「深知今日事ーふかくこんにちのことをしるー」

「使う言葉はその人の内面そのもの」

それを言い表す言葉がない

(持たない)

ということは、「それはない」(その概念は存在しない。そのモノ自体がない)

ということと一緒なのだ、

ということをいつぞやのセミナーでお話した気がします。

「認識できるセンサー」を持っていないということは

もはやそれは存在しないということと同じなのだ、ということです。

あるアフリカの民族に

数種類の「緑」と「青」が塗られたボードを見せる。

日本に住むわたしたちには、すべてその「違い」が

色の名前とともに「見分けられる」のもばかり。

全部違う色。

(黄緑、青緑、深緑…などなど。呼び方は様々あると思いますが)

そのアフリカの人には「色の見分けがつかなった」。

青と緑、どちらの見分けがつかなかったのか…ちょっとうろ覚えなんですが

とにかくその人は

「全部同じ色じゃないか」

と発言した、と記憶しています。

環境によって、発達する感覚は違う。

生きて行くうえで、あまり必要とされない感覚は発達しない。

ということなんでしょう。

少し前にテレビでやっていた

「辞書を編む人たち」という番組で

大学院で日本語研究をしているという若いインターンの女性が

辞書に乗せる言葉の意味を書くのに四苦八苦する場面がありました。

彼女が意味をまとめなければならない言葉は

「エッジ」と「盛る」。

(髪を盛る、といった用例の際の「盛る」の意味ですね)

「もっとエッジの効いた質問をしろ!」なんて

コーチングを勉強し始めたころよく言われてたなあ…などと思いながら

彼女がどうまとめるのかを見ました。

「語釈」をまとめる過程は

それは大変そうで…。その作業を通して、

彼女が自分の視野や感覚に気づいていく過程が興味深い。

エッジ【edge】

④(主にファッションや音楽において)

(刃のような)鋭さ、あるいは切れ味のこと。「-のきいたデザインの服」「-をきかせたサウンド」

うん、これはちょっと伝わらないなあ、と

わたしでも思う、彼女が書いた一回目の語釈。

「鋭さと切れ味の違いって何?」などなど上司から突っ込まれ、玉砕。

続いて。

エッジ【edge】

④刃物などのような鋭い様子のもの。

「-のきいたデザイン」

…なんだか、ますますわかりにくくなってますけど。

「ふち・へり」「刃」という「エッジ」という言葉が持つ意味から広がって

多くの人たちがファッションの世界で、音楽の世界で…

「エッジ」という言葉を使うことで表現したいニュアンス。

「エッジ」という言葉の持つ「力」に託して表現したい「世界」

それは

どんなに『知識として』たくさんの言葉をもっていたとて

それだけではつかめない。

「エッジ」のきいた世界を「体感覚レベルで」

「聞き分けられ」「見分けられ」「感じ分けられる」感覚を持たなければならない。

表現しようもない。

そういったセンサーを常に磨いていなければならない、

ということなのでしょう。

彼女はジャズを聞き(「エッジの効いた」演奏と、そうでない演奏を)

それから

「エッジ」という言葉をどう使っているか、という街頭アンケートをする…

という手で、この課題を乗り越えます。

7時間、街に立って街ゆく人に声を掛け続ける彼女。

それは、ひとえに、彼女が自分を開き、

多くの「言葉」を

(言葉というより、知識としての言葉に息吹を吹き込み、生きた言葉として表現するための感覚を)

徐々に獲得していく過程であったようにも思いました。

エッジ【edge】

④(主にファッションや音楽などで)

ある要素を強調することで生まれる斬新さやめりはり。

「-のきいた服」「-をきかせたサウンド」「-の立った曲」

これが

最後に彼女が書き上げた語釈。

この短い言葉の連なりの中に、彼女の「新しい言葉」が詰まっています。

言葉を獲得するということは、

言葉の繊細な差異を感じられるということは

生きる世界を広げるということ。

見えるもの、聞こえるもの、感じられるものが増える。

分かるものが増えるということ。

それはつまり、

表現の可能性が広がるということで、伝えられるものが、方法が増えるということ。

より多くの人に、多様な方法で、その人それぞれの心のひだに入りこむ様に

伝え、届けられる可能性が増える。

だからこそ

自分自身もいつも、「言葉」と、それが表わす世界、感覚に対して敏感でいたい

と思ったことでした。

何より…

自然ひとつをとっても四季の表情豊かな私たちの国。

雨、雲、風、雪、そして色も…それらを言い表す言葉の数の多さと美しさ。

「繊細であること」「違いが判ること」ことこそが

なによりの強みのひとつである日本人として

それらを磨かず、錆びつかせてしまうのは

とてももったいなくもあり、また怠惰である気がするのです。

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