チームにとって、金のわらじを履いてでも探したいひと、欲しいひと

 

 

 

 

 

街中の商業施設にできた新しい「かっこいいかんじのスタバ」で

 

 

 

「お茶は…っと」

 

 

 

とメニューを見ていたところ、

 

 

 

「チャイがお好きでしたよね♪」

 

 

 

と声をかけられ、見ると、

以前よく行っていたスタバのスタッフさんが立っていました。

 

 

 

しかも、

「いつもすてきなタンブラーで来てくださるもの楽しみでした」と。

そこまで覚えていてくれたのが、嬉しいやら恥ずかしいやら。

 

 

 

 

 

 

それにしても、すごいなと。

以前の店舗も大きな店舗だったのに。

(多分、わたしの住んでいる地域で一番大きな店舗)

よく覚えていてくれたなと。

 

こんな方だから、新店舗の立ち上げに引き抜かれたのだろうなあと。

 

 

 

 

 

 

 

こういう人は、お客さんだけでなく、万事についてよく「見ている」。

そして「氣づいている」。

そして氣づきを瞬時に行動に変えられる。

 

 

 

すぐ、声が出る。

言葉にできる。

アクションに変換できる。

(ここがとても大事!)

 

 

 

 

氣づくセンサーを持つ人は多いだろう。

が、

「コミュニケーション力」の定義をこう捉えると。

 

 

 

「コミュニケーション力とは、

繊細な受信のセンサーで場を捉えられる力。

 

なおかつ、

必要とあらば瞬時に適切な発信によって、

場に良い影響を与えられる力」

 

 

 

 

 

つまり、

氣づけるセンサーと

氣づいたことをもとに、場をプラスに変えられる発信のセンサー。

 

 

この二つが揃って初めて「コミュニケーション力」と言えるわけで、

(とまあこの表現は斎藤孝せんせいの受け売りですが。

でも本当に、言い得て妙!その通りだと思う。

思っているけど動けない、という人、結構いますもんね。

 

身体と意識が連動してこそのコミュニケーション力です)

 

 

 

 

 

この方を見ていると、まさにそんな感じで。

軽やかに風が吹いているような。

こういう人こそお店にとって宝。得難い人材だろうと思ったわけでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

そして、

この人については「承認のスキル」という面からも語りたい。

 

 

 

承認=

「あなたのことを見ています。

氣づいています。

氣にかけています」

 

 

と他者に伝える全ての言動のこと、

と、コミュニケーションを学ぶと、初期の頃に出てきます。

(その時も結構感動ものでしたが)

 

 

 

 

 

今日のこのスタッフさんのような言葉はもちろん、

ちょっとしたまなざしや、笑顔。

立ち姿、身体の開き具合…

そういったものも全て含めたものが、

「承認」の言動となりえます。

 

 

 

 

それがいかに人を元氣にし、勇氣づけ、癒し、
「大切にされている」感をもたらし…
つまり、プラスのエネルギーをもたらすか。

計り知れないものがあります。そして、うまくいくチームには、
必ず、これが満ちている。

目には見えないけれど、
人と人の間を満たし、つなぐ、暖かい豊かな「氣」が
息づいています。

それを発することができる人は、
チームにとって、金のわらじを履いてでも探したい人、
欲しい人であり、

そして、
「開発したい能力&あり方」です。

そう。
これらの力は、天性のものでもありますが、
多くの人にとっては「開発できる」(後から身に付けることができる)力である、
というところが重要なところなのです。

さて、最後に「ささっと」承認上手になるポイントを紹介します。

ご自身の周りの「承認上手」を
思い出してみてください。
現在、そして、過去。

その人からもらったたくさんのものを
思い出してみてください。
嬉しさ、暖かさを。
深呼吸をして、存分に味わいます。

それをしっかりと身体に満たしたら…
あとは、「その人の真似をしてみる」。
姿勢、声のトーン、視線、口角の位置、言葉…

それだけです。

 

 

三脈をとる〜身体はすごい(全てを知っている)という話、でしょうか

 

 

 

三月くらい前のことなんですが、

飛行機の中で、2歳くらいの女の子が泣き止まなかったことがあったのです。
離陸した直後から、結構な大きな声で泣きじゃくっている。ず〜っと。

 

 

 

「怖いよお〜、怖いよお〜、降りようよお〜、早く降りようよお〜」

 

 

 

 

 

若いお父さんはほとほと困り果て、
席を立ってトイレ前であやしたりするんですが、泣き止まない、
どころかますますひどくなる。
もはや引きつけ寸前。

 

 

 

で、
こっちはと言いますと、大変ですね、どころじゃなく、

 

 

「こ、怖いよ〜!!!(涙)」

 

 

なにこれ。
この、まだ半分天に足を突っ込んでるような子どもがこんなに泣くなんて!
こ、恐い…こっちこそ「怖いよ〜」だよ!

 

 

 

(頭の中には、小さい頃「怖い話特集本」で読んだ、
子どもだけに何かが見えた話とか、
子どもがあまりに泣くので、旅人を泊めなかったろところ、
その男は殺人犯でした…

 

みたいな話がグルグル)

 

 

 

 

で、必死にとりましたよ。
「三脈」。

 

 

(…だ、大丈夫だ、脈は合ってる。
いや、今さら飛行機ん中で「合わない」っていわれても、
もはやどうしようもないんだけど…
合ってる。大丈夫!この飛行機は無事だ!)

 

 

 

 

泣き声鳴り響く機内で自分の脈を測り続けること数十分。
飛行機は無事滑走路に着陸。

 

 

 

 

降りてから、同乗者に、
「あの子、ずっと泣いてたね…つい脈とっちゃったよ」
(意味わかんないだろうな、と思いつつ)

 

 

 

とボソッと言ったところ、

 

「自分も」。

 

と言われ、

 

あれ、なんでこの人三脈知ってんの?
あ、私が震災後に教えたんだった、
などなど思いながら…

 

 

 

 

怖いのは自分だけじゃなかった、
とちょっと安心したんでした。

 

 

 

 

 

ここまで読んだ方。

心配性〜、と笑うかもしれませんが…

 

 

本当に本当にあの時は怖かったんです!?

 

 

 

 

 

●三脈の法●
https://blogs.itmedia.co.jp/nagaichika/2013/…/post-2ff8.html
この記事に出てくる甲野善紀さんは私も尊敬している古武術家です。

 

 

なお、三脈のどこがずれているかで、

どんなトラブルの可能性があるかがわかる(という説がある)らしく、

日常やビジネスの決断、判断シーンで活用している人もいるようです。
興味ある方は、「三脈・決断」等で調べてみてください。

 

 

 

焦点を当てたところのものが増大する

 

 

 

 

 

もう長いことお付き合いしている方なんですが、

クライアントさんと

 

 

「リソースを確認してみましょう」

 

 

という流れになり、

一緒に声に出して、確認してみる場面があったのです。

リソースって、つまりこういうものでしたよね!と。

 

 

リソース=資源。

 

 

コーチングを勉強し始めた、ものすごい初期に、この言葉を知りました。

リソースを探し、人に伝えたり、伝えてもらったり…という練習を何度もし、

結構な感動ものでしたっけ。

 

時がたち、程なくすっかり『業界用語』になってしまい

なんの氣無しに、

 

 

「リソースは何?」

「リソースがさあ~」

 

 

という使っていたんですが。

 

 

 

 

「そのことに直結する能力や資格や…と言ったものはもちろん、

 

時間

お金

性格

思考パターン

過去の体験(成功、失敗にかかわらず)

 

などなど、でしたよね」

 

「年齢・身体的能力や特徴…

なんてものも場合によってはリソースになることがありますね」

 

 

「人の繋がり、なんていうものも大きなリソースですよね、

自分がそのことができなくても、知らなくても、

できる人がいる。

知っている人がいる。

持っている人がいる」

 

 

 

と二人で確認し、

 

「探すというより、思い出してください!」

 

という言葉で、その時間は終わったんですが。

 

 

 

 

何を書きたいかと言いますと、

この流れを通して、何よりわたし自身が、

 

 

 

ああ、自分はなんて豊かなんだ。

たくさんのものを持っている。

 

 

 

と思い出してしまった、ということを言いたかったのです。

 

 

 

意識しないでいると、

つい、わたしたちは「不足」に目が行きがちです。

そして、全てを一人でやろうとしたり。

「あれがない」「これができない」と悲しんだりしますが。

 

 

でも。

 

 

なんだ、こんなにあるじゃあないか。

なんだ、自分一人でやらなくていいんじゃないか。

 

と。

 

ものすごく実感してしまいました。

ああ、心穏やか。

 

 

 

 

「意識してみる」

 

 

ということは大切です。

意識することによって、日常の薄い膜に覆われた彼方から。

雑多な夾雑物の流れから。

流れていく激流の中から。

 

しっかりと立ち上がってくるものがある。

 

 

 

なんと言いますか、ものすごい情報の中で

わたしたちはいつも「山のあなた」だけをみてしまいがちですが、

 

(ああならねばならぬ、これがなければならぬ、こうしなければならぬ、と)

 

 

それはなんだか、わたしにとって、

例えば常に熱い鉄板の上で炙られ、飛び跳ねているような焦燥感なんですが。

 

 

 

 

 

明確に焦点を当てることができれば、

いつでも、宝は「ここに」あるのです。

 

 

 

 

わたしたちがまずなすべきことは、

遠くの楼閣や、キラキラしたものに照準を合わせることではなく、

今この瞬間の「自分自身」に

焦点を合わせることなのです。

 

(と、まさに自分自身に言い聞かせているわけですが)

 

 

 

 

今ここにある宝。

今ここにある豊かさから、

わたしたちはいつもここからしか出発できないわけですから。

 

 

 

どうぞ、ぜひ、思い出してみてください。

改めて、書いてみてください。

ご自身がもはや持っている豊かさの数々を!

 

 

きっと、元氣になったり

新しいことを思いついたり、

誰かに連絡を取りたくなったり…

 

 

 

いろんな氣持ちが湧いてくるかもしれません。

何より、

 

山ほどの感謝、

溢れるほどの感謝、

太陽が降り注ぐような感謝の氣持ちで

身体中が溢れるんじゃないでしょうか。

 

 

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