「ダイ・イン?(笑)」

 

友人宅にて。
高2のお兄ちゃん(手前)と、中3の弟(奥)です。
音ひとつしない静かなリビング…

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一瞬
死んでるのかと思いましたよ(笑)
2人とも、身動き一つしないんですもの。

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まあそんなわけはなく
もちろん何かの抗議活動でもなく^^
熟睡中?だったわけですが。

こんな格好で
よくも何分もいられるものです。

全力で見て、聞いて、感じて、走って、食べて、怒って、笑って…
彼らを見ていて思うのはそういうことです。
何をするのも「全細胞総動員」。
はたから見ていて、その集中力たるや
(親曰く、自分のやりたいことだけだそうですが)
ものすごいものがあります。

木の実を無心にポリポリしている
野生動物(リスなど)かと思うときすらあり(笑)

それだけ毎日「全力で」生きていると
こういう状態になる(なれる)んでしょうね。
(ことっと糸が切れたように
休むのもすごい集中力)

ちょっとうらやましいな、と思います。

「根っ子を愛する」

え~。
12月に受けました「幕末薩長歴史検定2級」の
見事不合格通知がやってきました。

薩摩人でありながら
なんということでしょう^^
ご先祖様になんとも申し訳のないことです。
お父さん、お祖父さんごめんなさい。
その昔、山を越え、薩英戦争に馳せ参じようと走りに走り
結局間に合わなかったという噂の我がご先祖様
ごめんなさい。
これでも一生懸命頑張ったんですが♪
ほかの検定が結構良い成績だっただけに
これはなんとも顔向けしづらい…。

昔から
薩摩の歴史はどうも頭に入って来なかったのですよね。

わたしの部屋に
通称「幕末棚」という歴史専用書棚があるのですが
この幕末棚には
子どもの頃からの本も含め、あれこれ並んでいるのですが
薩摩の本は2~3冊。とても少ない。
触れてきた時間と量が違うということで、
なので、まあ、この結果もむべなるかな。

そのことを話すと知人に
「鹿児島で仕事をしているのに鹿児島が嫌いなの?」
と素朴な質問をされ
あらためて考えてみたのですが
嫌いじゃないんです。
嫌いじゃないんですが…
自分にとって「『物語』にならなかった」のだということに気づきました。
薩摩の歴史。
あまりに身近で、生々しくて。

小さい頃、自分の周りにまとわりついていた空気。
土地があって地域があって家があり、その中に自分がいて。
あたりまえのように存在する、土地の、地域の、我が家の「あり方」。
いつの頃からか、それが次第に息苦しくなっていったりしたわけですが
その、あり方(目に見えないルールのような)の根っこの根っこ
「源」となっているのがいわば「薩摩の歴史」なわけで。
いろいろな逸話や風習や偉人の話も
子どものわたしからすると洒落にならない。

薩摩の古の教育システムに「郷中教育」というのがありますが
古くからの似たような地域の子ども同士の関わりイベントにも
当時はすっかり辟易していたものでした。

もうなんだか、すべてが重くって、暑苦しくてしようがない。
自分にまとわりついてくる「薩摩」が。
(父は西郷をこよなく尊敬する根っからの薩摩人でした)
わたしにとって「薩摩的なもの」はいつも「無遠慮」で「問答無用」。
わたしの意思を尊重してくれないものに感じていた気がします。

時は流れ
この数年、あちこちで
その土地その土地の歴史や、それに関わる人たちとの出会いを通して
その土地の文化やものの見方や人の特徴に触れれば触れるほど
自分の中にある「薩摩」な部分を再認識するようになりました。
そして、それが自分を助け、あるときは道を開くことに
一役買っていることにも気づきました。
悔しいけれど、これは自分の個性の一つであり、強みなのかなと。

自分の中から時にぐ~っと、渦を巻いて螺旋のように湧いてくる
エネルギーを感じるたびにそう思います。
このリズムは、大地から湧き出る鼓動のリズム。
小さいころからかたときも離れず視界の中にあった桜島のリズムであり
夜ごと月明かりの下、焼酎片手に「なんこ」に興じた
父たちの「高歌放吟」のリズムなのかもしれないなと。

自分を愛する。
家族を愛する。
自分の「これまで」を愛する。
自分がつながってきたいろいろなものを愛する。
自分と、周囲の「これから」のために。

そんな気持ちの延長線上に
受けてみた「薩長幕末歴史検定」。
さて
汚名挽回はいつになりますか!

「体罰のゆくえ」

「Coaching―コーチング―」という言葉と出会って約10年。

―人の能力をいかに伸ばすか?―

という点についアンテナが立ってしまい
何を見ても
そういう観点で見てしまうのは職業病です。

病院に行っていても
カフェに行っても
居酒屋に行っても
ダンスのレッスンに行っても
パーティーに行っても

人の動きや、スタッフ間のやり取り、体の動き、気配り等々
醸し出されるている場の「空気」「雰囲気」をつくっている
大きな意味での「コミュニケーション」の流れや
「そうなっている」因果関係を見るのはとても得意です。
そしてしょっちゅう
「いいね!」ですとか「…惜しい!」と
心の中でこぶしを小さく振ったりしています。

近くのグラウンドで夕方
少年チームがサッカーの練習をしていることがあるのですが
走りに行ったついでについ、ぼ~っとみてしまいます。
ここのコーチは
まだ若い方なのですが、とても素敵な教え方をなさる。
一言でいうと
「質問型」指導。

「今、ここにボールが来たよね。どう動いたら一番効果的かな?」

いろいろな意見が出る。
中にはわたしが聞いていても「使えないでしょ」という意見も出るけれど
そこには突っ込まないで「おう」と受け取るコーチ。
まずは「自分の考えを声に出す」癖づけをするのが優先なんですね。

「だよね。じゃあ、そう動いてみて」

実際動いてみて、うまくいかないとまた考えを促すコーチ。
そしてアドバイス。
うまくいったところには
「そうそう!その調子!」

ふうん。
今はこんなふうな指導者が、
つまり「指示、命令、叱責型」ではなく
「コーチング型(質問、承認、アドバイス型)」の指導者が
増えてきているんだなあ…
自分がスポーツの指導をされていたころとは
隔世の感があるなあ、いい時代になったなあ、と
その風景を初めて見てしみじみと思ったのは5年ほど前。
こんな地方の小さなサッカーのチームでも
コーチング型の指導者がいるのだから
こういう指導方法が相当普及してきているのだろう、と思ったのでした。

運動はあまり好きではないので
スポーツのことは全く詳しくないのですが

「『言語技術』がサッカーを変える」 田島幸三  
「日本人を強くする」 岡田武史 白石豊   

これらはわたしにもわかりやすく、興味深く読みました。

「『言語技術』がサッカーを変える」

「ベンチをみないイタリアチーム」
かたや
「フリーズする日本選手たち」
という対照的な話から始まるこの本は
当時日本サッカーの弱さであった「自己決定力」
(究極の状況で一人一人が自ら考えて決定を下す力)

を育成するために、まずはコーチ陣が「言語技術」を伸ばすための
トレーニングを受ける、という内容です。
「考えながらサッカーをする選手」を育てるために
コーチ陣が「考えさせる指導」ができるめの言語技術や概念を学ぶ
その視点や方法はとても参考になるところも多く

「ここは軍隊ではない。わたしは命令などしない」

というオシム監督の言葉とともに
当時、研修先でも視点の一例として
お話させていただいたりしたこともありました。

さて
それからさらに数年がたち
「体罰」という言葉が大きくクローズアップされている今。
今朝なにげなくテレビで紹介されていたアンケート結果を見て驚いたのですが
そのアンケートに答えた選手の8割が「体罰容認」。

(プロ野球選手と東京六大学の選手、約550名からのアンケート結果。
 体罰を「指導者から受けた」中学、高校でそれぞれ5割弱。
「体罰は必要」「ときとして必要」との回答が83%。桑田さんの調査結果でしたか)

とにかく
単純に驚いてしまったのです。

…ぜんぜん、変わってない??

「できない」ときに、怒鳴ったり
ときには殴ったり蹴ったり…という指導(?)が
今も継続しているとは、しかも、結構な数でそれが今も「普通」なのだということに
ほんとうに、とてもとても驚いてしまったのでした。

「コーチ(COACH)」の語源は『馬車』
「その人を、望むところまで連れて行く人」。

コーチとは
目の前の大切な人が、望むところへスムーズに行けるようにサポートする人のこと。
そのための「方法」を数多く持たなければならない、と思います。
指導のためのスキルの「引出し」。
決して、たった一つの「かつてうまくいったやりかた」だけでなく。
「自分がやってもらってうまくいったやり方」の他に。
すべての患者さんに、同じ方法で治療をするお医者さんはいません。
自分に効いた薬をすべての患者さんに処方する人も。

指示も命令も、そしてもちろんときには叱責も必要。
そして?それ以外には??
あなたのコーチとしての「技」は?
「スキル」は何ですか?

その柔軟性がどこまで持てるか。
それは、究極、自分自身のプライドや心理的な「ホメオスタシス」と
どこまで向き合えるか、ということでもあると思うのですが。

そのあたりは
すべてのリーダーに共通の点である気がします。

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