史跡は息をしている~鹿児島市鶴丸城「御楼門」復元に思う

~~~ワークショップのご案内~~~

 

「人とスムーズに会話するには?」

「上手に人と付き合うには?」

 

よく聞かれる質問です。

ハウツー的な回答はきっといろいろあるのでしょうが、

いわゆる「円滑なコミュニケーション」の根っこには「身体のセンス」の有り無し、が

しっかりと横たわっています。

 

「sense(感覚)」=ある物事への感度のよさ。

 

目には見えないけれど、人と人、集団の間に流れている「何か」。

それを含めたコミュニケーション空間をわたしたちは「場」と呼び

「場を読む」「場の空氣」などと表してきました。

 

大切なのは、それは決して頭で捉えられるものではない、ということです。

それらは「身体のセンサー」の役割です。

 

 

情報過多。

ともすれば飲み込まれがちな、変化の大きく速いこの時代。

今、私たちが大切にすべきは、どうもそのあたりにあるように思えてなりません。

 

思考のみではなく「身体の感覚」を磨く。揺り起こす。

頭だけではなく、身体全身で世界とかかわる。

そこにこそ、リラックスした、そして何より人間らしい、自分らしいあり方、

生き方の種もあることでしょう。

 

 

●「春を言祝ぐ聲のワークショップinきよらの杜」  4月23日 鹿児島・いちき串木野市

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●「身体が目覚める、五感が目覚める~自分とつながるワークショップinみたか井心亭」

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桜の季節。

毎年楽しみにしている鹿児島市の歴史資料館「黎明館」~旧鶴丸城、

の桜の古木たち。

石垣の外から見ただけなのですが

あきらかに本数が減っている。

 

「御楼門」の復元にともなって

切られたのだろう、と想像するわけです。

 

 

 

石垣に向かって左側。

県立図書館と黎明館をつなぐ階段の横に

古い石の階段があったのですが

昨日見てみると、取り外され、薄グレーのセメントの跡も鮮やかに

塗りつぶされ、平面になっていました。

そして正面。

 

 

すっきりさっぱり、しらじらとした石の色がやけに目立つ。

ここは

西南戦争の弾の痕跡に時間とともに折り重なった苔の陰影が美しく。

「重ねてきた年月」の息遣いに

当時をしのびつつ

しみじみとした心持で立つ場所だったんですが。

 

 

ふと浮かんできた言葉は

 

 

 

「ああ、

死んだな」

 

 

 

ちゃんと「生きていた」「呼吸をしていた」生きた城跡が

「テーマパーク」になり下がったかのような

そんな感覚を瞬間、感じました。

よくできたテーマパーク。

 

USJのハリーポッターの街は

それはそれはよくできているらしいけれど(行ってみたいですが)

でも、「生きた街」ではない。

書き割りの、「張りぼて」の街。

そしてきっと、一回行けばもう「行きたい」とは思わない。

映画村も同じ。

 

 

なんだかそんな感じでしょうか。

 

 

 

 

史跡は

単なる「昔のものが古くなってそこに残っているもの」

ではなくて、生きています。生きて呼吸をしています。

 

一日一日を経ながら

風を受け、雨を受け、その時その時を生きる人たちの足跡をその身に刻み

喜びや思いを見に刻み

そして、時代の風を受けながら

瞬間瞬間を生きて、今の姿になっています。

 

 

決して、それが出来た瞬間で「時が止まっている」わけではない、ということです。

これまでの時間、プロセス、すべてをひっくるめて

「史跡」となっているのだ、と言えばよい、でしょうか。

 

 

 

 

少し前に

「色彩復元師」という仕事をしている方の番組を見ました。

 

数百年前の寺社仏閣の壁画や絵画の色、形を復元するために

毎日野に出て草花を写生し、「身体に草花を刻み込む」。

(というような言い方をなさっていました)

そして

「線や形ではない、当時の人の『心』が描けなければ意味がない」

 

と。

一本の線に「心」を見ようとする。

 

 

それを今に「再現する」こと=当時の人たちの「思い」を今に伝え、再現することの

意味を一心に受け、

そうして

朽ちた文化財から地を這うように「痕跡」を見つける

祈りのような仕事の様子が描かれていました。

 

 

 

 

 

「時間の重み」に手を入れ、手を加える

ということは、それだけの重さと責任、そして繊細過ぎるくらいに繊細な「センス」が伴う、

ということなのです。

 

 

来年は維新150年。

「御楼門」。

どのように復元されるのか。

ある意味

鹿児島の「文化的なセンス」が、外に向かって明確になる

(試される)といってもいいでしょう。

 

 

 

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