「そこにないものを見せる力」

クライアントさんからセッションの後で絵をいただきました。
セッション中に見た、というか、「体感した」イメージを描いて送ってくださったのですが。
見たとたん

「うわ~、質感」

という言葉が頭の中にふわっと。
絵の中の世界が、目だけではなく、皮膚感覚で感じられる、
触った感じが伝わってくる絵だな~、といううことなんですが。

長い髪の女の子が、大きな光る水晶のような石を
両手に抱えている、というその絵。
その宝石に映りこむ女の子の笑顔がかわいらしい。

女の子の髪の質感。
ふわりとしてやわらかく、ゆるやかな巻き毛は手に心地よさそう。
長いガウンのような着衣が肌に心地よく触れる感じや
きゅっと抱きしめる宝石の
澄み切ったすがすがしい硬質の肌触り。
何よりこの女の子のやわらかさが、みずみずしさがなんともかわいらしくて
ついきゅっと抱きしめたくなる。

きっと、そんなに時間をかけて描いた絵ではないと思うのですが
そこから伝わってくる「質感」がちゃんと、ある。
ものすごく、ある。

「『本当に伝わる』とはどういうことか」

をセミナーでお伝えします。
言葉が聞ここえる、声が聞こえる=「伝わる」」ことではないのだ、と。
本当に人の体の奥まで入り込み
人の心を揺り動かす「伝え方」とはどうすることであり、どう「ある」ということなのか。

「伝える」「伝わる」ということ…表現するということは
言葉であっても、何であってもその本質は「同じ」なのだなあ、とつくづく感じます。

彼女の絵から感じることは
「そのとき、本当に、彼女はそこにいた」のだということ。
「頭の中のイメージ」ではあっても
彼女にとっては実際に全身で自分が見、聞き、体で感じていたものであったのだということ。
まさに彼女は「そのときそこにいた」。

自分を容易にその状態に持って行ける力。
この力がある人は、プレゼンであってもとても優れたプレゼンをします。
言葉が上滑りすることなく(←滑っている人、結構多いです^^)
確実に聴衆の中に「入って行く」語りをすることができます。
そう、「話す」というよりは「語る」。

その人の深い根っ子から出てくる。
伝えたいところの本質とつながって、まさに「その場所から」
出てくる、その言葉の力強さと説得力。
それは
言い換えるならば

「見えないものをその場で聴衆に見せ、
聞こえない音を聞かせ、
そこにない空気をその肌に感じさせることのできる力」

この力は存外簡単に磨くことができます。
わずか数分でその人の表現がいとも簡単に変わるのを見るのは
とても面白く、またいつも鳥肌ものです。

さて

彼女の一枚の絵から
これまでの彼女の旅の過程や
今、彼女が到達した場所~ゆるぎのない喜び、自分自身への信頼…
そんなものを一瞬にして感じ。
その旅の道すがらに自分もいられたということが
とても幸せに思えました。

ちなみにこの方は
「語彙が少ない」などなど…自分の「話し方」についての心配をたまにおっしゃるのですが
(そりゃ、少ないよりも多い方がよいものだと思いますが)

わたしから見れば
それよりももっと次元の深い
小手先ではない本当の「伝える」ための力をしっかりと開発なさった
(もともとあったものを、掘り出し、磨き、自分自身でそれを認めた)
と感じます。

そしてきっと
この力でこの方は、自分ならではの言葉と表現の方法で
これからも、さらに多くの人たちに、たくさんの影響を
与えてゆかれるのだろうと思うのです。

自分ならではのリズム
あり方
方法で。
それが何より。
それこそが、この世の中への何よりのギフトであり貢献だと
心からそう思います。

「日本を愛する乙女たち♪」

今朝
家の近くの小さな美容院から
一人のお年寄りが出てきました。

小柄な女性を包むのは黒の留袖と銀の帯。
何より美しかったのは、その表情でした。
右手で裾をさりげなく抑え
伏し目がちに、背筋を伸ばし歩いてゆくその表情には
つつましさの中にも嬉しさと、そして静かな誇らしさと…
そんな、言葉には出来ないたくさんの思いが溢れているように見えました。

すれ違った瞬間の光景でしたが
とても美しいものを見た気がしました。
きっと、大切な人の晴れの日なのでしょうね。
そして、和の正装とはいいものだな~、
姿かたちだけでなくわたしたち日本人の「あり方」の美しさを引き出すものだな、とも思えたのでした。

さて、本題です。
あちこち歴旅をして回っていますと
たくさんのお友達ができます。

 

わたしの行く場所や歴史のイベントは
とにかく年齢層が幅広いことが多く、場合によっては70代から10代までが「わっさ~」っと
一堂に会しています。実に壮観です。

和気藹々…
年齢も性別も仕事もなにもかもうっちゃって
語る姿を見ていると
「みんな、目が…目が…輝いてるよっ!」
と嬉しく思うわけです。

 

なので
年若いお友達もたくさんできます。
そして仕事柄か
そういう若い人たちを見るとつい寄って行き、ヒアリングしたくなるのは悪い癖です。

「ねえねえ、今日はどうしてここに??」

聞くと
興味を持ち、好きになったきっかけはほんとうに様々なのです。
昨年でしたか。
ある歴史イベントで

「古高命!」
(古高俊太郎です)

という、あまり見かけない女の子に会いましたが
聞けば、
『携帯ゲーム』の古高俊太郎がかっこよかった、というのがそのきっかけでした。
古高俊太郎といえば
「土蔵で拷問」
がすぐに思い浮かぶんですが、彼女曰はく

「その、拷問のシーンが、萌え~♪」

だったそうで(笑)。
件の携帯ゲームを見せてもらいましたが
それはそれはイケメンの古高俊太郎がカッコよく吊るされていましたっけ。
きっかけはそこですが、彼女がそこから読んでいる歴史関係の本は半端なく。

そういえば、さらに昔
「母成峠に行って来ました」
と切々と語ってくれた人がいましたが…確か埼玉の人でしたか。
彼女もきっかけは「ゲーム」でした。
が、その彼女がその旅に込めた思いや、母成峠で感じた感覚を聴くにつけ

「ゲームがきっかけで…そこまで行く!?」

と、その感受性の繊細さに「すごいな…」と思ったのでした。

さて
きっかけは何でもいいのです。
彼女たちは、彼女たちなりの出会い方で「先人たち」と出会い
その人生に触れ
彼らの足跡を追うことを始めます。

そして中には
自分なりの方法で踏み込み、世界を広げ
先人たちの残した思いやその根っこにある文化や精神を真剣に学び、汲み取ろうと…。
はては、彼らが残したものから繋がる「現在」について
思いをはせる子も少なくはありません。
「今、自分たちはちゃんと生きてるだろうか??」と
そんなことを、彼女らは案外真剣に考えてたりするのです。

「あなた達が築こうと思い描いていた日本とは違っているかもしれない、ごめんなさい。
でも、1日1日を必死に生きているから見守っていてくださいね。」

って思ってそこにいましたよ~、
と、ある旅先での湧き出づる思いを熱く文字にしてくれた女の子。

既成の概念ではなく
自分の感性と直観にしたがってそれらを追い求める彼らのエネルギーは
とても純粋なものに感じられます。
なんというか…自然発生的に生まれてくるそういうものって
強いな、と思います。
言葉足らずでうまく書けないんですが。

そして。
そんな友達の一人が
このたび赤ちゃんを産みました。
男の子です。
その子は、親の願いがこもった雄々しく美しい字を名前にもらいました。
彼女は凛、としてこういいます。

「日本男児として勇ましく育ち、世のため、人のために働いてくれますように!」

世のため。人のために…。
彼女からのメールを見て、なんというか、ワクワクしました。
こんなに真っ直ぐに言うんだな。
宣言するんだな。
彼女たちが育てる子どもたちは、どんな子に育つんだろう。
そう思いました。

学校の歴史の授業では手渡されることのなかった
日本人の生き様の美しさを、誇りを、矜持を「新しい形」で受け継いだ母親たち。
彼女たちが育てる子どもたちは
きっと、先人たちの存在に自然に感謝し
今の自分達よりずっとしっかり
自分の土台であるところの
この「日本」という国の根っこと繋がった
大人として育ってゆくのじゃないかな、と。

たかが
マンガにアニメにゲーム。
けれどされど、なのです。きっと。
昨今
戦国・幕末ともに歴史に関する
マンガ、ゲームにアニメと、とてもたくさんあるように思いますが
「日本人の集合無意識」というようなものがあるとすれば
これらもまた
それらの発露のような気がしてなりません。

「目覚めよ、日本の心」

それを
若い彼女らは何の掛け値もなく
どん、と受け取っているような気がしてならないのでした。

 

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