私たちは多分、今、新しい世界の入り口に立っている

 

 

 

 

 

今年も恒例の春分から始まる体験セッションを始めました
https://co-co0.wixsite.com/haru

さまざまなクライアントさんの話を聞いてきて、
「結局最後は自分なのだ」という思いをいつも実感する日々です。

自分の軸を確認する。いつもそこから動く。
最終的に、私たちにできることはそれしかないのだなあと

特に、今、このような時期。
(周囲を見ても、世間を見ても「通常」ではない毎日)

世界が渦を巻いて動き、
ともすれば不安に巻き込まれそうなこんな時こそ、
最後は「自分」なんだなあと。

自分の中の直感。
真の価値。
真の「行きたいところ」。
(自分は結局何が大切でどう生きたいのか?)

混沌とした自身の感情や思考の渦をかき分け、整理し、
その奥にしっかりとある「静けさ」にアクセスし、
その奥にあるものを活用できることが大切なのだ、と。

私たちは今、「新しい世界の入り口」に立っています。

 

 

何が大切なのかを問われ直され。
ある人は慣れ親しんだものを手放すことを求められ。
またある人は新しい在り方への移行を後押しされ。

真の幸福とは何かを改めて考え直させられる、今。

そんな時こそ。
たくさんの情報を踏まえ、最後は自分の中の
「揺るがぬ自分」へとアクセスする。
自分の叡智を引き出す。

実は、真実、自分の中からしかやってこない
「幸せ」への「真の答え」を引き出す。

そんな、自分との対話の時間は、
いくらとっても取りすぎることない時間でありながら、
実は日常生活の中で、
たいそうおろそかにされている時間である氣もするのです

今、この時こそ。
誰にとってもますます必要な時間である。

そんな想いとともに、
必要な人にこの時間を活用していただきたく思います。

*  *  *  *  *

《体験セッション概要》

● 形式
電話・スカイプ・フェイスブックメッセンジャー等による音声通話セッション​

● 期間
2020年春分の日(3月20日)より4月末日

【詳細・申し込みはこちらより】
https://co-co0.wixsite.com/haru

*〜〜〜〜〜*

《セッションで何をするか》

・思考を整理する

・自分の思考の癖を知る

・感情を整理する/掃除する

・雑多な思考や感情の奥にある自分の本質(真に目指すところ)にアクセスする

・固定されたものの見方や思考パターンの外に出て、出来事を観る

・事実と解釈を分ける

・視点を転換させる

​​・「行きたいところ」をはっきりさせる

・行きたいところへ行くための「心の枷」を外す

​・行きたいところへ行くためのアクセルを踏む

・自分の強みを知る

​・自分の本質を明らかに浮かび上がらせる

・客観的なフィードバックをもらう

 等

 

 

【具体駅なテーマ例はこちらより】
https://co-co0.wixsite.com/haru
 

 

アマビエ。錦江湾で暴れる

 

 

 

 

 

私は鹿児島に住んでいるのですが、

昨日夜更け、ついに感染者が出てしまいました。

感染経路のわからない「市中感染」ではなかったのが

せめてもの…でしょうか。

(海外居住の方のたまさかの帰国、だったようです)

 

 

 

 

鹿児島。

「ど田舎県選手権」陥落(無念)。

 

 

 

 

 

・毎日焼酎で消毒しているから

・火山灰で肺が鍛えられているから

・鳥刺し(生)を常食するので胃が鍛えられている

・鹿児島弁が難しすぎて県境をウイルスが通り抜けられない

 

 

 

 

 

等々。

 

鹿児島で感染者が出ない理由、というものが

まことしやかに流れ。

そんなことを言い合いながら、

 

 

 

「感染者ゼロ」

 

 

 

ということが、私たちにとって(県民にとって)

頑張りの、心の支えになっていたんだなあ〜

 

とそんなことを改めて思ったりしたことでした。

 

 

 

 

 

そんな今朝、描いてみました。

 

 

 

「錦江湾で桜島をバックに暴れまくり、病を吹き飛ばすアマビエ」

 

 

 

 

 

 

 

さて、

また変わらず二宮金次郎さんです。

「この秋は 雨か風かは 知らねども 今日のつとめに 田草取るなり」

 

 

 

 

 

病の方々が、1日も早く快癒されますように。

日本が、世界が穏やかに落ち着きますように。

 

 

 

 

言葉の力(語彙力)はどうやったら鍛えられるか?

 

 

 

 

 

とクライアントさんから質問されました。

そういいながらもその方、「語彙力なのかなあ…」と言葉を選びつつなんですが。

 

 

 

 

で、

 

 

 

 

 

①人に見せる文章を書く。

 

②その際、例えば「悲しい」と書きたいときに、「悲しい」という言葉を使わない。

「嬉しい」「楽しい」と書きたいときに、その言葉を使わない。

それ以外の言葉で表現する。

 

 

 

そのまま伝えてみました。

いつも私がやっていることなんですが。

 

 

 

 

 

 

 

一言で言い換えなくてもいいのです。

例えば、

 

「楽しかった」「悲しかった」

 

と書くかわりに、それを(その時の自分の状態/観察した相手の状態を)

丁寧に「描写」してみる。

 

 

●楽しかった

→「身体の奥からずんずん踊り出しそうな感じになった」

 

●悲しかった

→「なんとなくお腹の底から空氣がぬけて、椅子から立ち上がれないような心地がした」

 

 

といった。

 

 

 

 

 

安易に言葉を当てはめる代わりに、

「それ」

をしっかり観察する。観察して分解して言葉にしてみる。

初めは面倒臭いかもしれませんが、

 

 

「自分の中で起こっていること」

 

 

がわかることなしに、

「本当に使える生きた言葉」の獲得は難しい氣もするのです。

 

 

 

 

生きた言葉=

相手にしっかりと伝わって「本当のコミュニケーション」

(信頼・リラックス・安心・感動・プラスの変容と言ったものをもたらす関係性)

 

を構築できる言葉、ということですが。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

セミナーで出会った「周りと関係が作りづらい」若者の特徴として多かったのは、

 

 

「自分の中で起こっていること(感情・感覚)に対して鈍い」。

 

 

 

自分の中で、何が起こっているかわからない。

自分の感情がわからない。

自分の中でうごめくそれを捕まえることすらできない。

ましてや、名前をつけることなど。

 

 

 

で、こういう子たちは「周りも見えていない」のです。

周囲の表情、声のトーン、醸し出す言外のニュアンス…そういったものが

わからない。

 

 

 

 

 

 

そういう子と話をする時は、

なんだか、分厚いセメントで塗り固められた地面の上を

歩いているような感じでした。

 

 

本当は、その子の中に、みずみずしい水場も草地も、

黒々とした土のふかふかな地面もあるだろうに、

全部塗り固められているのです。灰色に。ザラーっと。

 

 

 

 

 

言葉がなかなか出てこない子はもとより、

いわゆる「ペラペラと」喋りまくる子にも、同じタイプがいましたっけ。

 

 

 

 

 

 

 

 

「言葉の力」はどうすれば鍛えられるか、でしたね。

 

 

 

質問をくれたクライアントさんは、

今、「人生かけて」自分の想いや、愛情を周囲に伝えよう、としている人で、

セッションでは、その奮闘ぶりを日々聞かせてもらっています。

 

もう、「振り切った」その姿は爽やかですらある。

 

(もう、1分1秒たりともこれ以上、「自分でない言葉」は発したくないんだなあ、

それはしない、と決めているんだなあ、としみじみ思います)

 

 

 

 

 

 

思うのは、

「本当に」伝えようと思ったら。

 

 

①自分が心底、本心で、魂から思うことしか伝わらないし

 

②それの「精査」が必要だし、

(意図の精査、です。その感情の奥にある本当の願いや想いは?といった部分)

 

③そこまでして、初めて「言葉」の問題(どの言葉で伝えるの?)が出てくる。

 

 

 

 

 

 

ですから、簡単でもないし、苦しい作業かもしれない。

けれど、やっただけの大きな喜びを自分にも、周りの大切な人たちにも

もたらすものだと思います。

 

 

 

 

 

だから、画家や、作家が、ひと色に、ひと言に集中するように、

「呻吟」してみる。

 

 

 

 

毎日毎瞬呻吟するのは大変でしょうから

そういう場面を定期的に設定してみる。

(呻吟の時間を自分に与える)

 

 

 

 

 

 

このクライアントさんは、

セッションの時間を、「それ」に当ててらっしゃるようです。

 

 

 

 

「あの時なんと…」

「こういう場面でどんな表現のしようがあるだろう?」

 

 

 

 

 

それを通して、

いつも、自分という海にダイブする。

 

ある時は魚群やワカメの束をくぐり抜け、

そして、

深い深い海のそこの「本当の真珠」をがっつり掴んで、

浮上してくる。

 

 

(取ったど〜!みたいな)

 

 

 

 

 

凛々しく、勇氣あるダイバーさんだなあ、と思います。

 

 

 

 

 

 

 

とにかく「循環」が大事。身体も世の中も。

 

 

 

 

年に一度も会うことがないんですが(遠方なので)

その暮らしぶりに、憧れている人がいます。

 

 

 

「きのう今日と2日で数年ぶりに蓮の植え替え。

今日植え替えた2鉢目は細い根だけど芽が出かかっているので

そぉーっと。

アーシングもしつつね」

 

 

と、この写真とともにアップされていたので。

 

 

(可愛い足袋。地下足袋ではないです。着物用の普通の布のものだそう)

 

 

 

 

早速「アーシング」に食いつき、下記のコメントを書きこみました。

 

 

 

「昔の人たちは『わらじ』か『草履』か『下駄』。

生活=そのままアーシング、だったんだよなあと思います。

 

今、手持ちの下駄は、桐で軽いんだけど、裏に滑り止めのゴムが貼ってあるんですよね…。

ゴムじゃない、昔ながらのものが欲しいなあ、と思っているところです。

 

 

 

それからちょっと本筋からずれるんですが、

鹿児島でずっとお座敷芸を今に伝えている方が、

 

 

『自分の社中では、ゴムの裏のついた下駄は絶対に買わない』と。

 

 

理由は『すり減らないから』。

 

すり減らない→下駄がいつまでも持つ→下駄屋さんが回転しない、

からなんだそう。

 

たくさん書かせていただきありがとうございます!」

 

 

 

 

早速に返事が来ました。

 

 

 

 

「公子さん、たくさん書いていただき、ありがとうございます!

 

そうなんです!

生活自体がアーシングだったんです。(自然というか)

ゴム底の靴を履くようになって、

地球と絶縁して、名前の長い病気とかが増えたそうです。

 

 

手作りの布のわらじとかいいですね。

 

そして下駄。そのこと改めて書こうと思っていたとこですよ。

私も下駄が大好きで、それも底にゴムが付いてないやつ。

 

 

そう、減るんです。

斜めにへったりするんでね、左右交互に履いたりしてました。

家の近くだと歯が5㎜くらいになっても履いてました。

もはや下駄に見えない!とにかく気持ちがいいんです。

 

 

ヤフオクとかで台を買って、下駄屋さんで鼻緒をつけてもらってました。

あまりいい客ではなかったな。

 

公子さんのお知り合いの方は下駄屋さんのことをちゃんと考えて、すごいなと思います。

 

自分の健康は自分で守らないと、ね。

 

たくさん読んでいただき、ありがとうございます!笑」

 

 

 

 

 

 

まとめ。

 

 

①大地と「循環」すると、身体が元氣になる。病氣も減る。

(この方いはく『骨密度も上がる』らしいです)

 

 昔は自然素材の履物だったので、歩いているだけで「地球と繋がり」「循環」していた。

 地球と「絶縁」して150年の日本人。

 

 

 

②健全な「循環」によって「文化」「技術」も続く。

 商売も成り立つ。

 

(伊勢神宮の二十年毎の建て替えも一緒ですね。

優れた伝統技術の伝承に大いに一役買っている。

 

いつのことだったか定かではないですが、式年遷宮をせず

 

「コンクリートにすれば長持ちする」

 

と言った政治家がいるそうで。

全くもってそういうことではなく、「次元が違う」話なんですが)

 

 

 

 

 

 

今日は、「循環が大事」の話でした。

 

 

 

 

 

 

《追伸》

アーシングについて、上の知人がこんな動画を送ってくれました。

面白いです。

ご興味ある方はぜひご覧ください。

 

「95%の人間は大地と繋がっていない。

このことは炎症などの疾病の最大の原因です」

ダウン・トゥ・アース

 

 

 

危機を通して振り返る「土台の力」

 

 

 

 

 

この一ヶ月、世間のざわつきを身に浴びながら、

 

「この秋は雨か風かは知らねども今日のつとめに田草取るなり」(二宮尊徳)

 

ー先のことはわからないが、今日も私は田へ出て、いつものように草を取るのだー

 

 

が身に沁みていました。

(尊徳さんすごい…)

 

 

本題です。

 

 

 

 

*     *   *

 

 

学校が臨時休校になり、

こどもたちをどうする、と混乱するニュースを見ながらなんとなく思い出していたんですが。

 

 

 

以前、クライアントさんから「92歳、現役保育士さん」

の話を聞いたんです。

 

 

 

 

 

 

92歳もすごいんですが、その他もすごい。

その保育園は、敷地3000坪。

まことに自然豊か。

 

そして園には「カリキュラムがない」。

みんなで一斉にに何かをすることも基本ないし、自由。

 

子どもは自分で考えて、自分のやりたいことを、やる。

思う存分、やる。

 

 

 

 

 

 

で。

クライアントさんの言葉で印象深かったのが、次のようなこと。

 

 

 

「そうやって、この園で成長した子ども達は、

小学校に入学すると、戸惑うそうなんです」

 

 

 

そりゃあ、そうだろうなあ。

一斉に、同じところに座って、みんなで同じことをやる。

時間でブツブツと区切られていて…

 

 

 

さぞかし窮屈でしょう。

そもそも身体がなじまない、というんでしょうか。

出来ない事、うまくいかないこともあるだろう。

 

 

 

 

 

 

「けれど…」

 

 

 

話は続きます。

 

 

「その子たちは、10歳くらいを境に、いっきに『開花する』んです」

 

 

めざましく創造性を豊かに発揮し出すようになる、と。

 

 

 

 

 

この話を聞いて、

「土台づくり」「土づくり」という言葉がしみじみと浮かんだんでした。

 

 

 

 

どこを見据えて。

何を見据えて。

大人は子どもに、どんな肥料を与え、栄養を与えるのか?

そして何を与えず、見守るのか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

私たち大人がこい願うのは、

子どもが、人生通して、

自分の本質を生き生きと最大に発揮して生きられること。

 

 

 

何があっても、

創意工夫でそれらを乗り越え、

「幸福のタネ」を自分自身の力で大きく育てて

生きることができるようにすること。

 

 

 

 

 

他者の力や、外的要因に左右されるのではなく、

いつも、「幸せ」の状態を自分で選べること。

(うん、これが私にとっては一番です)

 

 

 

 

 

 

先の話を聞いたとき、

ひとが本来持つ力に全幅の信頼を寄せ、静かに水を与え続けていく時間が生み出すもの。

 

逆に、

教育(という名で、私たち大人の身に染み付いた「普通」「慣習」「価値観」もろもろ)

によって、良かれとやってきた行為の危うさについても、

改めていろいろと感じたんでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

今回の「コロナ騒動」。

 

 

外に出られない。

あれがなくなった。

これがなくなった。

 

 

 

 

 

 

そのかわり、得られたものもたくさん。

(私ごとですが、本当に語り合いたい人たちと一緒に過ごす時間が増えました。

それから風邪をひいてしまったこともあり、

他にも食事の質、生活のリズムなどなど…随分と軽やかになりました。

何より、以前よりご飯がえらく美味しいのはどうしたことだ?)

 

 

 

 

 

 

 

周囲を見るにつけても、

今のこの時間が、多くの人、企業、そして日本社会にとって、

 

 

「立ち止まり、振り返り」

 

 

何が本当に大切なのかに氣づき、再発見し、見直し、

脆弱なシステムは手放し、

「より大切な本質」へと、

回帰する、またとない機会となっていることを感じています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(写真は、2月半ば、風邪で体調が優れなかった時に知人が出してくれた膳。

お茶は月桃の葉のお茶で、ご飯は発芽玄米の2日と3日もの。

「根昆布は大好きなので、いつも多めに買って、秘伝の配合で炊いて保存しておく」らしく。

そしてうっすらと柔らかく甘い黒豆…。細胞に沁みました)

 

 

 

 

神様がいっぱいー大相撲無観客試合の力士に思うこと

 

 

 

 

 

風邪をひいてしまい、ただでさえ頻度のゆるい更新が空いてしまいました。

やっと復活です。

 

 

 

 

*   *   *

 

 

 

 

いいご挨拶でした。

初めての「無観客場所」。

大相撲春場所の「ご挨拶」。

 

 

 

『古来から、力士の四股は

邪悪なものを土の下に押し込む力があると言われてきました。

また、横綱の土俵入りは

五穀豊穣と世の中の平和を祈願するために行われてきました。

 

 

 

力士の身体は健康な身体の象徴とも言われています。

 

 

 

 

 

床山が髪を結い、呼び出しが柝(き)をうち、行事が土俵をさばき、

そして力士が四股を踏む。

 

この一連の所作が、大地を鎮め、

邪悪なものを抑え込むものだと信じられてきました。

 

 

 

 

こういった大相撲の持つ力が、

日本はもちろん世界中の方々に勇氣や感動を与え、

世の中に平安を呼び戻すことができるよう、

一丸となり15日間全力で努力する所存でございます』

 

 

 

 

 

 

相撲の神様は『野見宿禰(のみのすくね)』だそうです。

 

神宿る肉体がたくさん。

 

 

 

 

こ、神々しい。

 

 

 

 

 

力士の皆さん。

がんがん四股、踏んじゃってください!

 

 

 

 

 

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