知識だけではいかんともし難いー人生豊かに生きるための力を鍛えるには?

 

先日終了した「コミュニケーションの体幹を鍛えるワークショップ第二回」
『伝わる力の根っこにあるものはー声をめぐる冒険』

 

なのですが。

 

その中で「他者が声をかける様子を、横から観察する」

 

という時間があったのです。
そうすると、観察チームがどんどん「言い出す」。

 

「声が、こういうふうに飛んだ」
「そこに落ちた」
「上から弧を描いてあそこを超えてこういう風に
(と、手で軌跡を描きつつ)落ちていった」

 

と。
でもって、そう言いながら
「見えるもんですねえ…」。
「わかるもんですねえ…」。

 

 

鋭いフィードバックを飛ばしているご本人たちが、
自分たちで「驚いている」。

 

 

 

さて。
「優れたコミュニケーション力」というものがあるとして、
その「土台」は、
「受信力」と「発信力」ということになります。

 

 

❶「受信力」
→その場で何が起こっているか?何が飛び交い、
個々がどんな「モノ」を発信しているかをキャッチする力

 

この「感度」「精度」が「受信力」ということかなと。
(もちろん、この「何が飛び交い」
「個々がどんなモノを発信しているか?」
というのは「言っていること(言語情報)」だけではない)

 

 

 

そして。

 

その、「よきセンサー」を持っている、ということは大事ですが、
それだけだと場合によっては大変辛いことになる。

 

 

場で今、何が起こっているか?
いわゆる「場の空氣」というものを
繊細な感度で捉えられたとして、
その「空氣」が例えばピリピリしたものだったとしたら、

 

「わかってしまって」「繊細で」
「いつも疲れがちな」人になってしまう。

 

 

 

なので、ここで❷「発信力」が必要になってくる。
「自分の働きかけ(発信)で、
場にプラスの影響を与えることができる」力、が。

 

 

 

「コミュニケーション力」とは、
この2つを備えている状態、ではないかと。どっちかのみ、では
「バランスが欠けている」。

 

(想像すると「ああ、そうね」とわかる思うのです。
「周囲のことをわかっていない発信」は「独りよがり」
とか「ただ声が大きい人」
ということになってしまうわけで。これは大変痛い)

 

 

 

 

さて。
「その受信力&発信力」。
どうすれば鍛えられるか?ということなんですが。

 

それこそまさに「体験」だと思うのです。
「それ」が開発されるような、
体験を繰り返し、繰り返し、重ねる。そういう場を繰り返し、体験する。

 

 

今月21日開催の、
「コミュニケーションの体幹を鍛えるワークショップ第三回」
『知識だけでは如何ともしがたい
ー人生を豊かに生きるための7つの力を鍛える』。

(チラシを見てくださいね!)

 

は、まさにそのための場として考えました。

 

 

 

前回ご参加の皆さんにも、ぜひいらしていただきたいですし、
(開いたセンサーがますます開くかなと)
何か、響くものがある方には、どなたでも来ていただきたい場です。

 

なんて言いつつ、
実は…
「大人ー!みんな無条件にこういう視点、センサー、
磨こうよ!そうしたら子どもらとか若者が幸せでしょ?」
「若者ー!こういう力、これから必須だよ!やっときな」

 

 

と、思ってるところです。

 

「声」の語源は「越ゆ」であるという説(ワークショプのご案内と共に)

 

 

 

「コミュニケーションの体幹を鍛えるワークショプー『聞くこと(傾聴)の前にあるものは』」

第一回、無事に終わりまして、

(と一応のご報告)

 

 

 

上のご案内は、「第2回」のご案内です。

第2回のテーマは「声」。

「”伝わる力”の根っこにあるものは−声をめぐる冒険」

と題して、あれこれ楽しもうかなと。

(詳細は上の写真を大きくしてご覧ください)

 

 

で、これを作りながらふと思い出したのは、

 

「声は『越ゆ』」

 

と言った安田登氏の言葉なのですよね。
(能楽師・日本の伝統的身体技術を通して、
コミュニケーション力や生活の力を鍛える著書、多数)

 

 

声は自分を「どこか、越えたところ」へ連れていく。

 

 

「声の可動域を広げる」
とわたしは、よく表現するんですが。

 

「自分の声は、こう」
「自分は大きな声は出せない」
「自分の声はこんなもん」

 

「出て当たり前」なものであり、
生まれてからずーっと、同じ声を出して
「その状態」でいるので、
自分の声について、疑う人はほぼ、いない。

 

そして「(全く違う、さらなる)大きな世界」がある、ということも
想像がつかない。

 

 

 

けれど、
「声の可動域」が広がった人は、
人生が変わる、ような氣が実はするのです。

 

(豪語してしまったな、と少し緊張しつつ。
けれど、少なくともわたしはそうだったなと。

 

そして受講生さんにも、
人生、とまではいかないかもですが
「上司に言えなかったことが言えるようになりました」
などなど、様々な「変化」の訪れた人が結構いたように思います)

 

 

声は、身体を共鳴版として出すものなので、
「声が変わる=身体が変わる=心の状態が変わる」
と、そういうことになるんだろう、
と思います。

 

 

昔、自分の声が変わった時。

自分の身体がぐん、と振動して、目の前の「グレーの壁」がバリバリと崩れ、
美しい極彩色の世界が実は目の前に広がっていたことに氣がづいた。

 

あの時の感覚と、感動は、今も身体に刻まれているなあと。

 

 

上記のワークショプ。
もちろん、「伝える」「伝わる」ための
いろんなスキルをやる予定ですが、
その根っこには、

 

「声は、越ゆ」

 

をしっかりとわたし自身の身体に抱きつつ、

そういう時間にできたら、と思っています。
(今回は3時間ですので、
どこまで行けるかなー、と思いつつ)

 

 

 

お知らせ(告知)でした。

 

 

お申し込みフォームはこちら

https://form.run/@maikaze–E7aT08ji9a56ogH0pEpf

頼られる嬉しさーわたしたちは一緒に美しい色を描いている

 

 

 

先日、知り合いのクリエイターさんから

「日本語(縦型)表記における、ある記号の使い方」

の質問がきており。

 

 

 

 

「もと国語の先生なので、お詳しいかもと…」。

 

 

 

 

で、
がぜん元氣になり、張り切って調べ、
(なんでもやっとくもんだなーと呟きつつ)
お返事を書いたところでした。
役に立てているといいのだけどと心から思いつつ。

 

 

 

 

 

「あなたの力を貸して」
「あなたの知識を貸して。知恵を貸して」

 

 

 

どうしてこんなに嬉しいんでしょうね。
その「どうして」を掘り下げてみたいんですが、
今日は時間がなく。

 

 

 

 

 

で、
知識だけでなく。

 

 

 

 

「あなたの存在感を貸して」
「あなたの波長を貸して」
「あなたの笑顔を貸して」
「あなたの中心軸(ぶれないあり方)を貸して」
「あなたの『夢』を目指す力を貸して」

 

 

 

 

いろんな「貸して」があって、
わたしたちは影響を与え合って、
補い合い、混ざり合って、美しい色を織りなしているんだろうなあ

 

 

 

と思ったのでした。
(貸して、がなくても、自然とそうなっている)

 

 

 

 

 

そう考えると、なんだか元氣が出ませんか。
連休明け、もし、ちょっと元氣がなくなっている人がいたら、
「大丈夫、あなたがあなたなだけで、
なんかもういい感じなのよー」
(いるだけで影響を与えているのですよ)

 

 

 

 

とお伝えしてみたくなり、書いてみました。

 

 

 

 

 

 

*   *   *

 

《「コミュニケーションの体幹を鍛えるワークショップ
第一回『聞くこと(傾聴)の前にあるものは」》

 

🔸5月18日(日)14時〜16時30分
🔸鹿児島市/カクイックス交流センター(県民交流センター)リハーサル室4
🔸受講費 3500円
🔸残席 1

 

 

●お申し込みフォーム
https://form.run/@maikaze–y8gv4sN7nzB1LjeCeGdk

●詳細
https://ameblo.jp/businesskouko/entry-12900477660.html

 

 

🌟「ここでは聞ける。家に帰るとダメ」
🌟「頭ではわかっているけど、なかなか…」
🌟「ついいらぬ一言が口をついて出てしまう」

 

こんなふうに相手の話を「聞けない」とき。
自分を責める必要はないかもしれませんよ。
それはあなたの「スキル不足」じゃないかもしれませんよ。

 

「聞く」というスキルの「もう一つ前」にあるスキル。
「聞くこと」を支える「その前」を
みんなで練習しよう、鍛えてみよう、の時間です。

 

年齢・仕事・立場・役割に関係なく。

「人ともう少し心地よく関わりたい」
全ての方へ。

 

 

 

*   *   *

 

 

《第2回のご案内》

●6月15日(日)14時〜 鹿児島市/カクイックス交流センター(県民交流センター)
●内容→伝わる声と言葉についてのあれこれ
(タイトル、詳細は後ほど)
●受講費 3500円
●募集 8(残席5)

 

 

 

 

 

「知っている」「わかってはいる」と「出来る」の間に横たわる溝を埋める

 

 

「わかっている」「どうしたらいいかは知っている」と

「出来る」(身体が動く)の間に横たわる、案外と深い溝。

 

これを埋めるものは何か?という話なのですが。

 

 

自転車に乗るのでも、新しくスポーツを始めるのでも、
「それ」を埋めるものは、実際に動くこと(つまり練習)
しかないわけですが。
(そして、当たり前じゃん、この人何言ってんの?な感じだと思うのですが)

 

 

 

と。
ここで思い出すのは、運転免許を取った際のこと。
テキストを読みながら、家で「イメトレ」をやっていたわたしを、
姉がばかにしたのですよね。

 

 

「いつもあんたはそうだ」
「そんなだから…」
(以下、いつまでたってもできないのよ、その他いろいろ)

 

 

まあ、確かに「理解」からはいるたちではありましたけど。
いきなり体当たりで動いてみる、というたちではないですけど。

 

(けど、あなただって、
オーブンの説明を読まずにクッキー作って砂糖ざらざらになって
失敗してたじゃん、などと思うわけです)

 

 

 

 

話戻って。

 

その「知っている」と「出来る」の溝を埋めるには
「繰り返し、やる」(練習する)
ことしかないわけですが、

 

 

なぜか?コミュニケーションのあれこれに関しては、
ろくすっぽ練習もせずに、
たった数回の「うまくいかなかった」で

 

「わたしはこういうタイプだから…」
とか、
「わたしの考え方(思い方)がいけないから」
とか
「あの人はああいう人だから、無理」

 

ですとか。

 

そういうことになるのですよね。
「心の問題」になる。

 

 

 

 

まあ、適正、向き不向き、はありましょう。確かにその通りです。

 

けれど、コミュニケーションも、運動と同じく、
思ったよりずっと「身体」が関わっているものです。

 

それまでの人生でいろんな体験について
「身体感覚」にどんな感覚・感情をくっつけてきたか、
が自分の今の反応に関わってくる。

 

 

 

 

5月18日からのオープンセミナー。
短い時間のワークショップではありますけれど、

 

「わたしはこういうタイプだから…」
「俺はこういうタイプだから…」
「これまでこうだったから…」

 

は完全に置いておき、
楽しく「身体にいい感じの動きと感覚を刻みこむ」(練習✖️練習)
をやりたいと思います。

 

 

 

 

上にも書きましたけど、
もともとテキスト&イメトレ(畳の上の水練)派だった
わたしがやるワークショップですので、

左脳と右脳(知識と身体)のバランスがちょうど取れた
いい時間になることと思います。
(なので、怖くないので^^
どうぞいらしてくださいね!)

あと1名参加可能。

 

(申し込みフォームはこちらです)
https://form.run/@maikaze–y8gv4sN7nzB1LjeCeGdk

 

 

 

開催のご案内ーコミュニケーションの体幹を鍛えるワークショップ・第一回「聞くこと(傾聴)の前にあるものは」

 

 

 

 

久しぶりにオープンセミナーを開くこととしました。

 

 

本当に久しぶりだなあ…と思いつつ、選んだテーマは、
「コミュニケーションの『体幹』を鍛える」。
 
 
 
武道やダンス、スポーツ全般。
(そして、書道や茶道、華道などもそうだと思うんですが)
 
技・スキル以前に基礎の筋力や体幹がしっかりしているかどうか、が
技の「美しさ」「正確さ」「リラックスした表現」「自然体」
そしてもちろん「効果的か」に、大きく影響します。
 
 
そして、それは「人と接するスキル」に関しても同じだろう、と思うわけです。
 
 
 
 
いつも、人様の研修ではなかなかできない
(時間の関係でですね)
けれど、
 
「これを取り上げさせてもらえたら」
 
本当にいいのに。楽しいのに。
長い目で見ると、全然(その効果が)違ってくるのに。
 
という「土台」のあれこれを、
「コミュニケーションに必要な『体幹』」として、
丁寧に一つづつ、手のひらにのせ、慈しみながらじっくりとみんなで見て、扱ってみよう、
 
といった時間です。
 
 
 
 
で、第一回目なんですが、テーマは「聞くこと(傾聴)の前にあるものは」。
 
 
🌟「ここでは聞ける。家に帰るとダメ」
🌟「頭ではわかっているけど、なかなか…」
🌟「ついいらぬ一言が口をついて出てしまう」
 
 
こんなふうに相手の話を「聞けない」とき。
自分を責める必要はないかもしれません。
それはあなたの「スキル不足」ではないのでは?
 
「聞く」というスキルの「もう一つ前」にあるスキル。
「聞くこと」を支える「その前」を
みんなで練習しよう、鍛えてみよう、
 
と、そういう時間です。
 
 
 
わたし自身が大いに上記のタイプだったのですが、
けれども「その前」を何度も練習したことで、
形として「聞ける」ようになったなあと。
 
心の中で「でもさ」「だけど」が「瞬間発動」することがあっても、
それでもその反応のままに、言葉をダイレクトアタックで返すようなことは、
なくなったなあと。
(心は波立つことがあっても、けれど「くいっ」と押さえて、
「聞き続ける」ことが今はできます。
そして、それであっても相手には一定の満足や、気づきがちゃんとある)
 
 
 
そして、この「形(型)」が大切なのです。
心は「型」に自然とついてくるものだから。
(日本人は昔からそうやって心を整えてきたわけですし)
 
 
 
 
年齢・仕事・立場・役割に全く関係なく、
「人とともう少し心地よく関わりたい」全ての方へ。
いい時間となるのではないかと、大いに思っているところです。
 
 
なんだこんなことか。
でも確かに考えたこともなかったし、出来てもいない。
そして、練習すれば身体が覚えてくれるってわけか!と。
 
 
 
お申し込みフォーム
 
(下記のコードよりも行けます)
 

 

*   *   *   *   *

 

日時:5月18日(日)14時〜18時30分

ところ:カクイックス交流センター(かごしま県民交流センター)

    〒892-0816 鹿児島市山下町14番50号

募集:8

受講費:3500円

 

 

 

 

※上にチラシのスクショも貼ってみましたが、

 なんだかぼやけています😅

 

放っておくと、わたしたちは無意識のうちに、「それをしなくていい合理的な理由」を次々と編み出し、結果、自分の【枠】はどんどん狭くなっていく

 

 

 

 

 

 

 

 

このGW中にあったことを一つだけ書いておこうかなと。
(そうじゃないと、どんどん新しい出来事が生まれて、瞬く間に後ろに流れていってしまう)

 

知人からインド映画に誘われ、
自分ではまず選ばないジャンルなんですが、
屋上での上映&「マサラ上映(鳴り物ダンス応援OK)」ということで、

 

紆余曲折、色々ありつつ行ったのです。
で、この映画がものすごくよかった。
面白かった。

 

国が違って、文化が違えば、こんなにも違うものなのか、
と驚嘆するくらいに、
「初めてみた😳」世界でした。

 

同時に、わたしたちがずっと慣れ親しんできたのは、
「西洋的な」表現方法をスタンダードとしたものなんだな、
ということもあらためて感じ。

 

 

イギリスがインドを植民地支配していた時代の話で、
イギリスの法とルールによる武力(軍隊)の支配に対して反旗を翻す、

とまあ、言葉で書くとそういうような内容なんですが、
なんと言いますか、西洋の武器(銃火器)に対して
徹底的に、

 

「自然」
「大地」
「人間」
「身体」

 

そして、
「受け継がれてきたもの(先祖・神話)」

 

 

を土台にして戦うインド人主人公たちの姿のまあ、美しいこと✨✨✨
本当に、インドの神様に見えました😍
(そして、たまにそのアクションが凄すぎて
「それはありえねーだろ」とクスッと笑えたりする)

暮れていく空に、桜島。
吹き渡る風も心地よく。

 

 

で、
初めに書いたこの文章のタイトルなんですが。
会場に足を向けるまで、とても「うだうだと」していたのでした。

「遠くから帰ってきたばかりで体調がイマイチだ」
からはじまって

「人混みかあ…」
「あんまり賑やかなのは苦手だな」
「3時間って!無茶…」

最後は
「そもそもインド映画って面白いのか?」

まで。

 

 

けれど、帰りはアーケードの中、知人と踊りながら
(映画中のダンスを)
帰ったんですけどね。

ということで、まさに表題の通りのことを実感したんでした。

 

誘ってくれた知人に心から感謝しているところです。
(際どいところで機会を放棄しそうになりながらも、なんとか出向いた自分にも)

 

 

 

映画の写真を貼ってみましたが…
この絵だけ見ても、まず私は見に行かないなあと。
それだけに、とにかく楽しげにワクワクと誘ってくれた知人、グッジョブ‼️と思うのでした。

 

 

 

 

40代・50代・60代女性を「大人世代」と呼ぶ違和感

 

 

 

 

 

 

 

髪を切りにいって久しぶりにヘアカタログを見ていたんですが、
いろんな言葉が舞い踊っていました。

 

「大人世代の『愛され』ヘアカタログ💓」
「きれい大人の『褒められ』ヘア✨」

 

大人世代って(笑)。
(言うに事欠いてまた面白い表現を編み出したな←脳内つぶやき)

 

ああいう世界って、新しいことばの使い方がどんどん生まれますよね。
「若見え」とか「高見え」とか。
(カタログ中の一つ一つの髪型に添えられているキャッチフレーズを見て、
「誰が考えるんだろうこれは」としみじみ感心してしまいました)

 

「春の日差しに輝く永遠の憧れふんわり大人のアンニュイミディアム˚✧₊⁎❝᷀ົཽ≀ˍ̮ ❝᷀ົཽ⁎⁺˳✧༚」

 

みたいな。
(ポエムか⁉︎ポエムなのか?これは。
「実りの秋の森のキノコの氣まぐれシェフサラダ」を凌ぐ言葉だらけのヘアカタログ)

 

 

 

で、
美容師さんのYouTubeも見てみたんですが、
何だかみなさんものすごく「言葉を選んでいる」感満載で。
その姿はまるで、盾にヘルメットの完全防備で地雷原を行く勇敢なる兵士のよう。
(↑踏んだら終わり^^)

 

「わたしたち大人世代ですともうちょっと前髪を軽くするとよりステキに…(笑顔)」
「…顔まわりの髪の量、大人世代は氣をつけたいところですね(笑顔)」

 

わたしも若くみられたいし、
おばさんと言われるのは嫌だし、
年配の方々は、などと言われたとしたらちょっと悲しい(多分)。

 

そうなんですけど。
そうなんですけれどなぜか感じるこの違和感。
もしくは笑ってしまうこの感じ。
言葉にあえてするなら

「そこまで必死にならんでも…」

という感じでしょうか。
なんというか、痛々しい?

 

そんなにも歳をとるとはいけないことか。
受け入れ難いことなのか?
触れてはならぬ「禁忌」なのか😆?
(ドラゴンの棲む禁断の森じゃああるまいし🐉)

 

 

 

話が飛ぶんですが、
イギリスのドラマを見ていて、
女優さんたちがとても自然な顔だなあと最近思っていたところだったのです。

堂々とした目元のアップは小皺はっきり。
おでこのしわも生き生きと。(あちらは表情筋をよく動かすので)
そして鼻の横のしわも元氣に存在感のあること!

日本の女優さんたちとはちょっと違う雰囲氣。
そしてもちろんみな、とても魅力がある。

 

 

「大人世代」。
(「大人女子」というのもあったな。
この呼び方を聞いたとき「やめい!見苦しい😆!」と思ってしまいましたが。
↑あくまでも個人の感想なので、許してね)

 

40・50・60代にこのラベルを貼る
(貼らざるを得ない、もしくは「貼っとけばいいだろう」的な)
空氣に、

 

「若さこそ正義」
「自分の(こと外見に関する)価値を決めるのは外の基準」

 

の中で生き続けてきた日本女性たちの
余裕のなさ、張り詰めたような痛々しさと同時に、
なんとなくの「小馬鹿にされている感」を感じてしまうのはわたしだけでしょうか。

 

 

 

そして、ここまで書いてみて、
今日書きたかったのは多分、

 

日本のおばさんのことも
もっと信頼してもらって大丈夫よ^^
と、そういういう感じでしょうか。

 

確かにそういう時代も長かったかもしれないけれど。
けれど日本の女も、
これまでにいろんなことを体験して、学んできたのです。
いろんな物事をじっと見つめて、静かに聞いて感じてきた。
もう準備はしっかりとできている。

 

何の準備?

 

んー、そうですね。
真に成熟した男性たちとともに、自由自在にのびのびと、
成熟した関係性や世の中を作っていく準備、でしょうか。
(と、湧きいづるまま思考を通さない直感に従った言葉を書いてみましたが、
ちょっと自分でもよくわかっていないところ)

 

 

 

 

わたしの周りにいる女性たちの多くは、
「自分の本質を生きることこそ、うつくし」。
とある瞬間にしっかりと決めた、
そのプロセスを経て、ここにいるように感じています。

小学生が引き継ぐ「伝統野菜」

 

 

F1種の広がりによって「在来種」「固定種」と呼ばれる昔ながらの作物はどんどん作られなくなっている、

(というか絶滅の危機?)
ということは、知っていたのですが、
先日こんなものを(上の写真)見つけ、早速買ってみたところなのです。

 

「伊敷(いしき)長なす」のたね。

 

 

「伊敷長なすは、昭和40年ごろまで鹿児島市の伊敷町などで盛んに生産されていた伝統野菜です。
生産が早いナスと比べると、中身がつまり、味は濃厚です。
ところが今はこうした伝統野菜が消滅の危機に直面しています。
そこで玉江小の子供たちと一緒に復活プロジェクトに取り組みました」
(鹿児島大学教育学部の技術専門教員 中野さん談)

 

 

ちなみに「伊敷(いしき)」は鹿児島市内にある地名で、

「伊邇色(いにしき)神社」

という神社が氏神様となっていることからも、相当昔からある地名かと。

(全国区の民謡「おはら節」にも、出てきますしね)

 

 

 

さて、話戻って。

 

その作物が作られなくなる、ということは、
種子を採取できないということで、
早晩、種子自体も無くなってしまう。
その作物自体が無くなってしまう。

 

「種子も消滅」。

 

なんと言いますか、こういう状態はなんだか怖い。

とても怖い。

 

 

 

何にしても、
(先日の「秋田のナマハゲ考」でも書きましたが)
https://commu-w.net/2024/03/24/なまはげの社会適応/

 

 

「消滅する」
「昔から受け継いできた繋がりが切れる」
のは本当に簡単なことで、ちょっとしたことでそうなってしまいます。
(伝統文化、精神の全てにおいて)

 

今の時代は特に。

 

 

 

だからこそ、そこには
「知ること」「意識すること」
そして
「伝えること」
が必要になってくると思うのです。

 

 

そういった意味で、
この伊敷長なすを「伊敷の子どもたちが」再び復活させた、ということは、
とてもすごいことだな、と思えるわけです。
(「伊敷長なす里帰りプロジェクト」と銘打ったプロジェクトなんだそう😊)

 

 

 

地域のみなさん。
「伊敷長なす」の種子を買ってください。
そして、子どもたちに「すごいことやり遂げたんだね!」
と声をかけてください。
「ありがとう」と言ってあげてほしいなあと。

 

 

 

伊敷長なすは、
「こくがあってぎっしりと実が詰まっている感じがして、とても美味しかったです」
「僕はなすが嫌いだけど、伊敷長なすは美味しく食べることができました」
なんだそう😊

(と、こどもたちの感想に書いてありました)

 

 

 

土地の個性、風土に合わせて、
美味しくなるようにと先人たちが時間をかけ、
養い育ててきた伝統野菜。

 

「そこに根付いたことに意味がある」
「その環境ならではの空氣、養分が『それ』を作った」
「そこだからこそ、この素晴らしい個性が育った」

 

 

自分たちの「根」はどこにあるのか?
わたしたちが忘れてはならない大切なことは、
野菜でもなんでも、皆同じであるように思えるのです。

 

 

 

 

「伊敷長なす里帰りプロジェクト」をやっている「鹿児島市立玉江小学校」はこちら。タネも買えます。

 

 

教員よ、プロとしての声と言葉と身体を持て、と思う

 

 

 

少し前、大勢の子ども達を前に、
先生たちが話をしているところ見る機会があったのです。

 

「この先生は、いつ、どんな場所でも、
このリズム、この声、この表情、この話し方なんだろうな」
(「子どもにはこういう話し方がいい」な歌のおにいさん的声と笑顔)

 

という人と、

「この先生は場の空気をちゃんと把握して、咀嚼しているな」
(自分の声や身体を子どもの反応に合わせてるな。瞬発力あるな)

という人、さまざまで。
で、当然後者の方が場が生き生きとしている。
子どもの自然な反応が湧いていて楽しい。

 

 

 

さて。

 

わたしが教員になるとき、
「どう伝えるか」という、
声や身体、表現については全く勉強しなかったんですよね。
そもそもカリキュラムになかった。

 

ズブの素人が、何のトレーニングも「構え」もない
「素人の身体」のままである日突然人前に立つ。
あとはとにかく「毎日やりながら」なんとかしていく。

それが教員の世界でした。
(今はどうなんだろう)

 

なので、つくる「場」。
その空気、質の個人差がとても大きかった。
元々のセンスのある人、ない人の差がはっきりと分かれる。

 

今思えば、なんと恐ろしい…とまではいかないですが、
なんと罪作りなこと!

 

 

と、当時を思い出すに、
子どもたちに申し訳なくてしようがない気持ちになるのです。

 

 

で、そういう話を知り合いの先生に、
(高校生相手に百戦錬磨の強者の大先輩)
ちょい熱(あつ)で語ってみたのです。

 

すると、
「ほんと、その通りだよ」
の同意とともに、
「今はねえ…昔よりもっとひどいんだよ」

 

と、なんだかすごい言葉が帰って来たのでした。
(で、それは一体どういうことなの!?とものすごく気になっているところなのです)

 

 

 

さて。

教員よ、「伝える」「導く」「場を作る」プロとしての身体と声と言葉を磨け。
と、ずーっと思っています。

「相手はあなたの言葉の通りになるのではない。あなたの身体の通りになるのだ」
(竹内敏晴 演出家)

 

大人・子どもに限ったことではなく、
コミュニケーションの鉄則ですが。
言葉より前に、
自身の身体状態、身体からのメッセージが相手に伝わります。

 

 

 

さらに付け足すと。

学びへの「意欲」や「学ぶ喜び」「熱」。
それは、教師の身体を通して、その教師の想いと共に、【伝染してゆく】ものなのです。

 

決して、言葉で言われて、
「ああそうか」「じゃあ頑張ろう」と湧き起こる類のものではない。

 

 

「教師自身の身体感覚」を伴わない、
音として聞こえるだけの言葉は子どもには伝わらない。
子どもには「先生のほんとう(無意識)」が伝わります。

 

だから、教師にとって、知識と同じに、

自分の身体を「コミュニケーションのできる温まった身体」にしておくことは大切です。
自由自在にあり方を変えられる「開いた身体」にしておくことは大切です。
場を察知する「身体センサー」を鍛えておくことは必須なのです。

 

 

 

 

ちなみに。

 

なぜ、日本の学校では、先生たちの「そういう力」が重視されないか、
トレーニングすらないのか、
(今は存在していて欲しいんですが)
ということなんですが。

 

想像ですが、日本の授業の形が、未だ、ざっくりいうと
「明治から変わっていない」
ということが挙げられるのでは、と思います。

 

未だに約40人を箱の中に詰めて、
50分間前を向かせておく形態が多い。生徒は「静かに聞く」ことが求められる。
小さい頃からそういうふうに「身体も心もしつけられる」。

 

これは、言い換えるとつまり「先生の身体は楽できる仕組み」ということです。
努力して「聴衆を魅了する場」を作らなくても、
「まあなんとなくやっていける」(子どもも文句言わないし)。

 

 

 

 

 

話がそれますが。
今の日本の教育システムで十何年育つということは、

 

⚫︎自分の身体感覚(本質、本音)、身体の声を大切にできない。
⚫︎身体と自分自身がのつながりが切り離される。
⚫︎「自分の身体に備わった叡智」を人生の羅針盤の一つに据える能力が育たない。
(たくさんの知識を得るのがすごい。「頭で考えて」合理的な答えを出すことが一番正しい、が王道になる)

 

と。
そういう大人に「仕上がる」ように思うのですよね。
「身体」「感覚」「感性」は未だ、蔑ろにされているのかなと。
(どうなんでしょうね?)

思うに、
先生自身もそうやって大人になっているわけなので、
それが普通、になってしまっているのは仕方ないな、とも思うわけです。

 

 

 

 

繰り返しますが。

教師には「場を作る力」が必要です。
そしてそれは言葉だけではなく身体で作るものです。

 

開いた身体を持ち。
自身の全細胞が起こす振動で空気を震わせ、場を震わせ、子どもの身体を揺さぶる。
子どもの「吸収したい!」という開いた心と身体を作る。

 

 

自分の身体としっかりとつながった「ホンモノの言葉」で、
子どもの身体を揺さぶり、火をつけるのです。

 

 

そんな「生きた身体」を持ち、
その身体の中心「自分の根から出た言葉」を
一人一人の胸に、肚に、しっかりと届けることができる人、

それを「先生」というのではないか、と思います。
(過去、自分が会った数ある教員の中で「師」と呼びたい人たちは、
皆そういう人たちであったように思います)

 

 

 

ということで。

「教員よ。プロとしての声と言葉と身体を持て」
から、
「全ての大人よ、生きた身体と言葉を持て」

とここまで書いて思っているところです。

 

7月2日/9日。鹿屋市セミナー「わたしらしく生きる!」。お近くの方はぜひご参加ください

 

 

 

 

 

地域限定になりますが(鹿児島は鹿屋市。バラ園の美しい街です)

お近くの方はぜひと思い、案内を載せてみます。

(ついでに今回は「性別も限定」でした。女性対象セミナーとなります)

 

 

*  *  *

 

 

「女性応援セミナー『わたしらしく生きる!』」

 

 

女性起業家によるゲストトーク&セッションと、ワークショップの二部構成。

 

 

 ①7月2日(土)13:30~16:30  

ゲストトークと参加者交流 【ゲスト】  

・里山のおやこえん*にじいろタペストリー   吉留文佳さん  

・リトルオレンジズ   日野尚子さん

 

 ②7月9日(土)13:30~16:30  

一歩前に進むためのセミナー

【講師】  コミュニケーション・ワークス   中村公子さん

 

 

◯場所  鹿屋市 リナシティかのや 情報研修室

 

 

◯定員は各回20人。先着順。6月28日〆切)

 

 

◯詳細とお申し込みはこちら

 

鹿屋市男女共同参画推進室

 

 

*  *  *

 

 

企画者さんは、

「自分の本心を探求し、自分軸を明確にし、前に進むための勇氣が持てたら」

「自分らしく生きること」への一歩を、

 

 

 

との思いで企画されたということで、

わたしも、その意図をしっかりと満たせる「いい場」を作ろう、と、

今から楽しみなところです。

 

 

 

鹿屋市の方々限定になりますが、どうぞご参加ください。

 

 

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