感情をしっかりと言葉にできることの大切さ

 

 

 

生徒に暴力をふるってしまった先生へのアンケートがあるそうです。

「なぜ手をあげてしまったのか?」

そのもっとも上位の答えは、
「言葉が出なかったから」。
的確に、自身の感情と言葉を合致させられなかった、が理由。

な、なんとある意味わかりやすい。
「そのまんま」。

暴風雨。
たまりにたまって溢れそうな水を、適切に放出することが出来なかったダムが
耐えきれず決壊してしまうように、

溢れ、暴れる感情。
それを適切に「開放」するすべを知らなかったがゆえに
「身体で」放出するしかなかった、ということでしょうか。

日頃から、
自分自身の感情と「言葉の回路」をしっかりとつなぎ、
なおかつその回路を「太く」しておくことはとても大切です。

この回路が細い、あるいは詰まっていると大変です。
そして、例えば若い世代を見ていると、
この回路が「豊かに開いている子」が多い反面、

「泥が詰まりまくって水が流れない水路」
もしくは、
「ほとんど使ったことがないんじゃない?}

というくらいに、もう、ストローくらいに細い子も見受けられます。
前者は感情豊か。
表情も生き生きとしています。

そして、いつも多くを見て、多くを氣づける。
周囲へ向けての繊細なアンテナが
のびのびとしっかりと世界に向けて、健康に張り巡らされているのを感じます。

後者は、表情が乏しい。
石のような表情で、身体もガチガチに固まっている子が多い。
そして、自分が本当に、何が好きで何をしたいのか、
ということがわからない、と訴える子が多いかなと。

感情を言葉にする。
これは、「そうしましょう」と今聞いたから、
明日からすぐできる、という
類のものではなく、慣れが必要です。

1.今、自分が何を感じているか?に敏感になること。

2.感じている感情が「何であるのか」を探索し、
 適切な「ラベル」をちゃんとつけることが出来ること。 

不快な感情があった場合、
・それの正体は何か?「悲しさ」なのか?「怒り」なのか?「悔しさ」なのか?
 それとも…。
・腹が立つのだったら「何に?」「誰に?」「言えるなら何と言いたい?」
「自分はどうしかたった?」「自分は何を望んでいる?」等…
 ちゃんと、自分の感情を「言語化」してあげること。

最近、他者の身体を無差別に攻撃する事件が相次いでいます。

きっと「自分の氣持ちを丁寧に言葉にする」とは無縁の状態で
ずっと生きてきたのかな、
ということはなんとなく思うのです。

何が何だかわからなかったものに「名前」がつく、
言葉として表に取り出される、というだけでも、
楽になります。
そして解決への一歩がはじまります。

居心地の悪い感情…怒りや悲しみや、
そういったものとわたしたちは無縁では生きられない。

そんな中、
自分の感情に振り回されることなく生きる。
自分の感情に振り回されることなく、
他者や物事とコミュニケーションをとる。

そのための第一歩は、
感情を抑えることでも、
見て見ぬふりをすることでも、
否定することでもなく、

「そこにある」

と見てとり、認め、そして、それを言葉に変えること、です。


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それを相手に直にぶつけなくても、
(適切な方法で伝えられればなおよいのですが。そしてその方法はあります)
まずは、自分の中で、

紙に書く。
誰かに聞いてもらう。

どんな方法でもよいので、まずは、
自分の中の感情の「かたまり」をよく見て、分解し、
正体を明らかにし、光のもとに連れ出してあげること、です。

大人は、
子どもの「氣持ち」を丁寧にきいてあげること、です。
子どもがゆっくりと、自分の感情の海に分け入り、光を当て、
海面に浮上させ、言葉にできるように導いてあげることです。

丁寧に、丁寧に、繰り返し。
それが「当たり前」になって、自分で自然と出来るようになるまで、
習慣づけてあけることです。

そして何より、
「自分の感情はどんなものでも受けとってもらえる」
(※「受け取る」と「受け入れる」は別)
「自分の感情はどれも大切なものだ」

ということを、子どもの無意識にしっかりと、
刻み込んであげることです。

そして、まず何より大人自身が、
感じることを怖がらず、
そのことを自身に対して行う。
それこそが大切だと思うことです。

 

 

 

 

 

 

 

✱個人セッションのクライアントさんを募集します。

枠は2名です。(7月より募集を開始しますので今しばらくおまちください)

 

 

◆「自分の人生を存分に生きる人のためのコーチングセッション」◆
今まさに、「目覚めの鐘の音を聞いている人」のためのセッションです。
自分が発揮すべき特質を明確にしたい方。
自分の人生の軸を明確にしたい方。
自分の中に今ある方向性をさらに力強く開花させ、前へ進むための後押しが欲しい方。

◆「今日をスッキリ整理して、明日への風通しをよくするセッション」◆
毎日の生活の中のちょっとした「氣になること」「終わっていないこと」
がわたしたちから奪っているエネルギーは案外大きいもの。
それらを「見返し、整理し、手放す」ことで、注ぎたいところへエネルギーを注ぐ準備を!

 

男はゆっくり父になる

 

 

 

昔、
男は火星人、女は金星人…
みたいなタイトルの本を読んだことがあります。

「お互い、そう思っておけば腹は立たないよ」

と。
ざっくり言うと、そういう趣旨の本だったなと。

どうして、これを思い出したかというと、
「男と女って、本当に違うんだ」

と、しみじみ感じた瞬間があったからなのです。
具体的に言うと、
知人が「男が父になる過程(笑)」を話すのを聞いた時。

知人。
新生児(我が子)を見て一番に思ったことは、
「あ…歯、ないんだ」。
(そこですか!)

そして、
「ああ、自分の子どもだ~」としみじみ実感したのは
赤ちゃんに反応が出てきて、自分に笑いかけてくれた時。
それまでは、案外、実は、やや、なじめなかった、と。
そうだったんですね♪

男性は、ゆっくりゆっくりお父さんになってゆく。

自分の中の「若者」の部分なんかに、
じりじりと折り合いをつけながら、
それに代わる、あふれんばかりの豊かな世界に、
ゆっくりと身を浸してゆく。
(まるで、ちょっと熱めの温泉に浸かる人みたい?)

そのプロセスが、よく伝わってき。

同時に実感したのは、
子どもが生まれた瞬間から「母」になる、
女性のその「大変さ」を、
本当の意味で、男性はなかなか実感できない、

そして、女性にも、
男性の「父になっていく」過程の
「とまどい」「不安」は、本当の意味ではわからない。

身体が違う。脳も違う。
育った環境も違うわけで、
まあそうだろうなあ、としみじみ思ったわけなのでした。

(このお話を「男性は」「女性は」と一般化してもいいのかな?
とも思っているのですが、知人が「周りの男友達もそんな感じで…」
と言っていたので、
まあ、そこはざっくりとしたかんじでお読みください^^)

さて。
わたしたちのコミュニケーションに齟齬が起るとき。
平たく言うと、相手のやることにいちいち腹が立ったりするとき。

わたしたちの中には、
「(この場面では、この状況では、役割上…)
当然、相手はこうあるべき」

という自分の中の「マイルール」「前提」が発動しています。
それに相手が合っていないと一言「言ってやりたく」なったりする。
自分が正しい。自分のルールに従え、と。

知人は今、
きっと、どこの夫婦にもきっとある、日々の「山と谷」を越え、
「お互いの前提の溝を埋める」

ということをはじめています。
丁寧に。
言葉にし、擦りあわせる地道な作業。

その姿からは、
目の前の奥さんを
「母」「妻」という一括りのもの、ではなく

「この個性を持った一個の人」

として見ようとする、
その「覚悟」がしっかりと伝わってきます。

日々、普通に過ごしていると、雲霞(うんか)のごとく湧いてくる

母親なら…
妻なら…
子どもなら…
「こうやって(これが出来て)当たり前」

といった、
知人の中にあった
(誰の中にも普通にある)
透明な、空氣のような「前提」。

それを
自分のものはいざしらず、
相手のものにも意識を向ける。
そして、
取り出して二人のテーブルの上に乗せる。
…すごいなあ、と思います。

何より、
上手くいってもいかなくても、
たまには「キツいなあ…」と思っても。

必ず「そこ」に戻ってきて、
倦まずたゆまずゆっくりと「自分たちにとってのベスト」
を探し続ける、
その姿勢そのものを、本当に尊い姿に思います。


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次回は(氣が向けば)
「こういうときの感情とのつきあい方」

を、書いてみたく。
聞くと、知人も同じようなことをしているようで。
上手くいく人は、やはり
本質的なやり方にたどり着くんだなあと思ったことです。

 

 

 

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今まさに、「目覚めの鐘の音を聞いている人」のためのセッションです。
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意志の力なんて弱いものです―「仕組み」のすゝめ

 

 

 

今、
「仕組みづくり」に余念のないクライアントさんがいらっしゃいます。
具体的には、

・食事中、お子さんに「食べなさい」と言わずに食べてもらう仕組み
・家族全員の片付けがスムーズに行く仕組み

などなど。

「~しなさい」
「~しなきゃダメじゃないか」

と、
言葉で指示する、怒る、ということが、
結構なエネルギーを使い、
その割に

「場の雰囲氣が冷え込む」
「家族が委縮する」

以外、何の効果をもたらさない、ということを実感なさったそうで、

家具
収納スペース
家族の動線

にはじまり、

言葉の使い方
休日の過ごし方
に至るまでちゃくちゃくと改造中。
(楽しそうです)

わかりやすいところでは、
お子さんに「ウサギの帽子掛け」をつくってあげたそうで、
お子さん、
それ以来、言われなくても幼稚園帽をそこへ突進して掛けているそう。

朝早く起きる。
忘れ物をしない。
部屋を片付ける。

などなど…
子どものころから、
わたしたちには「ちゃんとしたほうがいい」
様々なことがあり。
それらを成し遂げられなかったときに、

意志の力の弱さ
人間性

に結びつけられ、しこたま怒られたり、
またあるときは、
「弱い自分」を自分で責めたり
と、そんなことはありませんでしたか?
わたしはけっこう覚えがあるんですが…。

なので、
コーチングを勉強し始めたころ、

「意志の力なんて弱いものです」

と、スパッと書いてあったのを見たときには、
とても嬉しかったものです。

意志の力をあてにするのはほどほどにして。
(はなからあてにしないで)
「仕組み」をつくろう、という、そんな内容でした。

一つのテーマに、みんなで「仕組み」を考えて、出しあうクラスは
とても楽しかったのを思い出します。

さて、
先のクライアントさんの「仕組み」のひとつ。
「休日の過ごし方」。

今は、家族全員で「カフェめぐり」をしているのだそうです。
週に一回のお楽しみ。
その日に向けて、時間をいかに生み出すか?
いかに、心安らかにその時間を楽しむか?

構成メンバーみな(ご家族ですが)
自然と毎日の過ごし方に「目標」が生まれているそうで。

「これは早くやっておこう♪」

とそんな感じでしょうか。

禁止ではなく。
否定ではなく。

「心惹かれる「場所」(時間・あり方)」

をつくって、
そこへ向けての自然な人の心の動き、という形を仕組化している
わたしのクライアントさん。
いつも本当に、すごいなあと思います。

(それに、着々と開拓しているカフェ情報もくださるので
これも本当に嬉しい)

ところで、
小さい頃、いろんなことが出来なくて、
しょっちゅう怒られていた、と書きましたが、
父がつくってくれた素敵な「仕組み」のことを、
書いていて思い出しました。

いつの頃だったか、父がいきなり
「明日から朝、ラジオ体操をする」
と言い出したのです。

ええ~!(げんなり)
と多分思った、と思うのですが。

朝起きると、父が
「裸足でとび出せっ!」と。
(縁先は広い芝生の庭だったのです)

姉、父、わたしと
裸足で縁側からジャンプ。

朝露にぬれた芝は少しちくっとして冷たくて、
眼下に広がる錦江湾と桜島が本当にきれいで。
体操のあとは父が逆立ちをして見せてくれたり、
姉と父の腕にぶらさがったりと…

もう、その時間は今でも「楽しかった!」という思い出しかありません。

神経質で、寝つきも悪く、
夜中にしょっちゅう起きだすような子どもでしたので、
今思えば、
あの頃が、生活のリズムが形作られていった時間であったなあ、
と思います。

 

 

 

 

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