「英雄の旅」

この間、長崎の「自分の本質を生きるセミナー」(でしたっけ?タイトルを忘れてしまいました)

で、あるお一人の参加者から

「ジャンパー」

というお言葉をいただきました。

空間を瞬時に移動できる能力を持つ主人公が出てくる映画がありましたけれど、その「ジャンパー」です。

「今ピラミッドの頂上にいたと思ったら、次の瞬間にはもうぜんぜんちがうところにいる

中村さんはそんな感じです。トラベラーです」。

その場で顔がひきつってしまいました。嬉しくて。

もちろん旅好きだからというのもありますし

何より

自分がこの仕事を通して、やりたいと思っていたことを一言で言い表されてしまったような気がしたからです。

「非日常を旅する」という感覚は昔から好きでした。

今思えば、中学校の教員時代、そしてウエディングプロデューサー時代を通して

自分がもっとも「価値を感じてきたこと」だったように思います。

50分の「授業」という場の演出

そして2時間半の結婚式と披露宴という場の演出を通して

「非日常」「異空間」の中での「視点の転換」「気づき」「発見」そして「感動」をつくりたい。

その場にいた人の心に忘れられない何かが刻まれ、その後の人生によき影響をもたらし続けることを願って。

それがわたしにとって「授業をする意味」「披露宴を演出する意味」でした。

今はそして、クライアントさんとの時間をとおして、やっぱりやっているのはそのことです。

やりたいことって、変わらないんだなあと思います。

クライアントさんの中を、現在から過去へ。未来へ。

高い空へ、深い海の底へ…自由自在に二人で飛び回り

その人の「宝」を見つける旅。

その人の望む人生にむけての古地図を二人で開き

途中に出てくるドラゴンを倒しアイテムを獲得しながら二人で進む、それはまさに「冒険の旅」。

その人の深い魂の目的に向かって二人で歩む「約束の地への旅」。

わたしにとって、セッションとはまさにそんな「時空を越えた壮大な旅」です。

どんな映画にも、ドラマにも劣らぬその方にとっての「旅の物語」がそこにはあります。

一人の思いを、願いを、祈りをともに歩むたびというのは、こんなにも深く、遠く

そして心震える体験なのかといつも感じます。

中村公子のコーチングna日々♪

そんな「旅好き」が

今、舐めるように幸せな心地で読んでいる本。

「…キャンベルはアメリカの神話学者であり、長年あらゆる時代のさまざまな物語、伝説、神話で、男女双方を含んでいるもの全てを研究しました。そしてこれらの物語や例には、共通のある「深層構造」があることに気づき、それを『英雄の旅』と名づけました」

    (本書19ページより)

英雄の旅(ヒーローズジャーニー)のプロセスは次の8つ

  1天命を聞く

  2天命を辞退する

  3境界を越える

  4守護者を見るける

  5字分の中の悪魔と影に立ち向かう

  6内なる自己を育てる

  7変化を遂げる

  8帰還する

わたしが望んでいたセッションははまさにこういうことだなあ、と思いながら読んでいるんですが

それより何より、まず自分の心の中が盛り上がってしまってしようがありません。

この高揚感と焦燥感はなんだろう?

まるで自分の中で、何度目かの「旅立ちの鐘」でも鳴り響いているかのような。

コーチという人種は

みなさんの「旅」のお手伝いをしつつ、自身も旅人をしているわけですが

旅の途中の大きな宝の発見かもしくはドラゴンとの格闘か

はたまた賢者との出会いか・・・

自分自身の「旅」の大きな変化の予感も感じているところです。

「巨木倒るとも」






知り合いから

椋の木の木片をわけていただきました。

厚さ七~八センチ。直径二十センチくらいの丸い木片です。


東京の日野市に

「とうかん森」というそれはそれは小さな森があって
中村公子のコーチングna日々♪

(森というよりは、木と祠が残っている一角

といったほうがいいくらいの「森」なんですが)

そこの椋の巨木が今年の二月に伐り倒され

巡り巡ってわたしの元にもやってきたのです。









『土方歳三が誕生した家は、「土方歳三資料館」から

北東へ数百メートル離れた、多摩川沿いの地、今の川原北公園付近にありました。


(中略)

その家で小さかった歳三も見て、遊んで育ったと思われるのが、樹齢250年もの大木が並ぶ「とうかん森」です。」』(日野市観光協会HPより)



という、とうかん森。

すっかり変わってしまった一帯で、ここだけが昔と変わらぬ面影を残しているとのことで

石田寺(せきでんじ。土方家墓所)にお参りするたびに、この小さな森の前を通り

大きな木の肌を触って、百数十年の昔に想いを馳せるのが楽しみでした。


周囲の人家に危険が及ぶ恐れが出たため

数本を残して、切り倒されることとなったのだそうです。






私の部屋にある椋の木を見ながら

つくづく不思議な気持ちにとらわれています。

遠く鹿児島にやってきた木のかけらが

(わたしには、距離だけでなく、はるか時間も越えてやってきたように感じるわけですが)

この場所で人に影響を与え続けていることの不思議。中村公子のコーチングna日々♪

今、自分の目の前に残ってあることの不思議。








話は変わるのですが

この椋の木がやってきたちょうどその日

小さいころから世話になっていた伯父が亡くなりました。


伯父は、私が覚えている記憶の中で

最初から白髪頭で登場。

その頃は、たとえて言えば「大きなガキ大将」のような人でした。
子どもの頃はよく遊んでもらっていたんですが

そのうち遊んでもらってるのかいじめられてるのかわからなくなってくる(笑)


そんな感じにとてもかわいがってもらいました。


中村の家の男手の最長老がこの伯父で
まさに、わたしたちにとって、この椋の老大木のような存在でした。
ずっと、昔からそこにいて、これからも動かない巌のようにそこに存在し続けるのであろう…
と、なんとなく思っていたのですよね。





通夜の夜は、とても穏やかで和やか、もっと言えば

笑顔の絶えない通夜でした。

なんでも、大往生だったそうで、伯母もすっきりとした表情で。

「さすが、おじさん!」と思ってしまったくらい。

最後まで、やってくれるじゃないですか。




笑えたのは

二十数年ぶりに会った伯父の二男が、伯父そっくりになっていたこと。

遺影に手を合わせて振り返ると後ろに本人が立っていて「ぎゃっ!」とびっくり…とうくらいにそっくり。

ざっくりと、豪放磊落な感じも、いたずらっ子のようなところもそっくりになっていました。

そして、その存在感はとても安心感をもたらすものでした。





「ああ、形はなくなっても、なくならないんだなあ」

と。

その人が残したものは形を変え、受け継がれ、人に影響を与え続けていく。

静かに過ぎる通夜の夜

伯父はいなくても
伯父が残してくれたたくさんのものは確かにあの場所を満たし、わたしたちに影響を与え続けているのを
感じたのでした。





巨木倒るとも。

その意図、思い、願いは残る。私の手元に残る椋の木片のように。




身近な人の生きた過程を思うことも

歴史上の偉人のそれを思うことも

最近、わたしにはまったく同じことに感じられます。

「歴史」なんてひとくくりなものは存在せず

かわりにそこに、一人一人の笑い顔や泣き顔の

生き生きとした一瞬一瞬の繰り返し、その連なりが見えるのです。

木片を見ながら

伯父が「今日一日」のていねいな積み重ねで長い年月を生き切ったように

明日もまた頑張ろうと思うのでした。



「七夕飾りの意味」

って

みなさんご存知でしたか?

わたし、知らなかったのです…(恥ずかしながら)

次のような意味があるのだそうですよ。

星星飾り~織姫と彦星をあらわす

星貝~海の恵みを受けられるように

星ひし形つなぎ~裁縫が上達するように

星ちょうちん~織姫と彦星にあかりをささげるため

星短冊~字が上手になるように

星吹流し~機織りが上達するように

星網~豊漁

ちなみに

中村公子のコーチングna日々♪

情報源はこちら→

(モスバーガー某店に貼ってありました)

「お裁縫」「機織り」

当時の女の子たちにとっては

必須の習得技術だったのですもんね。

そして

「字が上達するように」

自らの修練を前提とした奥ゆかしい願い、とでもいいましょうか。

とても美しく、奥ゆかしいものに感じられます。

このような願いを

少しはにかみながら短冊に書いて

たおやかな白い手を伸ばしてそっと笹につるすような

そんな女性になりたかった…。

そして

「豊漁」「海の恵みを受けられますように」かあ。

命の糧は

願い、祈り、授かるものだったんですね。

わたしたちの祖先にとって。

小さいころに

この由来を知っていたならば

もっと心をこめて飾りをつくっていたのになあ

もっと、わたしにとって意味深く、味わい深いものになっていたのになあと、

そして、もっともっとこの「七夕」を大好きになったのになあと

(今でも、十分なくらいに大好きなんですけれど)

少しだけ残念に思いました。

若いお父様、お母様方

もし、よろしかったら、お子様に話してあげてくださいね。

ぜひ。

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