「相手をリラックスさせるには、まず自分の身体がリラックスしていること」

数日前に
1年半ぶりに写真を撮ってみました。

今回のカメラマンさんにお会いするのは三度目。
一度目は酒宴にて。
二回目は自身のイベントの模様を資料として撮影してもらったのですが
このときは自分がイベントを切り盛りするのに忙しく。
彼女が撮影するのをちゃんと見るのは今回が初めてです。
といいますか…

カメラマンさんとの相性は、はやり自分が被写体になってみてわかるんだなあ
とつくづく思った時間でした。

「はい、ここに座ってください。はい…そんな感じで」

炎天下。
なんでこんなに暑くなったかな~、とちょっと後悔したくなるようなまぶしい青空のもと
撮影ははじまりました。

「いいですね~。ステキです。じゃ、わたし、少し離れたところから撮りますから」

そういって彼女は大きなカメラ片手に10メートルほど離れた位置に移動し
すっとカメラを構えたのですが。
その瞬間…

(これは、撮ってもらってる場合じゃないぞ!)

そう。
言葉にするなら、そんなふうに言いたくなるくらいのちょっとした衝動が^^。

(だれか、誰かカメラもってこ~い!あれを、あれを撮らなくては…!)

そう呼ばわりたくなりました。
つまりそれくらい、彼女の姿は美しかった…!
何が美しいって
カメラを構える風情が美しいのです。

柳のようにしなやかに力の抜けた上半身。
正直、彼女がカメラを構えた瞬間、そこだけふわ~っと風が吹いたような
そんな感じさえしました。この暑いのに。
あれは、長いこと大きなカメラを扱ってきたことから
自然と体得した体の使い方なのでしょうか。
あの重さを腕で支えていては、きっと長時間もちません。
従って、彼女は「腰」を要(かなめ)として全ての動きを行っているのです。

動きが、腰からはじまる。
そこから起こった波紋がゆっくりと手足に広がる感じ。
従って、カメラを持った一つ一つの動きが空気をゆったりと動かすように
何とも優雅なのです。
そう、カメラを持った彼女は、まるで空気を身にまとって歩いているのです。

初めて会った酒宴の席では
あまり話せなかったこともあり、こういう雰囲気は全く感じなかったのですが。
とするとやはりこれは「撮影のときの彼女のモード」か??
…仕事から身についた理にかなった動き、といいましょうか。
そうだとしたら、それは何と美しいのでしょう。

農家である姉夫婦を見ていても、同じように感じることがあります。
ムリと無駄のない、最も理にかなった動き。
「そのことのプロ」だからこそ生まれる美しさ。
(素人ではああはいきません。一時間で腰痛と筋肉痛です)

目の前のこの年若い女性が醸し出す
この、ゆったりしたしなやかな…野を行く野生動物のような動きは
彼女がカメラの世界に取り組んできた、まさにその姿勢と軌跡をあらわしているのだろうな、
とそんなことも思ったのでした。
(合間にお話を聞いてみると
とにかく小さい頃から「カメラがおもちゃ」という環境で育ったのだそう)

さて
表題の「リラックス」についてですが
(ここがメインのはずが、付け足しになってしまいました)

「は~い、リラックスして」
「笑って」

といくら言われても、プロじゃあるまいし…
そんなに「リラックスして」「いい笑顔で」わらえるものじゃないのです。
「元気に笑って」
などと言われてもその「元気に笑う」という世界を体験したことがない人にはわからない。
まず、相手が「元気」という自分のリソースににアクセスできる状態を作らなくては。

その人の中の、本人も知らない自分。
一人では到達できない、開けない部分を開いてあげ
知らなかった世界に連れて行ける力こそがプロであり
「場をコントロールする責任者」の仕事です。
オーケストラの指揮者と一緒、でしょうか。
カメラマンさんだけに限らず、このような場面を持つ多くの方がきっといらっしゃると思います。
最も身近なところでは例えば…「親」。

そして、その時に覚えておいてほしいのが
相手にまず伝わるのは
あなたの言葉ではなく、あなたの「身体の状態」だ、ということ。

さて
この日の撮影なのですが
ガジュマルの木の影から顔を出してみたり、空に向かって飛んでみたりと…
まるでアイドルPVみたいなことまでしてしまっている自分のデータを見て
今ちょっと赤面している自分が。

つまり、それくらいリラックスして楽しかった、ということなのでした。

わたしの撮ったこの日の最高の一枚。
株式会社pegasus 福永さん

❁「これから人前に立って新たなアイデンティティーで生きて行こうとしている人。コーチやトレーナーとして独立しようと準備している人たち」のためのセッション❁
 自分の軸を明確にし、それに沿って生きることをサポートします。
   ✿120分ヴァージョン
   ✿180分ヴァージョン
   ✿3回コース     
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8月9日(日)『自分と出会う、自分と繋がる~声のワークショップin福岡』ご案内

「声のワークショップ・福岡」が使づいてまいりました。
今回、お隣の熊本や、ちょっと遠いですが広島からのご参加もあり
さらに楽しみなところです。
今日は、興味と関心の合うすべての方に届きますよう、再度のご案内です。
どうぞ、ぜひいらしてくださいね!

  

このセミナーは次のような方には特に楽しんでいただけます。

◆声が小さいと言われる方
◆いつも人から「え?」と聞き返される方
◆人前で話す機会がい多いがあまり得意でない、と感じている方
◆知識偏重な日々を送っている方。思考を使うことが多く 、の感覚とつながることが少ない方
◆人前に立ち、場を惹きつける「存在感(プレゼンス)」が必要な方。
◆自分の中の枠をはずし、より自由に自分を表現できるようになりたい方。
◆ただただ楽しみたい方♪

 

「自分の言うことが伝わっているか?」

わたしたちにとって、最も大切なことの一つではないかと思うのです。
生きていくうえで相当に…ほぼ第一番、と言っていいくらい大切なことの一つ。
これには様々な要素が絡んでいます。


 声の状態、体の状態(表情や、姿勢)それから選ぶ言葉、文脈…本当にたくさん!
そして、これらの要素をずーっと掘り下げていくと、ある一点にたどりつきます。
それは

「自分とは何者か?」
「自分は何を伝えたいのか?」という「自分の軸」。

このゆるぎない軸が、すべての「伝える」という作業の出発点です。



それは、「人前で声を出し、話す」というプレゼンテーション的な場面はもちろん、
それを超えて、文章を書く、作品をつくる、仕事をする…
おおよそ、わたしたちが「生きている」場面のすべてで行う「表現活動」の根っことなるものです。

「声のワークショップ」は、
自分の持って生まれた真の響きを存分に鳴り響かせて生きたい方のための
ワークショップです。
思考ではなく「形」からのアプローチ、
つまり、「声と言葉と表現」を開くことを通して自らの響き(自分軸)を体感し、
発掘していくワークショップです。

今回の福岡は、

 「伝わる声って?」「ただ聞こえるだけの声とはどう違うの?」

という最も基本を中心に、さらには短い表現活動まで体験します。
3時間という短い時間ですが「こんな声が出るんだ」「自分にもこんなことが出来るんだ」というワクワクするような感覚をきっと味わっていただけることと思います。

それは、あなたの中にずっとあり、
外へ出たがっていた「あなた本来の響き」が目覚め始めた、
という何よりの証となることと思います。

福岡、そしてお近くの皆様方とご一緒出来ますことを、心より楽しみにしております!

【このようなことを体験します】

◆「聞こえる声」と「届く声」って?
◆体は楽器~自分という楽器の豊かな可能性を知ろう
◆自分の「声の癖」を知る
◆体をしっかりと響かせる
◆周りと共鳴する楽しさを知ろう
◆体も声も本来もっと自由に広がりたがっている


お申込み・詳細はこちらへ

「9月13日『under25のための声のワークショップinくまもと』を開催します」

  
高校の頃、学校の文化祭の劇に一度出たことがあります。
その時の声が出なかったことといったら。
声を出そうとすればするほど喉に力が入って、喉が絞られて全然出ない。
今思えば、年齢独特なものもあったのでしょうか。
全身ガチガチで、何かと闘っているあの年の頃独特の。

その後、いくつかの体験を経て
自分の声が場に波となってわ~っと広がった瞬間の、その感覚は、
今でもはっきりと覚えています。
自分の中の何かがはじけて解けて広がる感覚と言いましょうか。
言葉にするなら「自分、解禁!」みたいな感じ。

思えばわたしにとって
「自分自身の人生を生きる」ということと「声が出るようになった」プロセスは
ぴったりと重なっているなあ、とあらためて思います。

さて
今回の企画は一人の「表現のプロ」を志す女の子との出会いがきっかけで生まれています。

彼女がやっていることは、声を必要とすることではないのです。
けれど、なんだか声が小さいのが気になる。
彼女はこれから、それこそ、自由自在に、場の空気を一気に塗り替えるような、
その場にいる人の深い魂までも揺り動かすような、
そんな「表現」の世界を目指すはずなのだけど。
このエネルギーで大丈夫かな?と。

彼女の遠慮がちな声と呼吸から
「まっすぐに自分を伝える」ことへの小さな不安ととまどいと、
そして「ホントはそうしたいんだ!」という
彼女自身も気づいていないかもしれない願いを感じながら
ああ、彼女と一緒にワークショップしたいな、と思ったのでした。
その根っこには、
かつて大きな声が出なかった…というか気持ちも願いも、何も伝えることが出来なかった
若いころの自分の姿と、少しだけリンクしているかもしれません。

✿くわしくはこちらへ

今回、
対象は16歳から25歳。
声という切り口を使って、「伝える力」について
土台の力とエネルギーに揺さぶりをかけ開いていきます。
知識に加えて
「体を目覚めさせる」ことによってのみ得られる感覚であり、体験を味わいます。
まあ、何より味わってほしいのは
「体を響かせ、子どもに帰ったみたいに声を出す」ことの快感、なのですが。
自分からこんなにあふれ出るエネルギー。
これは、本当にちょっと世界が変わるような体験です。

今、まさに人前に立って「伝える」「人を動かす」ことをしている人。
例えば、学校や幼稚園の先生や
それに、これからそのようなことを仕事にしたい人、などにはきっと
即役立つものとなると思います。

そして何より
今の自身のコミュニケーションについて変えたい方。
さらなる小さな一歩を踏み出してみたい方にとって、きっとひとつ、
新しい世界が見えてくるような体験となることでしょう。

声を通して…
体を起こせ。
自分を起こせ。
世界が「あなたの本当の声」を待っている。

これから
自分自身をただ存分に鳴り響かせて生きる若い人たちへ。
初、under25のための声のワークショップです。

~~~~~~~~~

◆コミュニケーションに必要な「身体センサー」があなたにはある?
◆「やる気」と声の密接な関係。
◆就職、面接…知っていると知らないでは大きな差が出る「声の話」。

~~~~~~~~~~~~~
✿こんな方に✿

✱声が小さいといわれる人
✱声が通らないと思っている人
✱大勢の前で話すとき、なんとなく場がまとまらないと感じる人
✱人前で話をすることが多いが、それをあまり得意でないと感じる方。
✱ これから人の前で話す仕事につきたいと思っている方

~~~~~~~~~~

◆日時 9月13日(日) 13時30~16時45分
◆所  熊本市男女共同参画センターはあもにい
      (熊本市中央区3丁目3番10号 096-345-2550)
◆16歳~25歳対象

申込み、お問い合わせはこちらへ

「繋がりがあれば前に進める」

 

 

 

 
わたしの知人に、林道雄さんとおっしゃる方がいます。
林さんは古い写真を扱うお仕事をなさっています。
ご自身で現存している当時のネガ(ガラス板)から写真を現像なさったりもします。
幕末、明治期の写真や写真機、なんてものをfacebookにしょっちゅうアップなさっています。
わたしからすると、もう、垂涎の的。うらやましい世界です。

その古い写真を使ってなにをなさっているのか、正確にはよくわからないのですが
(多岐にわたってお仕事をされているのでわたしが把握できていない、説明できない、ということです)
大きく見ると、わたしには

「今という時を中心に、過去と未来を結びつけている人」

に見えます。

以前
「歴史を勉強する意味が分からない。昔のことを学んで何の意味があるの?」

と歴ヲタのわたしの前で言い放った^^輩(やから)がおりましたが。
ちなみにその「やから」は今ではふるさと薩摩の歴史と伝統を何より大切に思う
熱きおごじょ(女性)となって薩摩のために邁進しています。

彼女はわたしに感化されて変わったわけではありません。
自然に、ひとりでに「出会っていった」。
今を、そしてこれから先ををよくしよう、と思ったら、その土台を…源流を知らずしては出来ない。
目の前に今ある現象、ひとつひとつは「なぜそうなっているのか」。
何を残し、何を変えればよいのか。

それには
その「意味」を、ルーツを知らねばならない。
彼女は多くの人を介して、そのことに体で出会っていた。
そんな印象を持っています。

さて
写真は林さんからお借りしたものです。

「ずっと気になっていた明治初期の一族写真。
動乱を生き抜いた人たちの顔って何か違って見える。
この一枚から映画ができそう。
割れてしまっていることは残念だけど、そんな事どうでもよく思えるすごく好きな一枚」
                                     by林さん

じっと写真を見ていると
なんだか知らず知らずのうちに熱い何かがこみあげてくるような心持になります。
すぐいろんなものに波長を合わせて感じ入ってしまうのもよし悪しなのですが。

この写真に写る、一人一人の身の内に。
まなざしの中に、それぞれの思いがあり、人生がある。
江戸から明治へ。
生き方の形も立場も価値観も…いろんなものがいっきにひっくり返った時代。
ずっと大切にしてきた有形無形のものが例えばすべて
一夜にして否定されたような、そんな時代に、その中を生き抜いた家族。
そんな中でもやはり
毎日の暮らしがあり、喜びがあり悲しみがあり。
それぞれの大切にしているもの、夢や希望、そして不安や覚悟…
そんなものまでが垣間見えるような。
(着物もかなり厚手の装いなので、廃藩後、開拓で僻地に移住した侍かな?と林さんの言)

わたしにとって歴史とは、教科書の中にあるもの、ではなく。
月並みですが、辛いとき、苦しいとき、道が見えないとき
自分が「頑張れる」。
「もう半歩だけ先に」行こう、と思う
その原動力のようなもの、にもなっています。
過去に触れるということは
この写真のような表情で一瞬一瞬を生きたたくさんの、
それこそたくさんの人たちの積み重ねの上に今の自分がいるということを
俯瞰できる瞬間、なのです。
自分の体は、自分の精神は、そして今の生活は自分一人で成ったものではない、
ということを感謝と共に強く感じる瞬間です。

最後、いいことを書いてまとめようと思ったのですが
思いつかないので今日はこれにて!
わたしは歴史が好きです、というお話でした。

文章には、あなたの「命が刻むリズム」が表れる

文章を書いて、誰かに託した際に

とても「口うるさい人」になってしまい、我ながら恥ずかしいな、と思うことがあります。

自分の打った句読点。

改行

間…

細かいひとつにまでこだわってしまい
掲載時に違いでもあればつい「直してください」と言ってしまうから、なのです。

半角分のずれも許しません、みたいな。

何をこだわっているかというと

結局「リズム」なのだ、ということに気づきました。

「ライブ」な感じをなるべく伝えたい。

熱熱の、この体に湧き出でたリズムをそのままに…

と。

その瞬間、自分の中に生まれた「伝えたい」は、言葉だけでおさまる問題ではない、と

なんとなく思っているから、なのでしょう。

言葉の「内容」だけでは人は動かない。

それがどんなに立派な内容であっても。

あなたにとって「正しい」ことであっても。

言葉はもちろんのこと、言葉と言葉の間、行間に生まれる空気、間合い・・・そういったものも

含めての「表現」であると、そうあきらかに思っています。

「人は、あなたの話した言葉のとおりになるのではない。

あなたのその瞬間の体のとおりになるのだ(あなたが『体から発しているもの』の通りになるのだ)」

これは

プレゼンスはじめ、全般的にコミュニケーション力を扱うセミナーで

よく受講生さんにお伝えする言葉です。

わたしが言ったのではなく、確か竹内敏晴さんの言葉かと。

この「体から発しているもの」をあらわす一つが

文章の場合「リズム」である気がしています。

魅力的な場をつくる語り手。

人をひきつけ、場を一瞬にしてつかむ発信者に共通していることは

「リズム」

をもっている。

多くの語り手を見て、体験的にそう感じます。

「こういうリズムがいい」「このリズムが正解」というものはもちろんなく。

例えば

落語家さんが同じ題材を語ったとしても

誰一人、同じリズム、同じ口調で語る方はいませんし。

それぞれが、完全に「その方の世界(リズム)」を持っている。

その人が持っている固有のリズム。

その人の体、細胞に刻まれた…いわば、「自分のいのちが刻む音」と言ってもいいでしょうか。

それを自然に、止めることなく溢れさせることができる人はステキです。

体の奥から沸き起こる自分の「リズム」を捉え、

それをしっかりと、増幅させ。

増幅した「自分のリズム」は、もはや勝手にあふれ出ていきます。

泉からあふれでる清水のように。

そして、自然と周囲を豊かに潤します。

これは文章も同じ。

静かなさざ波のように始まり、次第に大きな流れとなり、うねりとなって押し寄せ

そして再び静かに引いていく波のように。

またあるときは

ラヴェルのボレロのように最高潮までぐんと高まり…

そしてトン!と唐突に落ちる幕。

あとに残るは深淵たる余韻・・・。

といった感じに。

自分のリズムを聴き

自分のリズムを知り

そして、それを目の前の白い紙の上に(PCの画面に)あふれさせることのできる力。

そんなものが必要なのかな、と思います。

そして

自分のリズム、をとらえるためには、たくさんの「経験」が必要なのだろう、と思います。

多くの文章に触れ、美しい言葉に触れること。つまり、しっかりとまずは「型」を学ぶこと

「型破りとは型のある人がやるから型破り。型のない人がやったら、それは形無し。」

…これは、先代の勘三郎さんの言葉でしたっけ?

「声のワークショップ」で文語文や講談の台本を扱うのも、そんな意図があるかもしれません。

話は飛びますが、そのワークショップ終了の方々の中から

「声と言葉と表現力」の場であったにもかかわらず

  

「書く文章が変わった」

「自分の記事を読んだみんなの反応が違う」

「ブログのお客様の反応が変わった」

「ブログ告知で、あっという間にセミナーが満席になるようになった」

という現象が起こるのはとても嬉しいことであり

こうやって考察してみるに、「むべなるかな」という気もするのです。

彼らは、数か月のプロセスを経て

「自分の持って生まれた命のリズム」をあふれさせることの快感を知り

そうすることに「許可」を出した。

そして、その、「自分のリズムを瞬時に出せる」よう

いつでもアクセスできるよう

回路を太くすることを鍛錬した、ということなのかな、と思います。

一事が万事。

自分のリズム。

自分の命が刻む、あなただけの脈動。

それに乗って生きている人は、すべてにおいて魅力的です。

✿写真は、「声のワークショップ」であるお一人が使った台本です。

ゴシック体の印刷のものをご自身で手書きで書き直し

さらに、間合い、抑揚…徹底的に書き込んで「型」を体に染みこませ。

自分独自の表現になるまで体に沿わせる鍛錬をした、この方のプロセスが滲み出す台本です。

面白いのは

なんだか謡?の台本っぽくなっている、ということ。

きっと、意図せずそうなっていらっしゃるのでしょうね。

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