年内にやるといいいこと「自分の中からザクザクと宝を掘り出す」

 

 

 

 

 

年内にやるといいこと、ということで

 

 

「今年やったことを100個書き出す」

 

 

と、YouTubeで浅見帆帆子さんが言っていたので、これ、いいなと思い、わたしもやる予定です。

 

 

 

 

この「100」というのがポイントで、

だいたい途中で出なくなる。もう何もない、何も思い浮かばない!という段階がくる。

 

 

 

けれど、ここからが「本番」。

無意識層が検索を受けて活発に動き出す段階といいますか。

頭で思いつく浅い部分を超えて「次の段階」へ突入する。

思ってもいなかったことが「ぽん」と出てき始める。

(そして、その「ぽん」が本当に大切なことであったりする)

 

 

 

ことの大小に関係なく「どんな小さなことでも」書く。

行動したことだけではなく、自分の考えについて、感情について…

あらゆる角度から自分について検討し、捜索し、書く。

(それに「小さい」といいましたが「取るに足らない」認定をしているのは自分だけだったりするわけで)

 

 

 

 

 

 

「自分がこの1年にどれだけのことを成し遂げたか、驚くことでしょう」

(と帆帆子さん)

 

 

 

 

 

本当に。

わたしたちは今年もどれだけのすごいことを成し遂げてきたことでしょう。

よくがんばった。

 

 

そして、それらは何より「自分で確認し、自分で認める」ことが大切で、

周りから100万遍褒められたとしても、

自分が認めなければ、その「成し遂げたこと」は「ない」のと同じ。

 

 

逆に、自分がそれを認め、歓び、慈しむことができたなら。

たとえ周囲から見て「小さな」ことであっても、それは美しくそびえ立つ強固な城のように、

自信となり、誇りとなり、滋養となり、力の源となる。

 

 

 

 

 

 

 

自分のこと。周囲で起こる様々なこと。

「そのこと」にどんなラベルを貼るのか。自分の意識の向き。意味づけ。

それこそが自分にっての真実であり、自分にとっての世界であり、100人いれば100人分の「真実」がある。

そして、人は「意識の向いた方向」へ進む。そのことを「多く得る」。

 

 

 

自分でも100満遍、これまで人に言ってきたことですが、

そうだねえ、ということを今年もしみじみと実感した年でした。

 

 

 

 

これを読んでくれたみなさんへ。

「わたしが成し遂げた、この上ない豊かなあれこれ」というスポットライトを当てて、

ぜひ、この365日間を精査してみてはいかがでしょう。

 

来年へ向けてのこの上ない宝物となり、エネルギー源となるのでは、と思うことです。

 

 

人の感情の責任まで引き受けない「聞き方」(一本の線を引くことは大事)

 

 

 

 

相談業務が仕事のクライアントさんがいます。

 

 

 

相談終了時、彼の発した「話してみてどうですか?」の問いに、

相談者が「ますます不安になりました」と言った、とのことで、

なんだか落ち込む、と。

 

 

話を丁寧に聞き、相手の言葉を受けて、

「それならばこういう案も」「こういう方法も」と提案も様々にしたのだが、全て却下。

話は「そして出発点へ戻る」で終わったのだそう。

 

 

この間、約2時間。

「どっと疲れました…」

とのことで。

 

それは、お疲れ様でございました…としみじみ思ったのでした。

 

 

 

「ますます不安になりました」と言われたときに、

「それ、自分のせいですか?そうなんですか⁉︎」という思いが

瞬間ぐるぐると渦巻いたそうで。

 

その気持ち、わかる…(わたしもそういうところがあるからなあ~と思いつつ)

 

 

 

で、ふと浮かんできた一つの喩えをお伝えしてみました。

 

「わたしたちの仕事は、交通整理をしているようなところがあります。

相手の中の膨大な量の情報、感情の交通整理。

お巡りさんが、交差点の真ん中に立って交通整理をするときに、どんなにたくさんの量の車が走っていても、

ひどい渋滞であっても、一台一台の車に感情移入をすることはないでしょう?

 

『ああ、あの車は赤ちゃんが泣いている!ごめんよ…』

 

とか、

『あの車の中は苛立って喧嘩をしているな。申し訳ない…』

 

と、ともに悲しんだり、嘆いたり、どうにかしてあげよう!と思ったりはしないですよね。

それは、お巡りさんの仕事ではないから。

お巡りさんの仕事は、ただ渋滞を、安全に適切に捌くこと。

共感しつつも、その視点を持っておくといいかもしれません」

 

 

 

彼は、

「ああ!とてもわかりやすい!」

と。(ヘッドセットの向こうで、「メモを…」の気配)

 

 

 

 

話を聞いていて。

 

コミュニケーションをとっていて「疲れる」というときは、

そこに「ゲーム」(無意識下のエネルギーの奪い合い)が起こっているとき、なのだろう、と思います。

(エネルギーが均等に、クルクルと循環しているときには疲れないし、

逆に、お互い触発しあって元気になり、いいアイデアがバンバン浮かんだりするものです)

 

 

 

「課題を解決するのは、相手」

「相手の機嫌は相手の責任」

 

 

 

感情、身体状態ともに、ともすれば反応してしまい、なかなかそこの切り離しができないこともありますが、

自分にとって心地よい、新しい「軸」を採用し、

それを何度も何度も「採用し続ける」ことで(ここが大事!)

やがてそれは身体に沿った「生きた技」となり「在り方」になっていくものだな、と思います。

 

 

 

 

 

 

(今朝の桜島。島はおぼろでしたが光る海に

観光の人たちが「おお〜!」と歓声をあげていました)

 

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