなくても
意識はいつでも、遥かな時代や、そこで生きた人たちの思いを通して
広い広い世界とつながることができる。
それは今の自分にはない
とても純粋なものであったり
真っ直ぐなものであったり
力強いものであったり
奇想天外であったり
そして、美しいものである気がします。

そして
その奥に、
人としての変わらぬ「テーマ」のようなものを
形は全く違えど「受け継いで」今を生きている自分たちという
鳥の目のような視点が降ってきたりもします。
とても落ち着きます。安心します。
「ああ、自分だけじゃないや」
と思えます。
勇気が出ます。

こういう忙しいときほど
「心」が
「意識」が
どことつながっているか、ということが
自分として立ち続け、自分の声を出し続けるために
本当に大切なことだなあ、と

桜島と海を眺めながら
新しい手ぬぐいのぱきっとした木綿の肌触りを確かめつつ
しみじみと感じている今この瞬間、なのでした。

「会津幕末歴史検定in同志社」

 

 

2月の中ごろ。
姉から「3月、研修で大阪に行って、帰りに京都に立ち寄る予定」
という連絡があり
いいな~、一緒に京都行きたいな~と思いつつふとサイトを見ると
その日にちょうど、あらなんということでしょう。
やっているではありませんか。

「会津幕末歴史検定」

ということで、せっかく行くのならとついでに参加することにしました。
場所は同志社大学新町キャンパス。
慌てて公式ガイドブックなど買い、図書館に走り、「八重の桜」は欠かさず見て
バタバタと迎えた検定当日。

一応「行ったのだ」という記念に、
校舎入口を写真に撮ってみました。
四隅を無造作に止めたガムテープにそこはかとない寂しさを感じつつ。

今回あるのは初級の3級と中級の2級。
昨年12月の「薩長幕末歴史検定」では
何を間違ったか調子に乗って2級のみ受験してしまい、悲しい結果となったので
今度はちゃんと併願にして、どちらも受験です。

近くのお洒落な町屋カフェのコロッケ定食で腹ごしらえをし
ぐっと力を入れて熱気あふれる会場へ…
と思いきや、3階のとても広い教室の左2列のみにちんまりと座った受験者の列。
何とも静かです。
かすかなしわぶきやちょっと花粉症?な人の鼻をすする声が
高い天井に響く響く(笑)
「会津若松会場と東京会場はもっと多いんだろうな!ちゃんと!」と
薩長検定の時と同じ心配をしてしまいます。

試験は2級3級どちらも100問。
4択のマークシート方式なので
完全に覚えていなくても、「どっかで見た覚えがある」くらいの記憶があれば
解くことができます。
毎回のことながら、それを期待してのさっくりとした受験勉強だっだのですが。

2級第一問。
「松平容保公の家紋はどれか?」

全部葵のご紋ですよね。これ…
(4つの紋の絵を見ながら涙にくれるわたし)
細部のデザインが確かに違うのです。はい。
葉っぱの葉脈の入り方とかが違う。確かに違う。
「八重の桜」の第何回でしたか。
格さんが(伊吹吾郎さんの水戸斉昭が)容保さまにチクリ、と
「その紋、君には重いんじゃない?」
みたいな皮肉を言った場面の映像を脳の底から必死で絞り出します。
確か紋がアップになったよね!
どれだっけ…どれだっけ…。

3級
「八重の二度目のだんなさん、新島襄が作った大学は?」

といったサービス問題もありつつ
どちらも結構難しかったなあ、というのが印象でした。
特に印象に残ったのは
(わからなかったからだと思うのですが)

「〇〇のお墓があるのはどのお寺?」

という、「お寺はどれ?」問題。
何だかとっても多いように感じました。
軽く10問以上はあったような。(数えていないのでわかりませんが)
だんだん
「…知らないわよ!そんなの!」
な気持ちになってきて。
あとから問題用紙を見ると、問題の端っこに
「しらね~よ!」
と走り書きをしていました。よっぽどイライラしたんでしょう。
これはなんとも「ならぬ」態度です(笑)。

  「本物の侍の国、会津。
  その精神は、現代の迷いがちな私達に
  真っ直ぐな光となって
  美しい道を示してくれます

  祈、会津、福島復興」
  (マンガ家の菅野文の検定応援メッセージ)  

そうでした。
そういう幕末の会津の魂に、生き方に敬意を表し
会津頑張れ、との思いも込めて、薩摩代表として(←超勝手な解釈^^)
出て行ったのでしたのに。
勉強不足を棚に上げて、恥ずかしいことでした。

そうでした。
多くのことはできないけれど
でも
「そこに(福島に、東北に)心を向け続ける」
ことの私なりの一つの形として参加した検定でもあったのでした。

今回の検定を通して
また、たくさんの既知の友人が増えました。
(会津の先人たちのことです)
会津のたくさんの人の生き方を通して
幕末という時間を何回も、いろいろな角度から追体験した1か月となりました。

そのときに
自分の立場、役割でできること、すべきことを
誠意を尽くして全うした人たちが
全体としてあのような悲劇を迎えてしまったというのが
時の流れの中での無情さといっていいのか
なんともやりきれない気がするのですが。

が、
それでも(どんな状況でも)それをやりきった人々がいたのだ、ということが。
そして、その後も生きて生きて生き抜いたのだということが。
今の私たちに勇気を与えてくれるのだとも
感じました。

120分の激闘?を終えて
青空の下に放たれ。

「受かってるといいなあ~。どっちも♪」

思いっきり深呼吸しながら、ちょっと都合のいいお願いをして。

そして京都の旅は、つづく。

「五感で感じる歴史旅」

函館~東京と廻って週の頭に帰って来ました。

今回函館は、箱館戦争の終焉の時期に合わせて行ってきました。

慶応4年1月、鳥羽伏見の戦いで始まった戊辰戦争の最後の地となった函館。

箱館戦争とは

明治元年10月下旬に北海道、森町鷲ノ木に旧幕府軍が上陸したのを皮切りに

翌明治2年、

函館市内での戦闘を経て、5月18日、同軍が降伏するまでの約7か月間の戦いをいいます。

が、

この日付は全部「旧暦」なのですよね。

ですから、今の暦でいうと10月下旬は12月。

5月中旬は6月下旬くらいになります。

(おおまか、ですが)

ですから、旧幕府軍が鷲ノ木に上陸したのは秋ではなく

12月の雪で覆われた厳しい天候の鷲ノ木浜で

(実際、海が荒れて上陸の際のボートが転覆、戦いを待たずして人が死んだりしています)

最後の戦いが繰り広げられた「5月」というのは

GW近辺の、あのさわやかな陽気をイメージしてはいけない。

本当は

7月近くの、だいぶ日差しの強くなった時期の出来事、ということになります。

わたしにとって

「歴旅」をするときに

はずせないのがその「時期」です。

「そのこと」があったときと

できるだけ、同じ気温、同じ空気を感じたい。

同じ空を見て、同じ陽射しを浴び、同じ風を感じたい、そう思います。

今回も、そんな意図をもって函館の街を歩き回ってみました。

お墓にもたくさんいったので

地元のスーパーで白いトルコキキョウなど買い

一輪づつお供えなどしながら。

おかげで、函館というメジャーな観光地ながら

わたしが行くところには、いつも、ほとんど人がいませんでした^^

そのかわり、やぶ蚊と蜘蛛の巣にはたくさん遭遇。

街はすっかり変わってしまっていますが

その中に印として建てられている碑や案内板を頼りに

かすかにその記憶を宿している地形や場所を探しだし

あとはもう、思いっきり想像力を働かせて、目を閉じて佇み(怪しいですよね)

はるかなる過去と「交信」するしかないという…(ますます怪しいですよね)

まあ、「歴旅」を満喫しようと思ったら

なんとも五感とイメージ力の鍛えられることとなります。

そんなときに「気候」というのは、とても大きな助け(要素)となる気がします。

今回の旅で

ひとつ、印象に残ったのが

目に痛いくらいの海の青と空の青、そして

いたるところで飛んでいる「海鳥」でした。

雲一つない青い空に、ぱあっと広がる白い海鳥の群れ。

その声が空から降ってくる。

海を近くに、山を背後にいただくのは、わたしのふるさと鹿児島とも

大好きな港町、長崎ともその特徴はよく似ていますが

たくさんの海鳥の群れだけは、函館、江差、鷲ノ木と回る中で、

はじめて目にしたものでした。

「海鳥、飛んでたのかなあ…143年前も」

下界で繰り広げられていたであろう数々の戦と

上空を優雅に飛ぶ海鳥の、風に乗ったそのあまりに自由な姿のギャップに

なんとなく切なく。

日本という国が根底からきしんで

変化のための悲鳴を上げていた、その最後の戦。

たくさんの人が

それぞれの思いを持って戦い、ある人は命を落とし

ある人は勝利の声を上げ

ある人は降伏という道を選び。

それぞれの「最後の瞬間」に

見上げたその目に映ったものは

もしかしたらこの青い空と、自由に飛んでゆく白い海鳥だったかもしれないなあ

とそんなことを思ったことでした。

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