お盆で地元に帰った2日間。
日中はほぼ深い霧。夜は雷雨でした。
(あれはあきらかにどこかに落ちてたな~。かみなり)
その「深い霧」が全く違和感なく、
ものすごくなじんでいる(しかもどこかリラックスすらしている)自分に、
あらためて「霧島」で育ったんだなあと実感でした。
(私の地元は鹿児島県霧島市の中でも標高の高い、霧島連山の麓の町です)
夏、深い霧が出た日。
真っ白な音のしない静けさの中を
歩いて学校に行った子どもの頃の思い出は
今思い出しても不思議な感覚で。
(当時読んだ本の影響で、
霧を抜けたらタイムスリップしてたらいいな、と結構本氣で思っていました)
細やかな粒子の霧。
下界より3度は低い氣温。
繊細な緑の色。
空氣もどこか粒子が細かいような。
そんな場所で生まれ育ったことを細胞はしっかり覚えているようで。
何をしたわけでもないんですが、元氣になって帰ってきました。
ちなみに帰路。
車でどんどん走って下界に近づくにつれ、
身体の感覚が変わってくるといいますか。
少し肩に力が入ってくる感じ?
そして、
錦江湾沿い、熱風とともに、櫻島を目の前にど~ん!
と見た瞬間
頭の中にぼんやり流れていた音楽がいつの間にかスパン、と変わっていました。
(たとえて言えばショパンのノクターンだったのが、
「アフリカンシンフォニー」(吹奏楽団)になった感じ。
あの、どんどこ地に響く太鼓で始まるやつ)
そして、街中へ戻ってきて約2時間。
朝の細やかな「ノクターン」な感じは
もう戻ってきません。
アフリカンシンフォニーも好きなのでまあ、いいんですが。
見るもの
聞くもの
肌に触れる空氣
温度
…
そんなものが「心身の状態」に及ぼす影響は
本当に大きいものです。
それにしても
こうやってみると、
「国柄」なんてものも違うのが本当に納得&実感できます。
頭(理性)では、はかれないところの
越えられない「違い」がある。
その違いこそが面白くもあり、価値なわけですが。
こうなると、
みなさんのお住まいの場所の
「リズム」は何?(何に喩えたい?)
と聞いてみたくなりますね。
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●平成29年9月9日(土)
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