「自分の言葉で語る」

以前
トークライブショーに行きました!ということで
「世界一の庭師 石原和幸さん」
のことをここに書いたことがありましたが

この方が出演なさった
「課外授業 ようこそ先輩」
を見て感じたことなど少し。

この日、石原さんが小学生たちに提示したテーマは
「死ぬほど人を喜ばせる」こと。
具体的には
「自分が本当に、心からそうしたい」
と思う人に、メッセージを添えた自作の花束を贈る、という授業です。

石原さんは早速、子供たちに質問します。
「誰に?それはなぜ?」

すると子どもたちは元気に手を挙げ、すらすらと答えます。
「はい!お母さんに。いつもお世話になっているからです!」
「両親にです。いつもいろいろしてくれているからです」

そこで石原さんは聞くのです。
「具体的に、どんなふうにお世話になっているの?」
「……(間)」
子どもは答えることができません。
石原さんは、ひとしきり聞いて、こう、子どもたちに言います。
「…甘いっっ!!」

ほんと
そう思いました(笑)
「君たち、な~んにも考えてないでしょ」って感じ。
いえいえ、それは言いすぎですが。
でも
彼らの口から出てきている言葉は
彼らの思考の、感情の、ほんの浅いところ
地層に例えれば第一層目にも満たない
表面のアスファルトくらいのところを通って出てきた言葉。

もっと言えば
とおりいっぺんの、聞こえのいい言葉。
どこかで、誰かが百万ベン使っている言葉。
こう言っとけば、はずれはないかなという感じの「一般受け」する言葉。
なんにも伝わってこない。

石原さんは
自分とお母さんとの体験、お母さんへの思いを話し
そして

「本当に、本気で人を喜ばせるとはどういうことか、もう一回考えよう」

という時間へと場は移行してきます。
石原さんは、子どもたちの発言に次々と「突っ込み」を入れていきます。
塊を、砕く砕く(笑)。
子どもの「漠」とした言葉を
「チャンクダウン」しまくり。

「本気って、どんなふうに伝えるの?」
「本気って、どういうこと?」
「あなたは今まで本気になったことがある?」
「なぜ本気になったことがないの?」
「それを(本気で伝えることを)やってみたいと思う?」
「それはなぜ?なぜやってみたいと思うの?」

いいですね。小学生相手に。
こういう「手を抜かない大人」「半端なことじゃ許さない大人」
大好きです。
そして再度。

「…あなたが『本当に』喜ばせたいのは、誰?」

子どもたちは
それぞれ花束をつくり、メッセージを書き
絶好のタイミングを自ら演出し
「本当に喜ばせたい」と思う人にそれを
プレゼントすることに臨みます。

それは
側から見ていると、はっきり言って、稚拙でした。
言葉もこなれていないし
感動的なメッセージが書いてあるわけでもない短い手紙。
でも、でも…

その答えは
その言葉は
自分と向き合い、自分の中と対峙し
自分の気持ちを掘り下げ、自分の思いを聞くという
多分、人によっては初めての体験、プロセスを経て
出てきた珠玉の言葉。

本当の言葉で語っているか?
自分の言葉で語れているか?
本当に「伝わる」表現ができているか?

それは、大人、子どもにかかわらず
わたしたちの一生の宝です。
わたしたちは、真に分かり合うために生まれてきたのですから。
本当の自分の響きで、人々とシンフォニーを奏で
よりよきものを創造するために生まれてきたのですから。
そして、それこそが生きている意味であり、喜びそのもの。

そして、それができるためには、自分と深く対峙することが必要です。
誰からも問いかけてもらえず
その体験がないまま大人になった子は悲劇です。
そのすべを知らないままずっと生きて行く
(それをしていないことに気づかないまま生きて行く)大人も。

自分の言葉で語っているか?
それが、本当の意味で、世界とつながるということです。

自分の魂の振動をちゃんと言葉にできる人は強いです。
声に、表情に、体のすべてに乗せられる人は強いです。
自分の軸から言葉を紡ぎだせる人は、ほんとうに強いです。
これは
プレゼンでも、面接でも
はたまたプロポーズでも
どんな場面でも同じですね。
と、セミナー、研修で出会うたくさんの方々を見ていて思います。

さて
「お母さんにわたす」と言っていた一人の男の子。
結局
離れて住んでいる、目の不自由なお父さんに花束を渡しました。
渡した後に、泣きました。
嬉しかったのだそう。

本当に、本気でやった。

その体験が、理屈なしに、彼の中を揺り動かしたのが伝わってきました。
彼の中におちた
一滴の雫。

これから、どんな波紋を描き
彼の人生において、どのように広がっていくのか
彼と周囲にどのような豊かな影響を与えていくのか
想像するだけで、幸せな心地になります。

・過去の関連記事はこちら
「魂のプレゼンテーション」

「光と水と」

よくいくカフェの店員さんとはすっかり仲良しです。
先ほど、成人式の写真を見せてもらいました。
昨年末から

「今年は成人式なんです」
「わあ~、おめでとう。写真を見せてくださいね」

といった会話をしていたのでした。

「写真、見せて!」
の声かけに
それはそれは嬉しそう~に
スマートフォンを取り出して、見せてくれたのは
赤と黒が大胆に模様を描く上に
牡丹がぱあっと咲いている
それは個性的で、すてきな振袖の彼女。
落ち着いていて華やか。
古典的なのに、とてもモダンな感じ。

「これ、母の振袖なんです」

それはすごい。
これを当時選んだお母様もすてき。
お母様の振袖を大切に、受け継いで着ている彼女もすてきです。

全身が写ったの見たいな!?
後ろからの写真は!?

などなど…矢継ぎ早な私のリクエストに応えて
画面を動かしながら
彼女は言います。

「もう、本当に本当に楽しかったんです!
みんなからかわいいねっ♪て言われて
ちやほやされて!
あ、これ、家の庭で撮ったんですよ!」

そう語るその表情は
そうですね…まるで太陽をいっぱいに浴びた
タンポポの花が咲いたような
あたたかくて染み入るようなかわいらしい笑顔。
こちらまでなんだかあったかくなってくる。

全身でその「感じ」を受け取りながら
ああ、こういうのいいな、と思いました。

あふれるくらいちやほやされて
褒められて
「お前が世界で一番かわいいよ」
って言われて…。
そういうの、いいな~。
それを、満面の笑顔で『嬉しかった!』と言える。
そのこともなんとすてきな。

花が美しく、たくましく育つには
絶対必要です。そういうものが。
溢れんばかりの光と水と。
そしてそれらが、無条件に与えられたという体験。
なんの理屈も交換条件もなく
何もしなくても、何もできなくても。
ただ、自分が自分であって、ここにいる。
そのこと自体に無条件に与えられる「承認」。
(成果承認に対して「存在承認」なんて言い方をしますね
コミュニケーションの世界では)

それらは
この世界への絶対の信頼。生きて行く上での安心感をつくります。
人が生きて行く上での根幹をなす土台です。

以前から感じていた
彼女の
年に似合わぬ安定感。
まっすぐにゆきたい先を見つめる目。
どっしりと構えた存在感の理由がわかった気がしました。
溢れんばかりの光をを一身に浴びてすくすくと育ってきたのでしょう。
お母様の振袖の件からもなんとなくわかる。

あ~、この人はちゃんと一番大切なところとつながっている。
これは絶対にゆるがない。
これから何があっても、自分を信じて
世の中の光を信じて歩いてゆけるんだろうな。
そう思いました。

彼女はこれからの人生で
今度は他者に対して
惜しみなくあふれさせることのできる人になるのでしょうね。
光と水を。

漂う若者。
迷う若者。
仕事でたくさん出会います。
迷うのはいいんですが
自分の中に、何の「つながり」も「いつでも立ち戻れる根っこ」
がない状態で迷うのは本当にツラいだろうなと思います。

親が、大人が子どもにあげられる
(その手に持たせなくてはならない…いえ、体に刻んであげないといけない)
一番大切なものは何なのか。
それをしっかりとあげられる大人でいたい。

彼女のたんぽぽ笑顔を見ながら
そう思いました。

「新年あけましておめでとうございます」

ずいぶんと遅いごあいさつになってしまいました。
みなさま、よき新年をお迎えになられたことと存じます。

わたしのお正月ですが
見たかった映画をまとめて見に行ったりと
そんなことをしていました。

ちょっと時期がずれたこともあってか
わたしが見ようと思っていた映画は
どれも一日一回の上映しかなく。

まずは朝の8時半。
寒い。
…誰もいないんですね。あの時間帯の映画館って(笑)
でも、おかげでいつもは目に止めないかもしれない
ちょっと素敵な光景に出会いました。

朝もやの中
真っ赤な頬をした男の子が
年配の女性の手を引っ張って

「ねえ、はやく!はやく!」

息せき切って
映画館に通じるエレベーターの前へ。
会話から
お孫さんと、せがまれて連れてきたおばあちゃんとわかり。
一緒になったエレベーターの中でも
駆け出しそうな勢いの男の子。
つい、声をかけてしまいました。

「戦隊ものですか?」

すると下から男の子が

「ううん!イナズマイレブン!!」
「…ああ、サッカー??」
「うん!!」

もう、その場で体がジャンプしている。

うわ~。
「映画」(ごとき)←ゴメンナサイ
でこんなに幸せそう。
こんなに「生きてる」人をみたのは久しぶり。

全身で楽しんで、喜んでいる人って
(人のそういう状態って)
それだけで周りを幸せにしますね。

そして夜。
今度は声をかけられました。
9時50分から始まった映画が終わったのは12時前。
帰り道
駅の構内を早足に歩いていたんですが。

「…あの~」

振り向くと、男の人が立っていました。
30代くらいの
背の高い、人のよさそうな方でしたが。

「あの…新年会ですか?」
「いえ…」
「あの、変なンじゃないですから、あの…」

「映画です」
そう言って破顔してみました。
その後
「何を見たんですか?」「面白かったです?」
のやりとりがあり

「ええ、とっても面白かったですよ。じゃ!」

でその方とはお別れしたのですが。
歩きながらなぜだか顔がほころんでしまって。
なぜかというと

きっと
「映画ごとき」で
今の自分は、朝のあの男の子のような顔をしていたんだろうなあ
と思ったからです。

寒空の下
コートに手を突っ込んで前のめりに歩いていても
「声をかけられる」くらいに
きっと何かほわほわと幸せそうな顔で歩いていたんだろうと。

ただ喜べる自分。
それが隠せなくて
メタメタ顔に出るくらいに
「幸せです。最高です」な顔になる自分。
…新年早々、なんていい傾向なんでしょう。

$中村公子のコーチングna日々♪

新しい年。
もう手放していいかな、というものが
さらに増えたような気がしています。
今まで自分を守るために必要だと思ってきたいろいろなものに
お礼を言って手放す時が来ている気がします。

余計なものをさらに落として
いついかなるときも自分の最高の音色を奏でる鐘のように
すっきりとした状態でありたいと願っています。
そのために
「楽しむ」「喜ぶ」ことは、わたしにとって
今年もとても大切な要素になりそうです。

皆様は
この1年をどのようなご自身として
過ごしてゆかれますか?

アーカイブ
Copyright © Communication Works All Rights Reserved.