「クリスマスに思う~沖永良部の百合の物語~」

先日とある懇親会で
沖永良部島の方とお話しする機会がありました。
沖永良部島の基幹産業は「花卉」。
温暖な気候を生かしたえらぶゆり、フリージアなどの栽培が盛んです。
県内の島なので、もちろんそのことは知っていたのですが。
感動したのは
沖永良部のユリ「誕生の話」。

「えらぶゆりの伝説

明治31年、
沖永良部、喜美留字の沖でイギリス船が難破した。
岸にやっとたどり着き、弱っていたイギリス人を伊地知季道という人が家に連れ帰り
丁寧にもてなした。

ようやく元気になったイギリス人は島内を散歩するようになり
山に自生している白ユリを見つけた。
イギリス人は
『この花は英国ではクリスマスになくてはならない花である。
植えつけて増やしておいてほしい。必ず買いに来るから』
といって帰国した。

自分の山に宝があるとも知らず、ユリを雑草だと思い引き抜いて捨てていたが
それを拾い集め、人の見えないところに丁寧に植えた。

その翌々年
助けられたイギリス人が大船を喜美留沖に泊めた。
その人こそ、横浜山手百番地に事務所を置くユリ商人、アイザック・ハンティングであった。
ハンティングは、命を助けてくれた礼をすると同時に
ユリの球根すべてを3000円で買い取った。
卵が1コ、5厘もしなかった時代。
これがえらぶユリの始まりである」

えらぶユリが、「宝」として再発見され
産業として栽培されはじめた出発点の物語。

沖永良部のユリは知っていたけれど。
そして
世界にユリはたくさんあるけれど
この物語をまとった瞬間、沖永良部のユリはわたしにとって特別なものとなりました。

目の前にたくさんのユリがあったら
きっと、「えらぶユリ」を買ってしまうと思うのです。
全く条件の同じものが2つ、目の前にあったら
人は『物語』のある方を必ず選びますから。
人は感情を心地よく動かしてくれる体験をいつも求めているのですから。

わたしにとって「えらぶユリ」は
100年前の数奇な出会いの物語に触れ
明治の人たちの驚きや感動、そして頑張り…「雑草」を世界に通用する花として
売り出し始めた時代の躍動感を感じさせてくれるものとなりました。
なんて素敵な物語を持っている花なんでしょう!

そして問題は
この物語を島の方々の他はほとんど知らない、ということなのです。
島のサイトにも載っていない。
島の方々にとってはあまりにも
「昔から普通に聞いてきた」
話であり、特別なものではないのです。
それはまるで
「ユリを雑草だと思い捨てていた」
明治の方々と同じです。

そして、こういうことは
沖永良部だけでなく、あちこちで起こっていることなのです。
土地でも、企業でも、そして個人の中においても。
「そこにあるもの、ずっと持っているものの価値を、自分ではわからない」。

「このお話、外に知らしめたほうがいいですよ。絶対!」

と、熱く語ってしまいました。
その方は沖永良部の鹿児島事務所の方でしたので
「早速に!」
とおっしゃってくださり
しかも、参考文献までお送りくださった、というわけなのです。
その文献を見ながら、今この文章を書いています。

昨日はクリスマスでした。
我が「沖永良部ユリ」は、いったいいくつのクリスマスを彩ったことでしょう。
華やかに、高貴に、そして気高く。
そして、その「はじまり」は
昔々、沖永良部とイギリスの出会いから始まっているのです。
ヒトにも、モノにも、そして土地にも歴史があります。
歴史とは、教科書で学ぶ項目や年号ではありません。
確実に、今のわたしたちにしっかりと繋がっているものです。
そして、
それらはいつまでも、
今を生きる私たちに「勇気と力と叡智とひらめき」を与え続けるものなのです。
そして、人はそういう『物語』をいつも求めています。

沖永良部のユリの「物語」でした。

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