「深知今日事ーふかくこんにちのことをしるー」

「巨木倒るとも」






知り合いから

椋の木の木片をわけていただきました。

厚さ七~八センチ。直径二十センチくらいの丸い木片です。


東京の日野市に

「とうかん森」というそれはそれは小さな森があって
中村公子のコーチングna日々♪

(森というよりは、木と祠が残っている一角

といったほうがいいくらいの「森」なんですが)

そこの椋の巨木が今年の二月に伐り倒され

巡り巡ってわたしの元にもやってきたのです。









『土方歳三が誕生した家は、「土方歳三資料館」から

北東へ数百メートル離れた、多摩川沿いの地、今の川原北公園付近にありました。


(中略)

その家で小さかった歳三も見て、遊んで育ったと思われるのが、樹齢250年もの大木が並ぶ「とうかん森」です。」』(日野市観光協会HPより)



という、とうかん森。

すっかり変わってしまった一帯で、ここだけが昔と変わらぬ面影を残しているとのことで

石田寺(せきでんじ。土方家墓所)にお参りするたびに、この小さな森の前を通り

大きな木の肌を触って、百数十年の昔に想いを馳せるのが楽しみでした。


周囲の人家に危険が及ぶ恐れが出たため

数本を残して、切り倒されることとなったのだそうです。






私の部屋にある椋の木を見ながら

つくづく不思議な気持ちにとらわれています。

遠く鹿児島にやってきた木のかけらが

(わたしには、距離だけでなく、はるか時間も越えてやってきたように感じるわけですが)

この場所で人に影響を与え続けていることの不思議。中村公子のコーチングna日々♪

今、自分の目の前に残ってあることの不思議。








話は変わるのですが

この椋の木がやってきたちょうどその日

小さいころから世話になっていた伯父が亡くなりました。


伯父は、私が覚えている記憶の中で

最初から白髪頭で登場。

その頃は、たとえて言えば「大きなガキ大将」のような人でした。
子どもの頃はよく遊んでもらっていたんですが

そのうち遊んでもらってるのかいじめられてるのかわからなくなってくる(笑)


そんな感じにとてもかわいがってもらいました。


中村の家の男手の最長老がこの伯父で
まさに、わたしたちにとって、この椋の老大木のような存在でした。
ずっと、昔からそこにいて、これからも動かない巌のようにそこに存在し続けるのであろう…
と、なんとなく思っていたのですよね。





通夜の夜は、とても穏やかで和やか、もっと言えば

笑顔の絶えない通夜でした。

なんでも、大往生だったそうで、伯母もすっきりとした表情で。

「さすが、おじさん!」と思ってしまったくらい。

最後まで、やってくれるじゃないですか。




笑えたのは

二十数年ぶりに会った伯父の二男が、伯父そっくりになっていたこと。

遺影に手を合わせて振り返ると後ろに本人が立っていて「ぎゃっ!」とびっくり…とうくらいにそっくり。

ざっくりと、豪放磊落な感じも、いたずらっ子のようなところもそっくりになっていました。

そして、その存在感はとても安心感をもたらすものでした。





「ああ、形はなくなっても、なくならないんだなあ」

と。

その人が残したものは形を変え、受け継がれ、人に影響を与え続けていく。

静かに過ぎる通夜の夜

伯父はいなくても
伯父が残してくれたたくさんのものは確かにあの場所を満たし、わたしたちに影響を与え続けているのを
感じたのでした。





巨木倒るとも。

その意図、思い、願いは残る。私の手元に残る椋の木片のように。




身近な人の生きた過程を思うことも

歴史上の偉人のそれを思うことも

最近、わたしにはまったく同じことに感じられます。

「歴史」なんてひとくくりなものは存在せず

かわりにそこに、一人一人の笑い顔や泣き顔の

生き生きとした一瞬一瞬の繰り返し、その連なりが見えるのです。

木片を見ながら

伯父が「今日一日」のていねいな積み重ねで長い年月を生き切ったように

明日もまた頑張ろうと思うのでした。



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