40代・50代・60代女性を「大人世代」と呼ぶ違和感

 

 

 

 

 

 

 

髪を切りにいって久しぶりにヘアカタログを見ていたんですが、
いろんな言葉が舞い踊っていました。

 

「大人世代の『愛され』ヘアカタログ💓」
「きれい大人の『褒められ』ヘア✨」

 

大人世代って(笑)。
(言うに事欠いてまた面白い表現を編み出したな←脳内つぶやき)

 

ああいう世界って、新しいことばの使い方がどんどん生まれますよね。
「若見え」とか「高見え」とか。
(カタログ中の一つ一つの髪型に添えられているキャッチフレーズを見て、
「誰が考えるんだろうこれは」としみじみ感心してしまいました)

 

「春の日差しに輝く永遠の憧れふんわり大人のアンニュイミディアム˚✧₊⁎❝᷀ົཽ≀ˍ̮ ❝᷀ົཽ⁎⁺˳✧༚」

 

みたいな。
(ポエムか⁉︎ポエムなのか?これは。
「実りの秋の森のキノコの氣まぐれシェフサラダ」を凌ぐ言葉だらけのヘアカタログ)

 

 

 

で、
美容師さんのYouTubeも見てみたんですが、
何だかみなさんものすごく「言葉を選んでいる」感満載で。
その姿はまるで、盾にヘルメットの完全防備で地雷原を行く勇敢なる兵士のよう。
(↑踏んだら終わり^^)

 

「わたしたち大人世代ですともうちょっと前髪を軽くするとよりステキに…(笑顔)」
「…顔まわりの髪の量、大人世代は氣をつけたいところですね(笑顔)」

 

わたしも若くみられたいし、
おばさんと言われるのは嫌だし、
年配の方々は、などと言われたとしたらちょっと悲しい(多分)。

 

そうなんですけど。
そうなんですけれどなぜか感じるこの違和感。
もしくは笑ってしまうこの感じ。
言葉にあえてするなら

「そこまで必死にならんでも…」

という感じでしょうか。
なんというか、痛々しい?

 

そんなにも歳をとるとはいけないことか。
受け入れ難いことなのか?
触れてはならぬ「禁忌」なのか😆?
(ドラゴンの棲む禁断の森じゃああるまいし🐉)

 

 

 

話が飛ぶんですが、
イギリスのドラマを見ていて、
女優さんたちがとても自然な顔だなあと最近思っていたところだったのです。

堂々とした目元のアップは小皺はっきり。
おでこのしわも生き生きと。(あちらは表情筋をよく動かすので)
そして鼻の横のしわも元氣に存在感のあること!

日本の女優さんたちとはちょっと違う雰囲氣。
そしてもちろんみな、とても魅力がある。

 

 

「大人世代」。
(「大人女子」というのもあったな。
この呼び方を聞いたとき「やめい!見苦しい😆!」と思ってしまいましたが。
↑あくまでも個人の感想なので、許してね)

 

40・50・60代にこのラベルを貼る
(貼らざるを得ない、もしくは「貼っとけばいいだろう」的な)
空氣に、

 

「若さこそ正義」
「自分の(こと外見に関する)価値を決めるのは外の基準」

 

の中で生き続けてきた日本女性たちの
余裕のなさ、張り詰めたような痛々しさと同時に、
なんとなくの「小馬鹿にされている感」を感じてしまうのはわたしだけでしょうか。

 

 

 

そして、ここまで書いてみて、
今日書きたかったのは多分、

 

日本のおばさんのことも
もっと信頼してもらって大丈夫よ^^
と、そういういう感じでしょうか。

 

確かにそういう時代も長かったかもしれないけれど。
けれど日本の女も、
これまでにいろんなことを体験して、学んできたのです。
いろんな物事をじっと見つめて、静かに聞いて感じてきた。
もう準備はしっかりとできている。

 

何の準備?

 

んー、そうですね。
真に成熟した男性たちとともに、自由自在にのびのびと、
成熟した関係性や世の中を作っていく準備、でしょうか。
(と、湧きいづるまま思考を通さない直感に従った言葉を書いてみましたが、
ちょっと自分でもよくわかっていないところ)

 

 

 

 

わたしの周りにいる女性たちの多くは、
「自分の本質を生きることこそ、うつくし」。
とある瞬間にしっかりと決めた、
そのプロセスを経て、ここにいるように感じています。

小学生が引き継ぐ「伝統野菜」

 

 

F1種の広がりによって「在来種」「固定種」と呼ばれる昔ながらの作物はどんどん作られなくなっている、

(というか絶滅の危機?)
ということは、知っていたのですが、
先日こんなものを(上の写真)見つけ、早速買ってみたところなのです。

 

「伊敷(いしき)長なす」のたね。

 

 

「伊敷長なすは、昭和40年ごろまで鹿児島市の伊敷町などで盛んに生産されていた伝統野菜です。
生産が早いナスと比べると、中身がつまり、味は濃厚です。
ところが今はこうした伝統野菜が消滅の危機に直面しています。
そこで玉江小の子供たちと一緒に復活プロジェクトに取り組みました」
(鹿児島大学教育学部の技術専門教員 中野さん談)

 

 

ちなみに「伊敷(いしき)」は鹿児島市内にある地名で、

「伊邇色(いにしき)神社」

という神社が氏神様となっていることからも、相当昔からある地名かと。

(全国区の民謡「おはら節」にも、出てきますしね)

 

 

 

さて、話戻って。

 

その作物が作られなくなる、ということは、
種子を採取できないということで、
早晩、種子自体も無くなってしまう。
その作物自体が無くなってしまう。

 

「種子も消滅」。

 

なんと言いますか、こういう状態はなんだか怖い。

とても怖い。

 

 

 

何にしても、
(先日の「秋田のナマハゲ考」でも書きましたが)
https://commu-w.net/2024/03/24/なまはげの社会適応/

 

 

「消滅する」
「昔から受け継いできた繋がりが切れる」
のは本当に簡単なことで、ちょっとしたことでそうなってしまいます。
(伝統文化、精神の全てにおいて)

 

今の時代は特に。

 

 

 

だからこそ、そこには
「知ること」「意識すること」
そして
「伝えること」
が必要になってくると思うのです。

 

 

そういった意味で、
この伊敷長なすを「伊敷の子どもたちが」再び復活させた、ということは、
とてもすごいことだな、と思えるわけです。
(「伊敷長なす里帰りプロジェクト」と銘打ったプロジェクトなんだそう😊)

 

 

 

地域のみなさん。
「伊敷長なす」の種子を買ってください。
そして、子どもたちに「すごいことやり遂げたんだね!」
と声をかけてください。
「ありがとう」と言ってあげてほしいなあと。

 

 

 

伊敷長なすは、
「こくがあってぎっしりと実が詰まっている感じがして、とても美味しかったです」
「僕はなすが嫌いだけど、伊敷長なすは美味しく食べることができました」
なんだそう😊

(と、こどもたちの感想に書いてありました)

 

 

 

土地の個性、風土に合わせて、
美味しくなるようにと先人たちが時間をかけ、
養い育ててきた伝統野菜。

 

「そこに根付いたことに意味がある」
「その環境ならではの空氣、養分が『それ』を作った」
「そこだからこそ、この素晴らしい個性が育った」

 

 

自分たちの「根」はどこにあるのか?
わたしたちが忘れてはならない大切なことは、
野菜でもなんでも、皆同じであるように思えるのです。

 

 

 

 

「伊敷長なす里帰りプロジェクト」をやっている「鹿児島市立玉江小学校」はこちら。タネも買えます。

 

 

教員よ、プロとしての声と言葉と身体を持て、と思う

 

 

 

少し前、大勢の子ども達を前に、
先生たちが話をしているところ見る機会があったのです。

 

「この先生は、いつ、どんな場所でも、
このリズム、この声、この表情、この話し方なんだろうな」
(「子どもにはこういう話し方がいい」な歌のおにいさん的声と笑顔)

 

という人と、

「この先生は場の空気をちゃんと把握して、咀嚼しているな」
(自分の声や身体を子どもの反応に合わせてるな。瞬発力あるな)

という人、さまざまで。
で、当然後者の方が場が生き生きとしている。
子どもの自然な反応が湧いていて楽しい。

 

 

 

さて。

 

わたしが教員になるとき、
「どう伝えるか」という、
声や身体、表現については全く勉強しなかったんですよね。
そもそもカリキュラムになかった。

 

ズブの素人が、何のトレーニングも「構え」もない
「素人の身体」のままである日突然人前に立つ。
あとはとにかく「毎日やりながら」なんとかしていく。

それが教員の世界でした。
(今はどうなんだろう)

 

なので、つくる「場」。
その空気、質の個人差がとても大きかった。
元々のセンスのある人、ない人の差がはっきりと分かれる。

 

今思えば、なんと恐ろしい…とまではいかないですが、
なんと罪作りなこと!

 

 

と、当時を思い出すに、
子どもたちに申し訳なくてしようがない気持ちになるのです。

 

 

で、そういう話を知り合いの先生に、
(高校生相手に百戦錬磨の強者の大先輩)
ちょい熱(あつ)で語ってみたのです。

 

すると、
「ほんと、その通りだよ」
の同意とともに、
「今はねえ…昔よりもっとひどいんだよ」

 

と、なんだかすごい言葉が帰って来たのでした。
(で、それは一体どういうことなの!?とものすごく気になっているところなのです)

 

 

 

さて。

教員よ、「伝える」「導く」「場を作る」プロとしての身体と声と言葉を磨け。
と、ずーっと思っています。

「相手はあなたの言葉の通りになるのではない。あなたの身体の通りになるのだ」
(竹内敏晴 演出家)

 

大人・子どもに限ったことではなく、
コミュニケーションの鉄則ですが。
言葉より前に、
自身の身体状態、身体からのメッセージが相手に伝わります。

 

 

 

さらに付け足すと。

学びへの「意欲」や「学ぶ喜び」「熱」。
それは、教師の身体を通して、その教師の想いと共に、【伝染してゆく】ものなのです。

 

決して、言葉で言われて、
「ああそうか」「じゃあ頑張ろう」と湧き起こる類のものではない。

 

 

「教師自身の身体感覚」を伴わない、
音として聞こえるだけの言葉は子どもには伝わらない。
子どもには「先生のほんとう(無意識)」が伝わります。

 

だから、教師にとって、知識と同じに、

自分の身体を「コミュニケーションのできる温まった身体」にしておくことは大切です。
自由自在にあり方を変えられる「開いた身体」にしておくことは大切です。
場を察知する「身体センサー」を鍛えておくことは必須なのです。

 

 

 

 

ちなみに。

 

なぜ、日本の学校では、先生たちの「そういう力」が重視されないか、
トレーニングすらないのか、
(今は存在していて欲しいんですが)
ということなんですが。

 

想像ですが、日本の授業の形が、未だ、ざっくりいうと
「明治から変わっていない」
ということが挙げられるのでは、と思います。

 

未だに約40人を箱の中に詰めて、
50分間前を向かせておく形態が多い。生徒は「静かに聞く」ことが求められる。
小さい頃からそういうふうに「身体も心もしつけられる」。

 

これは、言い換えるとつまり「先生の身体は楽できる仕組み」ということです。
努力して「聴衆を魅了する場」を作らなくても、
「まあなんとなくやっていける」(子どもも文句言わないし)。

 

 

 

 

 

話がそれますが。
今の日本の教育システムで十何年育つということは、

 

⚫︎自分の身体感覚(本質、本音)、身体の声を大切にできない。
⚫︎身体と自分自身がのつながりが切り離される。
⚫︎「自分の身体に備わった叡智」を人生の羅針盤の一つに据える能力が育たない。
(たくさんの知識を得るのがすごい。「頭で考えて」合理的な答えを出すことが一番正しい、が王道になる)

 

と。
そういう大人に「仕上がる」ように思うのですよね。
「身体」「感覚」「感性」は未だ、蔑ろにされているのかなと。
(どうなんでしょうね?)

思うに、
先生自身もそうやって大人になっているわけなので、
それが普通、になってしまっているのは仕方ないな、とも思うわけです。

 

 

 

 

繰り返しますが。

教師には「場を作る力」が必要です。
そしてそれは言葉だけではなく身体で作るものです。

 

開いた身体を持ち。
自身の全細胞が起こす振動で空気を震わせ、場を震わせ、子どもの身体を揺さぶる。
子どもの「吸収したい!」という開いた心と身体を作る。

 

 

自分の身体としっかりとつながった「ホンモノの言葉」で、
子どもの身体を揺さぶり、火をつけるのです。

 

 

そんな「生きた身体」を持ち、
その身体の中心「自分の根から出た言葉」を
一人一人の胸に、肚に、しっかりと届けることができる人、

それを「先生」というのではないか、と思います。
(過去、自分が会った数ある教員の中で「師」と呼びたい人たちは、
皆そういう人たちであったように思います)

 

 

 

ということで。

「教員よ。プロとしての声と言葉と身体を持て」
から、
「全ての大人よ、生きた身体と言葉を持て」

とここまで書いて思っているところです。

 

7月2日/9日。鹿屋市セミナー「わたしらしく生きる!」。お近くの方はぜひご参加ください

 

 

 

 

 

地域限定になりますが(鹿児島は鹿屋市。バラ園の美しい街です)

お近くの方はぜひと思い、案内を載せてみます。

(ついでに今回は「性別も限定」でした。女性対象セミナーとなります)

 

 

*  *  *

 

 

「女性応援セミナー『わたしらしく生きる!』」

 

 

女性起業家によるゲストトーク&セッションと、ワークショップの二部構成。

 

 

 ①7月2日(土)13:30~16:30  

ゲストトークと参加者交流 【ゲスト】  

・里山のおやこえん*にじいろタペストリー   吉留文佳さん  

・リトルオレンジズ   日野尚子さん

 

 ②7月9日(土)13:30~16:30  

一歩前に進むためのセミナー

【講師】  コミュニケーション・ワークス   中村公子さん

 

 

◯場所  鹿屋市 リナシティかのや 情報研修室

 

 

◯定員は各回20人。先着順。6月28日〆切)

 

 

◯詳細とお申し込みはこちら

 

鹿屋市男女共同参画推進室

 

 

*  *  *

 

 

企画者さんは、

「自分の本心を探求し、自分軸を明確にし、前に進むための勇氣が持てたら」

「自分らしく生きること」への一歩を、

 

 

 

との思いで企画されたということで、

わたしも、その意図をしっかりと満たせる「いい場」を作ろう、と、

今から楽しみなところです。

 

 

 

鹿屋市の方々限定になりますが、どうぞご参加ください。

 

 

3月5日開催オンラインセミナー「ヒーローズジャーニーの概念を通して、人の進歩と成長を俯瞰する目を持つ」

 

 

 

 

 

 

 

 

開催概要は下記。

(日本産業カウンセラー協会九州支部鹿児島さんFacebookより添付)

 

 

 

 

【研修のご案内】
 
「クライエントはみな『英雄の旅』を生きている
〜ヒーローズジャーニーの概念を通して人の進歩と成長を俯瞰する目を持つ」
 
*会員はもちろん、一般の方もお申込み可能です♪
 
会話のエクササイズを通して「聞く」「質問」「フィードバック」等の
コミュニケーションにおける基本スキルを体験しつつ、
全体として「ヒーローズジャーニー」の流れから、自分と他者とのコミュニケーション、
自分自身とのコミュニケーションの癖や状態についての気づきや発見を促します。
 
【日時】 2022年3月5日(土) 13:30~16:30
【講師】 中村公子 先生
【会場】 オンライン(zoom)会場内
【定員】 30名(定員になり次第締切) ※最少催行人数16名
【受講料】(会員)3,000円 (一般)4,000円
【受付期間】2022年1月20日(木)~2月20日(日)
【申込方法】
(会員)会員マイページ
(一般)下記URL よりお申込み下さい。
 
 
【備考】
オンライン(zoom)のURLについては、後日、参加者の方にメールにてご連絡いたします。
 
 

 

 

*    *    *    *    *

 

 

 

 

「対人支援者としての視点、あり方を広げるために。
自身の身近な大切な人たちの人生を応援する時の一つのメタファーとして。
そして何より、自分自身の人生を鼓舞するための地図の一つを手に入れる」
 
 
 
 
 
をコンセプトに作ったセミナーです。
 
 
 
 
 
人生、ただ闇雲に何かが起こり、幸も不幸も、なんの脈絡もなく、突然降りかかってくるものであり、
わたしたちはそれに翻弄されるしかない。
 
 
と思って生きることと、
 
 
そこに何かの「道筋」を見出し、
今、自分はこの地点に立っているのだという俯瞰した視点が持てたら。
 
起こることは変わらなくとも、その「意味」を変えることができたら。
その方がどれだけ生きやすく、勇気づけられることだろう。
 
わたしたちには生きることにおいても「地図」が必要なのだ。
 
 
 
 
 
 
 
と。
そんな思いを形にしてみました。
(好きにテーマを選ばせてくださった協会の皆さんに感謝します)
 
 
 
 
 
 
産業カウンセラーの仕事にある方に関わらず、どなたでも申し込みOKとのことですので、
ご興味ある方はぜひご参加ください。
 
 
コンセプトに共感してくださるたくさんの方と、この旅をご一緒できるのを
楽しみにしています。
 
 
 
 
 
 

 

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