「宇宙戦艦ヤマトに思う大人の本気」

今朝テレビをつけていたら
心ふるえる懐かしすぎるフレーズが流れてきまして。

「さらば~地球よ~たびだ~つふねは~」

宇宙戦艦ヤマトです。
子どもの頃好きで、がっつりとみていたのでした。
秋口の夕暮れ
再放送に間に合うようにとランドセルから中身が飛び出さんばかりの勢いで
走って帰ってましたっけ。

「え~、なになに!?」と
ついテレビの前に寄って行って、座り込んでしまいました。

ヤマトを作曲した故、宮川泰さんの息子の宮川彬良(あきら)さんが
お父さんの曲を語る、という趣向の番組だったんですが
その曲のどこがすごい、ですとか
どういう構成でなりたっている、という解説とともに
いくつかの劇中曲(というんでしょうかね)が演奏されまして、それが…
なんとも恐ろしいくらい、自分の体の中にはいっているのです。
自分でもぎょっとしました。
テーマ曲の基本のメロディをもとに
さまざまななアレンジで場面ごとに曲が作ってあるわけですが。
その曲が使われた場面までが、はっきりしっかりと浮かぶ。

オレンジ色のまがまがしいくらいの重暗い夕日をバックに
くっきりとそのシルエットを浮かび上がらせるヤマトの印象的な絵。
そのときに感じたあの
「重暗い」感じまでしっかりと思い出してしまい。

ブラックタイガーの曲を聴いたときには
あまりの懐かしさに
「ぎゃっ…」
と声が出てしまいました。
ブラックタイガー…この数十年、まず思い出さなかった単語です(笑)。

(ブラックタイガーは
ヤマトに搭載されていた戦闘機で
それがヤマトから一斉に発進し、宇宙空間で戦いが繰り広げられる際
必ずかかっていた曲があったのです。
今思えば、黄色に黒のラインの入った
しかも顔みたいなものまで書いてあったなかなか変な戦闘機だった気がしますけど)

…ナツカシイ。

「この曲にはウエストサイドストーリーの要素が入っていますね」
「こんな構成の曲は『リンゴの唄』のほかにはないですよ」

わたしは音楽のことはまったくわからないのですが
ひとつひとつの曲の裏に隠されたそういう話はとても面白く。
当時、多くの工夫をして、そして楽しみながら
ワクワクしながら
「宇宙戦艦ヤマト」という一つの世界観を
音楽を使って壮大に演出をした作曲家の思いや姿を
とても興味深く聞いたのでした。

子どもだった自分の中に染み入っていったたくさんの曲。
体の中に、使われていた楽器の一つ一つの音までがぐん、と
入り込んで記憶されています。
何の音かはよくわからないけれど
細部が違えば「ちがう!」と指摘できるんじゃないか、というくらいに。
今でもそれらの曲を聴くと、心が真っ暗な、広い宇宙に飛んでいきます。
そこを漂う小さな人間たちの不安や孤独や…そんな当時言葉にできなかった感じを
今もきゅっと感じます。

それだけの仕事を
してくださっていたのだな、と思いました。
子どものアニメなのに
全然手を抜いていない。思いっきり本気。


あんなに心震わせた世界の
「しかけ」を今、この年になってみることができた気がして
「ああ、そうだったのか」と、とても納得して
そして

「ありがとうございます」

と、心からそう思いました。
よいものを残してくださって
こどもだった私たちに「本気で」見せてくださって。

大人の本気は
かっこいい。

「みちびき~弟の結納」

 

せっかくの鯛が
ぼやけてしまいました。
残念。

DSC_0594.JPG

晴れの日のために、背びれ、尾びれまでちゃんとお化粧した
ツヤツヤの鯛です。
しっぽに飾りまでついている!
間近でこういう鯛を見たのははじめてなので
興味津々でのぞきこんでしまいました。
本当は指でうろこをつん…とさわってみたかったんですが
縁起物なのでそれはやめにしてと。

11月の初め
弟の縁談が調い、先方様へ「結納の儀」に出かけました。
家族がそろうこともめったにないので
全員でごあいさつかたがた出かけよう、ということになり。

緋毛氈の上に並べられた品の数々が
白・朱・金・銀…たくさんの色を部屋中に振りまくさまは
なんとも気持ちが華やぐものです。
並べるひとつひとつの品の由来や意味
以前は全部覚えていたのになあ、と
うんちくをその場で披露できないことを少し残念に思いつつ。
かつては「ヨロコブ…だじゃれ?」などと不届きなことを思っていましたが
今思えば『言霊』『文字の力』ということですね。
「寿恵廣(すえひろ)」
「寿留女(するめ)」

願いと祈りのこもった美しいおめでたい字で表す名前の数々です。

両家、正座で対面し
ぎこちなく、けれどなごやかに「儀式」は終わりそのままお膳での会食へ。
なんというか…
よいものですね。こういうものは。
昔からの決まりごとにのっとり、伝えられているとおりの道具を使い、作法を行う。
意味は定かにはわからなくとも(わかっているともっと良いのでしょうが)
そこに「受け継がれてゆく魂」のようなものを感じます。
品物、作法、文言…長いことかかって洗練され、形式となった「それら」には
やはり「力」があるように思うのです。
そこに、長い間人々が込めてきた思い。
それに重なって、今日この場に集う人間たちの込めた願いと思いと喜びが
この美しく華やかな「道具」に、「言葉」に集約されているように思います。

余談ですが
わたしがウエディングプロデュースの仕事をしていたとき
結納や媒酌人などは省略、というご家庭も多かったように覚えています。
あの頃は「今時、もうそういう『形式的な』ものは廃れてゆくのだなあ」と
ことさらそれに対して何を思うこともなかったのですが
今は
そういう「昔から伝えられてきた形」を無造作に
無駄、非効率的、意味が分からない、とばっさばっさと切り捨ててきたところに
今の日本の問題の一端があるのでは??
と思っているので

「結納にみんな来て」
「式は霧島神宮で挙げる」

と弟が言ったとき
「よく言った!我が弟よ♪」

と、つい頭をぐりぐり撫でたくなったものでした。

さて、話を戻します。
今回のこのご縁。
偶然にも母方の実家のある地域の方とのご縁でした。
母の祖父と、先方様のおじい様は顔見知りだったろう、という話が宴席で出て
みなで驚くことひとしきり。

11歳離れた弟の顔が、きりりと引き締まり
いつもと違う顔に見えたこの日。
長押に飾られたたくさんの古い写真に見守られながら
集っている人たちよりもはるかにたくさんの人たちの
「祝福」の気持ちがその場に満ちているのを
確かに感じたよき日でした。

多くのご縁に導かれて、今始まろうとしている
弟とお嫁さんの新しい人生。
幸多からんことを!

*追記*

上に載せた「鯛」の写真を見かねて
姉が送ってくれました。

感謝。

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