「生命誌研究者」の中村桂子さんという方がいらっしゃいます。
昔、この方のエッセイが国語の教科書に載っており、何となく覚えていたんですが。
その 中村さんが、「左手のピアニスト」舘野泉さんとの対談で、
自身の研究所にある下記の絵を見て、次のようにおっしゃいました。
扇の要の「一個のアメーバ」から始まって、多種多様な「生き物」へと広がっている。
「生き物はずーっと38億年続いていく中で、20億年くらいの頃に、
『きっと全部同じに生きて行っちゃ、うまくいかないぞ』
と思ったんだと思うんです。
で、違うものを作って、自分は死んで次へ渡す、というやり方をすると、
今みたいに、こんな多様ないろんな生き物が生まれて、
そして続いていく。
というように考えた…というと変ですけど、
そういうシステムを生み出すことが『続く』ためにはいいと。
いろいろな生き物をつくること。
それが『続くこと』の秘訣だ、ということを見つけたんだと思います」
「違う」ことが、生命が続いていくために生命自身が「選んだこと」。
そうだとすると、
むやみに「同じであろう」とすることは、
生命の流れ、それこそ中村さん言うところの
「生命誌(いのちの歴史)」に
逆行することになるのではないか?と思う私。
対談はこう続きます。
「音楽だっていろんな方がいるから面白い」(中村さん)
と、それを受け、舘野さん。
「新しいものができていく。
(例えば)現代音楽は難しいと言うけれどそうじゃない。
また新しい方法、出口で、
『生きている自分』
を表すものを続けたいわけです。
それを探している。それが楽しいんですよ」
お二人の対談から感じたこと、それは、
生命としての自然なあり方
というか、生命の『目的』と『戦略』。
「目的ー『続くこと』」
「戦略ー『違い』をそれぞれが、自分の方法で『存分に表す』こと」
多様性。
違うことの豊かさ。
そして、それを各自が存分に表現すること。
それをこそ、生命は目指し、進化してきた。
それをこそ、宇宙は愛している。
「続く命」のために。
壮大なる38億年の「生命の意図」に逆行するものは、
仕組み、あり方…全てにおいて、
これからますます衰退していくんだろう、と
そんなことも感じ。(それが自然の摂理)
自身のこととして思ったことは、
すべての人が上記の「戦略」を生きることをサポートする、
ということを自身の人生の軸においている、という点において、
とても大きな、悠久な「生命の流れ」の中に、
共に乗っているんだな、ということを改めて感じたのでした。
自分は自分の「方法」で、
「生命が続くこと」に寄与している。貢献している。
なんという「安心感」。そして喜び。
日々生きていると、
何となく毎日が流れ、その中で小さな不安や不満…毎日いろんな思いがわきますが、
たまには、時間軸を
「明日、明後日、明々後日」から
「38億年の流れ」
なんていうところに広げてみるのもいいかもしれません。
そして、自分自身の、瞬間瞬間の「意図」と、
壮大なる「生命が38億年で獲得した意図」を、重ね合わせ、擦りあわせてみる。
何が起こりますか?
どんなことに氣付きますか?