「一瞬で人に変化を起こす人~アナ雪を歌いながら気づいたこと」

昔、少しの間ですが、競技ダンスをやっていたことがあります。
そのとき、なんだかわからないけれど
ふっと、動きがよくなるときがありました。
何度練習しても勘にこなかった動きが
突然以前よりよくなる。体が動くようになる。キレが出てくる。
そういうときは、だいたい練習に飽きてプロのDVDを見まくった後でした。

ああ、見ているだけでもうまくなるんだなあ…。
と、人の体の不思議を思ったのでしたが。

さて
先日、ショッピングモールから出ようとしたら
もうそれはそれは

「美しい」

なんて言葉では形容できないくらいにキラキラと光るエネルギーの歌声がばん!と
耳に入ってきて
そのままふら~っと、歌声の方に引き寄せられて歩いて行ってしまいました。
曲は「アナ雪」の英語ヴァージョン。

モール内の特設会場でミニライブが行われていたのでした。
歌っていたのは

「fumika」さん

という女性の歌い手さん。
(この歌の方です。よろしければどうぞ。泣かないでね^^)

なんでしょう、あれは。
まず、ものすごくベタな感想ですが
(プロの歌い手さんにはなはだ失礼な感想ですが)

あんなにすごい歌声を生で聞いたのは初めてです。
こういう人が、本当に上手い、っていうんだなあ…としみじみと思いながら聞きました。
上手さもさることながら
目と耳と心を魅かれたのはその『響き』。
無駄なく、余すところなく全身を使って増幅された声という響きが
こちらの体の中にまでビンビンと入ってくるのです。

ああ、この人は今、思いっきり「生きて」いる
歌うということを全身が喜んでいる

あの声は、細胞の一つ一つ、すべてでもって創りだしている声ですね。
その細胞の響きが、彼女の「喜び」とともに
空気振動でもってがんがん伝わってくる感じ。
そしてこちらの細胞を直撃するのです。
その声、そして全身でもって会場中の空気を響かせるその姿。

160センチくらいに見えた身長も
客席に入って歌うその姿を間近で見ると、どう見ても私より小さい。
そして、ウエストはどう見ても56センチ台…あまりにも小さな、華奢なその体。
驚きました。この体のどこから、この「響き」が出てくるのだ!?と。

こんなにも
「自分自身の響き」を奏でている人の状態を。
場を良質なエネルギーで満たし、渦まで起こしている状態というものを
久しぶりに見たのでした。

さて
(ここからが本題です)
帰りの車の中。
なんだかもう、もう黙ってはいられないわけです(笑)
従って…歌いました。それはそれはでっかい声で!「アナと雪の女王」。
わたしの好きな母音の美しい日本語ヴァージョンの方。
fumikaさんの声を出す姿を思い描きながら。
すると…

どうみても!今までより声が出ているのです。
音域も、声の大きさも、張りも…息を押し出す強さ自体が
そりゃ、すごくうまい!というわけではないですが
でも、1,3倍くらいには広がっている。
「体の響く部分の面積がいつもよりぐんと増えている」感じ。
そして何より
そうやって、体を大きく響かせて声を出していることの「喜び」を、「快感」を体がしっかりと感じている。
なんてなんて気持ちいい。

「ミラーニューロン」というの、ありますね。
相手の動きを、自分もあたかもやっているように感じるという。
fumikaさんが歌っている間
わたしの脳も、自分があたかも同じことをできていると感じ、
細胞はそのとおりに動いていてくれたのでしょうか。

わたしには
fumikaさんのあの瞬間の在り方が体に染みこんだのだ、と思えました。
体中の細胞が生きている(歌っている)喜びを震えるように奏で、
鳴り響いているあの状態に
自分の細胞が共鳴し、ボカッと頭を殴られたように揺り起こされたのだ、と。
彼女は本当に歌うことが好き。
「こんなにもわたしだよ!これがわたしだよ!」
と…。
自分を余すところなく表現出来ている、彼女の歓び自体に
わたしの体が共鳴したのだと。
そして、この体もそうしたくてたまらなくなったのだと。

と、このように。
突然歌がうまくなった(笑)わたしですが。

思いは続きます。
例えばわたしの仕事でも、いえ、何の表現(仕事)であっても
周りに影響を与えるには
何よりまず、しっかりと自分自身としてただそこにあること、
ただ全身で文字通り「生きている喜びを歌う」ことだな、と。

コンテンツの力、内容ももちろん大切です。
でも、そこの力のみにたよったのでは、わたしの仕事の場合

「いい話でしたね」

で終わってしまう。
真に相手を、その場を「変容」を起こす場とすることはできない。
だからみずみずしくありたい。いつも、必ず自分の持って生まれた響きを存分に奏で、
100%自分として場に立っていたい。歓びとともに。
また、そうすることが人の前に立つものとしての責任であろう、と。

体に残る感覚を味わいながらあらためてそんなことを確認しました。
え~と、fumikaさん、ありがとうございます。

「歴史は誰のもの?~東郷平八郎没後80年式典レポート」

 

 

毎年

3月~6月はいつの間にか

 

「古人と語り合う月間」

 

のようになっている感があり

国内をあっちこっちふらふらとしている気がするのですが

(史跡や墓地を巡ったり、いろんな人の「〇〇忌」なるものに参加しているということなんですが)

 

今年は初!

鹿児島県内の「〇〇忌」に参加してみました。

今日のかの人は「東郷平八郎」。

日露戦争、日本海海戦の連合艦隊の司令長官。

日本を勝利に導いた方、というくらいの知識しかなく、お恥ずかしいことです。

個人的には明治の華々しいご活躍より

若き日、宮古湾海戦(明治2年、旧幕軍が新政府軍所有のストーンウォールを奪取しようとした戦い)

にも参戦していた、という話の方が萌えるのですが。

 

場所は市内、多賀山公園内、東郷墓地。

そぼ降る雨の中、せっせと坂を上り、馳せ参じた「それ」は、いつも行くものとはだいぶ

いえ、ものすごく…違う雰囲気でした。

何が違うって、「協力者」がすごかった。

なな、なんですか?これは!!

 

いきなり目に入ってきたのはこの光景。

式典開始10分前。はためくZ旗を見守るのは海上自衛隊のみなさん。

そして…

 

 

わかります?

空の彼方からごぉ~っと、来たんです!

あの、狭い多賀山公園上空に向かって飛んできたんです。

 

式典は

「表敬訪問飛行」、なるものからスタート!

規模が違う。何なんだこれは。

 

 

こんなふうに、P-3Cとやらは、会場の真上を飛び去ってゆきました。

初めて見た~(喜)

 

そしてさらに、軍艦旗の掲揚へと続きます。

あの動きは「ささげ、筒」というんでしょうか。

自衛隊の皆さんの美しい動きの一つ一つが場を引き締めます。

 

 

旗がしずしずと上がっていくところ。

銃の先についた「剣」の部分は、動きがおわると

腰の「剣先フォルダー」(なんて呼び名ではないと思いますが)にいちいち収納するんですね。

めったに見られない道具、所作ばかりで、とにかく見ていて飽きません。

 

そして、国歌斉唱。

ちなみに、ここまですべて「生演奏」です。なんと~。

演奏はそう、この式典のためだけにはるばる大型バスに乗って佐世保からきた

「海上自衛隊佐世保音楽隊」のみなさん。

白い制服が眩しい。

生演奏で歌うというのは気持ちのいいものです。

 

そして

式辞、来賓あいさつ…と続き(国会議員さん多数。ほとんどが代理の方でしたが)献花。

 

一般参列者にもお花をくださるとのことで

しっかり献花させていただきました。

一般人は20名くらいでしょうか。

 

わたしがこれまで参加してきたものは、「一般参加者」が数百名、長蛇の列でごった返し、

というものがほとんどなので

ここは「勝った!」と思ったり。

(勝ち負けの意味が分かりませんが)

 

テントの中に進み、自衛隊の女性隊員さんから白い菊の花を受け取り

テーブルに捧げたのち、手を合わせます。

そして、奉納演武。

薬丸自顕流です。東郷元帥も門弟であられたとの説明あり。

どんな練習をするのか、知識としてはあったつもりだったのですが、これまた初めて間近で見…

すごい(というか、怖い)。

 

その、気迫というか、勢いが半端ない。

練習用の横木にだ~っとはしって打ち込み、そのまま体ごと「ばこっ」と体当たりする人も。

横木がばらっとはじけ飛びます。

「猿叫(えんきょう)」もすごい。

(きえぇ~っ!という独特の声ですね)

 

これは…幕末、京の町中で薬丸自顕流なんかにばったり出会ってしまったら

相手は怖かったろうなあと思いました。

強そう。

強そうというか、ある種クレイジーな感じのこの気迫。

(まあ、あの時代はみなある意味クレイジーだったのでこの気迫は大切だったのでしょうね)

 

小技はないので竹刀では負けるかも知れませんが

真剣での戦いには絶対強そうです。

あの勢いで「きえぇ~っ!」と来られたら、もう脳天からばっさりですね。

西南戦争の際、

薬丸自顕流の打ち込みを小銃で受けた兵士が小銃ごと頭蓋骨を叩き割られたという

話も残っているそうで(WIKI情報ですが)

 

他流派の演武も見たことはあるのですが

本当に古人の「命のやり取り」の瞬間の片りんをその姿の奥に感じたのは、これが初めてでした。

恐るべし、薬丸自顕流。

 

1対多数を想定した切り込み。

バタバタ倒れる木がついバタバタ倒れる人に見え…

(東郷元帥式典レポのつもりが、だんだん自顕流レポになってきました)

 

 

そして宴たけなわ

海上自衛隊佐世保音楽隊の皆さんによる演奏披露を経て最後の時間へ。

「軍艦旗奉納」。

 

再び自衛隊の皆さんの手によって、「儀式」として旗が下されてゆきます。

来年は、国旗とともに揚がるといいですね。

(会場は旗を揚げるポールが2本しかないので、やむなく軍艦旗とZ旗のみ揚げました、と

痛恨の思いを主催者がお話しになったので)

 

さて…。

 

「軍艦旗」と「Z旗」。

曇天にはためくこの二つの旗のもと、とても不思議な感覚を味わった時間でした。

 

この式典は61回を迎えます。

ずっと、この鹿児島の地でこの人を愛し、

その心をこのような形で表し続けてきた人たちがいるのだという再確認。

一言でいうと「わたしの知らない世界があった…!!」という驚きなのですが。

 

そして

海軍から自衛隊へ。

形を変えつつも、自分たちの誇りある「源流」として、海上自衛隊の方々に

愛され、尊敬され続けている方なのだという感動。

 

さらには

わたしにとって最もわからない国であるこの「薩摩」の波長の本質の一部分を

少し体でわかったかな、という感覚。

なんというか…薩摩って、こういう感じですよね。やっぱり。

一言でいうと…「萌え要素ゼロ」(笑)

良くも悪くも、です。うまく言えませんが。

なんというか、歴史は誰のもの?~おじさんと偉い人たちのもの、という感じでしょうか。

 

東郷平八郎第61回記念式典」。

とても素晴らしい場でした。

あまり詳しくなかった東郷という人物を身近に感じ、そして

彼をたたえる自衛隊の方々の美しいたたずまいや、多くの人の言葉(式辞ですが)を聞き

また、演奏される国歌その他の曲の響きを体で感じ。

一人の日本人として

また、鹿児島県人として

百年と少し前の、この人の「頑張り」「ゆるがぬ姿」の先につながっている

今の自分たちなのだ、ということを空気とともに体感でき

とてもシンプルな誇りの感情を抱くことができました。

すっと自分の背筋が伸びたようで…嬉しかった。

 

願わくば…

これらの思いが、もっと多くの人に広まりますように。

これからを担う若者たちにも広まりますように、と思うのですが、無理でしょうか。

一般参加「20人」は少なすぎないですか?

これだけのことをやっているのに…

(P-3Cまで飛んでくるのに!)

しかも、若者ゼロ。

それとも、これは式典なので、これでいい、むしろあまりにぎやかにならないほうがいい

内輪だけのもの、という位置づけなのでしょうか。、

 

冒頭に書きました

わたしがよくいく「古人の遺徳をしのぶ」場のいくつかは

エネルギーがこことは全く違います。異質です。

「官」ではなく、完全に「民」のエネルギー。

自然発生的に沸き起こった「しのぼうぜ!」の思いが湧き上がり、膨れ上がり

常に自己増殖を続けています。

それが日本各地で(ゆかりの地で)街おこしのエネルギーや動きとなり。

それぞれが「やりたくてたまらない」から勝手に楽しくやっている。

どちらがよい、悪いではなく、多様な側面や切り口が

ある、ということで。

 

歴史と今をつなぐ、とは

先人たちの優れた知恵、美しき生き方、思いを受け継ぎ、それをできるだけ多くの人で共有し

さらにはしっかりと使い、役立て

生きた形で次の世代の若者たちの「心と体に」しっかりと刻みこむことではないかと思います。

ガラスケースに飾られた「よいお話」ではなく。

 

ここまで書いてきて思ったのですが

鹿児島に足らない努力って、そのあたりなんでしょうか?とにかく…「萌えが足りない」!!

萌え、とは確かにオタク用語ですが、でもその根本は

「みずみずしさ」「若さ」「やわらかさ」「生き生き」という意味です。

 

  岩ばしる 垂水のうえの さわらびの 萌えいづる春に なりにけるかも   (志貴皇子)

 

なのですから。

 

まとまりませんが!

来年はぜひ、皆さんも行かれてみてください。

めったに触れられないものがたくさんです。

感動します。

 

「使う言葉はその人の内面そのもの」

それを言い表す言葉がない

(持たない)

ということは、「それはない」(その概念は存在しない。そのモノ自体がない)

ということと一緒なのだ、

ということをいつぞやのセミナーでお話した気がします。

「認識できるセンサー」を持っていないということは

もはやそれは存在しないということと同じなのだ、ということです。

あるアフリカの民族に

数種類の「緑」と「青」が塗られたボードを見せる。

日本に住むわたしたちには、すべてその「違い」が

色の名前とともに「見分けられる」のもばかり。

全部違う色。

(黄緑、青緑、深緑…などなど。呼び方は様々あると思いますが)

そのアフリカの人には「色の見分けがつかなった」。

青と緑、どちらの見分けがつかなかったのか…ちょっとうろ覚えなんですが

とにかくその人は

「全部同じ色じゃないか」

と発言した、と記憶しています。

環境によって、発達する感覚は違う。

生きて行くうえで、あまり必要とされない感覚は発達しない。

ということなんでしょう。

少し前にテレビでやっていた

「辞書を編む人たち」という番組で

大学院で日本語研究をしているという若いインターンの女性が

辞書に乗せる言葉の意味を書くのに四苦八苦する場面がありました。

彼女が意味をまとめなければならない言葉は

「エッジ」と「盛る」。

(髪を盛る、といった用例の際の「盛る」の意味ですね)

「もっとエッジの効いた質問をしろ!」なんて

コーチングを勉強し始めたころよく言われてたなあ…などと思いながら

彼女がどうまとめるのかを見ました。

「語釈」をまとめる過程は

それは大変そうで…。その作業を通して、

彼女が自分の視野や感覚に気づいていく過程が興味深い。

エッジ【edge】

④(主にファッションや音楽において)

(刃のような)鋭さ、あるいは切れ味のこと。「-のきいたデザインの服」「-をきかせたサウンド」

うん、これはちょっと伝わらないなあ、と

わたしでも思う、彼女が書いた一回目の語釈。

「鋭さと切れ味の違いって何?」などなど上司から突っ込まれ、玉砕。

続いて。

エッジ【edge】

④刃物などのような鋭い様子のもの。

「-のきいたデザイン」

…なんだか、ますますわかりにくくなってますけど。

「ふち・へり」「刃」という「エッジ」という言葉が持つ意味から広がって

多くの人たちがファッションの世界で、音楽の世界で…

「エッジ」という言葉を使うことで表現したいニュアンス。

「エッジ」という言葉の持つ「力」に託して表現したい「世界」

それは

どんなに『知識として』たくさんの言葉をもっていたとて

それだけではつかめない。

「エッジ」のきいた世界を「体感覚レベルで」

「聞き分けられ」「見分けられ」「感じ分けられる」感覚を持たなければならない。

表現しようもない。

そういったセンサーを常に磨いていなければならない、

ということなのでしょう。

彼女はジャズを聞き(「エッジの効いた」演奏と、そうでない演奏を)

それから

「エッジ」という言葉をどう使っているか、という街頭アンケートをする…

という手で、この課題を乗り越えます。

7時間、街に立って街ゆく人に声を掛け続ける彼女。

それは、ひとえに、彼女が自分を開き、

多くの「言葉」を

(言葉というより、知識としての言葉に息吹を吹き込み、生きた言葉として表現するための感覚を)

徐々に獲得していく過程であったようにも思いました。

エッジ【edge】

④(主にファッションや音楽などで)

ある要素を強調することで生まれる斬新さやめりはり。

「-のきいた服」「-をきかせたサウンド」「-の立った曲」

これが

最後に彼女が書き上げた語釈。

この短い言葉の連なりの中に、彼女の「新しい言葉」が詰まっています。

言葉を獲得するということは、

言葉の繊細な差異を感じられるということは

生きる世界を広げるということ。

見えるもの、聞こえるもの、感じられるものが増える。

分かるものが増えるということ。

それはつまり、

表現の可能性が広がるということで、伝えられるものが、方法が増えるということ。

より多くの人に、多様な方法で、その人それぞれの心のひだに入りこむ様に

伝え、届けられる可能性が増える。

だからこそ

自分自身もいつも、「言葉」と、それが表わす世界、感覚に対して敏感でいたい

と思ったことでした。

何より…

自然ひとつをとっても四季の表情豊かな私たちの国。

雨、雲、風、雪、そして色も…それらを言い表す言葉の数の多さと美しさ。

「繊細であること」「違いが判ること」ことこそが

なによりの強みのひとつである日本人として

それらを磨かず、錆びつかせてしまうのは

とてももったいなくもあり、また怠惰である気がするのです。

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