大人の役割は。

 
 
 
 
知人(女性)のお話なんですが。
バスに乗ったところ、高校生たちで満席だったんだそう。
で、『残念…』と思っていたところ、肩をたたかれ。
 
振り向くと、男子高校生が、
 
「どうぞ」
 
と。
 
そして彼女は優先座席を譲られたんだそうで。
その人いはく「生まれて初めての経験」とのことで!
(そりゃそうでしょ、わたしよりお若いじゃあないですかと思うわたし)
 
 
 
 
 
 
 
 
「いや、まだそんなトシじゃないんだけどなあ…でも彼の好意を無にしてはいけない、
と素直に『ありがとう』と座りました。
 うーん、フクザツ、と思いつつも、素直そうな男の子の横顔を見ながら、
なんて良い子なんだ…と」
 
 
 
 
 
 
 
うわ〜、本当に複雑、と思いつつ、
 
「心中お察しいたします(笑)」
 
と返事を書いたのでした。
 
 
 
なんていい子なんだろう。なんてキラキラした目!
なんて素直な、真っ直ぐなみずみずしい好意の発露!
という嬉しさと、
 
けど、わたしに譲るのかい⁉︎優先席を⁉︎というこの微かなる
残念な感じ?複雑なきもちと(笑)。
 
 
 
 
なんだか、
その(勝手に想像した)高校生の姿に微笑ましい気持ちになりつつ、
続きを書きました。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
「けど、年齢が上のものの役割をしっかりと果たされ!
 
 
自分の善意が、行動が他者に受け入れられ、
他者を幸せにできるんだ、というこの確かな実感と幸福感を
その身にしっかりと味わわせ、
身体に刻み込ませるのも、大人の役割だものなあ、としみじみ思うのです」
 
 
 
 
 
 
 
どうしてこんなことを書いたかというと、
昔、誰が書いのだったか、言ったのだったか忘れましたが、
 
 
 
「年寄りの役割は、
席を譲られたら、にっこり笑って『ありがとう』ということ。
喜ぶこと。
人の好意を全身で受け取ること。
 
それだけで、嬉しい人、救われる人、元氣が出る人、
自分に価値を感じられる人…
がたくさんいるんだから。
年寄りの役割は、その存在そのもの」
 
 
 
 
と言ったような意味のことを読んだことを思い出したからなのです。
(だいたいこんな感じの意味、ということで、
だいぶわたしが言葉&自分の想いを付け足しています)
 
 
 
 
 
 
 
 
わたしの知人はお年寄りではないですが、
(ないにもかかわらず)
役割を立派に果たしたぞと。
 
それって、本当に 「大人の役目だもんなあ」と思ったのでした。
 
 
 
 
 
 
子どもたちは、
そういう行為を一つづつ積み重ね、体験を積み重ね、
「自分」というものを積み重ね、確固たるものにしていく氣がします。
 
 
 
自分は人の役に立てる。
自分は人を幸せにすることができる。
自分は人を笑顔にすることができる。
自分は世界に影響を与えることができる。
 
 
 
 
 
 
 
それは、自分のうちからみなぎる力。
なんという幸福感。
 
 
 
 
 
 
 

あなたの魂に、『檄』!ーアニメ「キングダム」に見るプレゼンの構成

 

 

 

 

今、アニメ「キングダム」を日々見進めているのだけど、

とにかく『檄(げき)』がたくさん出てくる。

(そして、この、将兵を奮い立たせるための演説を『檄(げき)』というのだと、

わたしはキングダムで初めて知った。檄を飛ばす、というのはこれのことなのねと)

 

 

 

 

 

 

 

秦の若き王、嬴政(えいせい)が、

秦国の最後の砦、「蕞(さい)」の民衆に檄を飛ばす回(第3シリーズ19話「政、語りかける」)は、

テレビシリーズで放送された時のをちゃんと録画して保存してあるくらいに、ちょっとよかった。

 

いずれプレゼンを扱うセミナーで使えるネタになるであろう、

と保存しているわけなのだけど。

 

 

 

 

 

 

嬴政(えいせい)の檄。

「人の心を奮い立たせるために、何が必要で、人の心のありどころを何を結びつければいいか」

をよくわかっている檄だと思うのだけど、

 

こういう場面で、いつも思うのはまず「檄の振動」について。

 

 

 

 

キングダムで、大将が「檄」によって動かす兵の数は、桁が外れている。

数百から、多い時は数万。

この場面を見るたびに、ある本で読んだ、一つの場面を思い出す。

 

 

対談者が「武者振るい」について語る場面だった。

 

 

 

 

 

 

 

「武者振るいとは、

武者(大将)が本当に、身体から出す振動なのだ。

『震え』なのだ。

その『大将の震え』(恐怖からのではない。もちろん)

が甲冑の錣(しころ)やなんかで増幅され、周りの将兵に伝わる。

 

それが、次々と伝播し、瞬く間に数万の兵に伝播し、兵は一つの塊となる。

一つの巨大な塊となって大将の意のままに動く『生き物』となるのだ」

 

 

 

 

 

と。

そんなような内容だったように思う。

(文言は細かく覚えていないので、こんな感じ、ということで)

 

 

 

 

 

 

「カタカタカタ…」

 

 

 

 

 

 

「震え」が甲冑を伝わって広大な集団の中をざああっ…と広がってゆく、その感覚を肌で感じた気がして、

ゾワっ…となったものだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

さて。嬴政(えいせい)の檄に戻って。

 

嬴政の檄は、古今東西、優れたリーダーが人の心をつかみ、

一つにする時に使う「セオリー」を踏襲している(と思う)。

 

以前、プレゼンセミナーのために、北条政子の「檄」を調べたことがあったけれど、

彼女も同じような「構成」で檄を飛ばしていた。

 

 

 

 

 

 

 

それは、

 

 

 

「時間に橋をかける」

 

 

 

構造なこと。

 

 

 

 

過去、そして今現在を生きている自分、そしてさらには未来。この3つの時間軸をつなぐ。

人々の意識をそこに向けさせる。

 

 

「今だけ、自分だけ」ではなく、

滔々と流れる時間の営みの中に自分は生きており、

受け継ぎ、そして次へと手渡さねばならない「何か」がある。

そこに、人々の意識を向けさせる。

 

 

 

 

そこに、人は、ただ日々をせっせと生きている時にはなかなかアクセスすることのできない、

「自身の深い、生きている意味」を見る。

きづく。

 

 

 

 

自分は、たった一人、切り離された自分、なのではなく、

「バトンの担い手」であり、

今この瞬間を「代表選手」として生きているのだ、という事実。

 

その「時という大河」を大きく俯瞰して人々に見せ、つなげ、自覚させる。

 

 

 

嬴政(えいせい)は、

ほんの短い時間で三万の民衆に対して(兵ですらない、老人女子どもに)それをやってのけるのだ。

 

https://www.youtube.com/watch?v=exDRtE79ojE

(19話の「檄」。音声のみ上げている人がいたので貼ってみます)

 

 

 

 

 

 

 

 

今日のまとめ。

「それ」(発進したもの)がどこまで届くのか?

それは、発信者の「イメージ」の強さ、豊かさ、深さ、高さによって決まる。

 

それはイコール、その人の身体状態を含む「プレゼンス(存在)」の強さ、豊かさ、深さ。

それは、今も昔も変わらない。

 

 

 

 

 

 

古来、武将たちは、

言葉を発しつつも言葉をこえ、時間を超えて、

 

 

 

「あなたの魂に、『檄』!」

 

 

 

そう思っていた違いない(こういう言葉で意識はしなくとも)

と思うのだ。

 

 

 

 

 

(そして、この言葉。「いい言葉を思いついた」と今感じているところで、

自分のキャッチフレーズにしようか、と思ったりしているところなのです)

 

 

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