便箋を前につい手が止まるー手書きに悪戦苦闘する話

 

 

 

この数日で、お礼状をたくさん書くことがあったのですが、
うち2通はメールで送信。1通はPCで作成&プリントアウト。

署名のみ自筆で送りました。

 

 

ここではたと「もっと手を動かさなくては!」
と思い、ここから先は手書きで書くことに。
すると…書けない。
書けない!
(くずおれるわたし)

 

 

カッコよく字配りできない。
文字の中心がいまいち。
この言葉がこの位置に来てはいかんだろう。
流れがよくない。
見た目の悪いところで改行してしまった。
などなど…
そもそも、長時間「きれいな文字」を書き続けるのが、大変。

 

 

昔の人は、
(平安時代です)
ラブレターを書くとして、

 

どんな紙を選んで、
どんな香をたきしめて、
歌をどんなバランスで散らし書きして、
どんな線でもって…

 

と、
そんなセンス全部が備わっていないと、
恋が残念な結果に終わることも多々あったようですが、
(上記のようなことが全て「教養」の中に入っていたわけで)

 

そんな時代でなくとも、
「これはやばい😅」

 

と思ったのでした。
動きませんよ。手が。
イメージはあっても、その通りになかなかならない。

 

 

この日(昨日ですけど)
便箋の書き損じ、4枚。
封筒の書き損じ、1枚。
そして「ええい、もうこれでいいや!」の妥協で
なんとか仕上がった

数通の手紙。

 

 

 

パソコンですと、
何回も書き直せて、字配りもフォントも自由自在。
短時間で、なんかいい感じに手紙が「作れる」んですが、
(わたしももっぱら頼ってしまいますが)
たまには手書き、やってみてもいいかもです。

 

(仮名と和歌の伝統をせっかく持っているわたしたちなのに、
なんだか軽い敗北感😅)

 

皆さんにも「たまの手書き」をおすすめして
終わろうと思います。

放っておくと、わたしたちは無意識のうちに、「それをしなくていい合理的な理由」を次々と編み出し、結果、自分の【枠】はどんどん狭くなっていく

 

 

 

 

 

 

 

 

このGW中にあったことを一つだけ書いておこうかなと。
(そうじゃないと、どんどん新しい出来事が生まれて、瞬く間に後ろに流れていってしまう)

 

知人からインド映画に誘われ、
自分ではまず選ばないジャンルなんですが、
屋上での上映&「マサラ上映(鳴り物ダンス応援OK)」ということで、

 

紆余曲折、色々ありつつ行ったのです。
で、この映画がものすごくよかった。
面白かった。

 

国が違って、文化が違えば、こんなにも違うものなのか、
と驚嘆するくらいに、
「初めてみた😳」世界でした。

 

同時に、わたしたちがずっと慣れ親しんできたのは、
「西洋的な」表現方法をスタンダードとしたものなんだな、
ということもあらためて感じ。

 

 

イギリスがインドを植民地支配していた時代の話で、
イギリスの法とルールによる武力(軍隊)の支配に対して反旗を翻す、

とまあ、言葉で書くとそういうような内容なんですが、
なんと言いますか、西洋の武器(銃火器)に対して
徹底的に、

 

「自然」
「大地」
「人間」
「身体」

 

そして、
「受け継がれてきたもの(先祖・神話)」

 

 

を土台にして戦うインド人主人公たちの姿のまあ、美しいこと✨✨✨
本当に、インドの神様に見えました😍
(そして、たまにそのアクションが凄すぎて
「それはありえねーだろ」とクスッと笑えたりする)

暮れていく空に、桜島。
吹き渡る風も心地よく。

 

 

で、
初めに書いたこの文章のタイトルなんですが。
会場に足を向けるまで、とても「うだうだと」していたのでした。

「遠くから帰ってきたばかりで体調がイマイチだ」
からはじまって

「人混みかあ…」
「あんまり賑やかなのは苦手だな」
「3時間って!無茶…」

最後は
「そもそもインド映画って面白いのか?」

まで。

 

 

けれど、帰りはアーケードの中、知人と踊りながら
(映画中のダンスを)
帰ったんですけどね。

ということで、まさに表題の通りのことを実感したんでした。

 

誘ってくれた知人に心から感謝しているところです。
(際どいところで機会を放棄しそうになりながらも、なんとか出向いた自分にも)

 

 

 

映画の写真を貼ってみましたが…
この絵だけ見ても、まず私は見に行かないなあと。
それだけに、とにかく楽しげにワクワクと誘ってくれた知人、グッジョブ‼️と思うのでした。

 

 

 

 

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