3ページある台詞の、どこだったか。
ある部分を発した次の瞬間に、それは起こりました。
「カタカタカタ…」
身体が揺れ始め。
ぐっと開いて立っていた、その右足の
膝から下がカ、カ、カ…と、速い速度で揺れているのです。
つまり、震えている。
その震えは、体を伝い右半身へと。
右手に持った台詞の紙が揺れているので確かです。
先日行った東京、「発声と呼吸のワークショップ」。
台詞を渡され、3日目の最後の「発表」の場。
圧倒的な声量のいる歌舞伎のセリフについていこうとムリしてしまい
だんだんのどが痛くなり、声もつぶれはじめ
意味なくあった自信も張りのない風船みたいにしぼみかけ…。
相手は某有名劇団の研究生だったという男の子。
向かい合って立つこと10メートル。
そもそもどうしてあたしが弁慶なのよ、
体格から見てもどうみてもあんたでしょう、若者よ、
と思いつつ…
そんなこんなで始まった「勧進帳」、弁慶と富樫の掛け合いの場面。
とても、新鮮でした。
自分が震えている。
こういうの、久しぶりだ。
人前に立って、緊張で…怖さで震えるなんて。
そのまま、
カタカタと震える右足をそのままに
最後の一言まで、出し終えました。
最後などはもう、語る、というより「うなる」といったほうがいいような。
(そうやれ、といわれてやっているわけで、決して自分のオリジナルで出せる表現じゃない)
めったに出しませんね、ああいう声。
ワークショップのすべてが終了し
その日は懇親会に出席しそのまま帰途へ。
翌日
多摩川沿いの桜の木の下で、
昨日の体験を自分の中で思い出し、反芻していました。
そして、気づきました。
あれは、緊張の震えじゃない。怖かったんじゃない。
いや、確かに始めはもう逃げ帰りたいくらいに緊張していたけれど。
あれは…
あれは…
「歓び」だ、と。
ある瞬間、リミッターが振り切れ
細胞が「バチバチっ」と音を立ててはじける。
「何か」が広がり、あふれる瞬間。
つきものが落ちたように
心配も、不安も、「うまくやろう」という山っ気も…
すべてがふっ飛んでしまって、ただ「自分」しか残らないあの感覚。
あとはもう
楽器のように共鳴する一個のからだ。
自分の喉からのびやかに、まっすぐに広がってゆく母音の響き。
美しい言の葉、ひとつひとつの音とリズム、間、それらすべてを
自分のこの身一つでもって
この世の中に波として押し出してゆくだけ。
それは、人がすべて生まれついて備えているもっとも原初の機能。
そのすべてに、身体中が、
全細胞が、歓んでいたのだと。
歓喜と快感のあまり、身体がガタガタと震えていたのだと。
そう思い至りました。
あの感覚を一言で、ひっくるめて言うならば
こんなにも、自分自身でいられる
いや
「自分自身でいる事」しか求められない場に立っていられることの幸せ。
といった感じでしょうか。
「人を魅了し、場を魅了する語り手は何が違うのか?」
3日間の体験を通してふたたび確認したことは
先ほど書いた
「波として押し出す力」
の違い、なのかなと思います。
立てることができる波の大きさ、広さ、強さの違い、です。
小さい、か細い波しか立てられない人もいるし
立っているだけでもはやしんしんと、波が伝わってくる人もいる。
また、波の質も人によって違います。
声が大きいから、届く波を立てられるかといったらそれだけでもない。
あんまりざんぶと荒い波を投げつけ
受け取る方をガードに走らせている人もいますし。
波の強さ、大きさ、広さの強弱、それから「質」
それらを自由自在に「場と一体となって」操れる…というとちょっと語弊がありますね。
場と一体となって生き物のように自由自在に出せる「身体」を持った人
ということでしょうか。
「身体」と書きましたが
ここは、身体技能と、心の状態の両方がかかわってくる部分です。
「波」の要素は、思いつくところで
わかりやすい部分でいうと「呼吸」と「声」。
それから、「言葉の咀嚼力」そして「イメージする力」。
さらに、身体レベルでも気持ちのレベルでも「すっきりしている」といったところでしょうか。
余計な感情や信念、思い込みがついていない。
楽器を想像してもらえればわかりますが
ヒビや錆などは、その楽器が朗々と鳴ることを妨げます。
「勧進帳」。
20数名が同じ場面をやったわけですが
もう、その「醸し出す世界」が全く違うわけで、これは面白いことでした。
たくさんの「波」のパターン。
そして「波」とその人の雰囲気との関係等々を見て、
自分の耳で聞き、肌で感じ
なおかつプロの役者さんの解説という裏付けを聴くことができたことは
たくさんの納得を得た時間となりました。
さて
今日も、漠然とした体験記のまま終わってゆこうとしていますが。
もう少し、この学び、進めていこうと思っています。
自分自身の「生」の感覚そのものをとぎすますために。
そしてセッションにて、セミナーにて、お目にかかる「あなた」のために。
稲穂から時間をかけて、やがて妙なる酒の一滴ができるように
わたしが出会うみなさんにとって
口に入れやすい、滋養に満ちたエッセンスとして届けられるように。
そう願っているところです。