「本当に伝わる声と言葉を手に入れたい」方のための「声のワークショップ」。
福岡にて9月5日、6日開催です。
「手に入れる」と書きましたが
正確には「思い出す」「取り戻す」といったほうがいいかもしれません。
言い方を変えれば「声と体」「心と言葉」、
分離していたものをつなぎなおして一つに戻す。
わたしたちは、生まれてから今日にいたるまで様々なことを体験し、
その中で知らないうちに「ルール」をつくり、
基準を設け自分をそこに当てはめて生きるようになりました。
わたしたちの体などは「当てはめられた」最たるものです。
もっと細く。もっと軽く。あそこがいけない、ここをもっとこう…。
粘土細工でもあるまいに、わたしたちは体を「モノ」として扱うことに
すっかり慣れてしまっています。
(話は飛びますが、江戸時代は「体(からだ)」というのは「死体」のことを指したそう)
ほかにもきっと、自分の体をわたしたちはたくさんの「縛り」に当てはめてきましたね。
そんな中で、わたしたちは見事に「分離して」ゆきます。
本来、共鳴体であるこの体が存分に響くことで
なんのつかえもなく出ていた「声」は体のあちこちで留められ、
体の緊張によって響きを失い。
本来声は全身で出すものですが、体とのつながりを失ってしまった声はふらふらと宙を漂い、
行きたいところへまっすぐ駆けていくだけのエネルギーはもはやありません。
そして「言葉」も分離します。
言葉とは、本来自分の中にしっかりと存在する「球根」とつながって
そこから発せられるものです。
球根、というのはたとえば「感覚や感情」。
子どものころは100パーセントの「うれしい!悲しい!」の感覚と
声と言葉は直結していませんでしたか?
でも、私たちは大人になるにしたがって言葉から「それら」を分離することを選びます。
「感情を出してはいけない」「かっこ悪いことだ」「スマートでない」と。
そして、言葉は軽くなり、上滑りします。
世界が「当たり障りのない、どこかの誰かが言った小ぎれいな、気の利いた言葉」を使う人たちで
あふれている気がするのは気のせいでしょうか。
声はその人の魂を表します。
言葉はその人をまず何より自分自身と、そして世界とつなぐものです。
それらと「あなた」の関係性、つまり
「あなたの声と言葉はあなたの意図と思いをちゃんと乗せて、届けたい人に届くのか?」
その一点には、わたしたちのこれまでの在り方すべてが現れます。
「あなたの声と言葉を再び手にする」。
そのとき、わたしたちは世界がこんなにも生き生きと感覚にあふれていること
そして、その中で「あるがまま」の自分自身がこんなにも、
堂々と世界に向かって自分自身の響きでもって影響を与えられるのだということを
細胞全部が震えるような喜びの中で知ることでしょう。
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●自分の思いが真に伝わる声と言葉を手に入れる
「声のワークショップ2DAY*inふくおか警固神社」
・日時 平成28年9月5日(月)6日(火)
5日/10時~17時 6日/9時半~17時
・場所 警固神社 (福岡市中央区天神)
・定員 16