顔の半分が隠された人間が溢れる世界で成長する子どもたち–10年後の彼らの人生と世の中は。

 

 

 

 

 

 

今の新生児〜子どもたちが大人になった時、

人との関係性、人との距離感に関して、

今のこの状況は、どんなメッセージを彼らの無意識層に刷り込むだろう、

 

 

と、思うこの数ヶ月です。

 

 

 

 

他者とは基本的に危険なもの。

何を持っているかわからないもの。

(危険なもの《病氣》をということ)

距離を置かなかればならないもの。

容易に触れ合ってはならないもの。

 

 

 

これらが、

しっかりと「身体に」(=無意識層に)刷り込まれてしまうのでは、

と少々心配なのです。

 

 

 

 

 

この「身体に」刷り込まれたものは、

厄介です。

 

 

大人になってから、思考で変えよう、打ち消そうとしても、

そう簡単には消えない。

 

 

 

 

 

 

10月末まで金木犀がいい香りでしたが。

香りで、

いっきに秋の朝の冷たい空氣や、子どもの頃の朝の登校風景を思い出して、

つい深々と息を吸ってしまう…

 

 

 

 

こういうのが、

思いっきり「身体に刻まれたプログラム」が発動した瞬間、なわけですが、

そういうレベルで。

 

 

 

 

 

今。

毎日「普通に」目にし、

人と間を取れ!と連呼されるこの状況も、

 

意識ではコントールできない、深い深い層に染み入り、

子ども達の「感情と身体」の反応を形作るのではないか、

と思うのです。

 

 

それは、今のわたしたちには想像もできない。

未だ、誰も体験したことのない反応。

 

 

 

 

 

 

 

 

それだけではなく。

 

 

「顔の半分が隠された人間が氾濫する世界で成長する子ども」。

 

 

客観的に、この単語の羅列を見ただけでも、

ヤバいと思いませんか?

 

 

 

子どもは、「顔認識の能力」を、

多くの顔を見ることで獲得していく、と読んだことがあり。

 

 

 

 

他にも、想像するに、

微細な表情筋の変化から人の感情をキャッチする能力なども

あるのではないかと。

 

 

 

 

 

 

 

そういった、

「子どもの頃に発達させなければ、後天的に獲得することは難しい」

能力を育む場面が、

今のこの状況下の子どもたちは極端に減っている、ということです。

 

 

 

 

 

 

 

今、平田オリザの

「わかりあえないことからーコミュニケーション能力とは何か」

(講談社現代新書)

 

を読んでいるんですが、

 

 

 

 

「コミュニケーション能力はつまり『慣れ』。

社会に出るまでに、

 

「家族」「家族と先生だけ」

「家族と先生と同年齢の『言葉が通じる』仲間だけ」

 

とのコミュニケーションから抜け出て、

どれだけ『異年齢』『異文化』の中でのコミュニケーションの場数を踏んでいるか、

つまり、それだけ」

 

(要約&意訳です。

なお「異文化」というのは特別なことでなく、

じいちゃんばあちゃんたちや、

例えばバイト先のおじちゃんおばちゃんたち、そういうものでよいのです)

 

 

 

 

 

 

コミュニケーションは「数」。「場数」。

 

 

子どもは「たくさんの人を見て、聞いて、感じて、触れる」

ことからその「コミュニケーション能力」の土台を形作る。

 

(コミュニケーション能力とはつまり、

「社会とよりよく関わり、自分をしっかりと表現するための

「センサー」の力、ということですね)

 

 

 

 

 

ただでさえ「揺らいで」きていた「多様なコミュニケーション」のための環境。

 

その、最も根本たる、

「土台」(自分に向けられるたくさんの顔を、表情を、笑顔を見る)

の部分までもが、

大きく揺らいでいるのが、

 

 

 

「今」

 

 

 

ということではないか、と思えるのです。

 

 

 

 

 

 

*    *    *

 

 

 

 

 

●●●11月17日(火)20時〜22時●●●

「瞬発力を持って発想し、自信を持ってみんなで創造する

コミュニケーションの力を磨くーインプロワークショップ」

 

 

 

 

このセミナーも、上に書いた「センサー」を磨く時間と

いえるかと。

 

 

「即興力」というと、

 

「自分はお芝居をやるわけじゃないから」

「自分には必要ない」

「うちのチームにはそういうものを発揮する場面はないから」

などの言葉を聞くことがあるんですが、

本当にそうかなあ、と思うわけです。

 

 

「即興力」とは、そもそも

◆どんな状況下でも

◆フリーズすることなく、

◆自分やチームにとっての最善を見つけ、選び、行動し、

◆自分にとっての最高を「表現し続ける」

力。

 

 

これら、何か「特別な」ことを書いているようですが、

そうではなく、

「毎日のコミュニケーション」

は、「これ」の繰り返し、です。

 

 

 

今回のセミナーでは、

即興力の中でも特に大切な土台の力。

「相手の言葉を受け取り、発展させる」

コミュニケーションの力を磨きます。

 

 

といっても、

基本ゲームですので、難しいことはなく。

 

楽しい時間です。

みんなで物語を作ったり、

自分の頭の中に浮かんだことを話したり…

 

もちろん「正しい答え」なんて、

どこにも存在しない、

その時集まった全員で「創る」セミナー。

 

 

 

柔らかく、柔軟性を持って、

幸せに今日も明日も人と、自分と、世界と関わりたい人は、

どなたでもどうぞ!

 

 

*   *   *

 

《こんな方に》

・脳の違うところを使いたい

・最近行動がパターン化している

・最近「何か怒ってんの?」と家族からよく言われる

。最近、つい否定の言葉から(「でも」「だって」…)会話に入ってしまう

・最近なんだかものの見方が凝り固まってきたような氣がする

・発言するときに、周りが氣になる

・いろんなことが「パッと」浮かばない

・自分の決断に自信がない

・うだうだと考えてしまう

・無条件に楽しみたい

 

 

 

 

 

 

自分の「好き」を大切に。

 

 

 

 

 

先々月から「推しを語る会」というものをやっており、

 

 

 

 

その第二回が終わりました。

知人たちが目をキラっキラさせて、

自分の「好きなもの」を語る様子を画面越しに見ながら、

 

「楽しいなあ」

 

と、言葉にすれば、その一言で。

 

 

 

 

 

 

 

「好きを語る」

ということに、わたし自身、未だ少々言葉にできない部分もありつつ、

大きな可能性を感じています。

 

 

 

 

 

 

専門学校でコミュニケーションの授業をしていた時、

ビブリオバトル(書評合戦)をやったことがありました。

 

みんな何それ?の状態でしたんで、

 

「ビブリオバトルとは…」

 

から勉強。

(放送できない言葉の入った本は今回は禁止です~、等々も言いつつ)

 

 

 

 

 

わたしも見本を見せなければなりませんので、

デモプレゼンを行いました。

語った『推し本』は、2冊。

 

萩尾望都の「11人いる!」。(マンガかよ!ですが)

木内昇の「新選組 幕末の青嵐」。(結局そこかよ!ですが)

 

 

「練習なんかしてないわよ」なふりをして、

実はものすごく練習していったので、

語り切った瞬間、拍手が波のように沸き起こるプレゼンになり、

ご満悦。

 

 

 

 

 

 

 

さて。

50人×3クラス。ほぼ男子のみ。

どうなることかと思ったんですが。

 

 

みんな、それぞれの「推し本」を選び、

ある人は生き生きと。

ある人はたどたどしく原稿を書き始め…

 

そして、本番の日。

 

 

 

 

 

 

 

わたしは、嬉しかった。

ただただ嬉しかった。

(今思い出しても、なんだかちょっと泣けてくる)

 

 

 

 

語る時間はわずか5分。

1冊でいいのに、「推しマンガ」を全巻、大きな袋に入れて持参した彼。

 

 

きれいな茶色の髪で、

いつもおしゃれなキャップをハスにかぶって参上する

黙して語らぬ彼が持ってきたのはファッション雑誌。

 

 

「センセー、これでもいいの?」

 

 

と節目がちの目で、

斜めに座ったまま聞かれた時は、

本当に嬉しかった。

 

(何も選ばないんじゃあ…

なんてちょっと思っていたので)

 

 

 

 

 

全員が、とにかく、自分の「好き」を選び、

形にし、

声に出し、

 

 

 

「人に伝える」

 

 

ことを経験したあの時間は、

わたしにとって本当に感動の時間となりました。

 

 

 

 

一人一人の「好き」。

 

 

 

その外見や、言動だけではうかがい知れない、

一人一人の心の中の「輝ける王国」。

 

 

それを、

ある人は熱く、

ある人はたどたどしく、

語る、

 

その、表情。

 

 

 

受け入れられるかという「不安」

自分を開示する「怖さ」

けれど、

それをかすかだけれど上回る

 

「伝えたい!」

 

という、思い。

 

 

 

それらすべてをひっくるめて、

美しいものでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

自分は何が好きか?

それのどこに惹かれるか?

 

 

 

 

それは、つまり

「自分とは何者か?」

「自分自身を幸せにする方法は何か?」

「自分が、何を軸に世界を関わるのが最も自分にとって、他者にとって幸福か?」

 

 

 

を、考え、はっきりと意識に浮上させ、

さらには「言語化」するということ。

 

 

これほど、大切なことがあるだろうか、

 

 

と思うのです。

(それがわからない、言葉に出ない

=「生きている実感」を肌感覚で捉えられない、

霧の中にいるような若者たちも見てきただけに、

本当に大切なことだと思うのです)

 

 

 

 

 

 

 

 

教員時代。

今の仕事。

それからウエディングプロデューサーをやっていた頃も。

 

 

 

その本質は、常に、

「あなたは何者か?」

を問い、それを引き出し、形にする(ことの手伝いを)

やっているように感じます。

 

 

 

 

「あなたを存分に発揮してください」

「あなたを存分に表現してください」

「あなたが幸せを感じるほどに、あなたの周囲も、世界も幸せなのだから」

 

 

 

 

 

その時、大きく言えば「世界が披く(ひらく)」。

バキンと音を立てて何かが外れ、

目の前にみずみずしい世界が広がる。

 

 

(人のその瞬間を見ているのがたまらなく好きです)

 

 

 

 

 

 

 

「好き」の中に全てがある。

自分とは何か。

自分の構成要素。

 

 

 

 

 

 

自分を生きる、ということ。

 

 

 

いきなり大きくなりますが、

これにかなう「世界平和」への道筋はない、

なんて思うのです。

 

 

*   *   *

 

 

 

 

 

 

11月のオンラインセミナーお知らせです。

 

 

●●●11月17日(火)20時〜22時●●●

「瞬発力を持って発想し、自信を持ってみんなで創造する

コミュニケーションの力を磨くーインプロワークショップ」

 

 

 

 

「インプロ」(即興演劇)

の役者さんたちが練習のために使う

コミュニケーション力を高めるゲームを使った

ミニセミナーです。

 

 

 

 

「即興力」というと、

 

「自分はお芝居をやるわけじゃないから」

「自分には必要ない」

「うちのチームにはそういうものを発揮する場面はないから」

 

などの言葉を聞くことがあるんですが、

本当にそうかなあ、と思うわけです。

 

 

 

「即興力」とは、そもそも

 

・どんな状況下でも

・フリーズすることなく、

・自分やチームにとっての最善を見つけ、選び、行動し、

・自分にとっての最高を「表現し続ける」

 

力。

 

 

 

これら、何か「特別な」ことを書いているようですが、

そうではなく、

 

「毎日のコミュニケーション」

 

は、「これ」の繰り返し、です。

 

 

 

今回のセミナーでは、

即興力の中でも特に大切な土台の力。

「相手の言葉を受け取り、発展させる」

コミュニケーションの力を磨きます。

 

 

詳しくは上のリンクから。

 

 

 

 

 

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