「薩摩の証」

昨日はお客様のところに行く用がありましたので

ちょっと早めに出発して

途中行きつけのスタンドに立ち寄って

車をピカピカにいたしました。

太陽の反射する赤い車体も誇らしく颯爽と走っていたのですが…

その輝くボディ

今朝起きますと…

一夜にして

こうなりました。

中村公子のコーチングna日々♪

これ、ドアミラー。

屋根も、ボンネットも全部全部こんなかんじです。


中村公子のコーチングna日々♪

光ってしまってあまりよく見えませんが

フロントガラスも相当な量の「灰」

車に乗ってしまうと、中からは外が見えません。

全国のみなさん

これが、桜島の「灰」です

どうぞ、お見知りおきを!!

「薩摩自顕流」

 

 

 

ここ最近

よく行く文具店の近くに貼ってある「野太刀自顕流」の看板がやけに気になっていたのです。

 

以前から何か武道をやりたいな、と思っており。

でも、体力がないから本格的な武道はムリだろう^^;

よし、「殺陣」にしよう、と思い

 

 

 

でも、鹿児島にそう都合よく「殺陣」を教えてくれるところなどないのです。

(あったら、どなたかご一報ください)

 

そんなこんなで忘れかけていたところ

 

 

 

 

ひと月くらい前に日野市の井上源三郎資料館☆から

「天然理心流演武」の写真の絵葉書が届き

           ↓

http://shinsenhino.com/archives/weekly/080930202642.php

(この日に撮影されたもののようです)

中村公子のコーチングna日々♪

 

 

天然理心流かあ~

見て見たいなあ。でも、鹿児島ではムリだし

そうなると、自顕流かあ。

「道場剣法じゃない。実践的。野太い」感じが

ちょっと似てるかなあ

(知識がないのでざっと本から得たいいかげんなイメージ)

 

 

 

そういえば、近藤勇も「自顕流は初太刀をはずせ」って

言っていたなあ。

(正確には「と、何かの本に書いてあったなあ」が正しい)

 

どんな剣法なんだろう。

薩摩人なのに、薩摩の伝統武道を知らないとは

これいかに…!

 

とだんだん興味津々になっていたところだったのです。

 

すると!(なんという偶然)

わたしが幕末オタクであることも、自顕流を見たいと思っていることも全く知らない方から

(だいいち、この2年ほど、お目にかかってもいないのですから!)

本日一通のメールが…。

 

以下抜粋。

 

『…私的には自顕流を始め、去る9/11-17まで米国シアトル遠征団に参加し現地の方々と交流しました。

 今後もこの交流が続けられるよう現地で支部づくりが行われる予定です。
 近い将来薩摩の子供たちを連れて行けたらと思います。

 自顕流は

 

 1.野外で裸足でする。

 2.あらんかぎりの声を出す。
 3.体全体で力いっぱい木刀を振る。

 

 この3点においてストレス解消にはもってこいです。

 さらに試合はなく、ただひたすら相手との間合いを計る訓練をいたします。

 プロジェクトで仕事をする方にはいい訓練だと思います。全く自分との戦いです。

 新撰組の近藤勇から恐れられた自顕流ではありますが

 現代的に意義が認めらつつあるように思われます。』

 

そして、上記の新聞記事の添付と

丁寧に、自顕流の練習場所と日時まで書いてくださっていました。

 

 

これは・・・

もはや「行け」ってことですよね。きっと。

 

 

 

近いうちに、見に行ってきます。

そのうち

「歌って踊って剣の振える肉体派コーチ」になるかもしれません。

 

「2009コーチングフォーラムINくまもと」

きたる11月3日

中村公子のコーチングna日々♪

熊本で

日本コーチ協会熊本支部主催

「2009コーチングフォーラムIN熊本」

が行われます。

くまもと県民交流館パレアにて。

中村公子のコーチングna日々♪
わたくしも

分科会を一つ、担当させていただきます。

教育関係。

(スクールコーチ協会に携わるようになってから

増えましたねえ。教育関係)

お近くの方は

ぜひお越しくださいね

詳しくはこちらを!右矢印 http://jca-kumamoto.com/

「南日本新聞教育特集に掲載されました」

申し送れましたが

昨日、9月20日の南日本新聞朝刊に

8月に行いました鹿児島での第一回「日本スクールコーチ協会」勉強会の模様が

掲載されました。

記事を書いてくださった南日本新聞の記者さんの

取材のお姿に感銘を受けつつ

(取材をしつつも一参加者としてセミナーの場にいてくださり、他の参加者の

学びにも大きく貢献してくださった姿が印象的でした)

この記事を

メンバー一同楽しみにしていたのです。

その後も、丁寧に電話取材を続けてくださり

一つの記事を「責任を持って」世に送り出すための、この方の姿勢を感嘆を持って拝見したことでした。

(いや~。携帯が何度鳴った事か^^!

そのたびに、ありがたいやら、『頑張ってください!よろしくオネガイシマス!』と

熱く声援したい心持にかられておりました)

当日セミナーにご参加くださった方々

そして、取材に対して熱く想いを語ったメンバー達

そして、それをこうやって形にしてくださった記者の方のお気持ち

すべてをありがたく実感しつつ

これからも、みなでゆっくりと進んでいきたいと思っております。

中村公子のコーチングna日々♪

「大人の文化祭」

街を行くと

ここかしこの高校の正門に

趣向を凝らした飾りの門が立ち並び

ああ~

体育祭や文化祭のシーズンだなあと見ております。

空気が澄み切って空が高くなってくると

「きたきたきた~」

という気持ちがいやがおうにも高まってくるのがこの季節

(わたし、文化祭・学園祭大好き人間でした。自分が生徒のころも、教員になってからも)

さて

明日、わたしの通うダンス教室、いよいよ晴れて

「20周年記念パーティー」を迎えます。






今日は最後のレッスン日。

朝からいつもとはちがった高揚感

まずはやってきた男性。

緊張した面持ちで衣装の「燕尾服」に袖を通します。

たぶん、人生始めての「燕尾服」でいらっしゃるのでしょうか。

丁寧に、先生に「着用方法」のレクチャーを受けつつ…。中村公子のコーチングna日々♪

(そりゃそうですよね。【ダンス】でもしてない限り

結婚式のほかはこんなもの、着ませんよね~)

その「初々しい」

お姿に、ついこちらまで頬が緩みます。

続いてみなさん、続々といらっしゃいます。

そして

みんなで賑やかに

ああでもない

こうでもないと

衣装をひっくりかえして見つつ・・・まずは着てみます

中村公子のコーチングna日々♪

ジャイブを踊る彼女

この衣装が、着るのがなかなかややっこしい

(「この手はどっから出すんだ!」みたいな)

わたしも更衣室に入ってお手伝い

衣装って、後ろのファスナー、自分で上げづらいんですよね。

小柄なかわいらしい方なので

きみどりのスカートがよくお似合い!

中村公子のコーチングna日々♪

彼女はルンバを踊ります

背がすら~っと高くて

スタイル抜群の方なのです。

「写真撮っていい??」

と聞いたら

「嫌~!」

「顔は出しませんから」(わたし)

「体もいや~!」

ってことだったんですけど、やっと撮らせていただきました

ステキでしょ。

中村公子のコーチングna日々♪
さて

この方は・・・何を踊られるのだっけ

(聞き忘れてしまいました)

モダンであることは間違いないですね!この衣装…。

とても姿よく、美しく、上品に踊られる姿が

印象的です。

わたしも携帯で撮らせてもらって

そして、デジカメで記念撮影も…。

さてさて

いつもと微妙に違うみなさんの

高揚した表情を眺めながら…

「大人の文化祭だなあ」






みんな

大人になって数十年。

毎日毎日仕事があって家族があって…

立派なまっとうな「大人」としてこの社会を作ってきたわけで。






頬を紅潮させて

新しいものにふれ

非日常の衣装に身を包み

自分のためだけに、時間を使う。

仲間がいて、わいわい騒いで準備なんかして・・・




こんな時間が大人になってからもあることって

本当にステキなことだよなあ。




と、みなさんの幸せそうな

少年のようなお顔を見ながらしみじみと思ったことでした。












中村公子のコーチングna日々♪

さて
わたしの最終準備は

明日もって行くメイク道具の点検

(片方どこいった~)







明日も

よい日になりますように

















「世界に一つだけのブーケ」

もう5年もご縁の続いている

大切なクライアントさんが

このたびご結婚なさることとなりました

(本当に、おめでとうございます)

ご結婚が決まってから

結婚準備のお話も楽しく伺ってきたんですが

(いや~、結婚の準備って、本当に色々な意味で興味深いものですよね)

お話を聞いていて

中でもワクワクすることの一つは

その方の作る、手作りの品々のこと

中村公子のコーチングna日々♪

リングピローです。

ビーズで出来ているんですよ

バラの花びらの間に指輪が飾られるという趣向が

ステキです

(もう、お二人の指輪が飾ってあるんですよ!わかります?)

これはブーケ

中村公子のコーチングna日々♪

ドレスにあわせた小ぶりのものだそうです。

「メリアブーケ」といったかな。

「メリア」とは「八重咲き」」のこと。

本来は、プリザーブド加工をした花びらを

このように組みあわせるのだそうですが

これも、ビーズの花びらなのです。

まわりの葉っぱの繊細な表情もすごいと思いませんか?もちろん、ビーズです。

ブーケのアップ。
中村公子のコーチングna日々♪

真ん中はスワロフスキーの大きなもの。

光の加減でブルーに写っていますが

透明なものだそうです。

キラキラ光るビーズと

そうでないビーズを交えて風合いを出しているのだそう。

これらすべて

すごいのは

「設計図」がない、ということ。

思うままに、湧き出るままに、ただ黙々と作っていくのだそうです。

この方が

「創作」することが大好きなことは

以前から知っていました。そして、その作品もたびたび見せていただいていました。

この方にとって

「ものづくり」は自分を表現するということであり、自分と対話するということであり

生きる意味の一つであり・・・

この方の人生の様々な場面で、この方を導いてきた大切な時間でもあると感じてきました。

そして今

ご結婚を控え、その喜びを全身で感じながらブーケをつくっていらしゃる。

このブーケを見ていると

ほんとうに、こちらまで嬉しくなってくるのです。中村公子のコーチングna日々♪

幸せになってくるのです。

キラキラ光ってキラキラ

優しくて

真っ白くて・・・

これまで見せていただいたものも美しかったですが

ますます美しいと感じます。

(ブーケとブートニアです)

これまでのたくさんの時間が

こうして「ブーケ」につながっていたんだなあと

そんなことを思うのです。

本当にほんとうに、おめでとうございます。

スペイン料理店にてⅢ「腹をくくる」

さて

前回の続きです。

「さて

この方は、なぜ、こんなにも

芯のとおった『一貫性』を持って

娘さんに接し続けることが出来るのか??」

以下、わたくしがその方に送ったメールを添付します。

                 

「本当に子どもに、『生きる力』をプレゼントするって言うのは
大人も腹くくって、自分の価値観とか固定観念とか弱さをぜんぶ白紙に戻してかからないと
その覚悟がないとダメでしょう。

それが「出来ている例」として
あなたのことを(他の方に)話しました。

(中略)

子どもを信じ、どこまでも信じ、こどもに託す、ゆだねる。
信じて、任せて、待つ…このことが、なぜか、大人はできないのですよね。
腹がくくれない。
自分が心配だから、「自分の不安解消のために」こどもに手を出してしまう。

なぜ、あなたはあそこまで腹がくくれているのか
わたしは
娘さんのもって生まれてきた「プレゼント」のおかげだと思いました。

(娘さんは「性同一性障害」)

「自分らしく生き生きと生きるには?」(世間の価値感や、『常識』に振り回されず)

この、だれもが実現ししたい、けれど手に入れがたい「あり方」を
自分自身も、親御さんたちも、一番正面きって追求できるテーマを
娘さんはもって生まれてきていると思います。

なんと、チャレンジフルな、勇気のある選択をして生まれてきた
お子さんなんだろう!!と思います。
そして、娘さんに選ばれたあなたも、
そのチャレンジをともにやっていけるだけの方なのだろうな、と思います。

あなたは
大きなチャレンジを持ってうまれてきた娘さんに、
その「チャレンジ」を自分で達成できるだけの力を…
つまり
必然的に、娘さんに

「幸せに生き抜く力」=

「自分の頭で考え、思考し、判断し、行動できる強さ」
「問題解決能力」「自己肯定能力」

「どんな困難が降ってきても、前を向いて生きていく力」…
それらを身につけてもらおうと。

つまり、わたし含め、わたしのまわりにいるたくさんの「子どもと関わる大人たち」より
「腹のくくり方」が、もうぜんぜん違うんだな~

と、そんなことを感じたのです。」

                  

さて

これから世の中に出て行く多くの子どもたちと

彼女と、いったい何が違うと言うのでしょう。

きっと、同じだけの喜び、幸せ、そして生きていくうえでのいろいろな苦労…

たくさんの出来事が待ち受けていることでしょう。

わたしたち大人は

今一度、自分の姿を振り返る必要があるのではないでしょうか?

子どもに「やり方を教える」ことはラク。やってあげることもラク。

しかもそれによって、大人は「自分の存在価値」を感じることが出来ます。

「今のこの、子どもへの一言は、『本当に子どものための一言』なのか?」

「今の、この『手助け』は、本当に『子どもの未来を見据えたサポート』なのか?」

単なる大人の『自己満足』のための「ヘルプ」になっていないか?

子どもの成長をサポートするということは

自分自身の生き方を深く見返すことに他ならない、といつも思います。

さて

最後に、今日の本筋と少しずれますが

ブログ掲載について、ご本人からいただいたメールを紹介しておきますね。

「こんにちは(^-^*)/
本当に素敵に書いて下さってありがとうございます

娘のことは、包み隠さず書いて下さって構いませんよ

娘は生まれ来ることに関してなんの悪いことをしていません。
ただ、体と中身の気持ちが違っていただけ…

最初、私たち家族でさえ、カミングアウト(公表)するときに何かしらの抵抗を感じながらやりました。
今にしてみればつまらない考えが縛っていたことでした。

周りはどう受け取るだろうか?
弾かれないだろうか?

動いていくうちに、大きな波に渦にすればいいと…ひらめきました。

大きな渦にして周りを巻き込みながら

底辺まで行き渡せる活動にして性同一性障害やLGBTまでも巻き込んでいこう

今は壁があることでも、みんなが知っていくことで理解が深まり変わって行くと確信しています
知らないこと無知が壁を作り、知らせないことが罪と考えています

ぜひ、書いてくださいませ

こちらからお願いします」

たくさんのことを、気づかせてくれた

お二人(お母さんと娘さん)との出会いに

心から感謝します。

追伸:娘さん、中一ですって^^前回小学生と書いてしまいました。訂正です~。

スペイン料理店にてⅠ「150年の石が息づくお店」

 

 

ランチに

スペイン料理のお店に行きました。

 

中村公子のコーチングna日々♪

 

鹿児島市田上にある

「La Masia」  

 

 

スペイン料理のお店なれど…

 

庭を入っていくと

 

中村公子のコーチングna日々♪

 

先ず目に入るのは              
純和風の「古民家」右矢印

 

屋根がすうと描く曲線が美しい

 

ここは、このレストランをなさっているご家族の「ご自宅」なのです。

そして、その広い敷地の一角にこじんまりとしたレストランがあります。      

 

 

 

中村公子のコーチングna日々♪

 

こんなふうに

随所に石の美しい造形が印象的なお店です。

この石

すべて「拾ってきた」ものだというのだからすごい。

 

中村公子のコーチングna日々♪
お店の中です。

 

これらの石はなんと「石橋」の石。

 

石橋って??という方のために一口メモ。

鹿児島県には「古い石橋」が多く

鹿児島市内自体にも有名な

「甲突川五石橋」(ごせっきょう)とよばれるものがありました。

(過去形です。

残念ながら今はないのです。

五石橋の在りし日の姿を見たい方はコチラ
http://blowinthewind.net/megane/bmegane-gallery9.htm

   

石橋は、古いものでは「嘉永」とか「天明」の建設というものから、昭和の初期までさまざま。

このお店の石は「五石橋」のものではなく、鹿児島の北部、川内というところにかかっていた橋のものだそうです。

 

いつごろ架けられたものかはわからないのですが

もしかしたら、150年くらい前の姿を今にとどめているものかもしれません。

中村公子のコーチングna日々♪

そういえば

このお店の石たち

わたしたち鹿児島県民(市民かなあ)にとっては

とても懐かしい「どっかでみた表情」で

そこここに、ちょこんと収まっているんですね

 

中村公子のコーチングna日々♪

そう、いつも見ていた「橋」の名残をしっかりととどめています。

なんとなく…

 

                           

 

 

中村公子のコーチングna日々♪

窓から外を見上げると

となりの古民家の屋根と空が…

 

ますます「今」を忘れそう。

 

さて

なぜこんなに「石」のことを言うかというと

歴史を持ちつつ、私たちの「生活道路」としてしっかりと生きていた石橋たち。

これら「五石橋」が「撤去される」と決まったとき

 

そうならないように、残してくれるように、と、ささやかですが昔、少しだけ

がんばったことがあったからなのです。

 

写真にもありますが

「西田橋」が取り壊されるという年の暮れ

西田橋の大きな「ぎぼし」にさわりに行ったときのことを思い出します。

 

 

 

 

ほんとうに、ほんとうに美しい橋でした。

大好きな橋でした。

 

江戸末期の、先人の技術の結晶を使い続けていること。

夕暮れのビルの群れの中に、溶け込むように石橋があって、その光景が喩えようもなく美しいこと…。

鹿児島の街に住むもわたしにとってまさに「誇り」ともいえる光景でした

 

古いものが

こうして形を変え、再び蘇って生活の中に息づいていること、本当に嬉しくなります。

 

「古材」

「石」

…よきものを

こうして丁寧に「受け継いで」使っていくことにとても心満たされるものを感じつつ

 

 

「その姿」をとどめて置けなかった石橋

それを守れなかった自分達に、少し悲しいものを感じます。

 

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