今
外でお茶を飲んでいるんですが
ちょうど店の目の花壇の植え替えをやっています。
赤土色の煉瓦も運び込まれ
これまで植わっていた植物はすべて根っこからなくなって
なかなか大掛かりなイメージチェンジのようです。
そして
この作業をやっているのが、これまたなかなかおしゃれなジャケットにジーンズ
先のとがった革靴を履いた男性の方々。
「いやあ…庭を作る人って、本当におしゃれなんだ」
と思いながら見ています。
なぜかというと
「世界一の庭師 石原和幸トークショー」
に昨日たまたま行ったのですが
石原さんも、とってもおしゃれな方だったのです。
(まあ、トークショーの舞台ですからね)
イギリスの「チェルシーフラワーショー」という権威ある庭つくりのコンクールで
優勝した日本人がいる、というニュースは
外国でよく見る
花いっぱい、幾何学的な対象の造詣の庭に混じって
深い緑の苔に一面覆われた、異世界のような
(それでいて私たちに日本人にはどこか懐かしい)
幽玄の世界はテレビを通しても強烈なインパクトがあり
その庭が他国の人たちに
絶賛される様子が映し出されていました。
その、石原さんが昨日、鹿児島にいらしていたんです。
石原さんがどんなプロセスで「チェルシーフラワーショー」で
(「ガーデン難民」なんて呼ばれながら)
3回も優勝するにいたったか、というお話や
そもそもどんな風に花屋をはじめたか、というお話もとても楽しい部分だったんですが
映像で紹介される石原さんのつくった「庭」そのものに
とても惹きこまれるものを感じました。
(写真は、会場にかざってあった石原さんの作品)
「源」
「青嵐」
「雲庭」
「緑の扉」
「風花」・・・
庭のタイトルも何だか、
わたしにとっては、ひとつひとつ
目を閉じて味わいたくなる響きを持っています。
「かっこよい庭をつくろう、とは思わなかった。小さい頃、森の中につくった『秘密基地』をつくろう!と思った」
「自分の生まれ育った町三原町は天空の城ラピュタよりすてき。
夏の蛍。葬儀のときに花を添えて送った思い出、牧草地に咲く花・・・
頭の中のこれらをつくり続けたい。」
チェルシーに出るにあたって、コンセプトを考える際
「熊本の白川の景色を見たとき『勝った!』と思った」
(とても早口で、長崎弁のイントネーションも豊かにリズムよく
お話なさったので聞き間違いがあるかもしれませんけど)
石原さんデモンストレーション中→
お話を聞いていると
石原さんを動かしているものは「原風景」「原体験」なんだなあと思います。
石原さんのからだの中に入り込み、石原さんを作っているもの。
そして今も脈打ち続けているもの。
それは同時に、わたしたち日本人のからだの奥に、記憶の奥底に共通して
脈々と流れている「もの」といえるかもしれません。
それらの感性が、石原さんという稀に見るパワフルな「媒体」(表現者)を通して世界の人をうならせ
郷愁を誘い、感動をおこしている。
なんだか、とても誇らしい気持ちになったことでした。
余談ですが
今回石原さんは指宿にも行かれたそうで
近く、天神や・・・あと、どこだったか忘れましたが
指宿の観葉植物がメインとなって会場を飾る大きなプロジェクトをいくつかなさるのだそう。
「指宿の植物で会場を埋め尽くします!」とおしゃっていました。
ちょうど先日、指宿の観葉部会の方々の研修をさせていただいたばかりでしたので
わがことのように嬉しくて
この発表のときはちょっと騒いでしまいました。