「龍馬の父・八平さんのコーチング」

先日

長崎で会った知人がこんなことを言っていました。

わたしが「今日は龍馬の史跡をめぐってきた」というのを聞いて

話して下さったのですが。

「龍馬伝、見てますか?

見ていて思うんですけれど…

あ、こんなところでもコーチングだなあって(彼女も、コーチングに携わっている人なのです)」

え、そう?気づかなかったなあ?と、思いつつさらに耳を傾けます。

「ほら、龍馬に『黒船を作ってどうする?』って。

それを龍馬は考えて…」

ああ、そうか。

そういう場面があったなあ。確かにそうだ。あの場面は、とてもいい場面だった。

「黒船を作れたらいいな」と言った龍馬に父、八平さんが言います。

『作って、どうするがじゃ』

そこまで考えて言うたわけでは…いいとどむ龍馬に父は続けます

「龍馬…

この世に生まれたからには、おのれの命を使い切らんといかん。

使い切って生涯を終えるがじゃ」

なんだ、そんなことも考えてないのか!とならないところがステキですよね。

それから

龍馬はず~っと考えるのですね。剣を振るいながら、人々と語らいながら…

何気ない時間がすぎる中で、父、八平からの問いかけが

龍馬の中に、深く深くしみわたり、意識的に、無意識的に、答えを静かに探し続けている様子が

ゆったりと描かれます。

そしてついに、龍馬は言います。

「黒船を海に浮かべて、わしはこの一家みんなを乗せるがじゃ!

ほんで…世界を見て回る!!」

「自分の命を使い切る」とはどういうことか、21歳の龍馬が出した答えがこれでした。

荒唐無稽な、夢みたいな…

そんな反応でも、全くおかしくないであろう現段階での龍馬の「答え」を

八平さんはじめ家族は笑顔で暖かく見守るのです。

さて

『黒船を作ってどうする?』
『お前は、自分の命をどう使い切る?』

という、父、八平の質問と、自分が出した「答え」は

龍馬の中でずっとそれからも醸成され続けたのだろうな、と思います。

やがて龍馬が手がけるさまざまなことの「根っこ」をなす大切な思いとなったのではないかと感じます。

わたしたちは、日々様々な質問を子どもにしますが

その中にたった一つでも

「こどもの中に染み込み、人生かけて考え続けられるような、『その子の人生を創る質問』があるか」を

考えたことがあるでしょうか。

そしてまた、いつも子どもに「即答」を求めてはいないでしょうか。

優れた質問とは、元来、その人の中に染み込み、長い時間をかけてその人の中で

「自分で考え、探し求める」ことを活発化させる質問です。

子どもの真の成長のためには

子どもの思考を促す「優れた質問」と大人の「信じて待つ」という姿勢が不可欠なのです。

時によっては数年その答えを待たねばならないこともあるでしょう。

さらには

子どもがそのとき出した答えに、「評価・判断」を加えたりはしていないでしょうか。

(何いってんの、とかムリムリ、とか、もっと現実をみなさいよ、とか・・・)

子どもは常に、精一杯の状態で、そのとき出せるベストの答えを出してきます。

それを今の自分(大人の私)の枠にはめて判断すること=子どもの枠を狭めることになりますね。

それに第一、「わたし」と「こども」は違う生き物なのです。

「わたし」にはできなかった。でも、こどもにはやれる力が多分、ある。そんなものなのです。

「…おまんは、そんなことを考えちょったか」

龍馬の答えを聞いてつぶやく

父、八平の表情からは、息子の存在をすべて受け取って、包みこむ暖かさが感じられます。

八平さんは

龍馬の中に、一生、生き続けるであろう大きな質問を残したのですね。

そして

「…おまんは、そんなことを考えちょったか」という一言の中に

全身全霊で、「お前ならできる!やれ!」という思いをこめて、そして逝ったのでしょうね。

静かな中に

父、八平さんのあふれるほどの切ない思いと、龍馬への愛を感じた場面でした。

「彼は広い海を見ていました」

さて

長崎に行っていると書きましたが

昨日は龍馬の銅像を見に行ってきました。

中村公子のコーチングna日々♪

かの男は

街と港を見下ろす山の上に立ち

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はるか遠くを見つめていました

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龍馬の目で見た長崎の街

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「長崎はわしの希望じゃ」 BY 龍馬

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龍馬のぶーつも

海を見ています。いつまでも。

「龍馬夢枕に立つの話」

 

 

松平定知氏の講演を聴きに行きました。

テーマは「龍馬の新婚旅行」。

 

研修でお世話になっている新聞社の販売局のとある方から

「先生、確か幕末がお好きでしたよね」

という丁寧なメールとともに、お知らせをいただいたのです。

最近お目にかかっていなかったのですが、こうして覚えていて

メールをくださるそのお気持ちに感動しつつも

 

「この方まで知っていらっしゃるなんて、わたし、そんなに『幕末幕末』って騒いでいるのかなあ…」

 

とちょっと恥ずかしい思いをしつつ^^;

でも、楽しみに今日を迎えたのでした。

 

「歴史秘話ヒストリア」も好きですが「そのとき歴史は動いた」も好きでしたので

「うわあ~松平さん、本物だあ」と俗なことを喜びつつ、講演ははじまりました。

 

さて

確かに幕末は好きなのですが、そんなに系統立てて知識を得ているわけでもなく

龍馬のことは詳しくないので、とても興味深くお話を聞きました。

(松平さんがお話しになると、ものすごく複雑なつながりのあれやこれやが

なんでもないことのように紐解かれる感じがするのが不思議です。

そう、まるで「そのとき歴史は動いた」を見ているよう)

 

そして、その中で「へえ~!」と思ったのが

「龍馬。夢枕に立つ」のお話。

これは有名なお話なのですね。

以下、松平さんのお話。

(正確には「司馬遼太郎によると」ということですが)

 

「明治人は、龍馬を知らなかった。明治37年までは。

 

当時、日本人は「恐露病」であった。

そして明治37年2月、ロシアとの国交断絶の御前会議。

 

2月6日、昭憲皇太后の夢枕に、白装束の武士が立ち

『私は坂本龍馬と申すもの。今から三十数年前、奮闘したものにて

身は死んでしまったが、魂は日本を守る』

と言った。

皇太后は側近の香川敬三に

(←この人は確か、近藤勇を捕らえた人ではなかったですか??偉くなったんですね【中村注】)

『坂本龍馬を知っているか』と尋ねた。

 

翌、2月7日も、また同じ夢を見た皇太后は再度『龍馬のことを知りたい』と香川敬三に言った。

香川は宮内大臣の田中光顕(元陸援隊副隊長)にこのことを伝えた。

田中光顕は龍馬の写真を渡した。

皇太后はその写真を見て「この人だ」と言った。

 

この出来事は『皇后の奇夢』として新聞に載った。

わが国には守護神がいるぞ!ということになり、盛り上がった。

おりしも、東郷平八郎がバルチック艦隊を破り、龍馬人気は湧き上がり、そのまま龍馬伝まで続く」

 

 

龍馬、すごい!!そんなにニッポン国のことを!

なんだか龍馬のキャラではないような気もしますが…。

 

そしてさらにこの話は

「薩長土肥」の中で圧倒的に多い勢力の薩長に対抗する田中光顕(土佐)の

「起死回生」の作り話である、との話もあると続きます。

田中さんは昭和まで生きた方で、死ぬまで「あの話は本当だ」と言っていたらしいですが。

 

 

歴史とは面白いものですね。

上のお話の真偽さておいて

歴史とは

私たちが知らないところで、いろいろな、いろいろなことがたくさんあって

そして、最終的に、誰かが意図して表面に表出させて「表現」しているものを

私たちは「歴史」として受け取っているんだろうなあと、そんなことを思いました。

(はい、これをわが国の「歴史」としますのでよろしく!みたいに)

松平さんもおっしゃっていました。

「勝者の歴史」が累々と続いていく。勝者が自分たちの正義を残すのであり、正誤を論じるのは意味がない、と。

 

さて

最後に「うわあ、この方は本当に歴史が好きなんだなあ」と感じた言葉を(ざっとですけど)。

 

 

「今日の話には、私見が入っているが

歴史とは、そういう見方でよいのではないか。

エビデンスを並べつつも類推する。既成の歴史を自分の中に近づける。

歴史は無機物ではない。数字と出来事を知ることが歴史好きということなのではない。

 

歴史とは、斬れば血の流れる人間の汗や、喜びや、悲しみであり

人がどうその歴史に対峙したかなのだ」

 

さりげなくエンディングにはいり

ぐん、とリズムが高まっていく最後の2行

その静かに熱い語り口調の、あの独特のリズムについ乗せられて

「そうそう、そうなんだよね!」と周りよりもちょっと熱い拍手をしてしまったことでした。

 

「種子島の革鎧」

 

 

 

昨日、伯父の整体院に行ったと書きましたが

そこで興味深いものを見せてもらいましたので、みなさんにもお見せしたく。

 

革のよろいです。

いつの時代のものなんでしょう。
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伯父のところに行くと

いつも、伯父の昔話に花が咲くのです。

戦時中の話や

見たことのない祖父や祖母の馴れ初めの話など…

知識としてして知っている時代に、生き生きと生きた人の

皮膚感覚が加わるようで、とても楽しいのです。

 

 

そして

昨日はこの「種子島でもらったよろい」の話で盛り上がったのです。

 

 

 

伯父の奥さん、つまりわたしの伯母。3年ほど前に亡くなりましたが

種子島の出身で、しかもだいぶ「よき家」の出だったそう。

小さい頃の伯母はほんとうに大切にされていて(鹿児島弁では「てねん(丁寧に)されちょせえなあ~」となる)

「何もしなくてよかった」らしい、などなど…いろいろと話をききましたが…。

 

伯父は、その関係で、今も種子島に行くことがあるらしいのですね。

 

 

 

このよろいは「種子島家」の古い家の中にぽつねん、とあったものなのだそう。

伯父がもらいうけて、保管していたのですが

歴史資料館へ寄贈することになったとかで、それなら…と、「次のお客様がやってくる」としぶる伯父を

拝み倒して、見せてもらったのです。

 

 

 

軽いです。
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そして、硬い。硬いというか、乾燥しています。からから。

昔からこうだったのか、時間がたってこうなったのか。

これを身に着けて戦うと、あちこちすれて痛そうだなあ・・・

とそんなことをふと思ったり。

 

 

 

前にうっすらと家紋が残っています。

そして、前のパーツと後ろのパーツを組み合わせて着用するように

なっています。

結び合わせたであろう、紐を通す穴が残っています。

 

 

 

後ろの下部に、同じ素材の革で房のような

飾りがついているのですが、すっかり朽ちてしまっています。

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どんな人がこれを身に着けていたんだろう。

これを身に着けて、戦をしたのでしょうか。

軽輩の方々が身に着けていたのじゃないかと

なんとなく思ってしまうのですが。

(テレビで見る「立派なもの」とは違いますので)

 

 

 

 

「よろい」というと

テレビで戦国武将が着ているようなものしか見たことがなく、どうも「飾り」のイメージが先行してしまうのですが

やけにリアルな革のよろいに

身近な道具として、これを着て、手入れなどしていた人のことなどを感じたことでした。

…以上、「種子島のよろい」のお話でした。

 

「一期一会」

 

 

伯父の整体院に行った帰り道

さあ午後から打ち合わせだと結構急いでいたのですが

 

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ふと、遠くに見つけました。

家の間に、そこだけふわっと白い空間。

あれは大好きな梅ではないかしら。それも、あんなに固まっている。

 

「どうしよう」

時計を見て、ちょっと迷ったのですが…

車を大通りから下ろして、道を探します。

途中で車を止め、さらに静かな人家の間に足を踏み入れること数分。

 

見つけました。

 

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うわあ~。

 

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白い梅の林が、音もなく静かにありました。

本当に静かで、人っ子一人いません。

青い空に緑の美しい下草。そして、動いているのは花びらだけ。

白い花びらが今まさに、散っているところなのです。

はらはらはら…

 

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どっちを向いても梅、梅、梅…

なんですけれど、その香りは、体中つつまれてちょうどよいくらいに上品でした。

 

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今日の鹿児島は、夕方から激しい雨。

運転するのも大変なくらいのどしゃぶりが2時間ほど続きました。

 

この梅には、今日でなければ出会えなかったのだなあ。

 

「また今度」「次の機会に」

そうやって、これまで幾度、本当に欲しいものを自分に与えずに来たことだろう。

 

かすかに盛りをすぎ、花びらを雪のようにはらはらと落とし始めたその時に

ちゃんと出会うことが出来たということに、こそばゆいような嬉しさを感じました。

 

車を止めて、本当に、よかった。

 

「急成長」

これは何でしょう。

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そう

桜島本体は見えなくても、こうやって

いきなりゴジラのように成長してくる噴煙が見えることがあるのです。

爆発後、あっという間にまるで生き物のようにむくむくとわきあがってきます。

その速いことといったら・・・!

10秒…20秒…あっという間に激しく動きながら空に立ち上がってきます。

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どんどん成長してきます。

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ここまで

わずか1~2分程度。

怪獣が空に立ち上がってくるようなのですよ!

刻々と表情を変える姿は、見ていて飽きることがありません。

しつこいですが、これは雲ではありません。噴煙です。

そして、10分後…

ふと、空を見ると、もう噴煙は跡形もなくなっていました。

雲のようになめらかに変化して、右へと低く流れてしまっていました。

姿は見えねども、存在感抜群の今日の桜島でした。

「それをつっつくのが大人の役目」

純心女子短期大学さまの1年生の就職のための講座
2日間が無事終了いたしました。

中村公子のコーチングna日々♪

校内のお庭からも、桜島が見えます。こんなふう。

さて

今回の講座は

この、お2人のすばらしい講師の方々とご一緒させていただいたのです。


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廣瀬玲子氏と西藤孝子氏

廣瀬氏は企業研修等のかたわら、純心女子短のキャリアについての学生さんの指導に関わっていらっしゃいます。

西藤氏は福岡在住。

企業研修から、司会者としての活動まで、幅広く活躍なさって

いらっしゃいます。

(写真は、2日間を終えてお食事をご一緒した際のもの)

そして

わたしを含めて3名の講師がそれぞれの講座を行い

学生さんが3つの講座を順繰りに受けていくという形。バトンを手渡していくような面白い緊張感と

創造している感がありました。

わたしの講座のテーマは

「自分の中の主旋律を探す」

自分の人生を貫く実現したい「テーマ」

ずっと味わっていたい「大切な何か」

それに沿って人生を歩めたら幸せだろうと、そんな思いをこめて。

「主旋律を探す?何のこと?」と学生さんたちに言われやしないかしら??と

思いつつもそんなテーマをぶつけて見ました。

が、そんな心配はどこへやら

「主旋律」を探すためのちょっとしたワークのためのワークシートを記入する

ペンの音の、激しくて早いこと!!

静かな室内に熱くペン音が走るのを感動の思いをもって聞いておりました。

2日間を通して感じたことは

若い方々はこれまで「聞かれた」ことがない。だから、考えたことがない。

「あなたは、自分の人生を、どのようなものにしていきたいの?」なんて。

でも

彼らの中には、大きなもの、深いもの、深遠なものに触れたくてたまらない、真っ白な

スポンジのような柔らかなものがちゃんとあるんだな、ということです。

それを「つっくつ」のが

大人の役目。

うまく、つっつけたかなあ。

誠心誠意、今お伝えできることをお伝えしてみたのですが。

中村公子のコーチングna日々♪

敷地内のしだれ梅が

美しくほころんでおりました。

適切な時節の

適切な熱と光によって、人の心や思考もほころび、やがて開花してゆくのでしょうね。

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