「春は親も旅立つ」

 
 
 
姪っ子が
もうすぐ宮城へと旅立つと聞き、プレゼントを買いにやってきました。
 
6年間務めた仕事を辞めて、世界一周だなんだと自由に飛び回っていましたが
その間にしっかりといろんな人とつながり
自分の次に進むべき道をさっさと決めてしまいました。
(何でもボランティアの団体に勤めることにしたとのこと)
 
 
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さて

その宮城なんですが、母親(わたしの姉)と二人で

車で乗りこむとのことで、ちょっとびっくりしています。

(念のため、ここは鹿児島)

 

「交代で運転しながら行くよ~。初日は岡山、二日目は長野泊り。三日目宮城だよ~」

(by 姉)

…なんだか、ちょっと楽しそう。

 

 

 

何でも、姪っ子が車を持って行きたい、とのことで

二人で運転しながら行くことになったのだそう。

 

遠くまでまあ大変~、

と、ちら、と思いましたが、でも思えば姪は高校から寮生活。

もしかして、久しぶりに「親子水入らず」の時間、

お母さん独り占めの時間になるのかな~、と思ったり。

 

いや

それよりなによりきっと、姉にとって久しぶりに娘とゆっくり過ごす

大切な旅、忘れられない旅になるに違いない。

(なので、実はちょっとついて行きたかったんですが遠慮することにしました)

 

 

 

 

 

春3月。

周りではさまざまな「旅立ち」の姿があふれています。

 

知人のお子さん。

東京の大学に進学が決まりました。

ここに至るまでのあれこれを聞かせてもらっていたので

わたしも勝手に感無量。

来週の出発に向けて、荷造り中です!と忙しそうな言葉が返ってきました。

いや~もう、ほんとうによかった。

 

 

 

 

 

「模試C判定で、絶対無理だと私立の入学金を抱いてたのに…息子、合格しました!」

とのメールは、古くからの友人。

 

 

「今回はわたしの完敗…。」

と彼女はいいました。

 

「淡々と努力し、

周りのみんなには『俺は第一志望に行く!』と余裕でいいまくり

発表の日はワタシに『12時30分まで寝とけ』(私立入金期限)と言い放ち…。

1ミリも落ちるなんて言葉にせず。

 

コミットメントすることで

どれだけ自分と向き合ったことだろうか」

 

 

メールにあったそれらの言葉からは

息子さんへの一言では言えないたくさんの思いが、ただただ伝わってきました。

 

 

 

 

 

春。

たくさんの若者たちが、次のステージへと旅立っていきます。

そして、親の心も旅立つ。

 

 

共に歩み、

自分の身体の半分のように

愛し、慈しんできたものたちが

自分の力で人生を決め、自分の力で風を切って歩みだす。

どんなに思い、どんなに手を貸しても、

変わってやることはできない子どもたちの必死の「羽ばたきへの準備」。

その場面に直面する親もまた、

否応なしに次の段階に上がらざるを得ません。

 

 

 

子どもたちと一緒に

親も次のステージへと旅立つんだなあ、と。

 

不安

心配

願い

価値観のぶつかり合い…

 

姉、そして、たくさんの「親」たちの声を聞き、思いを聞き、そう思います。

表現しきれないほどの嬉しさと、

感動と

一抹の寂しさと

そんなものが全部ごちゃまぜになった、春

子どもたちは光の中に飛び出していく。

 

 

 

なので…

世界中のお父さん、お母さんに心から言いたいのです。

お子さんの旅立ち、心より、おめでとうございます。

 

そして

あなたの旅立ち、おめでとう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「築120年の風をご一緒に~古民家ワークショップをいたします」

 

来月の23日に、

以前から氣になっていた古民家で

ワークショップをすることとなり、今からとても楽しみなところなのです。

 

 

明治中頃に建てられた農家で

日露戦争の何か?(なんだったけ?)が

改築中に出てきたわ~、とのオーナーさんの言葉に

ワクワクでした。

 

今回のテーマ。

わたしの専門的には(コミュニケーション力アップ)もちろんひとつ、テーマがあるのですが

感覚的(体感的)にぱっとイメージしたのは

 

「春の宴」

 

昔人たちが季節ごとの宴を楽しんだように

自然の中で、季節を歌って踊ってたのしめたらなあ、というのが一番。

 

 

下に、チラシに使用したご案内文を貼っておきます。

 

 

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春は「張る」
こころもからだもみなぎるいのちの季節

一年の中でも一番美しいこの時期
今年はじめての「聲のワークショップ」を
「なかぐみ・きよらの杜」で開催します

きよらの杜は築120年の古民家

黒々とした太い梁
低い鴨居は古い家ならでは
座敷を抜ける風も心地よい
草木の息遣い、鳥の声、風がすぐそこにあります

「春を言祝ぐ聲のワークショップ」
テーマは
「五感を開く、自分を開く」

春、あたらしい世界への出発
出会い
何かをはじめる…
何をするにも、コミュニケーションの力
なかんずく「豊かに場に開いた身体の感覚」は大切です
自分が世界とどうかかわるか
の出発点が「自分の五感のセンサーの感度」にはあります

何より
この美しい季節
いっとき、喧騒から離れて
アスファルトとコンクリートから離れて
自然のなかで
ただ遊ぶ、楽しむ、
そんな時間が欲しい!と誰より思いまして
(主宰者が^^)

そして、楽しみなのは
きよらの杜の今和泉さんの特製、お昼ご飯
こだわりのコーヒーも楽しみです
豆は息子さんによる手焙煎だそう!
(これが楽しみでワークショップを計画した氣も)

昔から、きっとたくさんの人たちが
襖をとっぱらって、この広いお座敷で
季節ごとのハレの宴を楽しんだことでしょう
そんな先人たちのように

みんなで集って賑やかに
芽吹きを言祝ぎ
いのちを言祝ぐ
自分と、仲間と、自然と、そしてかみさまとのつながりを
言祝ぐ

そんな楽しい宴のような時間になればと思っています

時間と興味の合う方は
春の日の贅沢な一日をぜひご一緒に。

◆◆◆°˖✧☆ミ✧˖°◆◆°˖✧☆ミ✧◆◆◆

・自分らしくコミュニケーションを交わすための土台とな
他者や場と共鳴できる身体感覚を磨きます

・人間の本質であり、おのおのの中に眠っている「あそびごころ」「創造をたのしむこころ」を存分に発揮して味わいます。
生活の中で、自分の創造性を豊かに発揮する扉をひらきます。

・自分とさまざまなものとの「つながり」を(自然、ひと、時間…)確認することを通して、

自分自身の「軸」を立ち上げます

◆◆◆°˖✧☆ミ✧˖°◆◆°˖✧☆ミ✧◆◆◆

所   なかぐみきよらの杜
時間  10時~16時30分(9時45分に開場します
参加費 14800円(お昼ご飯の代金を含みます)
その他 

・動きやすい服装でいらしてください
(素足になれる状態で←女性は靴下でお越しください)
・駐車場あり

申し込みはこちらより
 

 

 

 

身体レベルでわかると、「それ」は生き方にも適用できる

 

 

 

 

 

鹿児島に帰ってきて

今のダンス教室にまた通い始めてから

今年でちょうど12年が過ぎたことに氣づいたのは昨日。

 

「…一回り!!」

 

と感無量。

 

 

 

そんな節目の今年。

あらためて基本からやり直しています。

やり直してみると、いかに自分の身体をしっかりと使っていなかったか、が

言葉通り、身に染みてわかる日々。

 

 

 

 

先生より、以前からよく指摘されていることなのですが

わたしの動きの特徴は

 

 

「自分で『動かそうとする』」

「『頑張って』やろうとする」

 

 

社交ダンスは

男性からのリードがないと動けない(はず)のダンスなんですが

…待ちません。

これらすべて、わたしの「生き方の癖」に直結しています。

ダンス、という制限のある動きの世界の中で、いつも自分というものを

たいそうしっかり見せつけられてしまいます。

 

 

 

 

 

先生曰く

「ダンスは、力を抜くところからはじまる」

と。

 

 

「自分で動かす」のではないのです。

「力で、作為的に何かをする」のではなく

 

「反動を使って」

「重力に任せて」

 

自然と足が前に出るに任せる。

 

 

そのためには

まずは必ず、身体の一部分の力を「抜く」ことが、初動になります。

 

 

 

「ゆるめる」がスタート。

「ゆるむ」ことからすべてがはじまる。

(これら、何においても共通することな氣がしますが)

 

 

 

「ゆるめて」

「任せて」

 

 

 

そうすると、身体のセンサーがやっとひらく。

身体の重さを感じて

床の存在を足の裏がしっかと感知する。

 

相手と握った手。

その手のわずかな接触点から伝わってくる、

相手の身体の中心に起こる「かすかな動きの波」。

その「波」を自分の身体に移して、初めて自分も動き出す。

そうして、はじめて「社交ダンス」になる。

 

 

そうやって踊るダンスは

二人でしかつくれない「場」をつくり

その波は周囲に伝わって…

見る人の身体に同じ波を伝播し

踊り手と観客は「同じ世界」を体験することができます。

 

 

 

 

 

 

さて、

先ほども書きましたが、わたしの生き方において

 

「ゆるめる」

「任せる」

 

これは2大テーマで

「それが出来ていたらもっとこれまで楽に生きてきたでしょう」

という部分なのですが。

 

でも

それでも、ずいぶんと上手になったところである氣はするのです。

そして、その「上達」に、

ダンスにおける現実の「力を抜く」「ゆるめる」「相手にゆだねる」

という身体訓練が役立っていることは

想像に難くありません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「声(聲)」の語源は「越ゆ」。

 

だという説がある、と。

ある能楽師さんの本で読み、

美しいと思いました。

 

 

 

 

 

わたしは

ご参加のみなさんに声をだしてもらう、身体を動かしてもらう、という場面が

とても多い研修やワークショップをしますが

 

 

声が「越えて」いくと

(自分が自分に設定していた

「どうせこんなもの」や「もともと出ないし」「小さいし」を越えたとき)

いつも

100%、その人の「心」ももはや「越えて」います。

新しい地平に立っています。

 

 

 

 

ああ、これが自由ってことなのか。

ああ、これが自分のことば、ってことなのか。

ああ、これが「伝える」ってことなのか。

「伝わる」ってことなのか。

 

 

 

それを

言葉だけではなく

頭ではなく

概念だけでなく

 

「身体」でわかった。

細胞全部で感じた。

 

その瞬間の人というものを見るのが好きでなりません。

その人の人生をずっと助け、発動し続ける「真の力」に目覚めた瞬間を

見た氣がするのです。

 

 

 

 

 

 

氣づくと受験シーズン。

私の周りでも、受験や進路にまつわるいくつものドラマが繰り広げられていました。

 

「軸をもって」

「集中して」

「粘り強く」

「ふらふらするな」「ハラを据えろ」

などなど…

 

たとえば

言葉で子どもたちに「在り方」を示唆(説教?)

なさった方も、もしかしていらっしゃったかもしれませんが。

 

 

 

身体ができないことを、精神はできない。

身体が知らない感覚を、「在り方」において体現することは絶対にできない。

そう考えると

子どもたちの「身体感覚」を培い、鍛錬しておくことは

とても重要、と感じます。

 

 

 

 

(話は飛びますが

学校の授業に導入されたダンス。

ヒップホップのほかに社交ダンスもあれば

子どもたちの「コミュニケーション力&コミュニケーションに必要な身体感覚」

さらに大いに鍛えられるのではないか、と思うのですが。

いえいえ、もともとはそんなことをしなくても、

遊びの中で自然に鍛えられていたんですが)

 

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