「メイッコカフェ」

少しだけ「メイドカフェ」に響きが似ているなあ。

一度は行ってみたいと思っているんですが。

さて

明日、姪っ子のカフェがオープンします。

田舎の一軒家カフェ。

きっと今頃、何どころではないことでしょう。

(お祝いのお花など、用意してみました)

中村公子のコーチングna日々♪-DSC_0544.JPG

三,四年前でしょうか。

彼女が学生の頃、いっとき一緒に暮らしていたことがあります。

「…カフェをやりたいの…」

と聞いたのはいつのことだったか。

いつも、じっくりと、自分の中で探しながら言葉を紡ぎだすように話す子で

そのときも、ゆっくりと、見ようによっちゃ少し弱々しい声音で。

ふうん、と、話を聞いてあげたのを覚えています。

そういえば、小さいころからこまごまとした作業が得意で

お菓子作りが好きな子でした。

それから

数年勤めたお菓子屋さんを辞め

彼女は実家に帰り

実家で取れる野菜を使ってお菓子を作り、販売を始めました。

家は有機無農薬の専業農家なのです。

そして、現在に至る。

日々試行錯誤を繰り返しながら結構頑張っています。

さて

本人の頑張りもありますが

この、彼女の背後には強力な後ろ盾がいます。

それは、彼女の母である私の姉。

この姪っ子のカフェの夢は、姪っ子の夢でもあるのですが

同時に姉の夢でもありました。

なにせ昔っから「やりたいこと」満載の人で

姪っ子がまだ鼻を垂らしているころから

「いずれ加工場を作って、採れた野菜を使ってカフェをさあ…」

と目をきらきらさせていたんですから。

二十年越しの夢の一つなのです。

姉の夢と、姪っ子の夢が見事に合致した結果のオープンとなりました。

よかったねえ、と心から思いつつ

ふと…

「はたして、これは本当に彼らの夢なのか??」

と。

いや、確かにそうなんですけれど。

思い出したのです。

父がよく言っていたのを。

「山にそうめん流しを作って…」

「山に釣堀を作って鯉を離して…」

「山にそば打ちの場所を…」

父所有の山があったんですが、そこを舞台に語られる数々の「夢」。

実際、わたしが小学生の頃、そこに大きな「池」は確かに作られ

たくさんの鯉が放たれました。

(今でも彼らは元気で、主のいない山奥で悠々と泳ぎまわっています)

家にはいつも得体のしれない

石臼や石鉢、火鉢や自在鉤や…そんなものが持ち込まれていましたっけ。

父からすれば「いつか使える」という算段でもあったのでしょうか。

公務員に自営業と、いろいろな仕事をやった父でしたが

本当にやりたかったことは農業と

そして上記のようなこと。

それは子どもの私から見ていてもよくわかりました。

なにせ、語るときの「目の輝き度」が違う。

子ども心にも楽しそうだなあと思ってみていましたが…

どうして父は

あんな夢を持っていたんだろう。

父の父のことは、もはやよくわかりません。

早くに亡くなっており、一度も会ったことがない。

ただ、お墓詣りに行くたびに、墓石の裏にびっしりと刻まれた「祖父の人生」を読むことはできました。

地域の農業の発展のために尽くした人なのだというようなことが彫られていましたっけ。

やはり、土に根差してひととつながることを

目指した人だったのでしょう。

「夢」は確かに自分のもので

自分の中から湧き、自分で選び

自分の人生をかけて想い、願い、実現させようとするものですが

その奥に

意識的にせよ、無意識的にせよ

確かに受け継がれているものがある

と思ったのでした。

それは何によって受け継がれるのか?

環境なのか?

遺伝子なのか?

もっと大きな「場」を通してなのか?

そんなことはわかりませんが

私たち、一人一人の夢は

自分個人の夢であると同時に、きっとこれまで自分に命をつないでくれた多くの人たちの

切なる願いのこもったもの。

きっとそう。

…あなたの夢も、そのとなりのあなたの夢も。

誰かがその場所で、その時代で

できるところまで

進めるところまで、精一杯進んで、積み重ねて、頑張って。

そして

「あとは、たのむ」と。

そう考えると

自分の中にある日ふっと浮かぶ「夢」を

ないがしろにしてはならない。

それは実は自分だけのものではないのだから。

責任をもってかなえなければならない。

そう思えて。

父も祖父と同じく早くに他界し

夢は形にはなりませんでしたが

それでも

彼らは、確かに夢をかなえたのです。

そう

世代を超えて。

思いをたくし。

明日

田舎の一軒家にカフェがオープンします。

空は青くて、海も見えます。

健康な土の香りがふくよかな風に乗って流れてくる

緑の中の一軒家です。
姉夫婦が二十年かけて創った土から生まれる野菜やお芋からお菓子を作るのは

その二人の姿を見て育ったわたしの姪っ子です。

どうぞ

たくさん人の集う場所となりますように。

みなが土と風と太陽と水の恵みを喜び、感謝できる場となりますように。

土のエネルギーに元気をもらえる場となりますように。

自然に抱かれ、たくさんの人が癒される場となりますように。

どうぞみなさん

いらしてくださ
いね。

「走り続けているんですね」

昨日

十数年ぶりに教員時代の教え子から便りが届きました。

昔もらった葉書きの字と全く変わらない個性的な字で。

「インターネットを巡っていたら

公子先生のホームページを見つけて驚きました」

そりゃあそうだろうなあ。

確か、最後にあったのは東京で。

花小金井の彼女のアパートで。

わたしはウエディングプロデューサーの資格を取りに行っていたところで。

それがどうしてこんな仕事に??と

さぞ驚いたことでしょう。

ちなみにそのとき

彼女はなりたてのアニメーターでした。

教員と生徒として彼女と過ごしたのはわずか一年間なんですが

その中でも彼女は本当に「個性的」な少女でした。

絵をかくのが好きで

当時から「なかなかにディープな世界観」に満ちた絵をかいていました。

その彼女に美術を「教えて」いたのが私なのだから恐ろしい。

(その学校は生徒数100に満たない小規模校だったので

免許以外の教科も教えなければならず、それで免許は国語ながら

授業を担当していたわけです。本務より楽しいくらいでしたけれど)

思えば、その頃から

創作にいつも、実に才能を発揮する女の子でした。

演劇の小道具から使う曲の作詞まで…

こちらが口を出すことはほぼなく、自分で方法を考え、それなりにものにし

形にしてしまうのです。

そしてそれは「使える」ものになっている。

思えば

あの頃から彼女は

「独立」していた人だったんだなあ、と思います。

うまくいっても、うまくいかなくても

自分の考えを、試してみる。

他の人のアイデアではだめなのです。

そのこと(自分のアイデアをアウトプットしてみる)こと自体が、

アウトプットの場があること自体が彼女にとってはとても大切で

彼女らしくあるために必要なことだったのだと

今から思えばよくわかります。

いつも大きな目でじっといろいろなものごとを見つめている子でした。

いつも、いろいろなことを深く考えている風でした。

あれは、究極

「自分とは何か」を考えていたんだろうなあ、と思います。

自分とは何か、どう生きたいのか?自分らしい生(せい)の表現は何か?

その彼女の魂からの欲求が

たまに現実や周囲との間で摩擦を呼ぶこともありましたっけ。

それはまるで彼女の中で

「パキっ…!」と破壊音を立てて何かが破裂するかのよう。

「もっと楽でいいじゃん」

「もっと単純でいいじゃん」

「そんなに難しく考えなくても」

そういう「普通に」満ちがちな雰囲気に、彼女はとたんに反応してしまうのです。

そんなときの彼女の目を今でも思い出します。

大きな茶色の目がイライラしながら語っていました。

「わたしはもっと生きたいのに…!

自分として生きたいのに!」

本当にそんなポーズをとっていたわけではないのでしょうが

わたしにはなぜか

彼女がぐっとこぶしを握って立ち尽くす姿となって思い出されるのです。

すべての思いを握りしめて立つ女の子。

時はたち

彼女は望む世界へと行き。さらに15年。

はがきにあった彼女のHPを見ました。作品がアップされているブログを見ました。

…涙が出ました。

彼女の個性がいかんなく発揮されたたくさんの絵。

マンガ。短編アニメ。

本当に彼女らしい。彼女らしくて笑ってしまいました。

変わってない!

ここでは、どれだけ凝ってもだれにも文句は言われないね。

どれだけこだわっても大丈夫だね!

そんな思いで画面を見つめました。

いや、そのこだわりにこそきっと価値がある世界。

彼女はまさに、自分の「本質」が最も生かされる世界に

自分を置くことを成し遂げたのだなあと。

そして

今も走り続けている。

「先生、私はまだしつこくアニメーターをしています」

ええ、ええ、そうなんですね!

そんな、なんともいえない気持ちではがきの文字を読みました。

今日も彼女は走り続けている。

それは彼女が自分の人生を自分らしくいきている証。

遥か昔

こぶしをぐっと握って立ち尽くしていたセーラー服の女の子は

今や

ペン一本で自由自在に世界を紡ぎだす

魔術師になってしまいました。

その才を存分に生かして。

自分の「力」を、「感性」を信じ続け、自分の旅を歩み続けた彼女に

心からの拍手を送りたいと

そう思います。

「『もう出ません』そっからが勝負」

変なタイトルだなあ(笑)

さっき、サイトのデザイナーさんと話をしていたのです。

で、その方が興味深いことをおっしゃったのですね。

「二作目がよい」。

どういうことかと言いますと

クライアントさんと打ち合わせをし、詳しくイメージを聞き、さまざますり合わせて

デザインをつくる。

完成する。

(実際、私のヘッダーも、一つ、完成したところです)

そして…

「ここからが勝負!」

とはおっしゃいませんでしたけれど

それを経て、

次につくる二作目がとても「よい」ことがその方は多いのだそう。

その方いはく

「一作目は『顕在意識』にアクセスして作る

二作目は『潜在意識』にアクセスして作る」

「一作目はお互い『我』が出るんですよね~」

とその方。

面白い。

イメージを伝え、使用する写真素材を提供したのはわたし。

それを咀嚼し、ふくらませ、作品として形にしたのはその方。

私の解釈ですけれど

こう見せたい、こうしたほうが「受けが」いいんじゃないだろうか

これだけできるんだ…等々

お互いの「我」(見栄の張り合い^^?)が残った状態できる一作目。という感じでしょうか。

「それを全部出しきったところから本当の創作は始まる」

(ははあ~、なるほど~)

コーチングのセッションにも似たような部分があります。

「もうない」。そこからが始まり。

私のメンターは、以前よくこういってました。

「歯磨きチューブのさらなる一押し」

「もう出ないや…」そう思ってから、そこから先にさらに出てくるものがある、ということです。

(そこにこそ、素敵なものや核心が隠れていることが多い、という意味も含みます)

例えばクライアントさんにアイデアなどを聞くときに

「他には?」「それから?」

と畳み掛けるように聞いていくことがありますが

それはまさに「顕在意識」で本人が「わかっていること」「把握できていること」

「コントロールできている範囲の答え」が出尽くした時に

その奥に自分も気づいていなかったさらなるリソース、宝、方法、アイデアが

湧き出てくる、その「扉」を開くための問いかけです。

「ここからが始まり」

その方の言葉は、わたしに軽やかさと楽しさと

視界ががらっ…と開けるような自由な感覚をもたらしました。

「本当にあなたが出したい光は何なのか?」

エゴという殻を通り越して

その奥にある「私の真の願い」をともに探求してくれるのがうれしく。

自分という「深い泉」の中にそれは必ずある、という絶大な信頼のもとに

舞い踊るように、遊ぶようにアクセスしていくような

「つくる」作業をしてくださるその方に

感謝しているところです。

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