「綺麗な漢字にうっとり♡」

 

 

 

 

久しぶりに本を買いました!と知人から、

メッセージが送って来ました。

いわゆる「大正浪漫」の香り華やかな、きれいな表紙の写真とともに。

 

 

 

「久しぶりに文字にゆっくり触れて、
言葉の言い回し、
綺麗な言葉、
綺麗な漢字を見ては読んではうっとり♡

日本に生まれてよかったなとしみじみ感じているところです^^」

 

 

 

 

この方、まだお若く、
20代後半にやっとなったくらい?でしょうか。
(けど、3人のお子さんのお母さんなんですけど)

 

 

「若者」が、
「綺麗な言葉、綺麗な漢字」
と書いてらっしゃるのが嬉しくて、今これを書いているわけです。

 

 

 

 

 

「綺麗な漢字」。

 

 

 

 

音と同時に、その形からも、
しんしんと意味とセットで私たちにたくさんのものを伝えてくる「漢字」というもの。

 

 

 

表語文字
(ひとつひとつの文字が「意味」と、「発音」を同時に表している文字体系のこと

…昔は「表意文字」と教えた覚えがあるけれど)

 

である漢字を、表音文字である
ひらがな、カタカナとまぜまぜにして使っている私たちですが、

 

 

 

 

これまで日本の長い歴史で、2度ほど
この「漢字仮名交じり」方式、危機を迎えたことがあったそうで。
(幕末と、戦争後の2回。漢字、いらないでしょ、と。

漢字、ダサい。漢字、難しすぎ。ALLローマ字に変更!と)

 

 

 

そんなバカなことにならず、

残って本当によかった。

 

 

 

 

 

 

この、
「漢字仮名交じり」であることは、

 

私たち日本人の理解力、思考力、学問の深まりにも、
大きな役割を果たしているわけですが、
それはおいておき。

 

 

 

 

 

日常で情報をやり取りするツールが、
同時に美しかったり、面白かったりもする。

 

単純な、その字が持つ「意味」以外の、いろんな「空氣」をまとうことができる。

「芸術」の一端をに担ってしまったりもする。

 

 

 

 

 

そういうものを味わっている人を見ると、
とても嬉しくなってしまいます。

 

 

 

 

 

(本文中の本と、写真は関係ありません?)

 

数学は苦手だと思っているけれどーリケジョの知人に思うことー

 

 

 

 

 

 

小二の算数の時間に、

 

 

「あれ…なんかわかんないかも…」

 

 

と、意識がすっと遠のいていくような、

全身が冷たくなるような感じを味わったのを今でも覚えているんですが(笑)

 

 

 

 

 

それ以来、数学は苦手、ということになっています。

教員時代も、クラスの人数分けなど、とっさの計算が必要な場面は、

 

「えっと、こっから先よろしく」

 

と、生徒たちにやってもらっていました。

 

 

 

 

 

 

数学ができない、というわけではないのです、多分。

いわゆる「模擬テスト」などでは、

それなりの点を取っていたこともあったので。

 

 

ゆっくりと、時間をかけて理解して、慣れていけば、

出来る。(多分)

 

 

 

 

けれど…。

とにかく前提として「苦手だ」というのがあり、

この意識がますます数字に対して

心と身体をフリーズさせるような氣がするのでした。

 

 

 

 

 

 

と。

 

どうしてこういうことを思い出したかというと、

イベントを共に企画した知人が、

その材料のグラム数に至るまで細やかに計算して金額を出してくれたので、

(それがまた早い)

 

 

「氣を遣わせてしまったようで…(スミマセン)」

 

 

的な意を伝えたところ、

 

 

 

「最近、数字で認識するのに改めて喜びを感じてしまう自分を認識中」

 

 

 

という(とんでもない)旨の返事が帰ってきて、

軽く感動した、ということがあったからなのです。

 

 

 

 

「私はリケジョでして。

(なので、お気遣いなく)

 

 

工学部建築科に進学してまして。

若き頃はハウスメーカーにおりました。

 

(中略)

 

今の仕事場では、周りの人は完全に文系さん達で、

学生時代の数学は(わたしも)全く得意と言えるレベルではなく

相当苦労していたのだけど、

 

文系さん達の数字苦手は桁違い!と感じる事多し。

 

時々数値での分析すると物凄く有り難がられる、又は理解してもらえない。

面白がってしているレベルなんで、その反応も楽しくて!

(このあと大きなニコニコマークが2つ)」

 

 

 

 

 

そうそう、そうなのですよ。

「桁違い」なのですよ。

苦手意識の高きことエベレスト並みなんですよ、

 

 

 

と呟きながら、

 

 

「違う世界を見ている人がいるんだなあ」

 

 

 

と思ったのでした。

そして、この知人の「見ている世界」の話を聞いてみたい!と思いました。

なんだこの軽やかな楽しい感じは!

一体どんな世界が見えているのか?

 

 

 

この世に生まれて、半分しか世界を見ていないような、

とても片手落ちな氣がしてきたのでした。

 

 

 

 

 

 

 

クライアントさんに一人、数学の先生がいらっしゃり、

この方の話を聞いた時も、

全く知らない世界の淵を覗いたような氣がしたものでした。

(だいぶ昔の記事で書いたことがあるんですが)

 

 

 

 

「夜のしじまに、数学の神様が降りてくる」

 

 

 

 

とおっしゃった、んだったかな?

 

 

 

 

「数学の世界は美しい。いい式は美しい」

 

 

 

 

とも。

 

 

 

 

 

 

 

 

数学は面白い。

数字の世界は面白い。

数字は友達♪

 

 

 

とまではいきなり行かなくても、

「その世界を愛し、そこで生きている」人の話を聞いてみたい、

と今、そんな欲求がふつふつと高まっているところなのです。

(これは、何げにすごいことだと思うのですよ)

 

 

 

 

 

 

 

わたしの手を引いて、

はるか昔、入りそびれた大いなる門の入り口に。

 

またある時は、未知の世界の入り口に。

いざなってくれる…

 

 

わたしの心のハードルをいとも易々と越えさせてくれる、そんな先達は、

 

 

 

 

 

 

いつ、いかなる時も、

難しさや権威とは真逆のところにある、

 

何よりその世界に「愛あるオタク」なのでした。

 

 

 

 

 

 

 

 

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